(海難の事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成14年4月25日06時30分
三河湾立馬埼沖合
(北緯34度40.8分 東経137度04.8分)
2 船舶の要目等
(1)要目
船種船名 |
貨物船第十一とよふじ丸 |
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総トン数 |
4,010トン |
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全長 |
124.64メートル |
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機関の種類 |
ディーゼル機関 |
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出力 |
3,736キロワット |
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船種船名 |
漁船大弘丸(主網船) |
漁船大弘丸(従網船) |
総トン数 |
13.0トン |
9.7トン |
登録長 |
16.70メートル |
14.35メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
ディーゼル機関 |
漁船法馬力数 |
160 |
120 |
船種船名 |
漁船大弘丸(運搬船) |
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総トン数 |
8.5トン |
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登録長 |
14.20メートル |
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機関の種類 |
ディーゼル機関 |
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漁船法馬力数 |
120 |
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(2)設備及び性能等
ア 第十一とよふじ丸
第十一とよふじ丸(以下「とよふじ丸」という。)は、昭和60年10月に進水した限定沿海区域を航行区域とする自動車運搬船で、F社が裸用船して船員を配乗したうえ、あらためてG社に貸し出したもので、乗用車換算で約750台を積載することができた。船橋の位置は、船首から後方約24メートル、水面上約16メートルのところにあり、レーダー、アルパ付きレーダー、GPSプロッターなどが装備されていた。また、建造時の海上試運転における最大速力は約18.5ノットであったが、通常は14〜15ノットの航海速力で航行し、最大速力における旋回径は左右とも約500メートル、最短停止距離は約900メートルであった。
イ 大弘丸船団
大弘丸船団は、大弘丸という同じ船名の3隻のFRP製漁船からなり、D指定海難関係人が親戚数人との共同出資により購入し、2そう引き網漁の主、従両網船及び運搬船として使用していたもので、うち2隻を同指定海難関係人が、残りの1隻をHが所有船として登録していた。
主網船の大弘丸は、平成4年12月に進水し、最大速力約20ノットで、船尾に漁労用のネットローラーを搭載し、2そう引き網漁の主網船として使用され、事故当時はD指定海難関係人が船長として単独で乗り組んでいた。(以下「大弘主網丸」という。)
従網船の大弘丸は、昭和59年3月に進水し、最大速力約15ノットで、船尾に漁ろう用のネットローラーを搭載し、2そう引き網漁の従網船として使用され、事故当時はC受審人が船長として単独で乗り組んでいた。(以下「大弘従網丸」という。)
また、運搬船の大弘丸は、平成8年10月に進水し、最大速力約20ノットで、2そう引き網漁の運搬船として使用され、事故当時は船長J(以下「J船長」という。)が単独で乗り組んでいた。(以下「大弘運搬丸」という。)
3隻ともレーダー及びGPSプロッターを装備していたが、どの船も汽笛を装備していなかった。
また、2そう引き網漁に使用される漁具は、長さ80メートルの化学繊維製引き綱に連結された長さ約180メートルの手網と長さ約120メートルの袋網とからなり、網船の船尾から袋網の後端まで400メートル近くに達し、袋網の網口付近には直径約1.2メートル長さ約1.5メートルの、また、袋網の末端には直径約0.5メートル長さ約0.6メートルの各ボンデンがそれぞれロープで取り付けられていた。
3 事実の経過
とよふじ丸は、A、B両受審人ほか9人が乗り組み、車両383台を積載し、船首4.66メートル船尾5.90メートルの喫水をもって、平成14年4月24日18時30分京浜港横浜区を発し、愛知県三河港に向かった。
ところで、伊勢湾及び三河湾では、毎年3月から5月にかけて、いかなご2そう引き網漁が盛んに行われており、平成10年及び11年に、漁具の形状や操業状況を知らせる文書が、とよふじ丸を含む関係船に対して会社から配布されていた。
A受審人は、船橋当直を、B受審人、二等航海士及び三等航海士の3人による4時間3交替制とし、各当直に甲板部員1人を配して2人で当直を行わせており、船舶交通の輻輳海域などでは、自らが指揮を執るようにしていた。
翌25日05時15分A受審人は、伊良湖水道航路の南入口付近で昇橋して同航路通航の指揮を執り、06時10分中山水道に差し掛かったところで、当直をB受審人に任せて降橋することとしたが、船舶交通が輻輳して当直者が不安を感じたら連絡してくるものと思い、あらためて2そう引き漁船群と遭遇したら報告せよとの指示をせずに降橋した。
06時14分B受審人は、トーノ瀬灯浮標を右舷側至近に見て通過し、立馬埼灯台から242度(真方位、以下同じ。)2.9海里の地点で、針路を035度に定め、機関を全速力前進にかけ、15.0ノットの対地速力で、甲板員を手動操舵に当たらせながら進行した。
定針したとき、B受審人は、レーダーで、まもなく転針しようとする方向にあたる右舷前方3ないし5海里ばかりのところに、漁船群の映像を探知したが、特に不安を感じなかったので、A受審人にその旨を報告しなかった。
06時22分B受審人は、立馬埼灯台から285度1.4海里の地点で、転針予定地点に達し、漁船群を迂回するためにこのまま北寄りの針路で進行しても、群が西に寄ってくると前路をふさがれる可能性があると思っているうち、レーダーで、漁船群が北側と南側の2つの大きな集団になっており、予定針路である066度の方向は比較的まばらであるのを認め、同針路に転針した。
06時25分B受審人は、立馬埼灯台から316度0.9海里の地点に達したとき、右舷船首2度1.3海里のところに南東方を向いている大弘主網丸を、また、左舷船首8度1.3海里のところに西を向いている大弘運搬丸を、さらに船首わずか左方にボンデン1個を初めて認めた。
B受審人は、大弘主網丸や大弘運搬丸の動静を十分に監視しなかったことから、見えているボンデンが大弘運搬丸のもので、大弘主網丸と大弘運搬丸が別々に1そう引き網漁を操業しているものと思い、実際は、大弘丸船団3隻による2そう引き網漁が行われており、同船団の漁具が前路に展開されていることに気付かなかった。
こうして、B受審人は、大弘主網丸の手前に同船と組んで引き網中の大弘従網丸がいることも、大弘運搬丸のそばにもう1個のボンデンがあることにも気付かないまま続航し、06時27分大弘主網丸を右舷船首4度に、大弘運搬丸を左舷船首9度に、ともに0.7海里に見るようになったが、大弘主網丸と大弘運搬丸の間隔が約400メートルばかりあるので両船の間を通航できるものと思い、大弘運搬丸の西側へ向けて転針するなど、大弘丸船団の進路を避けずに進行した。
とよふじ丸は、06時30分少し前B受審人が、船首やや左舷側となったボンデンを避けるために右舵10度次いで左舵10度として進行中、06時30分立馬埼灯台から023度1.3海里の地点において、原速力のまま、ほぼ原針路に戻ったところで、大弘従網丸の後方約210メートルのところで大弘丸船団の漁具に衝突し、しばらく引きずったのち、切断した。
当時、天候は曇で風力4の北西風が吹き、潮候は上げ潮の初期で、視界は良好であった。
B受審人は、漁具に衝突したことも、漁具に引っ張られて大弘従網丸が転覆したことにも気付かず、予定針路を進行していたところ、06時40分ごろ立馬埼灯台から051度2.5海里付近に至ったとき、追走してきた漁船によって事態を知らされた。A受審人は、乗組員を現場に派遣して確認するなど事後の措置に当たった。
また、大弘丸船団は、同月25日04時00分愛知県日間賀島漁港を発し、05時ごろ立馬埼北方沖合の漁場に到着し、大弘従網丸は船首0.3メートル船尾1.5メートルの喫水で、大弘主網丸は船首0.3メートル船尾1.5メートルの喫水で、どちらも鼓型形象物を掲揚し、50隻ばかりの同業船が南北2集団となって操業する中、比較的漁船の少ない中間付近に位置して、2そう引き網漁を開始した。
ところで、E組合に所属する漁船のなかには、全長が12メートル以上であっても汽笛を装備していないものが多数あったが、組合員の間に、法令の汽笛装備義務は遊漁船に対するもので漁船には適用されないとの誤解があったことから、ほとんど装備が進まず、D指定海難関係人も大弘運搬丸の所有者も大弘丸船団の各船に汽笛を装備しておらず、また、同組合も、漁船の所有者に汽笛を装備するよう指導したことはなかった。
大弘丸船団は、06時20分ごろ立馬埼灯台から018度1.4海里の地点で、C受審人が大弘従網丸の、D指定海難関係人が大弘主網丸の、また、J船長が大弘運搬丸の操船にあたり、大弘従網丸が右側に、大弘主網丸が左側に位置し、それぞれ船首を155度及び145度に向けるよう操舵し、2そうで、150度方向に約1ノットの速力で、同日3回目の引き網を開始した。
06時25分C受審人は、立馬埼灯台から023度1.3海里の地点に達したとき、ほぼ右舷正横1.2海里のところに、東行中のとよふじ丸を初めて視認し、まもなく、同船が衝突のおそれのある態勢で接近していることを知ったが、警告信号を行わず、いずれとよふじ丸が避航動作をとるものと思い、そのまま引き網を続けた。
ほぼ同じころ、D指定海難関係人及びJ船長も、とよふじ丸が衝突のおそれのある態勢で接近しているのを認めたが、どの船からも警告信号は発せられなかった。
06時27分C受審人は、立馬埼灯台から024度1.2海里の地点に達したとき、とよふじ丸が依然として自船団に向首したまま0.7海里のところまで接近しているのを認めたが、自由に行動できる大弘運搬丸をとよふじ丸に向かわせ、避航を促すよう指示しなかった。
J船長は、袋網後端のボンデン付近に位置し、ときどき機関を使用して網を追尾しているうち、とよふじ丸が漁具に接近するのを認めたものの、いずれ針路を変えて自船の北側を通るものと思い、避航を促すためにとよふじ丸の方へ向かうことなどはせず、まもなく袋網を揚げる作業に取りかかった。
D指定海難関係人は、引き網を続けているうち、まもなく、とよふじ丸が避航動作をとらないことに危険を感じ、大弘運搬丸にとよふじ丸の方へ向かうよう指示した。
06時30分少し前J船長は、揚網を中断して、とよふじ丸に向けて航走を開始したが、同船の近くに達する前に、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、とよふじ丸は、船首部に擦過傷を生じただけであったが、大弘丸船団は、漁網を全損し、大弘従網丸が漁具とともに引っ張られて転覆し、C受審人は海中転落したが、大弘運搬丸に救助された。
(航法の適用)
本件漁具衝突は、三河湾内ではあるが港則法及び海上交通安全法の適用海域外で発生したもので、海上衝突予防法が適用されることになる。
当時、当該海域には多数の漁船が出漁し、いかなご2そう引き網漁を行っていた。同漁は網船2隻と運搬船1隻の3隻の船団により行われ、全長約400メートルの網を引くことから、1船団がある程度広い操業海域を必要とし、船団がそれほど密集しているわけではない。そのため、どの船とどの船の網がどの方向へ延びているかを見分ければ、それらをかわして通航することは十分可能であった。とりわけ、大弘丸船団は他の漁船群から外れた位置にいたのだから、同船団さえ避ければ難なく通航できたわけである。つまり、漁船群全体を迂回する必要はなかったのであり、航法としては、とよふじ丸と大弘丸船団3隻の関係を検討すればよいことになる。
大弘丸船団は鼓型形象物を表示しており、B受審人も船団のうち2隻を見て引き網中と認めていた。2そう引きということに気付かなかっただけで、漁ろう中との認識はあったのである。すなわち、海上衝突予防法第18条「航行中の動力船と漁ろう中の船舶」の関係にあったわけで、衝突したのが漁具であってもそれを引く漁船と一体であるから、同条を適用するのが相当である。
(本件発生に至る事由)
1 とよふじ丸
(1)A受審人が、漁船群に遭遇した際に自ら操船指揮を執らなかったこと
(2)B受審人が、漁船群に遭遇したことをA受審人に報告をしなかったこと
(3)漁船群が、三河湾出入船の通航路に広範囲に分布していたこと
(4)B受審人が、漁船群全体を迂回しなかったこと
(5)B受審人が、大弘従網丸及び網最後端のボンデンを見落としていたこと
(6)当時、大弘主網丸と大弘運搬丸とがほぼ反対の方向を向き、両船の間隔が400メートルばかりあったこと
(7)B受審人が、大弘主網丸と大弘運搬丸を別々に1そう引き網漁を行っている船と思い、両船の間を航行したこと
2 大弘丸船団
(1)大弘丸船団のどの船にも汽笛が装備されていなかったこと
(2)E組合が、所属する組合員に対し、所有船に汽笛を装備するよう指導しなかったこと
(3)C受審人が警告信号を吹鳴しなかったこと
(4)大弘従網丸と大弘主網丸には行動の自由がなかったこと
(5)大弘運搬丸が、とよふじ丸に避航を促すために航走を開始するのが遅れたこと
(6)C受審人が、大弘運搬丸に、とよふじ丸の避航を促すよう指示しなかったこと
(原因の考察)
とよふじ丸は、全速力で東行中、船橋当直者が前路に大弘主網丸、大弘運搬丸及びボンデン1個を認めた際、2隻の間隔が約400メートルもあり、大弘主網丸が南東を、大弘運搬丸が西を向いていたことから、1そう引き網漁船が別々に操業しているものと誤認した。このとき、当直者が周囲をもっと注意深く観察していれば、大弘従網丸やもう1個のボンデンの存在に気付き、2そう引きと分かり、大弘主網丸と大弘運搬丸の間を通航することはしなかったであろう。
したがって、B受審人が、大弘従網丸及び網最後端のボンデンを見落としていたこと、B受審人が大弘主網丸と大弘運搬丸を別々に1そう引き網漁を行っている漁船と思い、両船の間を航行したことは、動静監視が十分でなかったと言うべきであり、本件発生の原因となる。
一方、大弘丸船団側は、2そう引き網漁の操業中で、自らの動作によって衝突を避け得なかったのであるから、とよふじ丸に避航してもらうしかなかった。そのためには警告信号を吹鳴する必要があったが、どの船にも汽笛の装備がなかったためにそれができなかった。
したがって、大弘丸船団のどの船にも汽笛が装備されていなかったこと、及び、C受審人が警告信号を吹鳴しなかったことは本件発生の原因となる。
また、大弘従網丸と大弘主網丸は引き網中で自由に行動ができなかった。この場合、自由に動くことができた大弘運搬丸を、早いうちに、とよふじ丸に向けて走らせていれば、避航を促すことができたわけで、実際に大弘運搬丸は直前にその行動をとったが遅すぎたわけである。
したがって、大弘運搬丸がとよふじ丸に避航を促すために航走を開始するのが遅れたこと、及び、C受審人が大弘運搬丸にとよふじ丸の避航を促すよう指示しなかったことはいずれも本件発生の原因となる。
A受審人が漁船群に遭遇した際に自ら操船指揮を執らなかったこと、B受審人が漁船群に遭遇したことをA受審人に報告をしなかったこと、及び、E組合が、所属する組合員に対し所有船に汽笛を装備するよう指導しなかったことは本件衝突に至る過程で関与した事実であるが、本件と相当な因果関係があると認められない。しかしながら、いずれも海難防止の観点から是正されるべき事項である。
漁船群が三河湾出入船の通航路に広範囲に分布していたこと、B受審人が漁船群全体を迂回しなかったこと、大弘主網丸と大弘運搬丸がほぼ反対の方向を向き両船の間隔が400メートルばかりあったこと、及び、大弘従網丸と大弘主網丸に行動の自由がなかったことは、いずれも本件発生の原因とならない。
(海難の原因)
本件漁具衝突は、三河湾において、東行中のとよふじ丸が、動静監視不十分で、2そう引き網により漁ろうに従事している大弘丸船団の進路を避けなかったことによって発生したが、大弘丸船団が、警告信号を行わず、運搬船を向かわせるなどの、とよふじ丸に避航を促す措置をとらなかったことも一因をなすものである。
(受審人の所為)
1 懲戒
B受審人は、三河湾において、多数の漁船がいかなご引き網漁を行っている水域を航行中、前路に漁ろう中の漁船2隻と標識のボンデンを認めた場合、それらの漁船及び漁具を確実に避ける必要があったから、漁具の方向や長さを把握できるよう、それらの漁船及び漁具の動静を十分に監視すべき注意義務があった。しかるに、同受審人は、それらが別々に操業している1そう引き網漁船に見えたことから、両船間を通航できるものと思い、それらの漁船及び漁具の動静を十分に監視しなかった職務上の過失により、大弘従網丸ともう1個のボンデンを見落とし、船団3隻による2そう引き網漁が行われていたことに気付かず、船首方向に展張されていた漁具を避けずに進行して衝突を招き、とよふじ丸の船首部に擦過傷を生じ、大弘丸船団の漁具を引っ掛けて同網を全損させ、大弘従網丸を転覆させるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の二級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
C受審人は、三河湾において、大弘丸船団の網船の船長として2そう引き網漁に従事中、自船の漁具に向首したまま接近するとよふじ丸を認めた場合、汽笛を装備しておらず、警告信号を行うことができなかったのであるから、別の方法で避航を促すことができるよう、大弘運搬丸をとよふじ丸に向けて走らせるなどの同船に避航を促す措置をとるべき注意義務があった。しかるに、同受審人は、いずれとよふじ丸が避航するものと思い、大弘運搬丸をとよふじ丸に向かって走らせるなどの同船に避航を促す措置をとらなかった職務上の過失により、とよふじ丸と自船の漁具との衝突を招き、前示の損傷等を生じさせるに至った。
以上のC受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
2 勧告
D指定海難関係人が、海上衝突予防法の装備義務に違反して、所有船に汽笛を装備していなかったことは、接近する他船に対して警告信号を行う手段を持たないことになり、本件発生の原因となる。同人に対しては、現在、汽笛を装備することについて船団で検討していることに徴し、勧告しない。
A受審人の所為は、本件発生の原因とならない。
指定海難関係人E組合の所為は、本件発生の原因とならない。
よって主文のとおり裁決する。
(参考)原審裁決主文 平成15年11月28日横審言渡
本件漁具衝突は、第十一とよふじ丸が二そう引き網で操業中の主船の大弘丸と従船の大弘丸
の存在する密集した漁船群を大幅に迂回しなかったことによって発生したが、従船の大弘丸が、
汽笛不装備で、警告信号を行わなかったことも一因をなすものである。
受審人Aを戒告する。
受審人Bを戒告する。
受審人Cを戒告する。
参考図
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