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平成15年神審第100号
件名

S513番船(引船石城丸)作業員負傷事件

事件区分
死傷事件
言渡年月日
平成16年9月29日

審判庁区分
神戸地方海難審判庁(横須賀勇一、平野浩三、甲斐賢一郎)

理事官
佐和 明

指定海難関係人
A 職名:D社取締役E工場長
B 職名:F社取締役
C 職名:F社作業員

損害
塗装作業員が11日間の入院加療を要するキシレン中毒症の負傷

原因
有機溶剤による塗装作業実施時、換気を十分に行わせなかったこと及び作業員が防毒マスク吸収缶の交換を行わなかったこと

主文

 本件作業員負傷は、造船所の協力会社が艤装中の密閉区画内で有機溶剤による塗装作業を実施させるにあたり、換気を十分に行わせなかったことと、作業員が防毒マスク吸収缶の交換を行わなかったこととによって発生したものである。
 
理由

(海難の事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成15年2月8日15時10分
 兵庫県D社E工場岸壁
 (北緯34度39.0分 東経135度9.5分)
 
2 船舶の要目等
(1)要目
船種船名 S513番船(引船石城丸)
総トン数 250トン(計画)
全長 36.0メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 2,942キロワット(計画)
(2)設備及び性能等
 S513番船は、平成14年12月19日に兵庫県神戸市にある中小型鋼船の新造と修理を目的とするD社E工場(以下「E工場」という。)において進水し、同15年3月18日竣工予定の鋼製引船であった。
 船首部は、上甲板上に作業台として船首楼甲板が設備され、作業台下は1つの区画をなし、上甲板下に長さ4.4メートル高さ2.5メートルのボイドスペースとその下部に長さ3.0メートル高さ3.0メートルのフォアピークタンクが設けられ、密閉された構造の3つの区画になっていた。
 フォアピークタンクへは、高さ70センチメートル(以下「センチ」という。)の作業台下の区画後壁に設けた横45センチ高さ35センチの開口部を通り、同じ区画内を前方に2メートル進んだ床面に設けた横45センチ縦35センチの開口部から鉄はしごを使ってボイドスペースへ降り、さらにボイドスペースの底面に設けた横45センチ縦35センチの開口部から鉄はしごを降りる構造となっていた。
(3)その他
ア 塗料
 密閉区画内で使用された塗料は、G社製のHと称する厚膜形タールエポキシ樹脂塗料で、船舶オイルタンク、バラストタンク、港湾設備等に使用され、混合比率88対12の主剤と硬化剤からなり、主剤は第2種有機溶剤区分に属し、危険有害成分としてビスフェノールA液状エポキシ樹脂、トルエン、キシレン、エチルベンゼン、シクロヘキサン、コールタール等が含まれ、塗装方法は、エアレススプレー、はけ塗り、ローラー塗りが用いられる。
イ ポータブルファン
 前示3区画内の換気に使用された換気装置は、I社製のJと称する非防爆型で、形式WM-TD、毎分風量70立方メートル、風圧300パスカル、出力550ワット、本体重量15キログラムの仕様であった。
ウ 防毒マスク及び吸収缶
 スプレー作業員が装着していたK社製のLと称する低濃度ガス用の直結式小型防毒マスクは、吸収缶ホルダー・吸気弁座・排気弁座・閉めひも取付け金具一体形成品に天然ゴム製のマスクを取付けた小型軽量のものであった。
 吸収缶は、Mと称するエーテル、アセトン、ベンゼン、キシレン、シクロヘキサンなどに対応した有機ガス用のもので、密閉区画内での塗装では約30分で交換されていた。

3 事実の経過
 S513番船は、平成15年2月8日船首0.8メートル船尾2.9メートルの喫水をもって、E工場構内の岸壁に右舷係留されて艤装工事が行われ、船首部では、密閉区画であるフォアピークタンクとボイドスペース内壁の塗装作業が午前中から予定されていた。
 07時50分E工場では、体操終了後、艤装課長から船体、機関、電気艤装工事について全作業員に対し、当日の工程及び安全に関する注意が行われた。
 ところで、F社が行う密閉区画内でのスプレー塗りは、岸壁に準備したエアレス塗装機から直径約10ミリメートルのホースを船内に引き入れ、先端のエアレスガンを使って作業員が吹き付けるもので、塗装中は、断続的にポーン、ポーンという塗装機のポンプ音が周囲に響き、ネタ番と称する補助者が、適宜、密閉区画内を覗いて作業の進捗状況を塗装作業員に聞き、塗料を補充するとともにホースのもつれを解いていた。
 B指定海難関係人は、C指定海難関係人らとともに、当日、S513番船のフォアピークタンクとボイドスペース内壁を有機溶剤塗料で塗装する予定を確認し、密閉区画内においては、十分な換気が必要であることは認識していたが、これまで事故もなく、塗装工として長年の経験を有するC指定海難関係人に任せておけば大丈夫と思い、有機溶剤作業主任者として適切な換気装置を準備するなど密閉区画内の換気を十分に行わせることなく、所用のため現場を離れた。
 一方、C指定海難関係人は、S513番船の上甲板上に移動して同僚2人とともにポータブルファン1台を作業台後壁後方の揚錨機の前に置き、直径30センチの柔らかいビニルホースを送気用として用い、区画開口部を出入りするときはこのホースを押し潰すこととし、2つの開口部を通してボイドスペース内の床から高さ1.3メートルの位置にホースの排気口を固定し、換気を開始した。
 08時30分過ぎC指定海難関係人は、新しい吸収缶を付けた防毒マスクを装着し、同僚とともにスプレー塗りでは届かない部分をはけで塗り始め、途中、岸壁で約10分間の休憩後、吸収缶を交換して作業を続け、11時50分はけ塗りを終えた。
 12時45分C指定海難関係人は昼食を終え、S513番船の船尾付近の岸壁で、塗装機と20キログラム缶入りの塗料5缶を用意し、同僚1人をネタ番として上甲板上に残し、13時30分新しい吸収缶に交換した防毒マスクを装着して頭部に懐中電灯を固定し、1人でエアレスガン及びホース60メートルを引き入れてフォアピークタンクに入り、スプレー塗りを始めた。
 14時10分C指定海難関係人は、フォアピークタンクの塗装を終えてボイドスペースに移動し、14時15分再びエアレスガンを使ってボイドスペースの塗装を始めたところ、14時30分作業の進み具合から吸収缶を交換する時機だと思ったが、定時に作業を終えるため休憩する前にできるだけ塗装しておきたかったこともあり、防毒マスクを通して臭いを感じるまでは吸収缶の効力があるものと思い、上甲板上に出て吸収缶を交換することなく塗装を続行中、15時10分意識が薄れて、仰向けの状態でその場に倒れた。
 当時、天候は曇で風力3の東北東の風が吹いていた。
 そのころ、上甲板のハンドレールを塗装しながら、適宜、塗装機に塗料を補充していたネタ番の同僚は、ポンプ音が停止したので、喫煙所に赴いてたばこを吸った後、再び上甲板に戻ったところ、塗装機のポンプが止まっているうえ、上甲板上や喫煙所にC指定海難関係人が見えなかったことから不審に思い、床面開口部から中を覗いたところ、15時30分神戸灯台から真方位284度850メートルのE工場岸壁係留中の、S513番船船首部ボイドスペース内に、C指定海難関係人が倒れているのを発見した。
 直ちに、同僚及びE工場従業員が換気しながら救助活動にあたったが、作業台下の高さが低いことと区画開口部が狭いこととで、救出活動ができず、上甲板上に導かれていた高圧エアーホースをC指定海難関係人の口に当てて、消防署救急隊を待った。
 その結果、17時18分C指定海難関係人は救急隊に救出され、11日間の入院加療を要するキシレン中毒症と診断された。
 本件後、B指定海難関係人は、作業員に有機溶剤作業主任者技能講習を受けさせるとともに、密閉区画内の換気について、有機溶剤中毒予防規則に沿った船内タンク塗装作業計画を立案し、十分な換気装置を準備したうえ作業にあたらせるなど、事故再発防止措置を実施した。
 本件後、C指定海難関係人は、知覚だけで防毒マスク吸収缶を交換することを改め、一定時間を決めてネタ番に報告させて同吸収缶を交換するなど再発防止に努めた。

(本件発生に至る事由)
1 B指定海難関係人が、塗装作業現場で換気を十分に行わせなかったこと
2 C指定海難関係人が、防毒マスク吸収缶の交換についてF社から任され、自分の判断で行っていたこと
3 C指定海難関係人が、作業の進み具合から、吸収缶を交換する時機だと感じた際、防毒マスクの吸収缶を交換しなかったこと

(原因の考察)
 本件作業員負傷は、艤装中のS513番船の密閉区画内において、有機溶剤による塗装作業にあたり、密閉区画内の換気を十分に行わず、防毒マスクの吸収缶を交換することなく、塗装作業を続けたことによって発生したものである。
 B指定海難関係人が、有機溶剤作業主任者として、作業員に有機溶剤の塗装作業にあたらせる場合、現場の密閉区画の換気効率が極めて悪いことを知っていたのであるから、作業員が有機溶剤を吸収しないように、適切な換気装置を準備するなど密閉区画の換気を十分に行う必要があったが、これまで長年にわたり塗装工として信頼していた作業員に任せたまま、換気を十分に行わせなかったことは、本件発生の原因となる。
 一方、C指定海難関係人が、作業の進み具合から防毒マスクの吸収缶を交換する時機だと判断した際、作業を中断して吸収缶を交換する必要があったが、定時に作業を終了するため、休憩までにできるだけ作業を進めておきたかったので、防毒マスクを通して臭いを知覚するまでは吸収缶の効力があるものと思い、作業を中断して吸収缶を交換しなかったことは、本件発生の原因となる。
 また、C指定海難関係人が、自分の判断で防毒マスク吸収缶の交換を行っていたことについて検討する。
 C指定海難関係人は、塗装工として40年以上も無事故で体得した作業手順、換気方法、保護具の使用についての経験に自信があり、防毒マスク吸収缶についても、吸収缶を通して臭いを感じたとき、交換してきたもので、熟練工として、B指定海難関係人や同僚からも信頼されていた。一方、吸収缶の有効時間の判定については、きわめて難しく、作業環境のガス濃度を測定して、そのガスについて、吸収缶に添付してある取扱説明書の破過曲線図から有効時間を算定する方法があるものの、作業中のガス濃度は一定ではなく、確かな基準というより、あくまでも有効時間の目安で、吸収缶を通して、臭気、刺激又は味覚を感じたときは直ちに交換する必要がある。C指定海難関係人は、これまでの経験では、いつでも吸収缶を通して臭いを感じるなど知覚があったもので、今回、知覚症状が出なかった理由については、年齢、体調等からは明らかにすることはできない。
 しかしながら、今回は、知覚がないまま、意識を消失してしまったのであるから、本人の知覚だけでは防ぐことができないことは明白で、吸収缶の有効時間を概略算定し、熟練作業者の知覚だけに頼ることなく、これを機に、一定時間を決めて早めに吸収缶を交換することも必要である。

(海難の原因)
 本件作業員負傷は、係留して艤装工事中、造船所の協力会社が、密閉区画内で有機溶剤による塗装作業を実施させる際、適切な換気装置を準備するなどして密閉区画内の換気を十分に行わせなかったことと、作業員が防毒マスク吸収缶の交換を行わなかったこととによって発生したものである。
 
(指定海難関係人の所為)
 B指定海難関係人が、有機溶剤作業主任者として、密閉区画内で有機溶剤塗装作業を実施させるにあたり、作業員が有機溶剤を吸引しないように、適切な換気装置を準備するなど密閉区画内の換気を十分に行わせなかったことは、本件発生の原因となる。
 B指定海難関係人に対しては、本件後、作業員に有機溶剤作業主任者技能講習を受けさせるとともに、密閉区画内の換気について、有機溶剤中毒予防規則に沿った船内タンク塗装作業計画を立案し、十分な換気装置を準備したうえ作業にあたらせるなど、事故再発防止措置を実施している点に徴し、勧告しない。
 C指定海難関係人が、密閉区画内で有機溶剤による塗装作業中、作業の進み具合から防毒マスクの吸収缶を交換する時機だと思った際、吸収缶を交換しないまま、塗装を続けたことは、本件発生の原因となる。
 C指定海難関係人に対しては、本件後、知覚だけで防毒マスク吸収缶を交換することを改め、一定時間を決めてネタ番に報告させて同吸収缶を交換するなど再発防止に努めている点に徴し、勧告しない。
 A指定海難関係人の所為は、本件発生の原因とならない。

 よって主文のとおり裁決する。





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