(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成15年8月18日08時40分
熊本県牛深漁港
2 船舶の要目
船種船名 |
漁船第八十八祐幸丸 |
総トン数 |
118トン |
全長 |
34.63メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
514キロワット |
3 事実の経過
第八十八祐幸丸(以下「祐幸丸」という。)は、昭和60年に進水した近海まぐろ延縄漁業に従事する長船尾楼付凹型構造のFRP製漁船で、上甲板下に1番から3番までの冷凍魚倉を備え、船尾楼甲板上は、船首部に船橋及び船員居住区を配置し、その船尾側の機関室囲壁を囲む区画には便所、浴室等が設けられ、同区画後方が魚縄等の倉庫となっており、船尾楼甲板下は、船首方から順に漁獲物凍結処理室、機関室上段に続き、食堂、賄い室、食料庫、寝台等を備えた下段船員居住区画に区画され、同居住区画の後方が船尾甲板下の4番魚倉となっていた。
機関室は、上下二層に分かれ、下段中央に主機が、その両側に発電機が、上段左舷側に主配電盤がそれぞれ据え付けられていたほか、冷凍装置用の各機器(以下、これら機器の呼称は「冷凍装置用」を省略する。)として、主機の船首側左右に圧縮機が、左舷圧縮機の左に受液器が、上段の主配電盤船首側に上下に配置された液冷却器及び凝縮器がそれぞれ設置されていた。そして、外部から機関室に入るには、船尾甲板から船尾楼後壁の入口を入って階段を降り、下段船員居住区を通って食堂前壁に設けた機関室ドアを利用するか、船橋に上がったうえ機関室囲壁の前壁に設けた機関室ドアからタラップを降りて、それぞれ機関室上段に入るようになっていた。
冷凍装置は、圧縮機で圧縮されて高温高圧ガスとなった冷媒が、凝縮器で海水冷却されて液化し、受液器に蓄えられたあと、液冷却器及び乾燥器を通って魚倉入口の膨張弁に至り、気液混合ガスとなって魚倉内の冷却パイプを通り、周囲の熱を吸収しながら気化して圧縮機に吸引される基本サイクルを循環して魚倉を冷却するようになっていた。
また、圧縮機においては、吸引した冷媒ガスを低圧シリンダで圧縮し、吐出側から外部のガス冷却器に導いて冷却したうえ高圧シリンダに吸引圧縮させるようになっており、ガス冷却器には、受液器を出た冷媒液の一部が液冷却器戻り弁またはガス冷却器元弁のいずれかを通り、いずれも膨張弁を介して低温ガスとして供給され、低圧シリンダからの吐出ガスと混合して高圧シリンダの吸入側に戻るようになっていた。
圧縮機は、B社製のVZ62RM型と称する低圧側6シリンダ高圧側2シリンダの高速往復動2段圧縮式のもので、右舷側を1号機、左舷側を2号機と呼称し、電動機で駆動され、冷媒にフロン-22(以下「フロン」という。)を使用して30.5冷凍トンの冷凍能力があり、クランク室電動機側のクランク軸貫通部に軸封装置としてメカニカルシール(以下「メカシール」という。)が用いられていた。
メカシールは、断面が凸形のシールリング、筒型ベローズ状のシールゴムパッキン、スプリング等の部品で構成され、クランク軸貫通部のクランク室側に挿入して外側からシールカバープレートが取り付けてあり、シールゴムパッキンを介してスプリングでシールリングの凸面をカバープレートに押し付け、気密を保持するようになっていた。また、シールリングとカバープレートの摺動面はクランク室内の潤滑油で潤滑され、メカシール下方に潤滑油のドレンパイプを取り付け、ドレンの滴下量を点検すればメカシールの状態が判断できるようになっていた。
冷媒のフロンは、凍結点が摂氏マイナス160度、沸点が摂氏マイナス約40度で、同液が大気圧のもとで気化すると体積が約1,400倍に膨張して無色無臭で空気に対する比重が約3.9のフロンガスになり、同ガス自体に毒性はないものの、閉所区画に漏出すると比重が重いので空気を追い出して底部に滞留しやすく、同区画が酸素欠乏状態になるおそれがあった。
祐幸丸は、A受審人ほか4人が乗り組み、日本出航後、グアム島に寄港して外国籍甲板員8ないし9人を乗船させ、マーシャル諸島周辺海域で漁獲がほぼ満載近くになるまで操業し、グアム島経由で水揚港に向かい、水揚げののち牛深漁港に帰港して2ないし3週間の休暇をとる一航海が約4箇月の航海を周年繰り返していた。
A受審人は、水産高校機関科を卒業後、三級海技士(機関)免許を取得のうえ、昭和61年甲板員として祐幸丸に乗り組み、平成2年1月から同4年8月及び同7年10月から同10年4月までの期間、機関長として冷凍機を含む機関の運転管理に従事し、この間に四級海技士(航海)免許を取得して同10年4月30日から船長として運航業務に当たっていた。
機関長Cは、陸上の仕事から転職して平成5年1月に甲板員として祐幸丸に乗り組み、同7年1月から機関員として、10月からはA受審人の指導のもとで操機長としてそれぞれ機関の運転業務に従事する傍ら、独学で同12年6月に四級海技士(機関)免許を取得して7月に機関長に昇進し、以降1人で機関の運転管理に当たっていた。
C機関長は、圧縮機の整備についてはA受審人からの引継ぎを踏襲し、1号機と2号機を時期をずらせてそれぞれ約1年半ごとに整備業者に依頼して日本に帰港中開放整備していたが、同15年5月初旬漁場向け航行中、前年10月末に整備してクランクピンメタル、メカシール等を新替した2号機の潤滑油中に金属粉が混入していることを認め、注意しながら運転していたが混入が止まらないので、牛深漁港で同機を開放点検することとし、水揚港入港前の8月10日船舶電話で整備業者と打ち合わせ、お盆明けの同月18日に開放することを取り決めた。
祐幸丸は、同15年8月11日神奈川県三崎港で乗組員の土産用冷凍魚を残して漁獲約100トンを水揚げし、この間に2号圧縮機を停止したうえ、1号機で冷凍装置の運転を続けたまま牛深漁港に回航し、14日15時00分同港岸壁に右舷付けで係留した。
A受審人は、係留後、いつもは魚倉や居室の後片付けを済ませて休暇に入るところ、翌日がお盆当日で乗組員5人の自宅や実家が近隣であったため、その日は一旦解散して後片付けは18日09時から行うこととし、土産の魚は翌日午前中に引き取るように指示して全員を帰宅させた。そして、翌15日09時30分ごろ土産の分配を終えたがC機関長が帰船しないので電話で連絡を取ったところ、都合で午前中は帰船できないことを知り、午後にでも帰船して冷凍装置と発電機を停止するように言付けて一旦帰宅した。
C機関長は、15時ごろ実家から車で本船に帰船し、1号圧縮機を停止して冷凍装置の運転を止めたうえ発電機を停止したが、冷媒の受液器への回収については、圧縮機の整備等があるときは本格的な回収は整備業者に任せるようにしていたので、圧縮機を停止する約30分前に受液器出口弁を閉止してできるだけ回収したうえ、圧縮機周りの吸入弁、吐出弁、ガス冷却器元弁、液冷却器戻り弁など、冷媒の出入りに直接関係する諸弁を全て閉弁し、各魚倉入口の膨張弁元弁など系統の諸弁は冷媒の本格回収時まで開弁しておくこととして作業を終えた。
A受審人は、16時30分ごろ様子を見るため本船に赴いたところ、C機関長が作業を終えて船内電源を非常用バッテリーだけの状態としていたので、同人とともに機関室各部を点検したところ、2号圧縮機メカシールからフロンガスがわずかに漏洩していることに気付いて2人で検討したが、圧縮機周りの諸弁が閉止されていれば、外部に漏れるのはクランクケース内の限られた量のフロンなので問題ないという結論となり、2人で同諸弁が全て閉弁されていることを確認したあと、翌日機関長が機関室を換気することとし、問題があれば必ず連絡するよう指示してそれぞれお盆を家族と過ごすため17時ごろ離船した。
翌16日09時ごろC機関長は、本船に赴いて発電機を始動したうえ機関室通風機を運転し、途中所用で離船して15時ごろ帰船し、機関室の換気を終えて発電機を停止したうえ、2号圧縮機のメカシールを点検し、依然状態が変わらずフロンがわずかに漏洩していることを認めたが、クランクケース内のガスが抜けきっていないだけと考え、問題ないものと判断して帰宅した。
一方、A受審人は10時ごろ車で岸壁まで赴き、本船の発電機や機関室通風機の運転音で換気が行われていることを認めたが、機関長の車が無いので作業の合い間に船を離れて用事を済ませているものと考え、問題あれば報告があるのでその場は機関長に任せることとして自身も買い物をするため岸壁を離れた。
ところで、2号圧縮機は、メカシール新替時にシールリングが反対に組み込まれ、同リングの両面が異状摩耗してカバープレート及びシールゴムパッキンとの接触抵抗が増し、運転中に同ゴムパッキンにねじり応力が作用して微少亀裂が生じており、また、液冷却器戻り弁は弁座にホワイトメタルを使用した特殊な止め弁で、2号圧縮機の同弁が弁座に傷が付いて閉止しても冷媒の流れを止めることができない状態になっていたが、A受審人もC機関長もこれらのことを知る由もなかった。
こうして、祐幸丸は、牛深漁港の岸壁において、魚倉冷却パイプ等の冷媒配管に残留していたフロンが液冷却器戻り弁からガス冷却器を経て2号圧縮機の高圧シリンダ吸入側に逆流し、低圧シリンダを通ってクランク室に至り、メカシールのシールリング両面摩耗部やシールゴムパッキンの亀裂からわずかに漏洩し続けていたところ、魚倉や冷媒配管の周囲温度の上昇に伴って系統内のフロンのガス化が促進し、クランク室の圧力上昇に伴ってメカシールゴムパッキンの亀裂が急激に進行し、漏洩した大量のフロンガスがやがて機関室に充満し始めた。
翌17日祐幸丸は、司厨係の甲板員Dが残った食料を整理しておこうと思い立ち、11時ごろ下段船員居住区画に入り、賄い室で食料を箱詰めしていたところ、同時10分ごろ鼻腔に違和感を覚えて船外に出ようとしたが、軽度の酸素欠乏症に陥ってその場で意識を失った。
8月18日朝C機関長は、船内片付け作業に備えて早めに発電機を運転しておこうと08時40分少し前に車で帰船し、D甲板員が右舷側の賄い室で倒れていることには隔壁に遮られて気付かずに、下段船員居住区画を通って開放されていた機関室ドアから上段に入り、下段が酸素欠乏状態になっていることを知らないまま、タラップを途中まで降りたところで異状を感じてタラップを数段引き返したが、08時40分牛深港明石防波堤灯台から真方位070度80メートルの係留地点において、酸素欠乏症で意識を失ってうつ伏せに倒れた。
当時、天候は晴で風はほとんどなく、海上は穏やかであった。
祐幸丸は、その後帰船した甲板員が賄い室のD甲板員を発見し、岸壁付近にいた人たちの協力を得て同人を救急車で病院に搬出し、連絡を受けたA受審人が帰船したときは消防署員によって船内の立ち入りが禁止されていたが、C機関長の車が岸壁に駐車されているのに本人の姿が見当たらないので、船橋に上がって機関室囲壁のドアから機関室内を覗いたところ、下段タラップの途中で倒れている同機関長を発見し、思わず同所に駆け下りて助け出そうとしたが異様な感覚を覚え、一旦船外に逃れて救助を求めた。
その結果、C機関長は消防隊員によって救出されて、A受審人とともに病院に搬送され、A受審人が3日間、D甲板員が1日それぞれ入院ののち退院したが、C機関長が低酸素による窒息で搬送先の病院で死亡した。
なお、2号圧縮機はフロンガス漏洩原因を特定するため、整備業者の手により事故後直ちに開放され、のち、クランクピンメタル、メカシール等を新替して復旧され、液冷却器戻り弁が2個とも新替された。
(原因)
本件乗組員死亡は、熊本県牛深漁港において、冷凍装置用圧縮機のメカシールから漏洩したフロンガスが充満して機関室が酸素欠乏状態になり、乗組員がこのことに気付かないまま同室に入ったことによって発生したものである。
(受審人の所為)
A受審人の所為は、本件発生の原因とならない。
よって主文のとおり裁決する。