(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成15年5月8日22時55分
静岡県清水港沖合
2 船舶の要目
船種船名 |
水先船第六パイロット |
総トン数 |
6.6トン |
全長 |
11.50メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
323キロワット |
3 事実の経過
(1)第六パイロット
ア 第六パイロット(以下「第六号」という。)は、昭和60年に就航した平甲板型FRP製水先船で、指定海難関係人Bの水先人が共有し、水先人会の従業員を乗組員として、専ら清水港港外において嚮導(きょうどう)する船舶(以下「嚮導船」という。)への乗船に使用されていた。
第六号は、ほぼ船体中央から前方にかけて、長さ約2.9メートル幅約1.9メートル甲板上の高さ約1.8メートルの操舵室を備え、舷側に沿って船尾を除くほぼ全周に幅約14センチメートル(以下「センチ」という。)のU字型ゴム製防舷材が装着され、水先人の嚮導船への移乗は、水先人用はしご(以下「はしご」という。)の下方に取り付くと両船体間に挟まれるおそれがあること、できるだけその上段に移ればはしごの振れも小さいことなどの理由で、甲板ではなく操舵室屋根上から行われていた。
イ 操舵室
操舵室は、前壁がやや後方に傾斜し、同壁に接して全幅にわたり床からの高さが約1メートルの操縦台が設けられ、その中央部に舵輪、舵輪の右舷側に機関操縦レバー、舵輪後方に操舵席として座席の高さが床から約85センチで背もたれ、踏み台などの付いたスタンド式の回転椅子がそれぞれ設置され、VHF無線電話設備(以下「VHF」という。)は装備されていなかった。操縦台上方の前壁部分は横方向に3分割され全て角窓になっていて、その中央に旋回窓が付き、同台横の各舷に三角窓、操舵席の両舷側には出入り口となる幅約65センチの、上半分が窓になった引き戸が設けられ、後部外壁には屋根に昇降する階段が取り付けられていた。また、天井前部の側端から約20センチ内側に、操船者が上方を見るための長さ約85センチ幅約30センチの窓(以下「天窓」という。)が、直径4.5センチの穴を縦、横ほぼ2センチ間隔で並列した鉄板で屋根側から覆ったうえそれぞれ両舷に設けられていた。
ウ 操舵室屋根
操舵室屋根は、両舷側の長さが約2.2メートルで、側端から舷側の防舷材外縁まで横距離が約70センチあり、前部にスピーカー、探照灯及び天窓前端部付近の中心線上にマストが備えられ、水先人が移乗時に利用する金属製パイプのハンドレールが、同マストの高さ1.25メートルの部分の両舷方向に各70センチの長さで、先端部を把握しやすいよう輪状にして取り付けられ、輪の部分には長さ約30センチの握り綱が付けられていた。
(2)B
ア Bは、会員相互の緊密な結合によって、水先業務の円滑な遂行に資するため、合同事務所の設置、運営などを目的として設立され、水先法の規定により昭和39年12月に会則を定めて施行し、会員の中から会長、理事及び監事を互選し、年一度の通常総会のほか臨時総会を開いて事業計画など重要事項の審議決定を行ってきたところである。
平成15年5月8日現在、水先船2隻を所有する会員5人は、共同雇用の事務職員1人及び乗組員3人とともに、合同事務所の業務として、「水先の受付、会員への連絡」、「水先業務施設の運用」、「水先料金の集金」、「水先に関する情報の収集・提供」などの管理事務を行っていた。
イ 水先人の嚮導船への乗下船の安全措置については、水先法の規定する嚮導船がなすべき措置は別として、水先業務の実施及び遂行が水先人個人の責任と裁量に属するものであることから、基本的に、水先人と水先船の船長が、安全確保に努めることになっており、水先人会が、作業基準を設定するなど安全に配慮すべき義務を負う性格のものではない。
一方、各水先区水先人会の会員は同時にD協会の会員となることが定められており、D協会は、会員の事故を防止するため、注意喚起と安全対策の指針として作成した「水先人の乗下船の安全のためのマニュアル」を会員へ配布周知していた。
そのマニュアルにおいては、水先人の乗下船行為は高所における垂直移動という極めて危険な行為であるうえ、船舶の動揺、波浪、暗闇などの悪条件が重なることも多く、不測の事態に備えて救命胴衣を着用することが不可欠であることを述べ、水先艇乗組員のとるべき措置の項で、「各水先区においては、水先艇乗組員が乗下船する水先人に対して手を貸す、身体を支える、抱きかかえるなど何らかの手助けをしているが、それ以外に次の措置がとられている。」と記したうえ、他の事項と共に、「乗下船中の水先人に対し、目を離さないで注視を続ける。」と記載している。
ウ Bは、主として事業に関する事項の審議を行い、各会員の議決権の行使によって決定することとしていたことから、安全対策などの重要事項については、会員各自の合意によるしかなく、これまで、会員が会合をもって申し合わせを行い、「業務執行に当たっての体調の維持」「嚮導中の海難防止対策」などについて、合意書を取り交わしていたが、結局、水先人の乗下船の安全対策なり業務改善については、水先人自身が検討すべき問題であり、水先人会としては、その構成員である会員の改善志向にかかっているのが現状であった。
(3)受審人A
A受審人(昭和54年8月一級小型船舶操縦士免許取得)は、外航船の乗組員として約16年間勤めた後、昭和63年に清水水先人会の従業員となり、以来、水先船の船長職を務め、水先人同乗時においては同人の指示に従い操船に従事していた。
(4)水先人F
F水先人は、外航船会社で海上経験を積んだ後、水先修業生として3箇月間の実習期間を経て、平成14年1月から清水水先区水先人として就業し、年間約1,500隻の船舶の嚮導を他の水先人と分担して行っていた。
(5)清水水先区における水先人乗船の状況
水先人の乗船地点は、清水港港外の清水灯台から022度(真方位、以下同じ。)2、300メートル付近で、水先人が嚮導船に移乗する際は、操舵室屋根上のハンドレール、握り綱等を両手で掴んで(つかんで)天窓付近に立ち、同船のはしご付近に接舷して併走中、片手を伸ばしてはしごのサイドロープを掴み、次いで片足を同ステップにかけ、他方の足とハンドレールを掴んでいる手を、瞬時を見計らいそれぞれステップ及びサイドロープに移すのであるが、この一連の動作は、水先人自身が判断して行うしかない性質のものであった。ただ、第六号では、操舵席に座った操船者からは、天窓直上は鉄板の穴越しに見通せ、水先人の身体の一部は見えるものの、その斜め上方の見通しは悪く、移乗模様は十分に把握できない状況にあったから、水先人がはしごに移乗したか否かについて、同人と操船者のお互いが声をかけるなどして、その確認を行う必要があった。
乗船地点付近は、南に開いた駿河湾湾奥に位置することから、南寄りのうねりが顕著で、特に春先には、同うねりがあって、強い北東風が吹く状況が多く、嚮導船の針路調整によって風下舷の平穏な海面が確保できず、移乗に際して特に注意を要した。
(6)本件発生に至る経緯
第六号は、A受審人が1人で乗り組み、F水先人を乗せ、総トン数30,956トン、全長210.10メートルのコンテナ船E丸に、同人を移乗させる目的で、船首0.8メートル船尾1.2メートルの喫水をもって、平成15年5月8日22時35分清水港清水船だまりを発し、水先人乗船地点に向けて航行中のE丸に向かった。
これより先、同日15時10分静岡県中部南には強風、波浪警報が発表されており、22時ごろ清水港周辺では寒冷前線の通過に伴い、それまでの南寄りの風が北東風に変わり、風速が約15メートルに増して付近海域は荒天となっていた。
F水先人は、前示状況下で船体の動揺が激しく、乗船地点付近において移乗する際、海中に転落するおそれがあったが、救命胴衣を着用していなかった。
A受審人は、操舵席に腰掛け、小雨模様であったので旋回窓を回し、手動操舵で進行し、22時45分ごろ三保防波堤と外港防波堤間に差し掛かったとき、F水先人の指示を受け、携帯電話で船舶通信所を介してE丸に、先に連絡していたはしごの設置舷を右舷側から風下となる左舷側に変更するよう連絡し、同船に向けて東進した。
22時50分A受審人は、予定乗船地点より約1海里東方で、北西進中のE丸の左舷側約200メートルに近づいて左転し、同船船尾から約65メートル前方で船橋前面近くの舷側に、下端を海面上約1.5メートルの高さにして吊り下げられているはしごを目標に、その後方から接近した。
22時53分ごろA受審人は、E丸の船体で北東からの風波が遮られる状況下、南からの高さ約2メートルの短いうねりの影響を受けて船体が上下動し、前後の揺れを伴う中、320度の針路、5.3ノットの対地速力で進行中のE丸と併走しながら、移乗に備え操舵室から同室屋根に向かうF水先人を見て右舷側の引き戸を開け、通常、目安にしているはしごが同引き戸付近にくる位置になるよう前進した。
22時55分わずか前A受審人は、はしごの位置が右舷側三角窓付近になり、E丸船側から離れないよう右舵を約5度とり右舷船首部を接舷し、右舷側の天窓上に同水先人の右足が操舵室屋根から離れたのを瞬時認めたが、同人が既にはしごへ移乗したものと思い、声による連絡などでF水先人の移乗を十分に確認することなく、速やかにはしご下方の水面を空けて後方で待機するつもりで機関を中立とした。
これより少し先、F水先人は、移乗に当たって、依然として救命胴衣を着用しないまま、操舵室屋根に上がって移乗動作を始め、右手を前方に伸ばしてはしごのサイドロープを掴んだ状態で、右足をステップにかけようとしたとき、機関を中立とした第六号がE丸との併走に遅れる状態となったので、急ぎそのまま右足をステップにかけ、左足を蹴って(けって)はしごに飛びつき、一瞬左手と左足がサイドロープとステップにかかったものの、体勢が崩れ、22時55分清水灯台から055度1.8海里の地点において、海中に転落した。
当時、天候は雨で風力7の北東風が吹き、南から波高約2メートルの短いうねりがあった。
A受審人は、はしごの位置から約5メートル後退したころ、右方の角窓を通してF水先人が転落するのを視認し、自船がE丸の推進器に近づかないよう操船しながら急ぎ救命浮環を投下した。また、E丸からも同浮環が投じられ、その後、両船ほか救助船により捜索がされたが、救命胴衣を着用していなかったので、F水先人(清水水先区水先免状受有)は海中に没したまま行方不明となった。
(7)事後の措置
本件発生後、Bにおいては、2船間の移乗時においては常時救命胴衣を着用する旨について全水先人が合意し、また、水先人の乗下船に当たっては細心の注意を払い、安全を確認しあうこと、声のかけあいは非常に重要である旨について同会と全従業員が合意し、その旨の文書が作成され、水先船にVHFが装備された。
(原因に対する考察)
本件は、夜間、荒天下の清水港沖合において、水先人が水先船の操舵室屋根上から併走している嚮導船のはしごに移乗しているとき、海中に転落して行方不明になった事件である。以下、その原因について検討する。
1 はしごへの移乗の確認
第六号が単独の乗組み体制をとり、操舵席に座った姿勢で操船に当たると、天窓からは水先人の身体の一部しか見えない状況で、移乗模様を十分に見届けることが容易でなかったとはいえ、F水先人のはしごへの移乗を十分に確認することなく、機関を操作して併走を中止することが許されるわけではない。
A受審人は、荒天下の水先人の移乗に際して海中転落のおそれがあることを認識していたのであるから、F水先人がはしごに確実に移乗したことを確認して、初めて機関を操作して併走を中止すべきであった。しかしながら、同受審人は、足が離れたのを瞬時認めただけで、既に移乗したものと思い、F水先人の移乗を十分に確認しなかった。
このことは、本件発生の原因となる。
2 救命胴衣の不着用
F水先人は、長年にわたる海上経験から、2船が併走しながら一方から他船へ移乗するという過程においては、常に、海中転落の危険があるということを熟知していたはずであり、また、D協会では、マニュアルにより、嚮導船への移乗時には、海中転落の危険が高いので、救命胴衣の着用は不可欠であると指摘していたところである。
F水先人がこれを着用していたなら、海中に転落したとしても、おおよそ瞬時に海中に没することは考えられず、浮上して救出され得たものと推認されるところである。
このことから、F水先人が救命胴衣を着用していなかったことは、本件発生の原因となる。
(原因)
本件水先人行方不明は、夜間、荒天下の清水港沖合において、嚮導船に接舷し併走中、水先人のはしごへの移乗の確認が不十分で、機関を中立として併走に遅れる状態となり、同人が体勢を崩して海中に転落したことと、水先人が、救命胴衣を着用していなかったこととによって発生したものである。
(受審人等の所為)
A受審人が、夜間、荒天下の清水港沖合において、嚮導船に接舷し併走中、水先人が操舵室屋根上からはしごに移乗する場合、声による連絡などで、移乗を十分に確認すべき注意義務があった。ところが、同受審人は、天窓上に水先人の足が操舵室屋根から離れたのを瞬時認めたことから、同人が既にはしごに移ったものと思い、移乗を十分に確認しなかった職務上の過失により、速やかにはしご下方の水面を空けて待機するつもりで機関を中立とし、はしごに右足をかけようとした水先人が体勢を崩して海中に転落する事態を招き、その後同人は行方不明となるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
Bの所為は、本件発生の原因とならない。
よって主文のとおり裁決する。
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