(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成15年6月29日05時00分
四国西岸 宇和海
2 船舶の要目
船種船名 |
漁船第二十一生宝丸 |
総トン数 |
4.9トン |
登録長 |
11.5メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
漁船法馬力数 |
80 |
3 事実の経過
第二十一生宝丸(以下「生宝丸」という。)は、平成10年4月に建造された、小型巻き網漁業に従事するFRP製漁船で、B受審人(平成5年8月四級小型船舶操縦士免許取得)が船長として、Cが甲板員としてほか5人と乗り組み、操業の目的で、船首0.6メートル船尾1.8メートルの喫水をもって、平成15年6月29日00時30分僚船2隻とともに船団を組んで愛媛県赤水漁港を発し、同県御荘町沖合の漁場に向かった。
生宝丸船団(以下「船団」という。)は、A受審人(昭和58年2月四級小型船舶操縦士免許取得)が船長として乗り組む灯船第二十八生宝丸、運搬船第十六生宝丸及び網船としての生宝丸の合計3隻で構成され、宇和海を操業海域として、同受審人が船団の漁労長を務めていた。
操業は、一艘巻き(いっそうまき)方式で、灯船の下に集められた魚群を囲むよう、投網開始地点に位置する運搬船に、網船が網上端の浮子(以下「アバ」という。)側につながる大手綱と網下端の沈子(以下「イワ」という。)側を締めるワイヤロープとの各端部を渡して投網を開始し、網船が一回りして再び大手綱及びワイヤロープを船首に取って囲み終え、ワイヤロープをパースウィンチで巻き揚げてイワ側を締め、その後、船尾から揚網してアバを絞り込み、運搬船がアバを挟んで漁獲取込部(以下「魚捕部」という。)を形成し、運搬船がタモ網で漁獲をすくい上げるものであった。
生宝丸は、一層甲板型で、甲板中央に船橋と機関ケーシングがあり、甲板船尾を網置場とし、船尾端にVローラと呼ばれるネットホーラを、機関ケーシングの後部に網捌きを吊り上げるブームを、船橋前にはパースウィンチを、また、右舷ガンネル上にはサイドローラをそれぞれ備えていた。
サイドローラは、外径210ミリメートル(以下「ミリ」という。)全長5.7メートルで、船首尾端及び中央の軸受台部分を除く合計4.8メートルほどの部分が硬質ゴムで覆われ、ゴムの表面に深さ約15ミリ幅約60ミリのへの字に屈曲した6条の溝が船首尾方向に付けられ、船尾端の油圧モータで駆動されるもので、揚網してアバが絞り込まれ、運搬船との間に魚捕部を形成する段階で網を甲板上に手繰り揚げる際に同ローラを巻き揚げ回転とし、あるいは漁獲取り込みを終了後、網を船尾に収納するために船外へいったん繰り出す際に逆回転できるようになっており、回転速度と回転方向を調整する切替弁が機関ケーシングの右舷内側に取り付けられ、その操作ハンドルが通路側に突出していた。
C甲板員は、昭和27年に福井県で巻き網漁船の乗組員として乗船し、同38年からは愛媛県御荘町で巻き網漁船に乗り組むなど一貫して巻き網漁業に携わり、平成5年以降は生宝丸に乗り組んでいた。
A受審人は、昭和60年から船団に乗組員として加わり、平成5年12月から灯船の船長になるとともに船団の漁労長の職務を執っており、操業の全般指揮と作業の安全管理について統括していた。
B受審人は、平成12年4月から甲板員として乗り組み、同13年から生宝丸の船長として職務を執っており、船団の漁労長の指示を受けて網の投入から揚網作業までの操船と、Vローラの操作を行うほか、魚捕部を形成するまで網を手繰り揚げる等、網船の全般作業に従事していた。
ところで、魚捕部は、徐々に手繰り揚げられて水面付近に魚が集められると、魚の動きと重みで網が再び引き込まれようとするので、運搬船側からタモ網ですくい上げる間、網深さを保持する必要があり、元来、舷側に並んだ乗組員の腕力のみで網深さが保持されていたところ、省力化から網を拳状に丸めて、船橋から機関ケーシング付近に取り付けられたロープで括る方式も存在しており、サイドローラの採用と相まって、同ローラ越しに手繰った網を同ローラの下をかわし、揚がってくる網との間に巻き付けて同ローラを停止し、網深さを保持する方法も行われていた。
A受審人は、ベテランのC甲板員が網をサイドローラに巻き付けて網深さを保持する作業の手際良いこともあって、特に小形魚種の漁獲の取り込み作業で魚体に傷みが生じないよう、網深さの調整については、専ら同甲板員の判断に任せてサイドローラに巻き付けることが長く続いていたところ、若い甲板員が同じ作業を行うときに手先が巻き込まれる危険性に気付き、また、C甲板員が同ローラの回転速度が速い状態で同作業を行うことがあることに気付いて、同作業を行う際には回転速度を下げるよう指示していたものの、同ローラの回転速度を抑えさせれば無難に行えるものと思い、同方法の安全性について見直しをしなかった。
B受審人は、船長として乗り組んで以来、網を手繰り揚げる作業に際して、自ら網深さを保持することになってC甲板員の行う方法に倣ってやってみると、手先を挟まれやすく、危険であることに気付いて同方法の安全性に疑問を持っていたが、自分は経験が少ないので船団の漁労長が指示するものと思い、網を巻き付ける方法の危険性についてA受審人に進言しなかった。
船団は、同日02時ごろ赤水漁港の西方約3海里沖合に至り、探索ののち御荘町柏崎沖で集魚を開始し、集まった魚群を確認したのち、04時00分A受審人が投網を指示し、生宝丸が投網を開始した。
生宝丸は、04時05分過ぎ投網を終え、その後イワ側が締められ、船尾から揚網してアバを狭め、その間、運搬船が網の反対側で生宝丸を裏こぎした。
04時40分ごろA受審人は、網のほぼ3分の1が揚げられたのを確認して、灯船を網の外に出し、裏こぎを終えた運搬船にアバを渡したのち、同時50分ごろ魚捕部での作業を自ら指揮すべく運搬船に乗り移った。
生宝丸は、3人の乗組員が漁獲をすくう作業にかかるため運搬船に移り、04時58分ごろ魚捕部が適切な長さに揚がり、更に網深さを整えるよう、右舷船首部に立ったB受審人と甲板員2人が、また、サイドローラ越しにC甲板員がそれぞれ網を手繰り揚げていたところ、A受審人が網深さを確認するためにいったん同ローラを停止させた。
05時少し前、魚捕部の様子を見たC甲板員は、網深さを再調整しようと、右手でサイドローラの切替弁を巻き揚げ側に倒し、やや速めの回転速度にして網を手繰り揚げ、そのまま左手で網を同ローラの下をかわして巻き付けるよう差し込んだところ、05時00分小貝碆灯台から真方位332度1,900メートルの地点で、左手先を網とともに引き込まれ、同ローラに上腕部まで巻き込まれた。
当時、天候は曇で風力1の南東風が吹き、潮候は上げ潮の末期であった。
B受審人は、運搬船側のA受審人の声と、自分の隣にいた甲板員が切替弁を操作してサイドローラを停止するのを認め、C甲板員の異状に気付き、同ローラを逆回転させてC甲板員の腕を引き出した。
A受審人は、灯船にC甲板員を乗せ、陸上に連絡して待機させた救急車で病院に搬送させた。
この結果、C甲板員が、外傷性ショックで死亡した。
A受審人は、本件後、船団の網の操作方法を再検討し、魚捕部の網深さを保持する作業方法として網を拳状にまとめて船橋から機関ケーシング付近に取り付けられたロープで括るよう改善した。
(原因)
本件乗組員死亡は、宇和海において巻き網漁の操業中、運搬船との間の魚捕部で漁獲をすくう際、網船の舷側で網深さを保持する作業方法が不適切で、甲板員がサイドローラを回転させながら手繰り揚げた網を同ローラの下をかわして巻き付けるよう差し込み、手先を挟まれて上腕部まで巻き込まれたことによって発生したものである。
作業方法が適切でなかったのは、漁労長が網深さを保持するために手繰り揚げた網をサイドローラの下をかわして巻き付ける方法の安全性について見直さなかったことと、船長が漁労長に、同方法の危険性を進言しなかったこととによるものである。
(受審人の所為)
A受審人が、船団の漁労長として、操業の安全管理に当たる場合、巻き網の魚捕部を形成するのに備えて、サイドローラに巻き付ける方法では、手先を挟まれるおそれがあることに気付いていたのだから、船橋近くに取り付けられたロープで網を括らせる方法に切り替えるなど、網深さを保持するために手繰り揚げた網をサイドローラの下をかわして巻き付ける方法の安全性について見直しをすべき注意義務があった。しかるに、同人は、同ローラの回転速度を抑えさせれば無難に行えると思い、サイドローラに巻き付ける方法の安全性を見直さなかった職務上の過失により、網をサイドローラの下をかわして巻き付けるよう差し込んだ甲板員の左手先が網とともに引き込まれる事態を招き、同ローラに上腕部まで巻き込まれた同人が外傷性ショックで死亡するに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B受審人が、網船の船長として甲板員とともに網の取扱いを行う場合、魚捕部の網深さを保持するために手繰った網をサイドローラに巻き付ける方法では甲板員の手先が挟まれるおそれがあったのだから、同方法の危険性を漁労長に進言すべき注意義務があった。しかるに、同人は、自分は経験が浅いので漁労長が指示するものと思い、漁労長に対して同方法の危険性を進言しなかった職務上の過失により、前示の事態を生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。