(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成16年2月25日06時10分
響灘南東部 藍島北方の沖ノトベタ
2 船舶の要目
船種船名 |
貨物船エスケイNo.1 |
総トン数 |
4,405トン |
全長 |
107.150メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
2,868キロワット |
3 事実の経過
エス ケイNo.1(以下「エス号」という。)は、日本と大韓民国(以下「韓国」という。)間の定期貨物輸送に従事する船尾船橋型の鋼製貨物船で、韓国国籍の船長B及びA指定海難関係人ほか同国国籍の6人とインドネシア共和国国籍の6人が乗り組み、空倉のまま、船首2.20メートル船尾3.96メートルの喫水をもって、平成16年2月24日19時10分韓国釜山港を発し、関門海峡を経由する予定で愛知県衣浦港に向かった。
B船長は、船橋当直を、自らが08時から12時までと20時から24時までを受け持ち、04時から08時までと16時から20時までをA指定海難関係人に、00時から04時までと12時から16時までを二等航海士にそれぞれ受け持たせ、各直に甲板手1人を配した2人一組の4時間3直制としていた。しかし、実際には、各直ともに30分前に次の当直者と交代していたことから、ほぼ30分繰り上がった当直時間帯となっていた。
そして、エス号では、A指定海難関係人の受け持つ04時から08時までの当直時間帯に、船舶の輻輳状況や視界の状況などに支障がなければ、相直の甲板手が昇橋しないで05時30分に起床し、08時まで通路の掃除を行う習わしとしていたことから、A指定海難関係人が単独当直となることが多かった。
翌25日03時35分A指定海難関係人は、沖ノ島灯台から070度(真方位、以下同じ。)12.9海里の地点で、前直の二等航海士と交代して単独で船橋当直に就いたが、このとき二等航海士から、B船長が海図上に記入した124度の予定針路線の北側に偏位していたので、針路を135度としている旨の引継ぎを受け、引き続き同針路として機関を全速力前進にかけ、11.2ノットの速力(対地速力、以下同じ。)で、折からの海潮流の影響で左方に3度圧流されながら、自動操舵により進行した。
05時20分A指定海難関係人は、蓋井島灯台から268度6.8海里の地点に達し、GPSプロッターで船位を確認したところ、予定針路線の南側となったので針路を127度に転じ、同時52分白島石油備蓄シーバース灯から019度0.8海里の地点に至り、藍島の島影を船首方向に視認したことから、更に針路を同島の北方に向く117度に転じて続航した。
05時59分A指定海難関係人は、大藻路岩灯標から290度2.4海里の地点に達し、藍島を船首方向2.5海里に認めるようになったことから、針路を同灯標の北方300メートルばかりに向く107度に転じたものの、これまで、関門海峡を航行した経験が数十回あり、大藻路岩灯標の北方に浅所があることはおぼろげに知っていたが、喫水4メートルくらいの自船であれば、安全に通航できるものと思い、使用中の海図W201で浅所付近の水深を確認するなど、水路調査を十分に行わなかったので、転じた針路が、同灯標の北西方700メートルばかりのところにある水深4メートル未満の沖ノトベタに向首する状況となったが、このことに気付かなかった。
06時10分わずか前A指定海難関係人は、大藻路岩灯標に接近しすぎたように感じ、自動操舵のまま針路を097度とする操作を行った直後、06時10分同灯標から310度700メートルの地点において、エス号は、舵効が現れる前に、原針路、原速力のまま沖ノトベタに乗り揚げた。
当時、天候は晴で風力1の東風が吹き、視界は良好で、潮候はほぼ低潮時に当たり、日出時刻は06時51分であった。
乗揚の直前、関門海峡通狭の操船指揮のため昇橋していたB船長は、衝撃で乗揚の事実を知り、事後の措置に当たった。
乗揚の結果、右舷船底外板に凹損及び左舷ビルジキールに曲損を生じたが、のち引船によって引き降ろされた。
(原因)
本件乗揚は、夜間、響灘南東部において、関門港響新港区に寄せて関門海峡に向け東行中、針路を大藻路岩灯標北方の浅所付近に向け転じる際、水路調査が不十分で、同灯標北西方の沖ノトベタに向首進行したことによって発生したものである。
(指定海難関係人の所為)
A指定海難関係人が、夜間、響灘南東部において、関門港響新港区に寄せて関門海峡に向け東行中、針路を大藻路岩灯標北方の浅所付近に向け転じる際、使用海図に当たって同浅所付近の水深を確認するなど、水路調査を十分に行わなかったことは、本件発生の原因となる。
A指定海難関係人に対しては、勧告しない。
よって主文のとおり裁決する。