(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成15年5月1日12時00分
北海道天塩港
2 船舶の要目
船種船名 |
貨物船富栄丸 |
総トン数 |
687トン |
全長 |
76.44メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
1,471キロワット |
3 事実の経過
富栄丸は、バウスラスターを装備した鋼製砂利石材運搬船で、A受審人ほか4人が乗り組み、砂1,450トンを積載し、船首3.5メートル船尾4.2メートルの喫水をもって、平成15年5月1日11時30分北海道天塩港中央ふ頭を発し、石狩湾港に向かうこととなった。
ところで、天塩港は、天塩川河口に位置し、日本海に面する西方に開いた港で、河口両岸から西方に延びる北、南導流堤、南導流堤の付け根から南西方に220メートル、次いで南南東方に640メートル延び、先端に天塩港西防波堤灯台(以下「西防波堤灯台」という。)の設置された西防波堤、同灯台の西南西方270メートルの地点を北端としてそこから南南東方に410メートル延びる西外防波堤及び同港部の陸岸から西南西方に510メートル延びる防砂堤がそれぞれ築造され、西防波堤の内側が、物揚場、中央ふ頭、南ふ頭などの岸壁が並ぶ船だまりとなっており、そこから西外防波堤東側にかけての水域が航路筋となっていた。
また、天塩港の水深は、雪解け期の増水や偏西風による砂の移動で著しく変化するため、同港を管理する天塩町役場では、冬季を除き、1.5箇月に一度の割合で港内の水深調査を実施し、航路筋の水深データを記載した港内平面図を作成しており、関係者は、必要であればいつでも同データを閲覧でき、さらにそれらを記載した図面を入手することができた。
一方、A受審人は、平成10年3月富栄丸に乗船して以来、船長または一等航海士として天塩港に50回以上入港していたことから、同港の前示事情について十分に知っており、入港時にはこれまでの経験から西外防波堤東側を北上したのち、西防波堤灯台南西方から西防波堤東側に回り込み、無難に中央ふ頭に着岸していた。
出港に際し、A受審人は、出港時の最大喫水が入港時のものより0.7メートルばかり深いことも承知していたが、以前の経験から入港時の航跡を低速力でたどって出港すれば問題ないものと思い、あらかじめ天塩町役場から水深データを記載した図面を入手するなどして十分な水路調査を行っていなかった。
出港操船後A受審人は、単独で操舵操船に当たり、機関を極微速力前進にかけ、クラッチの嵌脱を繰り返しながら平均2.0ノットの対地速力で進み、11時53分少し過ぎ西防波堤灯台から014度(真方位、以下同じ。)330メートルの地点に達したとき、針路を187度に定め、同速力のまま進行した。
11時59分少し前A受審人は、西防波堤灯台から128度45メートルの地点に至ったとき、舵及びバウスラスターを併用して針路を229度に転じたところ、西防波堤南方の、砂の堆積した浅瀬に向かうこととなったが、水路調査が不十分でこのことに気付かずに続航中、12時00分富栄丸は、西防波堤灯台から193度80メートルの地点に、原針路原速力のまま乗り揚げた。
当時、天候は曇で風力4の西風が吹き、潮候は上げ潮の中央期であった。
乗揚の結果、富栄丸は、船底外板に擦過傷を生じたが、同日19時00分積載した砂約1,300トンを海中に投棄して自力離礁した。
(原因)
本件乗揚は、北海道天塩港を出港する際、水路調査が不十分で、砂の堆積した浅瀬に向首したまま進行したことによって発生したものである。
(受審人の所為)
A受審人は、北海道天塩港において、ほぼ満載状態まで積荷して出港する場合、同港内の水深は雪解け期の増水や偏西風による砂の移動で著しく変化したから、同港を管理する天塩町役場から情報を得るなどして水路調査を十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、入港時の航跡を低速力でたどって出港すれば問題ないものと思い、水路調査を十分に行わなかった職務上の過失により、砂の堆積した浅瀬に向け進行して乗揚を招き、船底部に擦過傷を生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。