(海難の事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成14年12月14日09時00分
長崎県五島列島平漁港
(北緯33度15.7分 東経129度08.0分)
2 船舶の要目等
(1)要目
船種船名 |
旅客船ありかわ8号 |
総トン数 |
56トン |
全長 |
25.00メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
1,462キロワット |
回転数 |
毎分2,030 |
(2)設備及び性能等
ありかわ8号(以下「ありかわ」という。)は、平成6年10月に進水した限定沿海区域を航行区域とする旅客定員75人の一層甲板型軽合金製旅客船で、平成10年7月からC社が傭船して長崎県佐世保港と五島列島各港間の定期航路に就航させていたもので、操舵室前部中央に舵輪、その前面右舷寄りに主機計器盤、舵輪の右舷側に主機遠隔操縦ハンドルをそれぞれ備え、操舵室から主機の発停、増減速及び前後進中立の切替えが全て操作できるようになっていた。
主機は、E社製12M140A-1型機関2機で、両機がそれぞれ逆転減速機(以下「逆転機」という。)を介してプロペラ軸を駆動しており、航行中の平均回転数を2,020(毎分回転数、以下同じ。)として年間約3,000時間運転されていた。
逆転機は、F社製のMGN272型と称する、直結の歯車式潤滑油ポンプを備えた油圧クラッチ式のもので、作動油圧調整弁で昇圧された潤滑油により、前後進切替弁を介して前後進中立の切替えを行い、作動油の一部を減圧して潤滑油系統に供給するようになっており、操舵室の計器盤には、主機回転計の下に前後進切替弁の位置を示すクラッチ位置表示灯を設け、逆転機潤滑油系統の油圧低下警報装置が組み込まれていた。
なお、逆転機はE社が主機と組み合わせて一体で販売し、整備取扱いについても主機の取扱説明書の中で機関の一部として簡単に説明されていたが、構成部品の新替間隔等の整備基準についてはメーカー取扱説明書参照などの注記もないまま明示されていなかった。
3 事実の経過
(1)逆転機の整備状況
D社は、所有船の定期整備計画をG社長が運航管理部長と2人で検討のうえ立案し、機関については取扱説明書の整備基準等を参考に整備時期及び項目等を定めたうえで、工事は全て、E社及びF社の両社とも販売代理店契約を結んでいる整備業者一社に依頼していた。
しかし、ありかわの逆転機については、F社の取扱説明書を取り寄せるなどして整備内容を十分に検討していなかったので、潤滑油ポンプの針状ころ軸受が4年ごとに新替えするよう推奨されていることを知らないまま、個々の部品の新替要否は全面的に同業者の判断に任せて大丈夫と考え、運転時間を考慮して定期検査のときに開放整備することを決めていた。
D社は、平成10年3月第2回定期検査の際、両舷逆転機の開放整備を同整備業者に依頼したが、潤滑油ポンプの軸受を新替えするよう具体的に指示しなかったので、同ポンプは開放点検されたものの、軸受は継続使用可能と判断されてそのまま復旧された。
ありかわは、同年7月にC社に傭船されたのち、主機のこし器類の掃除、潤滑油の更油及び補給など日常の機関管理業務は乗組員によって行われていたが、検査工事についてはD社の管理責任のもと、毎年2月に第1種中間検査を受検し、平成14年2月の検査も定期検査を翌年に延期して同中間検査を受検したので逆転機の開放整備は行われなかった。
なお、同年7月に乗船したB受審人は、その後機関の整備状況を把握するため記録簿を点検して逆転機が4年以上無開放であることに気付き、次回の検査工事の際には開放すべき旨会社に報告していた。
(2)傭船開始前の技術指導
D社の運航管理部長は、ありかわの船長を務めた経歴があったので、平成10年7月の貸渡し開始に際し、C社所属のありかわ乗組員に対し、自社の機関長と2人で操船や機関管理に関する技術指導を行った。
その際、同部長は、逆転機の作動確認について、自身の経験を踏まえ、前進から後進に切替テストを行う方法以外に、中立にとったとき、クラッチ位置表示灯、主機回転数の瞬間的上昇などによるほか、注意すればクラッチの離脱音や振動でも作動が確認できることを説明し、着桟前にはこれら方法を合わせて必ず作動確認を行うよう指導した。
しかし、同指導事項は、船長交代の際に正確に引き継がれず、着桟前には必ず逆転機の前後進テストを行う旨に単純化されたうえ、逆転機の不具合による事故がなかったこともあり、同テストも次第に省略されて月に2ないし3度行われるだけとなっていた。
(3)運航基準及び遵守指導状況
C社は、運航基準で運航中止基準、基準経路、基準速力、当直配置等のほかに、各船ごとに寄港地における桟橋への発着要領を定め、これを記載した港内操船図を作成して添付資料としており、ありかわの着桟要領については入港前から徐々に速度を落として桟橋手前約120メートルで5ノットまで減速し、非常事態に対処する余裕があるうちに逆転機等の操船機能に異状がないか確認するため、100メートル手前で逆転機を中立にとったうえ、あとは前進惰力で進行して着桟する旨定めていた。
C社は、ありかわの乗組員に対し、年に1ないし2度訪船して安全運航に関する注意喚起を行っていたが、桟橋100メートル手前で逆転機を中立にとる規定については、潮や風の影響で状況はその都度変わるので船長の判断に任せて良いと考え、遵守するように十分に指導していなかった。
(4)当直配置
ありかわは、佐世保港を基地として07時40分に出港し、五島列島の平漁港、小値賀漁港及び有川港に順次寄港して11時30分に帰港し、午後は15時00分出港、平漁港と小値賀漁港に寄港ののち18時15分に帰港するスケジュールで、毎日五島列島まで2往復しており、この間の乗組員配置は、船長は操舵室で総指揮と操舵操船に当たり、機関長及び一等機関士は始業前及び終業後に機関の状態を入念に点検し、航行中は操舵室で計器盤監視と見張りに当たるほか適宜機関室を巡検し、離着桟時は船首と船尾に分かれて係船索の取り放し作業と乗客の誘導に当たるように定められていた。
(5)本件発生に至る経緯
ありかわは、A、B両受審人及び一等機関士の3人が乗り組み、発航に先立ちB受審人が一等機関士と2人で主機を始動して各部に異状がないことを確認したうえ、旅客11人を乗せ、船首尾とも1.0メートルの等喫水で、平成14年12月14日07時40分佐世保港を発航した。
A受審人は、発航後、機関回転数を2,020に定めて29ノットの速力で手動操舵により平漁港に向けて進行し、08時55分平漁港港外の前小島を右舷側に通過したころ徐々に減速し始め、同時57分平港防波堤を通過したとき操舵室で見張りに当たっていたB受審人と一等機関士に着桟配置に就くよう指示した。
ありかわは、徐々に減速しながら平漁港に入航中、左舷逆転機潤滑油ポンプ軸受の経年摩耗が進行してポンプ歯車がケーシングと接触し、作動油圧が低下して前進側クラッチに滑りが生じ始め、一等機関士が着桟前の機関室巡検を行ったが異状を認めないまま船尾配置に就いたのち、急速に過熱して前進側クラッチが焼き付いた。
A受審人は、08時58分半5.0ノットの速力で専用桟橋まで約100メートルの地点に達したとき、運航基準の規定は承知していたものの、逆転機を中立にとらず、更に減速しながら右舷前方の桟橋に平行な体勢となるよう針路を055度(真方位、以下同じ。)とした。そして、同時59分2ノット余りの速力で桟橋まで約20メートルに近づいたとき、両舷の逆転機を中立に操作し、クラッチ位置表示灯が切り替わったことを確認したが、主機回転数、クラッチの離脱音や振動等に注意して逆転機の作動を確認しなかった。
このように、A受審人は、着桟操作に慣れて以来いつも行っている操船手順に従っていれば大丈夫と思い、着桟前の余裕がある時期に逆転機を中立にとってその作動を確認しなかったので、クラッチが焼き付いたことに気付かず、桟橋を右舷側に約1メートル離してほぼ着桟位置に達したとき左舷逆転機を後進に操作したが、行きあしが止まらないことからようやく異状に気付き、右舷逆転機を後進として左舵をとったが効なく、09時00分平港南防波堤灯台から024度410メートルの地点において、ありかわは、055度に向首して2ノット足らずの速力で桟橋付根の岸壁にほぼ直角に衝突した。
当時、天候は晴で風力1の北東風が吹き、海上は穏やかであった。
船首配置に就いていたB受審人は、A受審人から左舷側逆転機の異状を知らされ、操舵室に戻って両舷とも主機は停止回転で運転中で、クラッチ位置表示灯は中立を示していることを認め、左舷主機を停止して右舷主機のみの運転で着桟させた。
衝突の結果、ありかわは、船首部に凹損を生じたが、岸壁の損傷は軽微で乗客の負傷はなく、航行にも支障がなかったので、当日午後事故の検証のあと右舷主機のみの運転で佐世保港に回航され、のち左舷逆転機が潤滑油ポンプ、前後進クラッチ板等損傷部品を新替えして修理され、運航再開後、右舷逆転機についても潤滑油こし器から金属粉が発見されたことから開放して前進クラッチ軸のスラストベアリング等の経年劣化を発見し、潤滑油ポンプを含む不良部品が新替えされた。
(6)事後の措置
C社は、事故後、運航管理体制の見直しを行い、社内の安全意識を更に高めるため運航管理者及び運航管理補助者全員を、それまでの部長級あるいは課長級の者から役員に代え、現場の運航管理の実際を会社全体で把握するように改善した。
D社は、事故後、社内機構に工務部を設け、部長及び係長の人員を配置して工務関係の対外的な窓口を明確にするとともに、機関関係の整備計画を見直し、軸受類を含む消耗品的な部品について、具体的な新替間隔を取り決め整備業者に周知させた。
(本件発生に至る事由)
1 D社が、逆転機の整備を十分に行っていなかったこと
2 主機メーカーが、逆転機を主機取扱説明書で主機の一部として説明し、構成部品の整備基 準について何ら記載していなかったこと
3 整備業者が、左舷逆転機を開放整備した際、潤滑油ポンプ軸受を継続使用可能と判断して 新替えしなかったこと
4 逆転機作動確認の具体的な方法が乗組員交代の際正確に引き継がれなかったこと
5 C社が、乗組員に対して運航基準を遵守するよう十分に指導していなかったこと
6 着桟前に左舷逆転機のクラッチが前進側に焼き付いたこと
7 A受審人が、運航基準に定められた地点で逆転機を中立にとらなかったこと
8 A受審人が、逆転機の作動確認を行わなかったこと
(原因の考察)
本件岸壁衝突は、着桟直前に左舷逆転機のクラッチが前進側に焼き付き、このことに気付くのが遅れて適切に対処できなかったことによって発生したものである。
A受審人が、運航基準に定められた地点で逆転機を中立にとり、その作動確認を行っていれば、クラッチの焼付きに早めに気付き、左舷主機を停止して行きあしを減殺するなど適切に対処できたもので、A受審人が、運航基準に定められた地点で逆転機を中立にとらなかったこと及び中立にとったとき作動確認を十分に行わなかったこと、さらに、C社が、乗組員に対し、各規定の意義を説明するなどして運航基準を遵守するよう十分に指導していなかったことは、本件発生の原因となる。
また、逆転機が焼き付いたのは、新替基準が4年とされている潤滑油ポンプの針状ころ軸受が、新造以来約8年間使用されて経年摩耗したことによるもので、D社が、潤滑油ポンプ軸受の使用限度を把握せず、逆転機の整備が不十分となったことは本件発生の原因となる。
主機メーカーが主機取扱説明書に逆転機を付属機器として説明し、構成部品の整備基準について何ら記載していなかったこと及び整備業者が左舷逆転機を開放整備した際、潤滑油ポンプ軸受を継続使用可能と判断して新替えしなかったことは、いずれも本件発生に至る過程において関与した事実であるが、本件と相当な因果関係があるとは認められない。しかしながら、これらは、海難防止の観点から是正されるべき事項である。また、D社の運航管理部長が、C社のありかわ乗組員に対して説明した逆転機作動確認の具体的な方法は、船長であれば有効な手段として当然行うべき確認方法であり、これが乗組員交代の際正確に引き継がれなかったことは、海難防止の観点から是正されるべき事項であるが、あえて原因とするまでもない。
(主張に対する判断)
D社は、逆転機潤滑油ポンプの軸受が新替基準を大幅に超えて使用されたためクラッチが焼き付いたことについて、主機取扱説明書には同軸受についての記載は一切なく、また、逆転機を開放した際、F社と販売代理店契約を結んでいる専門業者が、同軸受を点検して継続使用可能と判断したのであり、D社がこれを予見、回避することは困難であった旨主張する。
しかしながら、過給機、逆転機、ガバナ、計装品等のディーゼル機関付属機器は、主機メーカーが他社製品と組み合わせて販売しているケースも多く、整備計画を立てるに当たり、整備基準が不明なときは主機メーカーに問い合せるなどして製造メーカーの整備基準を調査することが必要である。また、工事内容を整備業者に任せるには、機関の使用状況、次回の開放予定等を考慮した細かい打合せが必要で、本件の場合、十分な打合せが行われたとは認められない。
従って、クラッチが焼き付いたことは一概に同社の所為にのみ帰するものと判断できないが、D社がありかわの機関管理責任者であることを考えると、主体性を以て逆転機の整備を行うに際し、構成部品の整備基準を把握して整備業者には適切な整備指示を行うなどの措置が十分でなかったと言わざるを得ない。
(海難の原因)
本件岸壁衝突は、長崎県平漁港において、着桟前における逆転機の作動確認が不十分で、左舷逆転機の前進側クラッチが焼き付き、行きあしを止めることができないまま岸壁に向かって進行したことによって発生したものである。
運航管理会社が、乗組員に対し、着桟前の余裕のある時期に逆転機を中立にとったうえ着桟体勢をとるように定めた運航基準を遵守するよう十分に指導していなかったことは本件発生の原因となる。
船舶所有者が、機関の管理責任者として、逆転機の整備を十分に行っていなかったことは本件発生の原因となる。
(受審人等の所為)
1 懲戒
A受審人は、平漁港の専用桟橋に着桟しようとする場合、逆転機焼付きなどの非常事態に適切に対処できるよう、着桟前の余裕がある時期に逆転機を中立にとって、その作動確認を十分に行うべき注意義務があった。しかしながら、同人は、着桟操作に慣れて以来いつも行っている操船手順に従えば大丈夫と思い、着桟の直前に逆転機を中立にとったうえ、その作動確認を十分に行わなかった職務上の過失により、逆転機のクラッチ焼付きに気付くのが遅れて適切に対処できないまま岸壁に衝突する事態を招き、ありかわの船首部を凹損させるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
2 勧告
C社が、乗組員に対し、着桟前の余裕のある時期に逆転機を中立にとったうえ着桟体勢をとるように定めた運航基準を遵守するよう十分に指導していなかったことは本件発生の原因となる。
C社に対しては、事故後、運航管理体制の見直しを行い、現場の運航管理の実際を会社全体で把握するように改善した点に徴し勧告しない。
D社が、機関の管理責任者として、逆転機の整備を十分に行っていなかったことは本件発生の原因となる。
D社に対しては、事故後、機関関係の整備計画を見直し、消耗品的な部品について具体的な新替間隔を取り決め、整備業者に周知させた点に徴し勧告しない。
B受審人の所為は、本件発生の原因とならない。
よって主文のとおり裁決する。
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