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平成16年広審第27号
件名

旅客船第二十一金風呂丸漁船増栄丸衝突事件

事件区分
衝突事件
言渡年月日
平成16年8月31日

審判庁区分
広島地方海難審判庁(米原健一、黒田 均、道前洋志)

理事官
供田仁男、濱田真人

受審人
A 職名:第二十一金風呂丸船長 海技免許:四級海技士(航海)(履歴限定)
指定海難関係人
B 職名:第二十一金風呂丸機関長

損害
第二十一金風呂丸・・・船首部に擦過傷
増栄丸・・・左舷中央部ブルワークを破損、横転し、のち廃船処理、船長が溺死

原因
第二十一金風呂丸・・・動静監視不十分、各種船舶間の航法(避航動作)不遵守(主因)
増栄丸・・・見張り不十分、警告信号不履行、各種船舶間の航法(協力動作)不遵守(一因)

主文

 本件衝突は、第二十一金風呂丸が、動静監視不十分で、漁ろうに従事している増栄丸の進路を避けなかったことによって発生したが、増栄丸が、見張り不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
 受審人Aの四級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
 
理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成15年11月21日10時45分
 岡山県笠岡港南方沖合
 
2 船舶の要目
船種船名 旅客船第二十一金風呂丸 漁船増栄丸
総トン数 196トン 4.94トン
全長 40.250メートル  
登録長   10.30メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 735キロワット  
漁船法馬力数   15

3 事実の経過
 第二十一金風呂丸(以下「金風呂丸」という。)は、岡山県笠岡港と同港南方沖合3海里に位置する同県北木島の金風呂港及び豊浦港の各港とを結ぶ定期航路に就航する船首船橋型旅客船兼自動車渡船で、A受審人及びB指定海難関係人ほか1人が乗り組み、旅客5人を乗せ、船首尾とも1.2メートルの喫水をもって、平成15年11月21日10時30分金風呂港を発し、笠岡港伏越フェリー発着所に向かった。
 A受審人は、同年3月海技免許を取得し5月26日から甲板員として金風呂丸に乗り組み、船橋当直、出入港操船時の船長の補佐及び旅客への対応などにあたっていたところ、11月21日に船長及び航海の海技免許を有する機関長の両人が都合により乗船できなくなったので、運航管理者を兼ねる船舶所有者から同船の船長を命じられたものの、機関長で乗り組んだ副運航管理者のB指定海難関係人が長年、交替の機関長として乗船し、船橋当直や出入港操船時の補佐にあたっていたことから笠岡港や金風呂港などの状況や出入港操船の方法をよく知っており、同人の申出を受けて同操船を任せ、自らは旅客の対応など他の出入港作業を行うこととした。
 B指定海難関係人は、出港操船に続いて船橋当直にあたり、操業中の漁船が複数存在する笠岡港南方沖合に向けて北上し、やがて右舷前方1海里付近に増栄丸を認め、同船の動静を十分に確認しないまま、間もなく昇橋したA受審人にその存在などを引き継ぎ、10時38分少し前沖ノ白石灯台から119度(真方位、以下同じ。)1,650メートルの地点に達したとき、同受審人と船橋当直を交替したが、引き続き増栄丸に対する動静監視にあたることなく、そのあと操舵室後部のいすに腰を掛けて水中ポンプの修理を始めた。
 当直を交替したとき、A受審人は、針路を笠岡港口第2号灯浮標に向く006度に定め、機関を全速力前進にかけて10.0ノットの速力(対地速力、以下同じ。)で、操舵室中央の舵輪後方に立って手動操舵により進行し、間もなく右舷前方の増栄丸が西行するのを認めた。
 10時43分A受審人は、増栄丸が右舷船首20度660メートルとなったとき、同船が表示した黒色鼓型形象物や船尾から延出した曳索を視認することができ、同船がトロールにより漁ろうに従事していることがわかる状況で、その後衝突のおそれがある態勢で接近したが、手動操舵に気を奪われ、双眼鏡を適切に使用するなどして同船に対する動静監視を十分に行わなかったので、このことに気付かず、十分に余裕のある時期に減速するなど、同船の進路を避けることなく続航した。
 A受審人は、増栄丸が漁ろうに従事していることを認めることができないまま接近し、10時44分半少し過ぎ同船が同方位100メートルに迫ったとき、その船尾方を航過するつもりで右舵10度ばかりを取って回頭を始めたところ、同船が左転をしたのを認めて急いで左舵に変え、さらに同船の動きに合わせて右舵一杯を取ったが及ばず、10時45分沖ノ白石灯台から050度1.2海里の地点において、金風呂丸は、021度に向首したとき、原速力のまま、その船首が、増栄丸の左舷中央部に前方から60度の角度で衝突した。
 当時、天候は曇で風力2の西北西風が吹き、潮候は下げ潮の初期にあたり、視界は良好であった。
 また、増栄丸は、船体中央部に操舵室を、同室後方にネットローラー及びやぐらをそれぞれ有し、汽笛を備えた小型機船底びき網漁業に従事するFRP製漁船で、C(昭和49年9月一級小型船舶操縦士免許取得)が船長として単独で乗り組み、操業の目的で、船首0.3メートル船尾1.0メートルの喫水をもって、同日07時30分ごろ笠岡港を発し、笠岡港口第2号灯浮標南西方の漁場に向かった。
 C船長は、08時ごろ目的の漁場に至り、操舵室前部のマストにトロールにより漁ろうに従事していることを示す黒色鼓形の形象物を掲げてしばらく操業を行ったのち、同漁場南方の前示衝突地点付近に移動して操業を続けた。
 ところで、C船長がこの時期に行う底びき網漁は、1条2網型のえびけた網漁業と呼ばれ、長さを水深の約5倍とした曳索の先端に、長さ3メートルの股綱付き直径8センチメートル長さ約3メートルの鉄製パイプを取り付け、さらに同パイプの両端に、長さ2メートルの股綱付き長さ約2メートルのビームによって網口を広げた長さ6メートルの漁網をそれぞれ取り付け、その漁具を船尾から延出してゆっくりとした速力で25分間曳網し、海底に生息するしゃこやわたりがになどを漁網に追い込み、やぐらを利用して揚網し漁獲物を獲るもので、1回の操業時間に約40分を要していた。
 10時30分C船長は、投網を行い、針路を276度に定め、機関を回転数毎分2,500とし3.5ノットの速力で曳網を始め、間もなく手動操舵としたまま操舵室を離れて後部甲板に赴き、同甲板で漁獲物の選別作業を始めた。
 C船長は、時折船首方の地形を見て針路を確認したり、選別した漁獲物をかごに入れて前部甲板のいけすに運ぶなどして同作業を続け、10時43分左舷船首70度660メートルのところに北上中の金風呂丸を視認でき、その後同船と衝突のおそれがある態勢で接近したが、同作業に気を奪われたものか、周囲の見張りを十分に行わなかったので、このことに気付かず、警告信号を行うことも、さらに接近したとき、直ちに機関を中立運転として行きあしを止めるなど、衝突を避けるための協力動作をとることもなく続航した。
 10時44分半少し過ぎC船長は、選別作業を終えたので操舵室に戻り、ふと左舷方を見たところ間近に金風呂丸を初めて認め、衝突の危険を感じて急いで左転したところ同船が右転したので、右舵を取ったものの及ばず、増栄丸は、261度に向首したとき、原速力のまま、前示のとおり衝突した。
 衝突の結果、金風呂丸は船首部に擦過傷を生じ、増栄丸は左舷中央部ブルワークを破損し、金風呂丸の船首に引っ掛かった曳索により横引き状態となって右舷側に横転し、のち廃船処理された。またC船長が海中に転落し、付近で操業していた漁船に救助されて病院に搬送されたが、溺死と検案された。

(航法の適用)
 金風呂丸側は、笠岡港沖合で底引き網漁を行う漁船が漁ろうに従事しているときや停泊中を問わず常時鼓形形象物を掲げていたので、たとえ増栄丸が同形象物を表示していたとしてもそのことによって漁ろうに従事していたかどうかを判断できないこと、A受審人が鼓形形象物及び曳索を視認しなかったことをあげ、当時増栄丸が漁ろうに従事していなかった旨を主張するが、金風呂丸が06時25分に運航を始め、その後間もなく笠岡港沖合の海域では底引き網漁を行っている漁船が複数存在し、A受審人及びB指定海難関係人が衝突までの間に同海域を航行した際、通常の見張りを行っていたのであるならその状況を当然知っていたはずであるから、右舷前方に増栄丸を視認し、漁船である同船が自船の前路に向首して進行するのを認めた際には、双眼鏡などを適切に使用し、同船に対する動静監視を行って漁ろうに従事しているかどうかを速やかに判断しなければならない。
 A受審人は、手動操舵にあたっていたため双眼鏡などを使用できないのであったなら、操舵室後部で修理作業を行っていたB指定海難関係人に指示し双眼鏡を使用させるなどして積極的にかつ注意深く動静監視を行うと、形象物や曳索を視認できたことは容易に推測でき、十分余裕のある時期に増栄丸の進路を避けることが可能であったと判断できる。
 増栄丸の運航模様については、B指定海難関係人の質問調書中、「ドカンという衝撃があったのですぐ衝突に気付き、機関を停止したあとA受審人と操舵を替わり右舵一杯を取った。そのとき金風呂丸船首に増栄丸の曳索が引っ掛かっており、その後すぐに同船を右舷側に横転させた。」旨の供述記載及び同調書添付の衝突直後の状況図、同人の当廷における同旨の供述並びにD証人に対する尋問調書中、「増栄丸と金風呂丸とは衝突したように見えなかったが、しばらくして両船が離れた状態で、増栄丸がゆっくりと右舷側に横転した。」旨の供述記載による衝突直後の増栄丸の状況から、衝突したとき同船が船尾から曳索を延出し、トロールにより漁ろうに従事していたと考えるのが自然である。また、事実認定の根拠から同船が当時所定の形象物を表示していたものと判断できる。
 以上から、増栄丸は、所定の形象物を掲げてトロールにより漁ろうに従事していたものであり、よって、海上衝突予防法第18条各種船舶間の航法によって律することとなる。 

(原因)
 本件衝突は、操業中の漁船が複数存在する岡山県笠岡港南方沖合において、同県金風呂港から笠岡港に向けて北上中の金風呂丸が、動静監視不十分で、漁ろうに従事している増栄丸の進路を避けなかったことによって発生したが、増栄丸が、見張り不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
 
(受審人等の所為)
 A受審人は、操業中の漁船が複数存在する岡山県笠岡港南方沖合において、単独の船橋当直にあたり同県金風呂港から笠岡港に向けて北上中、右舷前方に増栄丸が西行するのを認めた場合、漁ろうに従事しているかどうかを判断できるよう、双眼鏡を適切に使用するなどして同船に対する動静監視を十分に行うべき注意義務があった。ところが、同人は、手動操舵に気を奪われ、同船に対する動静監視を十分に行わなかった職務上の過失により、同船が漁ろうに従事していることに気付かず、その進路を避けることなく進行して衝突を招き、金風呂丸の船首部に擦過傷を生じさせ、増栄丸の左舷中央部ブルワークを破損させて横転させ、同船のC船長が溺死する事態を招くに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の四級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
 B指定海難関係人が、岡山県金風呂港北方沖合において、操業中の漁船が複数存在する同県笠岡港南方沖合に向けて北上中、右舷前方に増栄丸を認め、その動静を十分に確認しないまま、A受審人に単独の船橋当直を引き継いだ際、引き続き同船に対する動静監視にあたらなかったことは本件発生の原因となる。
 B指定海難関係人に対しては、本件後、運航管理者により船橋当直を2人体制にするなど、安全運航についての改善措置がとられ、同措置に基づいて船橋当直が行われていることに徴し勧告しない。

 よって主文のとおり裁決する。


参考図
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