(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成15年4月20日05時05分
関門港
2 船舶の要目
船種船名 |
貨物船冨士丸 |
貨物船ディーケー.No.1 |
総トン数 |
392トン |
5,264トン |
全長 |
68.223メートル |
103.8メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
ディーゼル機関 |
出力 |
956キロワット |
3,384キロワット |
3 事実の経過
冨士丸は、船尾船橋型の鋼製貨物船で、A受審人ほか4人が乗り組み、石炭灰280トンを積載し、船首0.82メートル船尾3.54メートルの喫水をもって、平成15年4月20日00時00分山口県徳山下松港を発し、関門港小倉区に向かった。
ところで、A受審人は、平素、出港操船に引き続き単独で船橋当直に就き、20分ばかり後に昇橋することになっている一等航海士または甲板長に同当直を引き継ぎ、彼らに交代で単独2時間の同当直を任せ、山口県小野田市沖に達したころ、自らが昇橋して単独で操舵操船に当たり、部埼沖で一等航海士または甲板長を昇橋させて2人体制とし、手動操舵に当たる者と、レーダーを有効に活用するなどして見張りを行う者との役割分担をして関門航路を通航していた。
そして、夜間の場合、操舵スタンドの左真横1メートルばかりのところにあるレーダー画面のフードを外すと周囲が明るくなって目視による見張りの妨げとなることから、フードを付けたままとして使用していた。
発航後、A受審人は、霧のため視界が制限される状況であったことから、一等航海士、甲板長及び自らの3人が在橋して船橋当直に就き、04時ごろ小野田市沖に達したとき、視程が回復したので他の2人に休息をとらせ、単独で操舵操船に当たり関門港に向けて進行した。
A受審人は、04時40分ごろ関門航路東口に達したとき、部埼潮流信号所の表示が東流4ノットで上げ潮流となっていることを認め、早鞆瀬戸に差し掛かって、狭あいで屈曲し、潮流が速く、船舶が輻輳する海域を航行するに際し、単独の船橋当直では、見張りなどが十分に行えなくなるおそれがあったが、着岸後の荷役作業があるので一等航海士及び甲板長に十分な休息を与えようと思い、船橋当直者を増員するなど、見張りを十分に行える措置をとらなかった。
A受審人は、レーダーを2基ともスタンバイ状態にしたまま、手動操舵に切り替えて自ら操舵輪を持って目視による見張りを行い、できる限り、航路の右側を航行することなく、航路中央やや右側を航路に沿って続航し、04時58分門司埼灯台から056度(真方位、以下同じ。)1.3海里の地点で、針路を243.5度に定め、引き続き機関を全速力前進に掛け、折からの逆潮流に抗して6.7ノットの対地速力(以下「速力」という。)で、舵を頻繁にとって保針に留意しながら進行した。
05時00分半A受審人は、門司埼灯台から053度1,750メートルの地点に達したとき、左舷船首10度1.45海里のところに、関門航路を東航するディーケー.
No.1(以下「ディー号」という。)が存在し、門司埼の陰から現れたその白、白、緑の3灯を視認できる状況であったが、下関側との離岸距離をとることに気をとられ、前路の見張りを十分に行えなかったので、同船の存在に気付かなかった。
A受審人は、05時03分正船首1,140メートルのところに航路の左側に進出したディー号の白、白、紅、緑の4灯を視認でき、その後、行き会うことを認め得る状況であったが、依然、前示離岸距離を保持することに気を奪われ、見張りを十分に行うことができなかったので、このことに気付かず、警告信号を行うことも、右転するなどして衝突を避けるための措置をとることもせず、同じ針路及び速力で続航中、同時05分わずか前右舷船首至近に同船の紅灯を初めて認め、衝突の危険を感じて右舵一杯としたが、効なく、冨士丸は、05時05分門司埼灯台から045.5度950メートルの地点において、原針路、原速力のまま、その左舷船首がディー号の左舷後部に前方から56度の角度で衝突した。
当時、天候は小雨で風力1の西風が吹き、視程は約3海里で、付近には約4ノットの北東流があり、山口県西部に濃霧注意報が発表されていた。
また、ディー号は、2機2軸の船尾船橋型の鋼製貨物船で、B指定海難関係人ほか12人が乗り組み、空倉のまま、船首3.40メートル船尾4.05メートルの喫水をもって、同月19日13時03分大韓民国釜山港を発し、水島港に向かった。
B指定海難関係人は、翌20日03時45分昇橋して自ら操船指揮をとり、一等航海士を見張りと航海機器の操作に、甲板手を手動操舵にそれぞれ就け、04時10分ごろ関門航路に入航して同航路の中央よりやや右側を航路に沿って東口に向け進行した。
04時57分B指定海難関係人は、関門橋の南西方約900メートルの地点に達したころ、関門海峡海上交通センター(以下「関門マーチス」という。)からの情報で反航船の存在を知り、05時00分半門司埼灯台から236度950メートルの地点に達したとき、右舷船首22度1.45海里のところに、門司埼の陰から現れた冨士丸の紅灯を初めて認め、右舵10度をとって針路を043.5度に定め、引き続き機関を全速力前進に掛け、折からの順潮流に乗じて14.6ノットの速力で続航した。
このとき、B指定海難関係人は、潮流の影響により、予想よりも回頭速度が遅いことを認めた。そして、これまでの経験から、早鞆瀬戸では常時下関側に圧流されることも知っていた。
B指定海難関係人は、05時02分関門橋橋梁灯(C1灯)のわずか南側を航過したとき、航路の中央に寄っていたことが分かったが、できる限り、航路の右側を航行せず、門司埼に並行してから転針することとし、早鞆瀬戸における下関側への圧流を考慮して速やかに右転するなど、潮流に対する配慮を十分に行うことなく、転針時機を失して折からの潮流により左方に6度圧流され、航路の左側に向かう傾向にあったものの、これに気付かないまま進行し、同時03分わずか前右舵10度をとって転針を開始し、同時03分門司埼灯台から348度300メートルの地点に達して航路の左側に進出し、ゆっくり右回頭中、ほぼ船首方1,140メートルのところに冨士丸の紅、緑の2灯を認め、あわてて船橋周りの作業灯を点灯し、続いて右舵20度を命じたところ、船首の右転は得られたものの、船体は063度方向に流されるところとなり、05時05分少し前右舵一杯としたが、ディー号は、右回頭中、119度を向首したとき、ほぼ原速力のまま、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、冨士丸は、左舷船首外板に亀裂をともなう凹損及び左舷後部外板に凹損を生じ、ディー号は、左舷船尾甲板及び居住区甲板の手摺を損壊したが、のちいずれも修理された。
(原因)
本件衝突は、夜間、関門港において、両船が関門航路の早鞆瀬戸で行き会う際、東航するディー号が、できる限り、航路の右側を航行しなかったばかりか、潮流に対する配慮が不十分で、転針する時機を失して左方に圧流され、航路の左側に進出したことによって発生したが、西航する冨士丸が、できる限り、航路の右側を航行しなかったばかりか、見張り不十分で、航路の左側に進出したまま接近するディー号に気付かず、警告信号を行わず、衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。
(受審人等の所為)
A受審人は、夜間、関門港において、関門航路の早鞆瀬戸を西航する場合、東航船が下関側に圧流されることがあったから、航路の左側に進出する東航船がいても、見張りを十分に行うことで対処できるよう、船橋当直者を増員するなど見張りを十分に行える措置をとるべき注意義務があった。しかるに、同人は、乗組員に十分な休息を与えようと思い、見張りを十分に行える措置をとらなかった職務上の過失により、単独で船橋当直に就き、自船が下関側に圧流されることを懸念して、同側との離岸距離をとることに気をとられ、前方の見張りが不十分となり、航路の左側に進出して行き会う態勢で接近するディー号に気付かず、警告信号を行うことも、右転するなどして衝突を避けるための措置をとることもせずに進行して同船との衝突を招き、冨士丸の左舷船首外板に亀裂をともなう凹損及び左舷後部外板に凹損を、ディー号の左舷船尾甲板及び居住区甲板の手摺を損壊させるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B指定海難関係人が、夜間、関門航路の早鞆瀬戸を東航する際、潮流に対する配慮が不十分で、転針時機を失して左方に圧流され、航路の左側に進出したことは、本件発生の原因となる。
B指定海難関係人に対しては、勧告しない。
よって主文のとおり裁決する。