(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成15年4月12日18時03分
鳴門海峡北西方
2 船舶の要目
船種船名 |
貨物船第二十二東洋丸 |
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総トン数 |
2,003トン |
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全長 |
93.60メートル |
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機関の種類 |
ディーゼル機関 |
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出力 |
2,942キロワット |
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船種船名 |
押船第二大福丸 |
バージ東海丸 |
総トン数 |
414トン |
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全長 |
29.98メートル |
107.88メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
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出力 |
2,942キロワット |
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3 事実の経過
第二十二東洋丸(以下「東洋丸」という。)は、中央船橋型鋼製自動車運搬船で、A、B両受審人ほか8人が乗り組み、車両205台を載せ、船首3.28メートル船尾5.40メートルの喫水をもって、平成15年4月12日08時00分広島港を発し、愛知県衣浦港に向かった。
A受審人は、船橋当直を00時から04時及び12時から16時を自らと操舵手を兼ねた研修中の二等航海士、04時から08時及び16時から20時をB受審人と甲板手、08時から12時及び20時から24時を甲板長と甲板手の4時間交替3直制に定めて、備讃瀬戸東航路を東行したのち、16時00分男木島灯台北方沖合約0.5海里の地点において、B受審人と船橋当直を交替して、降橋した。
B受審人は、播磨灘を南下して鳴門海峡に向かっていたところ、霧模様となり、視程が約3海里となったので、早めに法定灯火を表示し、17時50分孫埼灯台から302度(真方位、以下同じ。)7.8海里の地点で、針路を鳴門海峡西口に向かう115度に定め、機関を全速力前進にかけ、14.0ノットの速力(対地速力、以下同じ。)で、自動操舵により進行した。
しばらくして、B受審人は、霧が濃くなって視程が1海里以下の視界制限状態となったうえ、レーダーにより、右舷前方約3.5海里に4隻の同航船を、船首方2.4海里のところに、第二大福丸被押バージ東海丸(以下「大福丸押船列」という。)を認めたものの、霧中信号を行うことも、安全な速力とすることもなく続航した。
17時56分B受審人は、視程が更に悪化して約100メートルになったことから、A受審人に昇橋を求め、同時57分孫埼灯台から304度6.2海里の地点に達したとき、右舷船首6度1.1海里のところに、大福丸押船列を認め、その右舷側を替わすつもりで針路を5度右に転じて120度としたところ、しばらくして同押船列と著しく接近することを避けることができない状況となったが、レーダー映像を一瞥し、距離がまだ十分あったことから、大丈夫と思い、動静監視を十分に行っていなかったので、このことに気付かず、針路を保つことができる最小限度の速力に減じることも、必要に応じて行きあしを止めることもなく進行した。
B受審人は、連絡を受けて急ぎ昇橋したA受審人にレーダー映像上で周囲の状況を説明していたところ、18時02分半A受審人が、大福丸押船列のレーダー映像が突然消えたのを認め、右舷ウイングに出て船首方を確認しているうち、間近に機関音らしき音を聴いて衝突の危険を感じ、直ちに右舵10度、続いて右舵一杯をとったものの、効なく、18時03分孫埼灯台から306度4.8海里の地点において、東洋丸は、原針路、原速力のまま、その船首が大福丸の船尾に前方から2度の角度で衝突した。
当時、天候は霧で風はなく、視程が約100メートルで、潮候は上げ潮の中央期であった。
また、第二大福丸(以下「大福丸」という。)は、2機2軸の鋼製押船で、C受審人ほか4人が乗り組み、海砂3,000トンを積載し、船首4.9メートル船尾5.0メートルの喫水となったバージ東海丸の船尾凹部に大福丸の船首部を嵌合(かんごう)し、全長115.65メートルの押船列を構成し、船首尾とも5.0メートルの等喫水をもって、平成15年4月11日22時10分関門港六連(むつれ)島泊地を発し、翌12日14時25分小豆島坂手湾に至って海砂の除塩作業を行ったのち、16時40分同湾を発し、徳島県粟津(あわづ)港に向かった。
ところで、C受審人は、船橋当直を、同人、一等航海士及び二等航海士で単独4時間交替3直制としていたものの、当時は、視程が2海里程度だったので、粟津入港まで、当直の一等航海士とともに在橋し、船橋当直にあたることとした。
17時30分過ぎC受審人は、孫埼灯台北西方沖合約9海里の地点において、霧のため視程が約1海里となり、視界制限状態となったことを認め、早めに法定灯火を表示したものの、霧中信号を行わないで、同時40分孫埼灯台から303度7.5海里の地点で、針路を鳴門海峡西口に向く118度に定め、機関を全速力前進にかけ、12.3ノットの速力で自動操舵により進行した。
その後、視程が更に悪化して約100メートルとなり、C受審人は、レーダー映像上で、右舷前方1.5海里に4隻の同航船を認めて動静監視を行いながら続航し、17時48分孫埼灯台から305度5.5海里の地点に達して、同航船が減速したのを認めたので、機関を極微速力前進とし、更に機関を停止と前進とに交互に繰り返しながら、3.0ノットの速力に減速した。
17時57分C受審人は、孫埼灯台から306度5.1海里の地点に達し、3海里レンジとしていたレーダー映像上で、左舷船尾3度1.1海里に、東洋丸が、航跡模様からほぼ同じ針路で接近するのを認め、その後同船と著しく接近することを避けることができない状況となったが、針路を保つことができる最小限度の速力に減じたので、同船が左右いずれかの舷を替わっていくものと思い、汽笛を短音で連続吹鳴するなど、注意喚起信号を行うことなく進行した。
18時02分C受審人は、針路を維持して舵効を保ちながら続航中、正船尾方から急速に接近する東洋丸との衝突の危険を避けるため、短音を3回吹鳴して、慌てて機関を全速力前進として増速させたものの、効なく、大福丸は、原針路、原速力のまま前示のとおり衝突した。
衝突の結果、東洋丸は、船首部に破口を伴う凹損及び球状船首部に凹損を生じ、大福丸は、船尾部に破口を伴う凹損及び舵機室への浸水を生じたが、のちいずれも修理された。
(原因)
本件衝突は、霧のため視界制限状態の鳴門海峡北西方において、両船が同海峡西口に向けて東行中、東洋丸が、霧中信号を行うことも安全な速力に減じることもなく、レーダーによる動静監視不十分で、大福丸押船列と著しく接近することを避けることができない状況となった際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかったことによって発生したが、大福丸押船列が、霧中信号を行わず、機関の使用及び針路の変更の余地について制約を受けた状況下、真後ろからほぼ同じ針路で接近する東洋丸に対し、同船と著しく接近することを避けることができない状況となった際、注意喚起信号を行わなかったことも一因をなすものである。
(受審人の所為)
B受審人は、霧のため視界制限状態の鳴門海峡北西方において、同海峡西口に向けて東行中、レーダーにより先航する大福丸押船列を認め、その後同押船列と著しく接近することを避けることができない状況となった場合、針路を保つことができる最小限度の速力に減じ、必要に応じて、行きあしを止めるべき注意義務があった。しかるに、同人は、レーダー映像を一瞥し、距離がまだ十分にあったことから大丈夫と思い、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて、行きあしを止めなかった職務上の過失により、そのまま進行して大福丸押船列との衝突を招き、東洋丸の船首部に破口を伴う凹損などを、大福丸の船尾部に破口を伴う凹損などを、それぞれ生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の三級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
C受審人は、霧のため視界制限状態の鳴門海峡北西方において、同海峡西口に向けて東行中、機関の使用及び針路の変更の余地について制約を受けた状況下、レーダーにより船尾方に認めた東洋丸の方位がほとんど変わらず、その後同船と著しく接近することを避けることができない状況となった場合、汽笛を短音で連続吹鳴するなど、注意喚起信号を行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、針路を保つことができる最小限度の速力に減じたから、東洋丸が左右いずれかの舷を替わっていくものと思い、注意喚起信号を行わなかった職務上の過失により、東洋丸との衝突を招き、両船に前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のC受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
A受審人の所為は、本件発生の原因とならない。
よって主文のとおり裁決する。