(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成15年9月26日03時30分
2 船舶の要目
船種船名 |
押船第三名城丸 |
台船名城303 |
総トン数 |
19トン |
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全長 |
17.70メートル |
40.00メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
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出力 |
842キロワット |
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船種船名 |
漁船耀榮丸 |
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総トン数 |
11トン |
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全長 |
19.16メートル |
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機関の種類 |
ディーゼル機関 |
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漁船法馬力数 |
120 |
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3 事実の経過
第三名城丸(以下「名城丸」という。)は、船体中央部やや前方に船橋を配し、その上部にフライングブリッジを備えた2機2軸の鋼製引船で、A受審人(平成4年10月一級小型船舶操縦士免許取得)ほか1人が乗り組み、ブロック約50トンを載せて船首尾とも0.6メートルの喫水となった無人の非自航型鋼製台船名城303(以下「台船」という。)を曳航し、船首1.0メートル船尾2.4メートルの喫水をもって、平成15年9月25日23時00分名古屋港を発し、愛知県三河港に向かった。
ところで、A受審人は、専ら曳航作業に従事するもので、漁船等の小型船が曳航索に気付かず同索に接触する事故の防止を図るという会社の方針から、漁船の通航が比較的多い渥美湾などの水域では、適宜判断して曳航状態から押航状態に切り替えるようにしていた。
発航したA受審人は、単独の船橋当直に就き、知多半島沿いに南下を続けたのち、同半島南端沖合から渥美湾に向かって東行を始め、翌26日02時50分日間賀島と築見島との間を通過したとき、前路に漁船等を認めなかったものの、いつものように押航状態への切替え作業に取り掛かった。
間もなく、A受審人は、台船の船尾に自船の船首を押し付け、合成繊維索等で結合して全長57.7メートルの押船列(以下、名城丸及び台船の両船を総称するときには「名城丸押船列」という。)とし、所定の灯火を表示したほか台船の左右両舷にそれぞれ2個の白色点滅灯を点け、フライングブリッジに立って操船にあたり、03時00分佐久島南方灯標(以下「南方灯標」という。)から233度(真方位、以下同じ。)1.2海里の地点で、針路を080度に定め、機関を全速力前進にかけ、7.5ノットの速力(対地速力、以下同じ。)で、手動操舵により進行した。
03時24分半A受審人は、南方灯標から095度2.1海里の地点に達したとき、レーダーにより右舷正横後40度1.0海里のところに、耀榮丸の映像を初めて探知するとともに肉眼で同船の白灯1灯を認め、間もなく紅灯1灯も視認するようになり、その後、耀榮丸が自船を追い越し衝突のおそれがある態勢で接近するのを認めた。
03時27分A受審人は、耀榮丸を同方位1,000メートルに見るようになった際、汽笛による警告信号を行わず、同時28分半南方灯標から092度2.6海里の地点に至り、同船が自船の進路を避けないまま500メートルに接近したとき、注意喚起のつもりで耀榮丸の左舷側海面に向けてサーチライトを照射したものの、避航の様子が認められなかったが、後方から接近する同船がいずれ自船を避けるものと思い、機関を後進にかけて行きあしを止めるなど衝突を避けるための協力動作をとることなく続航した。
こうして、A受審人は、03時30分少し前耀榮丸が至近に迫り、ようやく衝突の危険を感じて急ぎ機関を全速力後進としたが及ばず、03時30分南方灯標から091度2.75海里の地点において、名城丸押船列は、原針路のまま、行きあしが3.0ノットの速力となったとき、台船の右舷船首部に耀榮丸の左舷船首部が後方から30度の角度で衝突した。
当時、天候は曇で風はほとんどなく、潮候は上げ潮の末期であった。
また、耀榮丸は、軽合金製漁船で、B受審人(平成元年3月二級小型船舶操縦士免許取得)ほか1人が乗り組み、底びき網漁の目的で、船首0.3メートル船尾1.7メートルの喫水をもって、平成15年9月25日15時00分愛知県東幡豆港を発し、16時30分伊良湖水道南方沖合の漁場に到着し、翌26日02時30分操業を終えて帰途に就いた。
ところで、B受審人は、漁場往復及び操業時の操船は自らがあたり、投網や揚網も甲板員と一緒に行うようにしていたものの、漁場が近くて航海時間が短く、1箇月の操業日数が13日ないし14日で、夕方出漁しても翌早朝には帰港して休息をとっており、当時出漁の前日が休漁日でもあったことから、特に疲労が蓄積した状態ではなかった。
漁場を発進したB受審人は、所定の灯火を表示して単独の船橋当直に就き、操縦席に座って操船にあたり、伊良湖水道に続き中山水道を北上して渥美湾に入り、03時19分南方灯標から170度2.1海里の地点で、針路を050度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進の回転数より少し減じ、17.0ノットの速力で進行した。
定針したB受審人は、近くに他船が見当たらなかったうえ、海面状態も静かで船体動揺もなかったことから気が緩み、眠気を催すようになったが、前日が休漁日で十分に休養をとっており、入港まであと1時間もない航程なのでこのまま当直を続けることができると思い、操舵室後方で休息中の甲板員を呼んで2人で見張りにあたるなど居眠り運航の防止措置をとることなく、操縦席に座っているうち、間もなく居眠りに陥った。
03時24分半B受審人は、南方灯標から124度1.9海里の地点に達したとき、左舷船首20度1.0海里のところに、名城丸押船列の船尾灯を視認でき、その後同押船列を追い越し衝突のおそれがある態勢で接近したが、居眠りしていたので、このことに気付かず、名城丸押船列を確実に追い越し、かつ、十分に遠ざかるまでその進路を避けることなく続航した。
こうして、B受審人は、03時28分半名城丸押船列からのサーチライトの照射にも気付かないで進行中、耀榮丸は、原針路、原速力のまま、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、名城丸押船列は、台船の右舷船首部外板に擦過傷を生じ、耀榮丸は、左舷船首部を圧壊したが、のち修理された。
(原因)
本件衝突は、夜間、愛知県渥美湾において、名城丸押船列及び耀榮丸が東行中、同押船列を追い越す耀榮丸が、居眠り運航の防止措置が不十分で、名城丸押船列を確実に追い越し、かつ、十分に遠ざかるまでその進路を避けなかったことによって発生したが、名城丸押船列が、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
(受審人の所為)
B受審人は、夜間、操業を終えて単独で船橋当直に就き、操縦席に座って自動操舵で渥美湾を帰航中、眠気を催した場合、操舵室後方で休息中の甲板員を呼んで2人で見張りにあたるなど居眠り運航の防止措置をとるべき注意義務があった。しかるに、同受審人は、前日が休漁日で十分に休養をとっており、入港まであと1時間もない航程なのでこのまま当直を続けることができると思い、操舵室後方で休息中の甲板員を呼んで2人で見張りにあたるなど居眠り運航の防止措置をとらなかった職務上の過失により、居眠りに陥り、名城丸押船列を追い越し衝突のおそれがある態勢で接近することに気付かず、同押船列を確実に追い越し、かつ、十分に遠ざかるまでその進路を避けないまま進行して名城丸押船列との衝突を招き、台船の右舷船首部外板に擦過傷を生じさせ、耀榮丸の左舷船首部を圧壊させるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
A受審人は、夜間、フライングブリッジに立って手動操舵で渥美湾を東行中、耀榮丸が自船を追い越し衝突のおそれがある態勢で間近に接近した場合、サーチライトを照射しても避航の様子が認められなかったから、機関を後進にかけて行きあしを止めるなど衝突を避けるための協力動作をとるべき注意義務があった。しかるに、同受審人は、後方から接近する耀榮丸がいずれ自船の進路を避けるものと思い、機関を後進にかけて行きあしを止めるなど衝突を避けるための協力動作をとらなかった職務上の過失により、そのまま進行して耀榮丸との衝突を招き、両船に前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。