(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成15年7月4日01時00分
香川県豊島南岸
2 船舶の要目
船種船名 |
押船第二大福丸 |
バージ東海丸 |
総トン数 |
414トン |
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全長 |
29.98メートル |
107.88メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
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出力 |
2,942キロワット |
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3 事実の経過
押船第二大福丸(以下「大福丸」という。)は、専ら鋼製被押バージ東海丸(以下「バージ」という。)とともに海砂の採取運搬に従事する2機2軸の鋼製押船で、A受審人ほか5人が乗り組み、空倉のバージ船尾凹部に船首部を嵌合(かんごう)させ、全長約116メートルの押船列(以下「大福丸押船列」という。)を構成し、海砂採取の目的で、船首3.0メートル船尾4.0メートルの喫水をもって、平成15年7月3日22時10分徳島県粟津港を発し、北九州市部埼沖に向かった。
ところで、大福丸は、当時、主に部埼沖で採取した海砂を粟津港で揚荷する、片航海18時間程度の航海を月間10数回繰り返し、航海当直を当直時間と順番は固定せず、船長ほか航海士2名による4時間交代の単独当直体制とし、それぞれ約5時間の海砂採取中及び揚荷役中は、倉内で砂を集めたり、甲板上を水で流したりする作業に航海当直者全員が当たっていた。
また、A受審人は、部埼沖への発航当日、08時00分起床して軽作業を行ったのち、夜間の出港に備えて夕食後3時間ばかり睡眠をとり発航したもので、特に睡眠不足の状態ではなかったが、同年5月中旬に乗船して以来、たまに沖泊まりや出港時間調整があるものの、荷役作業と航海当直が連続することもしばしばあり、まとまった休息がとれない毎日を繰り返すうち、倦怠感を覚えたり、作業疲れで寝付けなかったりするときがあるなど、幾分疲労が蓄積した状態であった。
A受審人は、出港時船首配置に就いたのち、22時30分昇橋し、その後鳴門海峡を通過して、22時45分孫埼灯台から307度(真方位、以下同じ。)1.0海里の地点で船長から当直を引き継ぎ、単独で船橋当直に当たり、備讃瀬戸東航路に向け西行した。
翌4日00時24分半A受審人は、地蔵埼灯台から221度0.7海里の地点において、同航路東口に至り、針路を294度に定め、機関を全速力前進にかけ、13.0ノットの対地速力で自動操舵により同航路北側に沿って進行した。
その後A受審人は、00時37分半備讃瀬戸東航路中央第6号灯浮標を左舷側0.4海里に並航し、間もなく航路に沿った転針地点に到達するので自動操舵のまま転針することとして操舵スタンドに寄りかかった姿勢で前路を見張るうち、航路内にいた漁船を何事もなく航過し、同スタンド左隣に設置されたレーダー画面上にも2海里前方の同航船が1隻いるだけで周囲に他船の映像が映っていないことから気が緩み、疲労が蓄積していたこともあって眠気を催すようになったが、転針地点まではわずかな距離なので、まさか居眠りに陥ることはあるまいと思い、船橋内を移動するなど、居眠り運航の防止措置を十分にとることなく、続航するうち、間もなく居眠りに陥った。
こうして、A受審人は、00時45分半男木島灯台から086度4.1海里の転針予定地点に達したものの、居眠りに陥っていてこのことに気付かず、転針できずに香川県豊島南岸に向首したまま進行中、01時00分男木島灯台から038度1.9海里の地点において、大福丸押船列は、原針路、原速力のまま礼田埼東方の岩礁に乗り揚げた。
当時、天候は晴で風力1の西南西風が吹き、潮候は上げ潮の中央期であった。
乗揚の結果、大福丸は、右舷プロペラ羽根、右舷舵板及び右舷シューピースに曲損など、バージは、船底に船尾から中央部にかけて破口を伴う損傷を生じたが、来援したサルベージ船によって引き下ろされ、のち修理された。
(原因)
本件乗揚は、夜間、備讃瀬戸東航路を西行中、居眠り運航の防止措置が不十分で、香川県豊島南岸に向首進行したことによって発生したものである。
(受審人の所為)
A受審人は、夜間、単独で船橋当直に就き、備讃瀬戸東航路を西行中、眠気を催した場合、居眠り運航とならないよう、船橋内を移動するなど、居眠り運航の防止措置を十分にとるべき注意義務があった。しかるに、同人は、転針地点まではわずかな距離なので、まさか居眠りに陥ることはあるまいと思い、居眠り運航の防止措置を十分にとらなかった職務上の過失により、操舵スタンドに寄りかかった姿勢のまま居眠りに陥り、香川県豊島南岸に向首進行して乗揚を招き、大福丸の右舷プロペラ羽根、右舷舵板及び右舷シューピースに曲損など、バージの船底に破口を伴う損傷を生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して、同人を戒告する。