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平成16年横審第7号
件名

貨物船第五十一正栄丸乗揚事件(簡易)

事件区分
乗揚事件
言渡年月日
平成16年4月26日

審判庁区分
横浜地方海難審判庁(竹内伸二)

副理事官
入船のぞみ

受審人
A 職名:第五十一正栄丸船長 海技免許:四級海技士(航海)
指定海難関係人
B 職名:第五十一正栄丸甲板員

損害
プロペラ及び舵を曲損、左舷側後部船底に凹損と破口

原因
錨泊措置不適切、守錨当直不十分(船位確認不十分、居眠り防止措置不十分)

裁決主文

 本件乗揚は、強風下における錨泊措置が適切でなかったばかりか、守錨当直が十分でなかったことによって発生したものである。
 受審人Aを戒告する。
 
裁決理由の要旨

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成15年3月2日03時30分
 愛知県渥美半島西岸
 
2 船舶の要目
船種船名 貨物船第五十一正栄丸
総トン数 697トン
全長 73.80メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 1,471キロワット

3 事実の経過
 第五十一正栄丸(以下「正栄丸」という。)は、バウスラスタ及び可変ピッチプロペラを装備し、京浜地方と九州・四国地方との間で石灰石及び埋立用残土の輸送に従事する船尾船橋型の砂利採取運搬船で、A受審人及びB指定海難関係人ほか3人が乗り組み、海水バラストを貨物倉に500トン、バラストタンクに900トンそれぞれ漲水し、船首3.0メートル船尾3.3メートルの喫水をもって、平成15年3月1日13時40分愛知県常滑港を発し、大分県津久見港に向かった。
 そのころ、東シナ海にあった低気圧が発達しながら中部地方を北東へ進んでおり、三重県伊勢・志摩地方に大雨、雷、強風、波浪、洪水の各注意報、愛知県東三河地方に雷、強風、波浪の各注意報がそれぞれ発表され、海上は時化模様となっていた。
 A受審人は、出港時に気象情報を収集して天候が悪化することを知り、伊良湖水道を通過して紀伊半島南東岸沖合を西行していたところ、次第に南西風が強まり波が高くなったため、荒天避難の目的で、渥美半島西側の中山水道で錨泊することとし、19時00分大王埼沖合で針路を反転して同水道に向かった。
 ところで正栄丸は、重量1,675キログラムのストックレスアンカーを両舷に備え、1節が25メートルの錨鎖を両舷ともほぼ9節有し、数年前に左右の錨鎖とも先端から5節が新替されていた。
 A受審人は、愛知県伊良湖港沖合に達したとき、中山水道に多数の錨泊船を認めたので、それらの錨泊船や海岸との距離を勘案して同水道入口付近に錨泊することとし、21時00分伊良湖岬灯台から351度(真方位、以下同じ。)1.9海里の、海図上の水深が12.3メートル、底質が細砂及び貝殻の地点に左舷錨を投下し、そのころ風力5の北西風が吹いていたが、できれば古い錨鎖を使いたくなかったので、通常の錨泊時と同じように錨鎖4節を延出して天候の変化に応じて対処することとし、錨が十分に効いたことを確かめたのち、主機の運転を終了した。
 A受審人は、風が強くなれば錨鎖を伸ばすとか双錨泊に切り替えるなどの措置をとるつもりで、航海中の船橋当直と同じように4時間交替で単独の守錨当直を行うこととし、投錨後自ら守錨当直に就いた。
 A受審人は、2台のレーダーのうち1台を使用し、レンジを0.5海里に設定して時々周囲の錨泊船との距離を測定するとともに、GPSプロッタを見て走錨の探知に努めているうち、次第に風が強まり、風向が西北西となって風力6ないし7に達し、錨鎖4節の単錨泊では走錨のおそれがあったが、以前東京湾で走錨したときの経験から、走錨を知ってからでも対処できるものと思い、錨鎖を8節まで伸ばすとか双錨泊とするなど強風下における適切な錨泊措置をとらなかった。
 23時30分A受審人は、次直のB指定海難関係人と守錨当直を交替するにあたり、船位を確認して走錨していないことを確かめ、依然風力6ないし7の西北西風が吹き、左舷船尾方の最も近い海岸まで約1海里で、通常の荒天下での走錨速度を勘案すると走錨を始めてから約50分で同海岸に達する状況であったが、同人に対し、早期に走錨を探知できるよう、レーダーで海岸までの距離を測定したりGPSプロッタを見たりして船位を頻繁に確認すること及び、眠気を催した際にはできるだけ立った姿勢で、外気に触れて居眠り防止措置をとるなど、守錨当直についての具体的な指示を十分に行わないで、近くの錨泊船との位置関係に注意して、風が強くなったり他船が0.25海里以内に近づいたら報告するように告げ、自室で休息した。
 一方、B指定海難関係人は、3年前に水産高等学校を卒業して一級小型船舶操縦士の免許を取得し、約6箇月間遠洋いか釣り漁船に乗船したあと砂利採取運搬船に乗船し、2箇月前から正栄丸に乗り組んでいた。そして、同人は、出港当日10時ころから行われた残土揚荷作業と貨物倉の清掃作業に従事したあと17時まで船橋当直にあたり、その後夕食を摂って休息し、20時30分から荒天避難のための投錨作業に就き、投錨後再び自室で休息したが、守錨当直に就く前に連続して睡眠をとることができなかったことから、少し疲労が残っていた。
 B指定海難関係人は、A受審人が降橋した後、操舵室の窓とドアを閉め、レーダーを見るとき以外、ほとんどレーダーの斜め前方に置いたいすに腰掛けて守錨当直にあたり、翌2日の01時及び02時にレーダーを0.5海里レンジとしたまま近くの錨泊船との距離を確認したあと、早期に走錨を探知できるよう、レンジを切り替えて船尾方の海岸線までの距離を測定したりGPSプロッタを見たりして船位を頻繁に確認しないまま、1時間後にレーダーを見るつもりでいすに腰掛けて前方の錨泊船を見ていたところ、気の緩みや疲労から眠気を催すようになったが、立って外気に触れるなどの居眠り防止措置をとらず、やがて居眠りに陥った。
 その後正栄丸は、風向が変わらないまま、時々風速が20メートル毎秒に達するようになり、02時40分ごろ前示錨泊地点でほぼ西北西に向首して船首が左右に振れ回っていたとき、走錨して東南東方の海岸に向かって圧流され始めたが、B指定海難関係人が居眠りをしていて船位が確認されず、A受審人にこのことが報告されなかったので、直ちに揚錨して機関を使用し、同海岸から離れるなどの措置がとられないまま、海岸に敷設された消波ブロックに接近した。
 03時15分B指定海難関係人は、居眠りから覚めて周囲を見たところ、それまで南方に見えていた中山水道第1号ないし第3号各灯浮標の方向が変化していることから、船位の移動を感じるとともにレーダーで左舷船尾至近に海岸線の映像を認めて走錨していると思い、急いで船長室に赴き、A受審人にこのことを報告した。
 直ちに昇橋したA受審人は、レーダーとGPSプロッタを見て走錨したことを知り、乗組員に機関用意と揚錨を指示し、そのころ食事当番で起きていた機関長が機関用意にかかり、03時29分機関を始動し、翼角を前進10度とするとともにバウスラスタを使用して乗揚を回避しようとしたが及ばず、03時30分伊良湖岬灯台から024度1.6海里の地点において、正栄丸は、船首が244度に向いた状態で、左舷側後部船底が、消波ブロックに乗り揚げた。
 当時、天候は曇で15ないし20メートル毎秒の西北西風が吹き、波高は約2メートルで、潮候は上げ潮の末期であった。
 乗揚の結果、プロペラ及び舵を曲損するとともに、左舷側後部船底に凹損と破口を生じたが、救援の引船2隻により離礁して愛知県衣浦港に引き付けられ、のち修理された。 

(原因)
 本件乗揚は、夜間、渥美半島西側の中山水道において、荒天避難のため錨泊中、強風下における錨泊措置が不適切であったばかりか、守錨当直が不十分で、強い西北西風によって走錨し、風下の海岸に圧流されたことによって発生したものである。
 守錨当直が十分でなかったのは、船長が、守錨当直者に対し、船位の頻繁な確認及び居眠り防止措置など守錨当直についての具体的な指示を十分に行わなかったことと、同当直者が、船位を頻繁に確認しなかったうえ居眠り防止措置をとらなかったこととによるものである。
 
(受審人等の所為)
 A受審人は、夜間、渥美半島西側の中山水道において、荒天避難のため、左舷錨を投下し、錨鎖4節を延出して錨泊中、風力7に達したことを認めた場合、そのままでは走錨のおそれがあったから、錨鎖を8節まで伸ばすとか双錨泊とするなどして強風下における適切な錨泊措置をとるべき注意義務があった。しかし、同人は、以前東京湾で走錨したときの経験から、走錨を知ってからでも対処できるものと思い、強風下における適切な錨泊措置をとらなかった職務上の過失により、走錨して海岸に敷設された消波ブロックに乗り揚げ、プロペラ及び舵に曲損並びに船底に凹損及び破口を生じさせるに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
 B指定海難関係人が、守錨当直中、船位を頻繁に確認せず、眠気を催した際、立って外気に触れるなどの居眠り防止措置をとらなかったことは本件発生の原因となる。





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