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 海難審判庁採決録 >  2004年度(平成16年) > 衝突事件一覧 >  事件





平成16年函審第1号
件名

漁船第88宝晴丸貨物船ペルラ衝突事件

事件区分
衝突事件
言渡年月日
平成16年4月13日

審判庁区分
函館地方海難審判庁(黒岩 貢、岸 良彬、野村昌志)

理事官
千手末年

受審人
A 職名:第88宝晴丸船長 操縦免許:小型船舶操縦士

損害
第88宝晴丸・・・船尾右舷側外板及びスパンカーマスト等を損傷
ペルラ・・・右舷船首部外板に擦過傷

原因
ペルラ・・・見張り不十分、船員の常務(避航動作)不遵守(主因)
第88宝晴丸・・・見張り不十分、警告信号不履行、船員の常務(衝突回避措置)不遵守(一因)

主文

 本件衝突は、ペルラが、見張り不十分で、前路で漂泊中の第88宝晴丸を避けなかったことによって発生したが、第88宝晴丸が、見張り不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。
 受審人Aを戒告する。
 
理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成15年6月30日04時30分
 北海道礼文水道
 
2 船舶の要目
船種船名 漁船第88宝晴丸 貨物船ペルラ
総トン数 9.82トン 234トン
全長 18.60メートル 38.45メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 301キロワット 934キロワット

3 事実の経過
 第88宝晴丸(以下「宝晴丸」という。)は、刺網漁業に従事するFRP製漁船で、A受審人(昭和59年1月一級小型船舶操縦士免許取得)ほか1人が乗り組み、操業の目的で、船首0.3メートル船尾1.6メートルの喫水をもって、平成15年6月30日02時20分北海道差閉漁港を発し、同時50分奮部灯台の南南西方3.5海里の漁場に至って刺網を投じたのち、06時過ぎの揚網開始まで待機することとし、03時20分同灯台の南西方2海里付近に至り、機関を中立として漂泊を開始した。
 漂泊開始時A受審人は、周囲を見回したところ、礼文島の近くで漂泊する2隻の僚船のほかに他船を認めず、また、一般船舶は利尻島寄りを通航することから、付近を航行する他船はいないものと思い、操舵室の床に腰を下ろして揚網開始を待つこととした。
 04時24分A受審人は、奮部灯台から227度(真方位、以下同じ。)2.2海里の地点で133度を向首して漂泊中、右舷船尾70度1.0海里のところにペルラを認めることができ、その後同船が自船に向首し、衝突のおそれのある態勢で接近する状況となったが、依然、付近を航行する他船はいないものと思い、見張りを十分に行っていなかったのでこのことに気付かなかった。
 A受審人は、警告信号を行わず、ペルラが更に接近しても、機関を使用して移動するなど、衝突を避けるための措置をとることなく漂泊中、04時30分宝晴丸は、奮部灯台から227度2.2海里の地点において、133度を向首したその船尾右舷側に、ペルラの右舷船首部が後方から70度の角度で衝突した。
 当時、天候は曇で、風力5の東風が吹き、日出時刻は03時50分であった。
 また、ペルラは、中央船橋型鋼製貨物船で、船長B、一等航海士Cほか13人が乗り組み、たらばがに9トンを積載し、船首2.4メートル船尾2.8メートルの喫水をもって、同月29日15時00分ロシア連邦サハリン州コルサコフ港を発し、北海道稚内港へ向かった。
 B船長は、航海当直を自らと一等航海士による6時間交代2直制とし、04時から10時及び16時から22時を自らが、他の時間帯を一等航海士に担当させており、出港操船に引き続き当直に就いた。
 B船長は、当初、稚内港外に到着後、漂泊して朝方の入港時間まで待機する予定でいたところ、21時30分ごろ宗谷岬の西方を航行中、機関長から機関の調整のためこのまま航行を続けてほしい旨の要請があったことから、野寒布岬北西方沖合まで進み、その後針路を利尻島東側4海里の地点に向けて南下した。
 22時00分B船長は、当直交代のため昇橋したC一等航海士に対し、機関長からの要請事項を伝え、見張りを厳重に行うこと、陸岸から十分に離して航行すること、機関の調整が終わったら稚内港へ向けることなどを引き継ぎ、C一等航海士が礼文島や利尻島付近の水路事情に詳しかったことから、特に針路を指示しないまま、同時30分野寒布岬西南西方沖合に至ったころ当直を交代して降橋した。
 C一等航海士は、操舵室左舷側に置いた椅子に腰を掛けた姿勢で当直に当たり、利尻島の南東方6海里、同島の南西方12海里の各地点を経由したのち北上し、翌30日04時04分奮部灯台から238度6.5海里の地点に達したとき、針路を礼文水道を抜けて野寒布岬沖合に向く063度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけ、10.0ノットの速力(対地速力、以下同じ。)で進行した。
 ところで、C一等航海士は、前示椅子に腰を掛けたままでは正船首から右舷方にかけての見張りがし難い状況であったが、転針時に操舵スタンドに赴く以外、椅子から立ち上がることもなく、時折、腰を掛けたまま椅子の前後にあるレーダー画面をいちべつして当直を続けた。
 04時24分C一等航海士は、奮部灯台から232度3.1海里の地点に至ったとき、正船首方1.0海里に漂泊中の宝晴丸を認めることができ、その後同船に向首し、衝突のおそれのある態勢で接近したが、依然、椅子に腰を掛けたままであったうえ、このころ左舷方の礼文島近くに認めた2隻の漁船に気をとられ、見張りを十分に行っていなかったので、このことに気付かず、宝晴丸を避けないまま続航中、ペルラは、原針路原速力のまま前示のとおり衝突した。
 C一等航海士は、衝撃を感じなかったことから衝突に気付かず、ペルラはそのまま航行を続けて08時15分稚内港に入港したが、午後、海上保安官による調査の結果、右舷船首部に新たなペイントの付着及び擦過痕があること、衝突直後A受審人が撮影した船影がペルラであることなどから衝突の事実が判明した。
 衝突の結果、宝晴丸は、船尾右舷側外板を損傷したほか、スパンカーマスト等を損傷したが、のち、修理され、ペルラは、右舷船首部外板に擦過傷を生じた。 

(原因)
 本件衝突は、北海道礼文水道において、北東進中のペルラが、見張り不十分で、前路で漂泊中の宝晴丸を避けなかったことによって発生したが、宝晴丸が、見張り不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。
 
(受審人の所為)
 A受審人は、北海道礼文水道において、揚網待ちのため漂泊する場合、自船に向首接近するペルラを見落とさないよう、見張りを十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、付近を航行する他船はいないものと思い、見張りを十分に行わなかった職務上の過失により、自船に接近するペルラに気付かず、警告信号を行うことも、衝突を避けるための措置をとることもなく漂泊を続け、同船との衝突を招き、自船の船尾右舷側外板等に損傷を、ペルラの右舷船首部外板に擦過傷をそれぞれ生じさせるに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

 よって主文のとおり裁決する。


参考図
(拡大画面:16KB)





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