(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成14年9月29日19時08分
広島湾柱島水道
2 船舶の要目
(1)要目
船種船名 |
油送船姫高丸 |
総トン数 |
2,944トン |
全長 |
91.167メートル |
出力 |
2,059キロワット |
(2)設備及び性能等
姫高丸は、平成7年1月に竣工した沿海区域を航行区域とする船尾船橋型油送船で、バウスラスター、ベッカーラダー及び可変ピッチプロペラを有し、船首端から船橋楼前端までの距離が約69メートルで、船首楼の後方が1番から5番までの貨物油倉となっていた。
航海船橋甲板は、満載喫水線上の高さが約7メートルで、操舵室の両舷がウイングと称する暴露甲板となっており、操舵室が、幅約9メートル、船首尾方向の長さ約5メートルで、前端中央に操舵スタンドがあり、同スタンドの左舷側にARPA付レーダー2基、左舷側後部に海図台、GPS付プロッター及び測深儀を備えていた。
姫高丸は、海上公試運転成績表によれば、最大速力が主機回転数毎分395、翼角17.5度において11.4ノット、舵角45度における左旋回の横距及び縦距が223メートル及び209メートル、右旋回の横距及び縦距が217メートル及び223メートルであった。
姫高丸は、平成14年4月10日付任意による安全管理システム規則(以下「安全管理システム規則」という。)にもとづく船舶安全管理認定証を取得し、同規則による「安全管理マニュアル」、「甲板部航海当直の手順書」(以下「手順書」という。)などの航海の安全に関する各種手順書を操舵室に備えていた。
3 関係人の経歴等
(1)A受審人
A受審人は、昭和45年外航貨物船の三等航海士として乗船し、その後同船舶を所有する会社の海務課長などを歴任し、平成7年D社に入社し、同社が所有する油送船の一等航海士として乗船した。その後同受審人は、平成9年以後D社所有の船舶に船長として乗船し、平成14年4月30日有給休暇で姫高丸を下船した後、8月15日徳山下松港で、再び、同船に乗船した。
(2)B受審人
B受審人は、漁船の甲板員、冷凍長などを経験した後、平成9年D社に入社し、同社が所有する油送船の甲板員として乗船し、平成11年4月現有の海技免許を取得して次席二等航海士又は甲板手各職をとっていた。
B受審人は、平成14年5月13日姫高丸の二等航海士として乗船し、8月31日有給休暇で下船した後、9月29日午前9時ごろ愛媛県菊間町の太陽石油株式会社菊間製油所の桟橋に着桟している姫高丸に、再び、二等航海士として乗船した。
(3)C受審人
C受審人は、昭和45年外航貨物船の事務部員を経験した後、平成10年現有の海技免許を取得し、内航貨物船の二等航海士又は一等航海士各職をとっていた。この間、同受審人は、柱島水道及び同水道東側の黒島水道を航行したことがあったが、夜間に柱島水道を航行したことがなかった。
C受審人は、平成14年4月26日姫高丸の甲板長としてD社に入社し、6月20日同社所有の日伸丸に二等航海士として転船して8月15日有給休暇で同船を下船し、9月15日徳山下松港で姫高丸の甲板長として乗船した。
4 事実の経過
(1)姫高丸の甲板部航海当直体制等
各種手順書には、甲板部航海当直(以下「当直」という。)者の、任務、船長への通報、責任、当直の引継ぎ、構成、航海計器・操舵装置の点検及びVHF通信の各事項が定めてあり、また、当直手順書等には総トン数が749トンを越える船舶は2名当直とすること、当直責任者はいかなる事情があっても他の当直責任者に当直を引き継いだのちでなければ船橋を離れてはならないこと及び次直者は交替前に当直中使用する海図の確認など13項目を確認したのちに当直を引き継ぐことが記載されていた。
A受審人は、当直を4時間3直制としていたが、航海時間が短い瀬戸内海等の航海について、その都度、当直交替時刻を指定し、更に次直者へ交替予定時刻15分前に昇橋して引継ぎを行うよう指導しており、菊間から呉港までの当直体制について、発航後19時までを自らと次席二等航海士、19時から20時半までをB及びC両受審人、20時半から22時までを一等航海士と甲板手にそれぞれ当直を行わせることとし、このことを発航前に各当直者に指示した。
更にA受審人は、B受審人を当直責任者、C受審人を相当直者として当直を行わせるに当たって、B受審人が当直責任者としての経験が浅く、航行予定海域の通航経験がなかったこと及びC受審人がDに入社前、航海士職を執っていた旨を聞いていたことから、C受審人に対してB受審人を特に補佐する旨を指示した。
(2)本件発生に至る経緯
姫高丸は、平成14年9月29日08時50分菊間桟橋で、無添加灯油5,000キロリットルを積載し、船首5.35メートル船尾5.75メートルの喫水をもって、16時55分同桟橋を発航して呉港に向かった。
A受審人は、発航操船に引き続いて当直に当たり、安芸灘南部の小安居島を右舷側に、小館場島を左舷側に見て航過し、18時40分安芸俎岩灯標(以下「俎岩灯標」という。)から159度(真方位、以下同じ。)900メートルの地点に達したとき、次直相当直者のC受審人が昇橋し、同受審人より航海士として柱島水道海域付近の通航経験がある旨を聞いていたことから、当直を引き継いでも問題ないと思い、針路260度で自動操舵にしていること、船首方の航路標識灯火が転針目標の広島湾第1号灯浮標灯火であること及び転針後の針路を310度にすることを指示して当直を引き継ぎ、当直責任者のB受審人がまだ昇橋していなかったことから同受審人に当直を引き継ぐことなく、相当直の次席二等航海士とともに降橋した。
C受審人は、自ら当直責任者でないことを知っていたが、当直を引き継いで自動操舵のまま航行を続けた。
18時43分B受審人は、俎岩灯標から216度1、300メートルの地点で昇橋し、A受審人が降橋していたことからC受審人が当直を引き継いで自動操舵で航行していることを知ったものの、C受審人から当直を引き継ぐことなく、当直責任者として当直に就いた。
18時54分B受審人は、西五番之砠灯標から138度3.4海里の地点に達したとき、自動操舵のまま転針し、針路を310度に定め、機関を全速力前進に掛け、11.1ノットの速力(対地速力、以下同じ。)で進行した。
19時00分B受審人は、船位が針路線上にあることを確認し、間もなく、右舷船首の西五番之砠灯標灯火の右側付近に漁船の灯火を認め、C受審人から同漁船を避けるため右転する旨の報告を受け、避航するにはまだ距離があると思ったが、C受審人が年上で、他社船舶の航海士として付近海域の通航経験があると聞いており、自らこの海域を通航したことがなかったこともあって遠慮の気持ちが生じ、漁船を避けるため右転することを任せた。
C受審人は、これまで柱島水道を数回通航したことがあったが、西五番之砠灯標の南東側近くにエビガヒレの険礁が存在することを知らず、19時00分少し過ぎ西五番之砠灯標から143度2.2海里の地点で、手動操舵に切り替え、漁船を避航するために右舵5度をとって右転を始めた。
19時05分半B受審人は、西五番之砠灯標から130度1.3海里の地点に達し、漁船の灯火を同灯標灯火の左方に見るようになったとき、黒島に接近して予定針路線から大幅に偏位し、同灯標付近に向けて転針すると発航前に調べて知っていたエビガヒレの険礁に向首進行して乗り揚げるおそれがあったが、C受審人が同険礁の存在を知っていると思い、左舷ウイングに出たりしながら漁船の監視を続けたものの、同険礁との関係位置を確認するため、船位の確認を十分に行うことなく、当直責任者として適切な操船指揮をとらないで、予定針路線へ戻すための左転時機をC受審人に任せた。
一方、C受審人は、漁船を避けるため右転して予定針路線から大幅に偏位し、同針路線へ戻すため左転することとしたが、エビガヒレの険礁の存在を知らなかったことから、大丈夫と思い、B受審人に船位の確認を行わないのか尋ねるなど特に補佐することなく、前示時刻及び同地点で漁船の灯火を左舷側に、同灯標灯火を右舷側に見て航過するように漁船の灯火の変化につれて小角度で左転を始め、その後同険礁に向首して進行中、19時08分西五番之砠灯標から126度1,600メートルのエビガヒレの険礁地点において、320度を向き、原速力のまま乗り揚げた。
当時、天候は晴で風力3の南東風が吹き、潮候は下げ潮の末期であった。
A受審人は、衝撃を受け、急ぎ昇橋して乗揚げを知り、事後の措置に当たった。
乗揚の結果、球状船首部に凹損及び船首部船底に擦過傷を生じ、引船2隻によって引き下ろされたのち、修理された。
(本件発生に至る事由)
1 A受審人が、当直責任者のB受審人に当直を引き継がないで、C受審人に引き継いだこと
2 B受審人がC受審人から前方に視認した漁船の灯火を避けるために右転する旨の報告を受けたとき、C受審人もエビガヒレの存在を知っていると思い、意思疎通を欠いたこと
3 C受審人が右舵をとったのち、B受審人が船位の確認を行わず、左転の時機をC受審人に任せ、自ら操船指揮をとらなかったこと
4 C受審人が、そのままの針路でよいかどうか尋ねるなど、B受審人の操船を補佐しなかったこと
(原因の考察)
本件は、夜間、B及びC両受審人が当直に当たって柱島水道を通航中、エビガヒレの険礁に乗り揚げた事件である。以下原因について検討する。
1 当直責任者は、他の当直責任者に当直を引き継いだのちでなければ船橋を離れてはならないことは、当直手順書に記載されているが、この記載のとおり行うまでもなく、当直に当たる者が守らなければならない船員の常務である。
A受審人は、次直の当直責任者であるB受審人に当直を引き継がないで降橋した。このことはA受審人に対する質問調書中、「18時40分に昇橋してきたC受審人に当直を引き継ぎ、夕食を摂っていなかったこともあってB受審人が昇橋する前に船橋を離れた。」旨の供述記載により認められ、原因となる。
2 B受審人は、海図上で310度の予定針路線右方にエビガヒレの険礁が存在することを知っており、右舷前方に認めた漁船を避けるために右転したのであるから、針路を戻すため左転する前に船位の確認を十分に行って同険礁との接近模様を確認し、左転時機を指示するなど適切な操船指揮をする必要があった。ところが、B受審人は、船位の確認を十分に行わないで、左転時機をC受審人に任せたものであり、自ら適切な操船指揮を執らなかったことは原因となる。
3 C受審人が、船首方に認めた漁船を避けるためにA受審人から右転を任せられたとしても、その後黒島に接近して予定針路線から大幅に偏位していることを認めていたのであるから、予定針路線に戻すため左転する際、B受審人に船位の確認を行わないのか尋ねるなど特に補佐しなかったことは原因となる。
4 B受審人が、C受審人もエビガヒレの険礁の存在を知っていると思い、同受審人との意思疎通を欠いたことは、本件発生に至る過程で関与した事実で、B受審人が船位の確認を十分に行わなかった事由となるが、本件と相当な因果関係があるとは認められない。しかしながら、海難防止の観点から是正されるべき事項である。
(海難の原因)
本件乗揚は、夜間、柱島水道において、右舷前方の漁船を避けるために予定針路線から大幅に偏位し、予定針路線へ戻すため左転する際、船位の確認が不十分で、エビガヒレの険礁に向けて進行したことによって発生したものである。
運航が適切でなかったのは、前直の当直責任者が、当直を終えて降橋する際、当直責任者に当直を引き継がなかったこと、当直責任者が、船位の確認を十分に行わなかったばかりか、相当直者に操舵を任せて適切な操船指揮を執らなかったこと及び相当直者が、当直責任者に対して船位の確認を行わないのか尋ねるなど特に補佐しなかったこととによるものである。
(受審人の所為)
A受審人は、夜間、柱島水道に向けて航行中、当直を終えて降橋する場合、次直の当直責任者であるB受審人に当直を引き継ぐべき注意義務があった。しかるに、A受審人は、次直の相当直者であるC受審人より航海士として柱島水道海域付近の通航経験がある旨を聞いていたことから、同受審人に当直を引き継いでも問題ないと思い、当直を引き継ぎ、B受審人に当直を引き継がなかった職務上の過失により、エビガヒレの険礁への乗揚げを招き、球状船首部に凹損及び船首部船底に擦過傷を生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B受審人は、夜間、柱島水道において、当直責任者としてC受審人とともに当直に当たり、右舷前方の漁船を避けるために予定針路線から大幅に偏位し、予定針路線へ戻すため左転する場合、発航前に調べて知っていたエビガヒレの険礁に向首進行して乗り揚げるおそれがあったから、同険礁との関係位置を確認できるよう、船位の確認を十分に行うべき注意義務があった。しかるに、B受審人は、C受審人が同険礁の存在を知っていると思い、船位の確認を十分に行わなかった職務上の過失により、エビガヒレの険礁に向首進行して乗揚げを招き、前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
C受審人は、夜間、柱島水道において、相当直者としてB受審人とともに当直に当たり、右舷前方の漁船を避けるために右転したのち、予定針路線へ戻すため左転する場合、黒島に接近して同針路線から大幅に偏位していたのであるから、B受審人に船位の確認を行わないのか尋ねるなど特に補佐すべき注意義務があった。しかるに、C受審人は、エビガヒレの険礁の存在を知らなかったことから、大丈夫と思い、特に補佐しなかった職務上の過失により、エビガヒレの険礁に向首進行して乗揚げを招き、前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のC受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。
(参考)原審裁決主文 平成15年7月2日広審言渡
本件乗揚は、水路調査が十分でなかったことによって発生したものである。
受審人Aを戒告する。
受審人Bを戒告する。
受審人Cを戒告する。
参考図
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