(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成15年10月13日09時40分
青森県尻屋埼北東方沖合
2 船舶の要目
船種船名 |
漁船修寳丸 |
総トン数 |
4.1トン |
登録長 |
10.85メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
漁船法馬力数 |
70 |
3 事実の経過
修寳丸は、昭和55年1月に進水した、いか一本釣り漁業に従事する、釣り機9台を備えた一層甲板型FRP製漁船で、甲板上に船首方から順に、船首楼、船首甲板、操舵室、船員室及び船尾甲板が、甲板下には同順に1番船倉、1番魚倉、活魚倉、機関室、2番船倉及び操舵機室が配置され、機関室の両舷側及び操舵機室船尾側に燃料タンクが設けられていた。また、高さ15センチメートル(以下「センチ」という。)のコーミングを有する倉口を1番船倉、各魚倉に1個ずつ設け、2番船倉には、船員室内に1個、船尾甲板に左右舷各1個設けていた。
1番魚倉には、氷240キログラムが入れられ、そのほかの船倉、魚倉は空所とされており、船倉及び魚倉すべてに締付け金具のないFRP製蓋をかぶせ、燃料タンクに合計500リットルの燃料が積載されていた。
甲板は、周囲に高さ約60センチのブルワークが巡らされ、両舷側下部にロケットと称する覆いが設けられた放水口が片舷につき4箇所あったものの、甲板上に縦方向の垂木にわずかな隙間で板を打ちつけたすのこが敷き詰められていたことから、波が打ち込むと水の流れが垂木等で遮られ、放水口からの排水が困難な状態になっていた。
ところで、尻屋埼の北東方沖合は、5メートルの等深線に囲まれる礁脈が同埼から北東方600メートルの
島まで舌状に拡延し、
島(とどじま)とその東方1,200メートルに位置する、大根との間は浅礁が散在する水深約6メートルの浅水域(以下「浅水域」という。)になっており、これを囲むように尻屋埼東方沿岸から大根東方を経て
島北側に延びる水深10メートルの等深線の沖合が急に深くなっていて、北寄りまたは東寄りの風が強吹すると、潮流の影響も加わり、波浪が高起しやすい海域であった。
A受審人は、昭和54年3月に一級小型船舶操縦士の免許を取得し、青森県野牛漁港を基地に、長年いか漁に従事して浅水域を通航し、尻屋埼で北寄りまたは東寄りの風が強吹すると、同水域では波浪が急に高まることを知っており、海上が平穏なときは同水域を通航していたが、冬期や東寄りの風が強吹するときは、大根東方沖合を迂回していた。
修寳丸は、A受審人ほか1人が乗り組み、操業の目的で、船首0.30メートル、船尾0.95メートルの喫水をもって、平成15年10月13日05時40分野牛漁港を発し、尻屋埼南東5.5海里の漁場に向かった。
折から、13日の日本付近の気圧配置は、高気圧が北海道西岸まで張り出し、低気圧が北海道東方を東北東進する西高東低の冬型で、津軽海峡東方海域では北寄りの風が強まり波浪が高まる状況であった。
07時30分A受審人は、前示漁場に到着し、ほぼ40分ごとに八戸海上保安部の気象情報を得て操業を続けていたところ、尻屋埼灯台における08時00分の観測で西北西風毎秒8メートルであることを知り、周辺海域に白波は立っていなかったものの空が暗くなり風が少し強くなったことから、08時45分いか約400キログラムを漁獲したところで操業を打ち切り、尻屋埼と大根の間の浅水域を通航して帰途に就くことにした。
09時00分少し前A受審人は、尻屋埼灯台から129度(真方位、以下同じ。)5.5海里の地点を水面からブルワークトップまで約90センチの状態で発進し、針路を312度に定め、機関を半速力前進にかけ、8.0ノットの対地速力(以下「速力」という。)で、甲板員を操舵に当たらせて進行し、自らは、漁獲物を発泡スチロール製の魚箱に詰める作業を始め、1番船倉の上に魚箱を3段に船側一杯まで積載したのち、甲板員の操船模様を見ながら続航した。
09時32分少し過ぎA受審人は、尻屋埼灯台から113度1.0海里の地点に達したとき、風が西から北寄りに変わって強まり、右舷船首方約0.9海里となった浅水域で白波が立ち始めたのを認め、波浪の高まる状況であったが、この程度の風や波なら同水域を通航できるものと思い、波浪の危険性に対して十分に配慮し、浅水域の通航を中止して大根沖合の安全な海域を通航する措置をとることなく進行した。
09時37分少し過ぎA受審人は、尻屋埼灯台から085度830メートルの地点に至り、甲板員に針路を尻屋埼と大根の間に向く350度に転針させ、北北西の波浪を左舷船首から受けて続航し、まもなく浅水域に入ったが、このころから波が大きくなり、09時39分青波が左舷船首方から打ち込んで、船首甲板に積んでいた魚箱が後方に流された。
A受審人は、直ちに甲板員と替わって操船にあたり、魚箱の積み直しを同人に指示するとともに速力を4.0ノットに減じて進行したものの、高まった波浪が更に打ち込み続けるため、船尾から波浪を受けようと、09時39分半機関回転数を上げ右舵一杯をとったが、波浪の打ち込みが収まらず、海水が大量に滞留して左舷側に傾斜し始め、09時40分尻屋埼灯台から050度980メートルの地点において、修寳丸は、ブルワークトップが海中に没して復原力を喪失し、船首を112度に向首して左舷側に転覆した。
当時、天候は曇で風力5の北北西風が吹き、潮候は下げ潮の末期にあたり、波高は2.5メートルであった。
転覆の結果、修寳丸は、船底が水面上に出たまま漂流し、その後沈没して全損となり、海中に投げ出されたA受審人と甲板員は、来援した僚船に救助された。
(原因)
本件転覆は、北寄りの風が強まる状況下、尻屋埼北東方沖合を通航して帰航する際、波浪の危険性に対する配慮が不十分で、波浪が高起しやすい浅水域の通航を中止して安全な海域を通航する措置がとられず、高まった波浪の打ち込みを受け大量の海水が船内に滞留し、大傾斜して復原力を喪失したことによって発生したものである。
(受審人の所為)
A受審人は、北寄りの風が強まる状況下、尻屋埼北東方沖合の浅水域を通航する予定で帰航中、同水域で白波が発生しているのを認めた場合、波浪が高まるおそれがあったから、波浪の危険性に対して十分に配慮し、浅水域の通航を中止して大根沖合の安全な海域を通航する措置をとるべき注意義務があった。ところが、同人は、この程度の風や波なら通航できるものと思い、同水域の通航を中止して大根沖合の安全な海域を通航する措置をとらなかった職務上の過失により、浅水域を通航中、波浪の打ち込みを受け大量の海水が船内に滞留し、大傾斜して復原力を喪失する事態を招き、自船を転覆させるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。