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平成15年那審第34号
件名

漁船満丸転覆事件

事件区分
転覆事件
言渡年月日
平成16年2月25日

審判庁区分
門司地方海難審判庁那覇支部(坂爪 靖、小須田 敏、上原 直)

理事官
平良玄栄

受審人
A 職名:満丸船長 操縦免許:小型船舶操縦士 

損害
漂流後沈没、全損

原因
気象(荒天措置)に対する判断不適切

主文

 本件転覆は、荒天が予想された際、速やかに漁を中止して帰途に就く措置をとらなかったことによって発生したものである。
 受審人Aを戒告する。
 
理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成15年1月23日05時00分
 沖縄県津堅島東南東方沖合
 
2 船舶の要目
船種船名 漁船満丸
総トン数 4.9トン
登録長 12.28メートル
機関の種類 ディーゼル機関
漁船法馬力数 90

3 事実の経過
 満丸は、平成7年3月に進水した、そでいか旗流し漁業などに従事するFRP製漁船で、船体中央部に操舵室を、同室前方の前部甲板下に2個の物入れと中央の船首尾方向の仕切り板で左右に分けられた4個の魚倉を、同室後方の後部甲板下に同仕切り板で左右に分けられた3個の物入れを、同室直下に機関室をそれぞれ設けていた。また、甲板全周に甲板上高さ約60センチメートル(以下「センチ」という。)のブルワークを巡らし、同ブルワークの下端に長さ約15センチ幅約4センチの排水口を約80センチ間隔で片舷につき8箇所ずつ設け、甲板上に打ち込んだ海水を船外に排出できるようになっていた。そして、各物入れ及び魚倉には、その周囲に高さ約13センチのハッチコーミングが設けられ、FRP製のさぶたで閉鎖するようにしていた。
 A受審人は、昭和58年3月に一級小型船舶操縦士免許を取得し、まぐろ船などに乗船したのち、新造の満丸に船長として乗り組み、沖縄県中城湾金武中城港内の泡瀬漁港を基地として沖縄島東方沖合の漁場で、しけの日を除き1航海が4ないし5日の操業を周年行っていたところ、同船に1人で乗り組み、そでいか旗流し漁の目的で、船首0.8メートル船尾1.5メートルの喫水をもって、平成15年1月21日17時00分同漁港を発し、その東方沖合の漁場に向かった。
 ところで、満丸のそでいか旗流し漁は、直径約3センチ長さ4.5メートルの竹竿の上端に縦60センチ横35センチの布製の旗を、同竿の下端付近に重量1.5キログラムの重りを、その少し上方に直径30センチの浮子をそれぞれ取り付け、この竹竿(以下「旗竿」という。)の下端に、擬餌を付けた枝糸3本を取り付けた幹糸を結び付け、これを適当な間隔をあけて潮上から25本投入し、浮子の沈み具合を見ていて、沈んだものがあれば引き揚げてそでいかを船内に取り込むというものであった。そして、A受審人は、漁場では平素05時00分ごろから操業を始め、20時00分ごろその日の漁を終え、その後潮上りなどして操業を始める翌朝まで漂泊して休息をとるということを繰り返していた。
 翌22日02時30分ごろA受審人は、北緯26度00分東経130度00分の地点に至り、漂泊して仮眠し、いつもより2時間ほど遅い06時30分ごろ起床して漁具の準備などを行い、07時00分ごろから4日間の操業予定で、そでいか旗流し漁を始めた。
 そのころ、発達中の低気圧が九州西方海上にあって時速37キロメートルで東に進んでおり、沖縄気象台は同22日05時40分沖縄東方海上に海上強風警報を、10時30分沖縄本島中南部には波浪注意報をそれぞれ発表し、14時45分同注意報を強風・波浪注意報に切り替え、また、17時00分「沖縄本島地方では、前線の通過で22日宵の内から23日昼過ぎまで風が強く、波が高くなるから強風や高波に注意して下さい。」旨の天気概況を発表して注意を呼びかけていた。
 A受審人は、発航前天気がよく、テレビなどの天気予報では波浪注意報なども発表されていなかったので、前示のとおり発航して操業を行っていたもので、その後に発表された海上強風警報などは知らなかった。そして、船舶電話を備えていたので、沖合でも気象情報を入手できたものの、荒天が予想される場合には、妻が自宅から船舶電話で気象情報を知らせることにしていたので、自ら気象情報を入手しようとせずに操業を続けていたところ、同22日17時00分ごろ妻から「明日は天気が悪くなり、北寄りの風が強まり、波が3メートルになる予報が出ている。」旨の電話連絡を受けた。
 A受審人は、妻から前示気象情報を得て、荒天が予想されることを知ったが、その日の漁を終えるころまでは大丈夫と思い、速やかに漁を中止して帰途に就く措置をとらないで、風力5の南風が吹くかなり波がある中で、そのまま操業を続けた。
 20時00分ごろA受審人は、そでいか約400キログラムを獲てその日の漁を終えたところで、翌日以降の漁を中止して帰港することとし、その旨を船舶電話で妻に伝えたあと漁具の揚収にとりかかった。
 A受審人は、25本の旗竿を船首物入れ付近から船尾物入れ付近にかけての左舷舷側に横に倒して旗の付いた方を船首に向けて数本ずつ置き、倉口やほかの開口部を閉鎖したのち、22時00分中城湾出入口にあたる二ツ口北方の津堅島東南東方約119海里の、北緯25度35分東経130度00分の地点を発進して帰途に就いた。
 発進したとき、A受審人は、風力5の南風が吹き、波高は2メートルほどで、左舷船尾方から風波を受ける状況であったので、針路を二ツ口に向首する289度(真方位、以下同じ。)に定め、機関を全速力前進にかけ、13.0ノットの対地速力(以下「速力」という。)で、自動操舵によって進行した。
 翌23日04時15分ごろA受審人は、津堅島灯台から111度37.3海里の地点に達したとき、風向が南から北北西に変わり、強く吹き始めたため機関を4.0ノットの微速力に減じて続航した。
 A受審人は、北北西風と波浪を右舷側から受け横揺れしながら進行するうち、04時30分ごろ波浪が高まり、右舷船首方から海水が甲板上に打ち込み、左舷舷側に置いた旗竿の影響もあって、同側の排水口から船外に十分に排出されないまま、海水が甲板上に滞留する状況となったので速力を2.0ノットに減じて続航したところ、その後、北北西風が一段と強まり風力7に達し、波浪が更に高くなり、甲板上への打ち込みが続いて海水の滞留が増大し、左舷側への傾斜が増すばかりで、同時55分ごろには、同側に大傾斜して危険な状態となったため、機関を中立にし、船首からシーアンカーを入れて漂泊を始めた。
 満丸は、漂泊後、A受審人が船舶電話で海上保安庁に救助を要請するよう自宅に電話したあと、ウェットスーツと救命胴衣を着用して右舷船尾に出た直後シーアンカーのロープが切れて右舷側から大波を受け、05時00分津堅島灯台から111度35.0海里の地点において、船首を西方に向け、復原力を喪失して左舷側に転覆した。
 当時、天候は曇で風力7の北北西風が吹き、海上強風警報などが発表されており、海上には高さ約3メートルの波があった。
 転覆の結果、満丸は漂流を続けたのち沈没して全損となった。また、A受審人は海中に投げ出されたが同船の船底につかまって漂流していたところ、捜索中の海上保安庁のヘリコプターによって救助された。 

(原因)
 本件転覆は、夜間、海上強風警報などが発表されている状況下、沖縄県津堅島東南東方沖合において、そでいか旗流し漁業に従事中、荒天が予想された際、速やかに漁を中止して帰途に就く措置をとらず、帰航中に荒天となり、高まった波浪が右舷船首方から甲板上に打ち込み、左舷舷側に置いた旗竿の影響もあり、同側の排水口から海水が船外に十分に排出されないまま甲板上に滞留し、左舷側に大傾斜して復原力を喪失したことによって発生したものである。
 
(受審人の所為)
 A受審人は、夜間、海上強風警報などが発表されている状況下、沖縄県津堅島東南東方沖合において、そでいか旗流し漁業に従事中、自宅の妻から船舶電話で気象情報を得て、荒天が予想されることを知った場合、速やかに漁を中止して帰途に就くべき注意義務があった。しかるに、同人は、その日の漁を終えるころまでは大丈夫と思い、速やかに漁を中止して帰途に就く措置をとらなかった職務上の過失により、帰航中に荒天となり、高まった波浪が右舷船首方から甲板上に打ち込み、左舷舷側に置いた旗竿の影響もあり、同側の排水口から海水が船外に十分に排出されないまま甲板上に滞留し、左舷側に大傾斜し、復原力を喪失して転覆を招き、満丸を全損させるに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

 よって主文のとおり裁決する。





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