(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成14年4月17日11時26分
広島県江田島湾
2 船舶の要目
船種船名 |
作業船第八金福丸 |
貨物船アジア ハーモニー |
総トン数 |
19トン |
4,724トン |
全長 |
16.40メートル |
96.70メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
ディーゼル機関 |
出力 |
558キロワット |
2,460キロワット |
船種船名 |
作業船第三博成丸 |
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総トン数 |
19.91トン |
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全長 |
18.20メートル |
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機関の種類 |
ディーゼル機関 |
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出力 |
353キロワット |
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3 事実の経過
第八金福丸(以下「金福丸」という。)は、1軸固定ピッチプロペラを有する一層甲板の鋼製引船兼交通船で、甲板上の前部に操舵室、中央部に機関室囲壁をそれぞれ設け、同囲壁後端の頂部となる、船体中央から3.4メートル後方で甲板上の高さ1.3メートルの位置に緊急離脱装置付きの曳航用フックを装備し、A受審人(昭和49年8月一級小型船舶操縦士免許取得)が1人で乗り組み、専ら広島湾内でかき筏の曳航に従事していたところ、広島県江田島湾の中田港に所在するD社(以下「D」という。)の浮ドックに入渠するアジア
ハーモニー(以下「ア号」という。)の操船援助にあたることとなった。
この浮ドックは、新2号ドックと称し、中田港港内に設けられたDの諸施設のうち最も東側にあって、ほぼ140度(真方位、以下同じ。)方向にその南東側をドックゲート(以下「ゲート」という。)として設置され、東方にはかき筏式養殖漁場が広がり、同漁場の北西角を示す標識灯(以下「かき筏標識灯」という。)が同ドックの北東方220メートルのところに存在し、北方の津久茂瀬戸を南下してきた船舶が同ドックと同漁場の間を更に南下して入渠するには、前進でゲート沖合に至って反転するか、同標識灯付近で反転してゲート沖合まで後退するか、いずれかの方法を採る必要があった。
また、ア号は、船尾船橋型の貨物船で、E船長ほか16人のいずれもフィリピン共和国籍船員が乗り組み、空倉のまま、平成14年4月14日09時18分(現地時刻)中華人民共和国上海港を出港し、同月17日03時18分津久茂瀬戸北北東方の広島港検疫錨地に到着して錨泊し、船首3.00メートル船尾4.50メートルの喫水をもって、嚮導(きょうどう)を行う船渠長の乗船を待った。
C指定海難関係人は、他の造船所における4年間の勤務と会社経営を経て、同2年10月Dに入社し、工務及び営業両部に在籍して主に修繕船に係わる業務に携わっていたもので、ア号の入渠作業を責任者として担当することとなり、乗組員が外国人であったことから、同船の船首尾に自社の作業員を配置するほか、船渠長には英会話が堪能な者をあてることとしたものの、社内に適任者がいなかったので、B指定海難関係人を社外から臨時雇用することとし、同船が上海港を出港した翌日の15日同人に依頼して受諾を得た。
更に、16日C指定海難関係人は、自社の引船と共に操船援助にあたる作業船1隻が必要であったので、平素は台船の曳航に従事して以前に何度か用船したことのある第三博成丸(以下「博成丸」という。)の所有者で船長のFに電話をかけ、再び臨時用船することを依頼して受諾を得たのち、ア号に乗船する作業員が用いるトランシーバー4個の充電を始め、同船の入渠に備えた。
一方、B指定海難関係人は、15年を超える外航貨物船や同油送船の船長履歴を有し、昭和61年船長職を退いたのち、小型船舶操縦士養成の講師を経て、平成2年同養成と中古船舶の海外輸出及び仲介を営む会社を設立してその経営に携わっていたところ、C指定海難関係人から初めてとなるア号の嚮導を依頼されてこれを受諾した。
17日C指定海難関係人は、充電を終えたトランシーバーがいずれも作動せず、故障していることを知ったものの、これに代わる通信手段を用意しないまま、08時45分DでB指定海難関係人と会い、使用する予定であった自社の引船が他の業務に従事し、同引船に代わる作業船を用船することになったので、操船援助にあたる作業船2隻を社外から用船する旨を告げた。
このとき、C指定海難関係人は、B指定海難関係人から前進でゲート沖合に至って反転する操船計画を聞くと共に、ア号と作業船との間を取り持つ連絡員について問われ、作業員3人が乗船することを伝えるつもりで、「乗船する。」とだけ答え、作業員が連絡員ではないことも、トランシーバーに代わる通信手段を持たないことも明確に告げず、B指定海難関係人にすでにDで待機している博成丸に乗船してア号に向かうよう指示した。
続いて、09時00分C指定海難関係人は、E船長に会い、作業船1隻を手配するよう要請し、新2号ドックの南西方170メートルの中田港港内に停泊している金福丸を紹介されてこれを臨時用船することに決めたが、普段は非自航物件を曳航している同船にとっては初めての操船援助で、B指定海難関係人にとっても初めての嚮導であるうえ、ア号と金福丸及び博成丸との間に双方向の通信手段がなかったから、両作業船がア号の動きにいつでも追従できるように予め船渠長の操船計画を示し、各船間の連絡方法や曳索をとったならば常にア号の動きに注意を払うことなどを説明しておかなければならない状況であった。
しかし、C指定海難関係人は、そのようなことをしなくとも拡声器を使用するなどして入渠作業はできるものと思い、Dに金福丸を回航させるなりA受審人を陸路招くなりしてB指定海難関係人及びF船長を交えた事前の打合せを実施することなく、同船長に携帯電話でA受審人に連絡を取らせ、浮ドックに入るア号を引く仕事であることと、同船が到着する11時ごろまでに同ドック沖合で待機することとを伝えさせた。
他方、A受審人は、これまで操船援助を行った経験はなかったものの、本来の業務が空いていたことから、F船長を通しての依頼を受諾したもので、電話ではア号がどのような船であるかさえ知らされないまま、援助方法等全ての説明は同船と会合すれば与えられるものと考え、初めての仕事に備えて息子Gを甲板員として乗り組ませ、船首1.4メートル船尾2.3メートルの喫水をもって、10時30分係留地を発し、同時33分かき筏標識灯の西方かつ新2号ドックの北方に着き、それぞれから200メートル離れて待機した。
これより先、B指定海難関係人は、DでC指定海難関係人と会ったとき、連絡員が乗船するとの返答であったので、ア号の機関を適宜使用してゲートに接近する操船計画と援助方法等については、連絡員を通して作業船に周知するつもりで、博成丸に乗船して、09時32分Dを発し、検疫錨地のア号に向かった。
10時12分B指定海難関係人は、ア号に移乗し、抜錨したのち、E船長の操船により、かき筏標識灯を船首目標にして津久茂瀬戸を南下し、11時15分半中田港港外に至って機関を停止させ、連絡員について携帯電話でC指定海難関係人に問い合わせたところ、すでにア号に向かっている旨の返答を受け、同時18分同標識灯の北北西方200メートルにあたる、安芸中田港小方北防波堤灯台(以下「防波堤灯台」という。)から054度330メートルの地点で、操船を引き継ぎ、同船長在橋のもと、嚮導を開始した。
11時20分B指定海難関係人は、到着した作業艇から作業員3人を乗船させ、これまでのC指定海難関係人とのやりとりから、乗船した3人のうちの1人がトランシーバーを持った連絡員であると解釈し、連絡員が昇橋して来るのを待つうち、折からの東風を左舷側から受けて船首が右方に振れたので、機関長を主機遠隔操縦ハンドル操作に、H三等航海士を船位確認と見張り及び記録に、甲板手を手動操舵にそれぞれ就け、同時22分左舵20度及び極微速力前進を令し、いったん機関停止次いで再び極微速力前進としたのち、同時23分少し過ぎわずかな行きあしがつき、船首がかき筏標識灯の少し西方に向くころ、舵中央及び機関停止を令した。
このころ、A受審人は、検疫錨地から戻った博成丸とア号の船首付近で会合してF船長から博成丸のトランシーバーを受け取り、間もなく、ア号の左舷船首部から先綱が投じられたので、機関を停止して、同綱とこれに続き同部フェアリーダを通して延出される直径60ミリメートルの化学繊維製曳索をG甲板員と引き寄せ、同索先端のアイを曳航用フックに掛けて、11時24分ア号船首部に向かって両手を頭上で交差する合図をし、同索の延出を40メートルで止めさせた。
その後、A受審人は、G甲板員を操舵室内で操船にあて、自らは同甲板員の横に立って操船の指揮を執り、ア号の左舷船首方でそのわずかな行きあしに追随するよう、極微速力前進をかけさせ、時折は同室外に顔を出し、博成丸のトランシーバーを通して伝わるかも知れぬア号からの指示を待っていたところ、かき筏標識灯を船首わずか左150メートルに見るようになり、これとの接触を避けることと、いずれア号を右回頭させる指示があるであろうことを考え、11時25分少し前G甲板員に同船の右舷側で待機するよう命じた。
11時25分わずか前A受審人は、ア号の右舷船首46度方向で、曳索が自船の左舷船尾11度方向にやや緊張する状態となったころ、相前後して同船が機関を使用して前進力を強め、自船を追い抜く態勢となって曳索の向きが左舷方に変わり始めたものの、援助方法の打合せや指示もないうちにア号が機関を使用することはないものと思い、同船の動向を十分に監視していなかったので、このことに気付かなかった。
11時26分少し前A受審人は、G甲板員から操船の自由が利かない旨の報告を受けると共に、船体が左方に傾き、ようやく曳索によって横引きされていることを知り、ア号船首が海面上から高く同索が上方に強く緊張して曳航用フックの緊急離脱装置では曳索を外すことができないと判断し、包丁で同索を切断しようと試みるも、船首を右方に振りながら船尾方からア号に引き寄せられた。
一方、B指定海難関係人は、機関停止を令したのち、11時24分防波堤灯台からほぼ062度300メートルの地点で、ア号乗組員から船首の金福丸、船尾の博成丸にそれぞれ曳索をとった旨の報告を受け、操舵室前部中央に立ってなおも連絡員の昇橋を待つ間、金福丸が左舷船首方から右舷船首方に移動したことを知り、折しも船首が再び右方に振れる兆しを見せ、両船に操船援助の指示を与える前に機関を使用して船首を戻しておくこととしたが、金福丸がア号の動きに追従できないと、これを横引きするおそれが生じる状況であった。
しかし、B指定海難関係人は、金福丸がア号の動きに合わせてくれるものと思い、拡声器を用いるなどして機関の使用について両作業船に十分に連絡することなく、11時25分わずか前左舵20度及び極微速力前進を令したところ、船首曳索で金福丸を引いて緩やかに左回頭しながら行きあしが徐々に強まり、同船が自船船首の右舷後方に下がり始め、金福丸が体制を立て直すのを期待するも、同船が船尾方からア号に引き寄せられるのを認めた。
こうして、11時26分防波堤灯台から062度300メートルの地点において、ア号が157度に向首し、行きあしが2.0ノットになったとき、金福丸が247度を向首してその船尾がア号の右舷側前部に直角に衝突し、瞬時に傾斜を増して左舷側に転覆した。
当時、天候は晴で風力3の東風が吹き、潮候は上げ潮の末期であった。
転覆の結果、金福丸は主機及び電気系統ほかに濡損を、ア号は右舷側前部外板に凹損をそれぞれ生じたが、のちいずれも修理され、A受審人が頸椎捻挫及び鼻部挫傷を、B甲板員が頸椎捻挫及び腹部鈍傷をそれぞれ負ったが、両人共に博成丸に救助された。
(原因)
本件転覆は、江田島湾において、ア号が、操船援助の作業船を船首尾に配して中田港港内の浮ドックに入渠する際、機関の使用について同作業船に対する連絡が不十分で、左回頭しながら前進力を強め、船首に付いた金福丸を曳索によって横引きしたことによって発生したが、金福丸が、ア号の動向に対する監視が不十分であったことも一因をなすものである。
造船所の入渠作業責任者が、ア号の浮ドックへの入渠に際し、嚮導を行う船渠長及び操船援助にあたる作業船船長との打合せを実施しなかったことは、本件発生の原因となる。
(受審人等の所為)
A受審人が、江田島湾において、中田港港内の浮ドックに入渠するア号の船首曳索をとって操船援助にあたる場合、同船の動向を十分に監視しなかったことは、本件発生の一因となる。しかしながら、このことは、同人が専らかき筏の曳航に従事していて船舶の操船援助が初めての経験であったにもかかわらず、造船所の入渠作業責任者による援助方法等についての打合せがなかったばかりか、ア号からも停止していた機関を前進にかける旨の連絡がなかった点に徴し、職務上の過失とするまでもない。
B指定海難関係人が、江田島湾において、船渠長として中田港港内の浮ドックに入渠するア号の嚮導を開始し、船首尾で操船援助にあたる作業船に曳索をとったのち、同援助の指示を与える前に船首の振れを戻すつもりで停止していた機関を前進にかける際、その旨を同作業船に十分に連絡せず、船首に付いた金福丸を曳索によって横引きしたことは、本件発生の原因となる。
B指定海難関係人に対しては、その後、入出渠の嚮導を行う際には、作業船と十分に連絡をとり、同種事故の再発防止に努めている点に徴し、勧告しない。
C指定海難関係人が、ア号の入渠作業責任者として、嚮導を行う船渠長を臨時雇用し、操船援助にあたる作業船も臨時用船した際、金福丸がア号の動きにいつでも追従できるよう、船渠長及び作業船船長を交え、予め操船計画を示し、各船間の連絡方法や曳索をとったならば常にア号の動きに注意を払うことなどを説明する事前の打合せを実施しなかったことは、本件発生の原因となる。
C指定海難関係人に対しては、その後、入出渠作業前に船渠長及び作業船船長を交えて打合せを実施し、同種事故の再発防止に努めている点に徴し、勧告しない。
よって主文のとおり裁決する。