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 海難審判庁採決録 >  2004年度(平成16年) >  沈没事件一覧 >  事件





平成16年長審第2号
件名

漁船第二山田丸外1隻沈没事件

事件区分
沈没事件
言渡年月日
平成16年3月23日

審判庁区分
長崎地方海難審判庁(寺戸和夫、原 清澄、清重隆彦)

理事官
花原敏朗

受審人
A 職名:第二山田丸機関長 海技免許:五級海技士(機関)(履歴限定)(機関限定)

損害
山田丸及び作業船・・・船体及び機関が濡れ損、のち復旧

原因
海水系統にある船外吐出弁の閉弁操作不十分

主文

 本件沈没は、海水系統にある船外吐出弁の確実な閉弁操作が不十分で、同弁が半開状態のまま大量の海水が機関室に逆流して滞留し、船体が浮力を失ったことによって発生したものである。
 受審人Aの五級海技士(機関)の業務を1箇月停止する。
 
理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成14年10月8日06時00分
 長崎港港奥
 
2 船舶の要目
船種船名 漁船第二山田丸
総トン数 99トン
全長 33.61メートル
機関の種類 過給機付4サイクル6シリンダ・ディーゼル機関
出力 735キロワット
船種船名 作業船尾田船舶工業NO6
登録長 10.94メートル
機関の種類 4サイクル4シリンダ・ディーゼル機関
出力 40キロワット

3 事実の経過
(1)第二山田丸
 第二山田丸(以下「山田丸」という。)は、同型姉妹船であるZ号(以下「僚船」という。)とともに2そうびき以西底びき網漁業に従事し、A受審人ほか日本人6人と中国人3人が乗り組み、一航海を約50日間として年間6航海を行い、専ら東シナ海の漁場で周年操業を繰り返しており、主機として、B社製の6MG22HX型と称する、間接冷却方式のディーゼル機関を備え、船体中央やや前方に氷倉及び魚倉を、船体前部船底部に1番から5番までの、船体後部船底部に6番から11番までの燃料油タンクをそれぞれ設け、同タンクについては、11タンクの合計で容量が69キロリットルあったが、10及び11番タンクは常時空倉とし、通常船体中央付近の4ないし6番のタンクを使用しており、漁獲物や燃料油の積載条件によって船首喫水は大きく変化するものの、船尾喫水の変化はわずかであった。
 また、山田丸は、垂線間長の間を長さ0.52メートルずつに等分し、最船尾側をマイナス5、舵板支持軸の中心を0として最船首側の51まで、フレーム番号の順数字が付けられていた。
(2)尾田船舶工業NO6
 尾田船舶工業NO6は、昭和62年同船の船長であるCが代表取締役(以下「C取締役」という。)として設立したD社が所有し、定係地を長崎県長崎市に定めた小型木製作業船(以下「作業船」という。)で、主機として、E社製の4ESDG型と称するディーゼル機関を備え、また溶接機用の電圧220ボルト及び一般照明用の電圧100ボルトの各発電機原動機と発電機などを搭載していた。
 そして、作業船は、F社が所有する漁船が帰港した際には、係留中の同漁船に接舷し、主として甲板部関係の溶接修理工事に従事しており、同工事が終了するまでは夜間も船内を無人として、そのまま接舷していた。
(3)F社
 F社は、本社事務所を長崎県長崎市に置き、2そうびき底びき網漁船14隻及び運搬船2隻の自社漁船計16隻を有する以西底びき網漁業専業の水産会社で、船体や機関の修理及び整備、燃料油及び船用品など船舶の運航に関わる手配については、社内の事業部に属する船舶資材課が一括管理していた。
 また、同社は、関連会社として、G社及びH社など数社を擁していた。
(4)係留中の修理工事
 山田丸は、日頃から、操業を終えて長崎県三重式見港で水揚げを済ませたのち、長崎市の旭大橋西側にあってF社の本社事務所がある岸壁(以下「係留岸壁」という。)に、僚船と舷を接して係留することとしていた。
 そして、山田丸は、係留中、船体についてはD社が、機関についてはH社が、事前に注文を受けたそれぞれの修理工事を行うこととなっており、着岸して係留作業が終了した時点で、F社船舶資材課長I、船長J、A受審人、C取締役及びH社工場長Kが、現場を確認しながら工事の内容を打合せ、同打合せが済めば船長以下の乗組員は全員帰宅し、発航前の資材積込みや補油の当日まで帰船することはなく、この間の工事は、基本的に乗組員の立会いがないままD社とH社両社の作業員のみで行われ、必要に応じてI課長が工事の監督を行い、工事内容などに疎漏があった場合には、特に船長や機関長が帰船して指示を与えるようになっていた。
(5)長崎港の浦上川河口付近
 前示の係留岸壁は、長崎港の港奥にあり、長崎市を南北に流れる浦上川河口の西岸に位置し、一帯の海底は厚さ1.2ないし1.5メートルの軟泥層があり、海図記載の最低水面下の水深は、2.2ないし2.3メートルであった。
 そして、係留岸壁から約900メートル南の水ノ浦地区においては、最低水面上の平均水面が1.67メートルで、大潮時には干満差が3メートルを超えることが多く、これまで、同岸壁に係留中の船舶が、干潮時に船体を軟泥層下の海底に接触させることがまれに発生していた。
 平成14年10月4日、同河口付近は、同月6日の新月を控えてその後徐々に干満差が大きくなり、6日には干満差が3メートルを超え、その後潮高は、7日20時35分に327センチメートル(以下「センチ」という。)、8日02時56分に18センチ、同日09時07分に333センチとなる状況であった。
(6)主機の冷却海水系統
 同系統は、船底弁からの海水が、電動機駆動の主機冷却海水ポンプで吸引加圧され、呼び径80ミリメートル(以下「ミリ」という。)の出口主管から呼び径65ミリの枝管に分岐し、空気冷却器、潤滑油冷却器、清水冷却器を順次経て船外吐出弁(以下「船外弁」という。)に至るものと、呼び径40ミリに分岐して軸封装置に導かれるもの、さらに呼び径65ミリの枝管から呼び径25ミリに分岐して、減速機用潤滑油冷却器を経て船外弁に至るもの及び増速機用潤滑油冷却器を経て船外弁に至るものなど計4系統があった。
 各船外弁のうち呼び径65ミリの船外弁は、機関室右舷側の同室床板から約1.5メートルの高さにあり、弁の上下を逆にしてバルブハンドル車が下を向いて取り付けられ、逆止め弁ではなかった。
 ところでA受審人は、呼び径65ミリの船外弁を閉めるとき、腕力のみでバルブハンドル車を回し、同車が固くなったところで弁が完全に閉まったものと考え、以後閉弁時にこの状態を再現できるよう、同車の1箇所に赤色の塗装で印を付け、この印が閉弁作業を行う自分の身体の正面位置となったことで、確実な閉弁状態の目安としていたが、実際には、その状態では同弁が半分しか閉まっておらず半開状態となっていた。
(7)船外弁の排出口
 山田丸は、前示呼び径65ミリの船外弁の排出口を、フレーム番号12と13の中間あたりで船尾から約9.5メートルの右舷外板に設け、船首2.5メートル船尾3.8メートルの満載喫水時には、同排出口の中心が海面上31センチの高さにあり、船体の各寸法から算出すると、船首1.6メートル船尾3.8メートルの喫水時には、同排出口の高さは60センチと算出され、また、この状態で右舷に1度傾くごとに、同高さは6センチずつ海面に接近する船体の形状であった。
(8)沈没に至る経緯
 山田丸は、僚船とともに2そうびき以西底びき網漁業に従事するため、平成14年8月18日09時長崎港の係留岸壁を発して東シナ海の漁場に向かい、翌々20日漁場に至ったのち操業を続け、越えて10月3日18時操業を終えて帰途につき、翌4日03時三重式見港に帰港して直ちに水揚げを行い、同日04時30分水揚げを終了して係留岸壁に向かった。
 係留岸壁に帰着した山田丸は、僚船が、船首尾及び左舷前後方それぞれに各1本計4本の係留索を取って岸壁に係留していたことから、同船の右舷側に自船の左舷側を接舷し、船首尾それぞれに岸壁から直径7センチの合成繊維製係留索1本をそれぞれ取り、両船の間に二重の古タイヤ多数を防舷材として挟み、船首方と船尾方のビット2箇所で、両船をつなぐロープを3ないし4巻きとして緩めに結索し、4日08時両船ともに船首を北に向けた状態で接舷作業を終えた。
 A受審人は、平成12年5月から機関長として乗船し、平素から係留や接舷作業の終了と同時に機関の手仕舞い作業を行い、同終了の10分後に主機や発電機を停止したのち、いつも主機冷却海水の船底弁1個及び出口系統の船外弁3個をそれぞれ閉弁としていたが、うち呼び径65ミリの船外弁については、バルブハンドル車に自身が付けた目印が、日頃から閉弁状態と考えていた位置に定まり、且つバルブハンドル車が固くなったので同弁が完全に閉まったものと思い、補助具であるバルブハンドル回しを使用したり、弁リフトの長短を確認するなどして、確実な閉弁の操作を十分に行わなかったので、同弁が半開状態のままとなっていることに気付いていなかった。
 平成14年10月4日朝、僚船に接舷した山田丸は、船内の燃料油タンクに燃料油29トン及び清水タンクに清水6トンを保有し、加えて右舷トロールウインチの曳索を搭載していたことから、接舷終了時の喫水は、船首1.6メートル船尾3.8メートルで、右舷側に約1.5度傾いていた。
 そして、山田丸は、接舷作業終了後、あらかじめI課長宛に要請していた船体及び機関関係の修理の打合せを行い、その後、J船長以下乗組員は全員帰宅して休業とし、長崎地方の祭事である「長崎くんち」最終日の10月9日朝から、操業用の燃料油や食料などの積込みを行って同月11日に出港予定としていた。
 ところが、山田丸が接舷作業及び工事の打合せを終えて船内無人となった10月4日午後、事前に各燃料油タンクへの補油量の連絡を受けていたG社は、いつも専属に同船の補油を担当しており、補油の要領も十分に把握していたので、I課長やJ船長及びA受審人などに何の連絡もしないまま、船体中央やや後方にある4、5、6及び7番の同タンクに合計約19トンの燃料油を補給し、これによって山田丸は、船尾喫水が殆ど変わらない船型であったものの、主機冷却海水の船外排出口がわずかに海面に近づくこととなった。
 そして、山田丸は、翌5日08時、甲板部の修理工事を行う目的で、作業船が山田丸と互いに右舷を対して接舷し、C取締役は、作業船の溶接機などを使用して工事を進め、午前中の工事を終えた時点で、同日午後、翌6日及び翌々7日の両日を休業日とし、作業船を山田丸に結索したまま船を離れた。
 一方、機関部の修理作業は、甲板部同様、5日朝からH社が担当して工事を開始し、同社の仕上組立工員であるLは、上司から指示された主機冷却海水ポンプ出口の呼び径80ミリ長さ40センチのエルボ(以下「ポンプ出口のエルボ」という。)、冷凍機用コンデンサー冷却海水ポンプ出口管及び主機駆動甲板機械用油圧ポンプ配管の修理工事をするため、1人で機関室に赴き、同日09時3箇所の配管を取り外し、同油圧ポンプの配管については、同日午前中に取付けを終了したものの、ポンプ出口のエルボと同コンデンサー冷却海水ポンプ出口管の2本については、「長崎くんち」休業明けの8日に取り付ける予定で、同管を取り外したまま5日午後から休業に入った。
 このときL工員は、残された海水配管のポンプ側端と出口管端を見て、海水が漏れたりしていないので、船底弁及び船外弁とも確実に閉まっているものと考え、両端の管口にウエスを詰め込んで異物などが管内に入らないよう処理し、機関室を後にした。
 こうして山田丸は、接舷時とほぼ同じ船首尾の喫水をもって、右舷側に1.5度傾き、主機冷却海水の船外排出口の底縁が海面上47.5センチの位置にある状態のもと、右舷側に作業船をつないで5日午後から昼夜ともに船内無人のままとなり、大潮の潮高差の最も大きくなる日を迎えた。
 なお、平成14年10月6日から8日にかけての、長崎港水ノ浦地区の潮高は、つぎのとおりであった。

日付 時刻 潮高(深さ)
10月6日 01時39分 56(416)
07時36分 324(684)
13時56分 21(381)
20時01分 328(688)
10月7日 02時17分 33(393)
08時21分 334(694)
14時38分 30(390)
20時35分 327(687)
10月8日 02時56分 18(378)
09時07分 333(693)
15時20分 49(409)
21時08分 319(679)
潮高、深さの単位はセンチ、下一桁を四捨五入
( )内は、同時刻における接舷地点の海面から海底までの深さ(最低水面下の水深を230センチ、海底の 軟泥層を130センチとして計算)
 
 山田丸は、6日の01時39分と13時56分、7日の02時17分と14時38分の干潮時においては、船体の海底接触を辛うじて免れたものの、8日02時56分の干潮時には、船尾喫水の値が海面から海底までの深さの値を超えて船尾材が海底に接触し、右舷側に結索していた作業船の重みで右舷側への傾斜を更に大きくし、右舷側の主機冷却海水船外排出口が海面にまで倒れ込み、海水が、半開状態であった船外弁から逆流し始め、取り外されたままとなっていた海水ポンプの出口管から機関室に噴出することとなった。
 こうして山田丸は、逆流した海水が機関室に大量に滞留したことから、浮力を失って海中に没し、機関室に流れ込む海水の増加につれて右舷側への傾きを一層大きくし、やがて右舷側につないだ作業船を海中に引きずり込んで同船を完全に水没させ、左舷側につないだ僚船を自船側に強く引き寄せた状態で僚船を右舷側に10度傾かせ、自船の船底を海底に横たえたまま潮位が上昇し、平成14年10月8日06時00分、長崎港旭大橋橋梁灯(L1灯)から真方位340度60メートルの地点において、上甲板近くにまで海水が流入し、そのわずかのち操舵室のみが海面上に突き出た模様を、また少量の燃料油が海面に拡がっている状況を、通行人によって発見された。
 当時、天候は曇で風力1の北北東風が吹き、潮候は上げ潮の中央期で、港内は穏やかであった。
(9)本件後の経過
 A受審人及びJ船長をはじめ山田丸の関係者は、F社の事業部長や知人などから自船の沈没を知らされ、それぞれ急ぎ現場に到着し、僚船の船長兼漁ろう長が、僚船と山田丸とをつないで強く張っていたロープを切断したところ、僚船は瞬時に傾斜がない状態に復原したが、山田丸はそのまま何の変化も現れなかった。
 山田丸は、僚船を移動させたのち、潜水作業員によって、燃料油タンクの空気抜き管を密封するとともに海底接触の様子を点検し、プロペラ羽根の下半分が海底の軟泥層に埋まっていること、船体が船尾側に5度右舷側に27度それぞれ傾いていること、作業船と自船とのもやい綱は切れずに両船はそのまま一体となって水没していることなどが判明し、また、10月14日サルベージ会社のクレーン船による吊り上げ作業の途中、主機冷却海水系統の海水ポンプ出口管から海水が噴出していること及び船外弁が半開状態であったことなどが確認された。
 山田丸は、造船所に上架され、その後、半開状態であった船外弁の取替えを含めて、濡れ損した主機遠隔操縦装置、主配電盤及び電気配線などを新替えし、主機や発電機原動機は洗浄と乾燥の処置を施し、作業船も、のち、船内にエアバッグを取り付けて浮上を果たし、山田丸と同様の修理を行い、両船とも船体及び機関を旧に復した。

(原因)
 本件沈没は、入港して僚船に接舷したのち、機関運転の終了作業に伴って主機冷却海水系統の船外吐出弁を閉める際、同弁の確実な閉弁操作が十分に行われず、同系統の配管の一部が取り外されたまま船内を無人として係留中、干潮時に船底が軟泥層に埋まって海底と接触し、船体が右舷側に傾斜して、主機冷却海水船外排出口から大量の海水が機関室に逆流して滞留したことから、船体が浮力を喪失したことによって発生したものである。
 
(受審人の所為)
 A受審人は、入港して僚船への接舷を終え、機器の修理で主機冷却海水系統の配管の一部が取り外されたままとなる状況のもと、機関の運転を終了して同系統の船外吐出弁を閉める場合、機関室に海水が逆流したりすることのないよう、同弁の確実な閉弁操作を十分に行っておくべき注意義務があった。ところが、同人は、いつものように船外吐出弁を腕力のみで閉め、バルブハンドル車に自身で付けた目印が閉弁状態と考えていた位置に定まり、且つバルブハンドル車が固くなったので同弁が完全に閉まったものと思い、補助具であるバルブハンドル回しを使用したり、弁リフトの長短を確認するなどして、確実な閉弁の操作を十分に行わなかった職務上の過失により、同弁が半開状態となっていることに気付かず、右舷側に小型の木製作業船を結索した状態で船内を無人として係留中、下げ潮につれて船底が軟泥層に埋まって海底と接触し、わずかな右傾態勢から作業船の重みで傾斜を増して主機冷却海水の船外排出口が海面下となり、開放状態の管端口から海水が機関室に逆流し、大量の海水が同室に滞留して浮力を喪失する事態を招き、同排出口側への傾斜を更に増して小型の作業船を引きずり込みながら共に沈没するに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の五級海技士(機関)の業務を1箇月停止する。

 よって主文のとおり裁決する。





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