(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成15年3月1日16時00分
相模湾
2 船舶の要目
船種船名 |
押船第五十一興生丸 |
起重機船甲子園弐号 |
総トン数 |
115トン |
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全長 |
26.45メートル |
52.00メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
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出力 |
882キロワット |
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3 事実の経過
(1)第五十一興生丸
第五十一興生丸(以下「興生丸」という。)は、船首船橋型の鋼製押船で、船首楼甲板にはウインドラス1台と2本柱ボラード(以下「ボラード」という。)3組が、上甲板の両舷居住区出入口扉付近にはそれぞれボラード1組が、後部甲板には2個のリールがついたウインチ1台と大型ローラー2個が設置されていた。操舵室には、操舵装置、レーダー1台、GPS装置、測深儀などの航海計器や海上安全情報を得るためにナブテックス受信機が備え付けられていた。
(2)甲子園弐号
甲子園弐号は、非自航の鋼製起重機船で、船首部に180トン吊りの起重機とウインドラス2台、後部には乗組員の食堂、風呂部屋、発電機室などが入ったハウスが装備されており、中央部は作業甲板となっていた。また、ハウス後方の後部甲板は押船の船首を嵌合させるために凹部となっており、その両舷最後部にはボラード1組とビット1本が押船と起重機船を結合するワイヤーロープを掛けるためにそれぞれ備え付けられていた。
(3)興生丸と甲子園弐号との結合模様
興生丸の船首を甲子園弐号の後部凹部に嵌合させ、結合用ワイヤーロープをもって両船を結合させ、全長70.45メートルの押船列(以下「興生丸押船列」という。)を構成していたが、両船は常にペアとなって作業に当たっていたので、このワイヤーロープを解纜して両船を分離するのはドックに入るときのみであった。
興生丸のウインチに付けられた2個のリールからそれぞれ1本ずつ直径46ミリメートル(以下「ミリ」という。)のワイヤーロープ(以下「主ワイヤーロープ」という。)を後方に引き出し、それぞれを同じ舷側の大型ローラーを介して前方に伸ばして先端のアイ部を甲子園弐号の両舷最後部のビットに掛けた上で、ウインチを巻き込んで両船を結合していた。
同時に甲子園弐号の両舷最後部のボラードと、興生丸の両舷居住区出入口扉付近のボラードとを同じ舷同士で、それぞれ長さ約21メートル直径40ミリのワイヤーロープ(以下「従ワイヤーロープ」という。)でバイトにとって係止していた。
これらのワイヤーロープの更新や交換については、損傷等を生じたときはその都度行っており、特に従ワイヤーロープは損傷がなくても半年に1回は定期的に交換を行っていた。
また、A受審人が本件発生前に主及び従ワイヤーロープを点検したときには、損傷等はなかった。
(4)受審人A
A受審人は、昭和45年ごろに船員となり、同48年に現在の四級海技士(航海)に相当する乙種一等航海士の海技免状を取得し、同63年にはB社に入社し、以来押船や作業船に航海士や船長として乗り組み、興生丸には平成13年から船長として乗船していた。
(5)当時の気象海象情報
平成15年3月1日朝には九州地方にあった低気圧が発達しながら東に向けて急速に移動していたので、相模湾では次第に天候が悪化することが予想されていた。同日11時12分横浜地方気象台から、相模湾を含む神奈川県東部及び西湘に強風波浪注意報が発表された。その内容は、1日昼過ぎから2日明け方にかけて南よりの風が最大18メートルと強まり、波の高さは相模湾で4メートルとなる見込みで、船舶等は強風や波浪に注意するようにとのことであった。
これらの情報は、テレビ、ラジオ等のメディアを通じて流されていたうえに、船舶向けに流している海上安全情報をナブテックス受信機で受信することも可能であった。
興生丸押船列における気象海象情報の入手方法は、甲子園弐号の食堂と興生丸の船員室にあるテレビや携帯電話による船舶気象通報、船橋に設置されたナブテックス受信機などがあったが、ナブテックス受信機は興生丸に直接関係のない情報まで受信するので確認作業が煩雑となるという理由から、電源を断としていて利用されていなかった。
当時A受審人が利用していた船舶気象通報とは、下田海上保安部の専用ダイヤルに電話をして得られる、舞阪灯台、御前埼灯台、石廊埼灯台、神子元島灯台及び伊豆大島灯台で観測された風向、風速、気圧などの現況データのことで、30分毎に更新されるものであった。
(6)本件に至る経緯
興生丸は、A受審人ほか5人が乗り組み、船首2.2メートル船尾3.4メートルの喫水をもって、船首1.2メートル船尾2.5メートルの喫水となった甲子園弐号を船首に結合して興生丸押船列を構成し、神奈川県小田原漁港で離岸堤築造工事に従事していたが、3月1日09時ごろテレビの気象情報と携帯電話での下田海上保安部の船舶気象通報を確認したところ、低気圧が西から接近しており、相模湾で荒天が予想されたものの、小田原の西方海域は平穏であったので、午前中は工事を実施したのち、午後から工事を中断して、避難のために工事現場を離れることとした。
当時、低気圧は発達しながら、東へ向けて急速に移動しており、11時12分横浜地方気象台から相模湾が含まれる神奈川県東部及び西湘に強風波浪注意報が発表されていたが、A受審人は、午前中の作業中及び作業終了後も、船橋に備えてあるナブテックス受信機やテレビの気象情報で気象海象に関する情報を十分に確認せず、強風波浪注意報の発表もその内容も知らなかった。
12時10分A受審人は、前回確認した気象情報と小田原漁港での気象模様からは急速に相模湾の気象海象が悪化するとは考えず、荒天となるまでしばらくは猶予があるものと思い、最寄りの避泊地である真鶴港又は熱海港に避難せず、小田原漁港を基地である三崎港向け発した。
発航した時、A受審人は、江ノ島灯台から257度(真方位、以下同じ。)16.2海里の地点から機関を全速力前進の6.5ノットの対地速力(以下「速力」という。)とし、自動操舵により針路を106度に定めたものの、折からの風力3の北風の影響で右方に圧流されて110度の方向へ進行した。
13時10分A受審人は、神奈川県大磯町の南南西方沖合6海里付近にて、北寄りの風が風力4となったとき、携帯電話で再度下田海上保安部の船舶気象通報を聞いたが、前回とあまり変化がなかったので、三崎港に向けて続航した。
13時48分A受審人は、江ノ島灯台から219度9.4海里の地点に達したとき、風が北寄りから南寄りに変化するとともに、風力5と強くなって、波高が1メートルを超えるようになり、船体のローリングが大きくなって、左方に圧流されて進行方向が089度となり速力も5.2ノットまで逓減した。このとき同人は、反転して後方から風波を受けるよりは前方から受けていたほうが、主及び従のワイヤーロープに対する衝撃が少ないと考え、自動操舵を手動操舵に切り替えてそのまま三崎港に向けて進行した。
15時ごろA受審人は、乗組員を甲子園弐号に移乗させて甲板上の荒天準備をさせていたが、同時20分江ノ島灯台から167度7.2海里の地点で、ますます南寄りの風波が増大し、速力が3.0ノットまで低下して続航中、16時00分江ノ島灯台から153度7.8海里の地点において、増大する船体動揺の衝撃によって耐えられなくなったワイヤーロープが次々に切断した。その後、甲子園弐号は乗組員5人を乗せたまま漂流して鎌倉市材木座海岸に乗り揚げた。
当時、天候は雨で風力6の南西風が吹き、波高約3.5メートルであった。
その結果、興生丸は三崎港に自力入港したが、上甲板右舷側の従ワイヤーロープをとっていたビットなどが損傷し、甲子園弐号は船底部に凹損を生じた。
(原因)
本件遭難は、相模湾において、荒天が予想される状況下、工事を中断して避難しようとする際、気象海象に対する情報収集が不十分で、強風波浪注意報が発表中であることを知らないまま、最寄りの避泊地に避難することなく、離れた基地である三崎港に向け航行したことによって発生したものである。
(受審人の所為)
A受審人は、相模湾において、強風波浪注意報が発表されて荒天が予想される状況下、工事を中断して避難しようとする場合、ナブテックス受信機の情報を確認するなど気象海象に対する情報収集を十分に行うべき注意義務があった。しかしながら、同人は、船舶気象通報による伊豆大島等の風速風向の現況を調査しただけで、荒天となるまでしばらくは猶予があるものと思い、気象海象に対する情報収集を十分に行わなかった職務上の過失により、強風波浪注意報が発表されていることを知らないまま、興生丸押船列を最寄りの避泊地に避難させることなく、離れた基地である三崎港に向け航行中、船体動揺の衝撃により連結用ワイヤーロープが切断し、その後、甲子園弐号を漂流させて乗り揚げさせ、興生丸の上甲板右舷側のビットなどを損傷させ、甲子園弐号の船底に凹損を生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。
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