(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成15年8月5日03時00分
瀬戸内海 備讃海域西部 神島南東岸
2 船舶の要目
船種船名 |
貨物船新天神丸 |
総トン数 |
199トン |
全長 |
56.815メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
588キロワット |
3 事実の経過
新天神丸は、鋼製貨物船で、A受審人及びB指定海難関係人並びに一等航海士の3人が乗り組み、空倉のまま、船首0.4メートル船尾2.4メートルの喫水をもって、平成15年8月4日21時20分兵庫県姫路港を発し、広島県福山港に向かった。
ところで、A受審人は、船主兼船長として福山港等を基地とした瀬戸内海各港間のスクラップ等の輸送に従事し、月間10ないし14航海に及んでいた。航海が荷役及び航行時間の長短やその他運航事情等が種々変化する内航船舶特有の厳しいものであったので、乗組員は生活リズムを乱し易くとりわけ船橋当直者が睡眠不足や疲労の蓄積から特に深夜の船橋当直では居眠り運航に陥るおそれがあった。しかし、運航採算面からできるだけ少人数の乗組員で運航しようとして、船橋当直を適切に実施するために必要な員数の甲板部要員を乗り組ませることなく、その代わりに高年ではあったが単独で船橋当直の経験のあるB指定海難関係人を機関長として雇い入れ、同人を機関当直と兼務させながら船橋当直体制に組み入れていた。そして、当時スクラップ等の輸送が多く、その荷役がほとんど昼間に行われ、しかも同荷役では本船側の手を要しなかったことから、その間乗組員は船務がなく各自自由に休息をとることができる状況でもあったので、船橋当直体制の運営にあたって船長自らは関係先との連絡の都合上から8時から0時までの当直(以下「8-0直」という。)に固定したうえで、B指定海難関係人と一等航海士に0時から4時直(以下「0-4直」という。)及び4時から8時直を1ヶ月交替で行う3人による単独4時間3直制で行っていた。
さて、A受審人は、当日姫路港出航に先立って、夕方荷役終了を待って荷役中に破損した船倉内サイドスパーリング厚板の取替え及び同受け金具の修理を荷役会社手配の鉄工修理班によって乗組員全員が補助しながら行い、その後不具合であったハッチカバーのチェーン等の調整作業を乗組員のみで行った。一連の作業終了後、21時過ぎ自らが出航操船に続いて8-0直に就き、その後B指定海難関係人が0-4直の予定であった。しかし、乗組員が日中の荷役中が船務のない自由な時間であっても必ずしも休息を十分にとり得るとは限らず、特に深夜当直に就く予定のB指定海難関係人が荷役後から諸作業に続いて深夜当直を行い得るか否か、また出航当日起床してから予定当直を終えるまで長時間を経過することや同人が高年であることを考慮すると4時間もの深夜当直を行わせることに不安があり、同深夜当直の変更或いは軽減などの措置をとる必要があった。
ところが、A受審人は、B指定海難関係人に前示作業に続いて出航機関業務に就かせ、更に深夜の船橋当直を行わせようとしたが、同人が船務のなかった昼間の荷役中に休息を十分にとり得た状況であったことから同人に予定した深夜の0-4直を行わせても支障ないものと思い、同深夜当直の一部変更或いは軽減など居眠り運航の防止措置を十分にとることなく、予定の当直を行わせることにし、自らは出航操船に続いて当直にあたって播磨灘北西部を西行した。
一方、B指定海難関係人は、前日姫路港着岸から出航当日の揚げ荷役終了まで自室などで自由に時間を過ごしたものの、約1時間の昼寝をとっただけで夕方の荷役終了を待って前示作業にあたった。続いて出航すると機関室に入って1時間近く機関の点検見回り等の機関業務に就き、その後入浴及び食事をとり、23時45分播磨灘北西部にあたる岡山県黄島付近で当直のため昇橋し、当直中のA受審人と交替してその後の単独船橋当直に就いた。
当直交替の際、A受審人は、翌5日早朝福山港沖着1時間前にあたる午前4時ころ岡山県黒土瀬戸に達する予定でその手前でいつものとおり昇橋するつもりであったので、B指定海難関係人に対しては特に同昇橋地点や時刻を指示しなかった。当直交替後、船橋下の部屋で宇野港沖を過ぎるまでの狭水道水域の航行状況を見張っていた。
単独当直に就いたB指定海難関係人は、その後宇野港沖から下津井瀬戸を経て水島航路を横断し、翌5日01時48分六口島灯標から000度(真方位、以下同じ。)700メートルの地点に達したところで、針路を270度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけたまま潮流に乗じて11.0ノットの対地速力で西行した。
こうして、B指定海難関係人は、前示連続する狭い水道を無事に通航し得て塩飽諸島北部海域に至り、しばらくの間転針も要しない広い水域を航行するようになったことから安堵するようになった。そして、それまでの緊張の解れや起床してから昼寝のほかは長時間休息をとらない状態であったので、立直するなどして眠気を払いながらも当直の後半には眠気を催した状態で当直を続けていた。
ところが、02時51分B指定海難関係人は、予定より約1時間早く、入港用意のための船長の昇橋及び発電機の駆動を主機から補機に切り換え等自らの機関室入室の時期で黒土瀬戸に向かう地点にあたる神島外港西防波堤灯台から132度1.2海里の地点に達したとき、依然眠気を催した状態であったが、遠慮なく船長に昇橋を求めることによって居眠り運航の防止に十分に努めず、針路を黒土瀬戸に向かう287度に転じ、引き続き眠気状態のままいすに座った姿勢で当直を続けているうちに、居眠りに陥ってしまった。
その後、新天神丸は、黒土瀬戸を水路に沿って適宜転針が行われず、同水路を斜航するように神島南東岸に向首したまま続航し、03時00分神島外港西防波堤灯台から247度1,370メートルの地点において、原針路、原速力のまま神島南東岸の護岸に乗り揚げた。
当時、天候は晴で風力1の東風が吹き、潮候は上げ潮の末期であった。
なお、A受審人は、入港用意のための昇橋時刻が入港1時間前の午前4時ころ黒土瀬戸手前になると予定して自室にて休息中のところ、突然衝撃を感じて急いで昇橋し、事後の措置にあたった。
乗揚の結果、新天神丸の球状船首船底外板に凹損及び護岸に損傷をそれぞれ生じた。
(原因の考察)
本件は、主に瀬戸内海を航行範囲とした荷役と短い航海が昼夜連続する運航にあたる際、船橋当直に必要な要員に代えて高年の機関長に兼務させ、出航当日船務のなかった昼間の荷役終了を待って全員での船内作業後、所定の出航機関業務に就いた同機関長が、続く深夜の単独0-4直中、その後半で居眠りに陥って発生したものである。
よって、生物リズムと居眠りの発生、長時間覚醒による判断力の低下及び加齢と睡眠効率の低下等の点から本件の原因である居眠り運航防止措置不十分について検討する。