(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成15年2月25日16時38分
大分県臼杵湾
2 船舶の要目
船種船名 |
旅客船九州 |
漁船厚栄丸 |
総トン数 |
2,291トン |
2.59トン |
全長 |
98.63メートル |
9.6メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
ディーゼル機関 |
出力 |
5,884キロワット |
132キロワット |
3 事実の経過
九州は、2機2軸の固定ピッチプロペラを備え、船首端から22メートル後方に船橋を有し、D社によって愛媛県八幡浜港と大分県臼杵港との間に定期運航される旅客船兼自動車渡船で、A、B両受審人ほか10人が乗り組み、車両27台及び旅客51人を乗せ、船首3.50メートル船尾4.50メートルの喫水をもって、平成15年2月25日14時35分八幡浜港を発し、臼杵港に向かった。
ところで、A受審人は、出入港時と航海中に必要に応じて操船指揮にあたるほか、船橋当直を3人の航海士により片航海ずつの3直制とし、各直に甲板部員1人を、さらに甲板部員1人を入港30分前から加えて行わせていた。また、A受審人は、厳重な見張りを維持し、漁船を避航するときには機関の使用をためらわず大幅に行うよう、自らの休暇中に船長職を執らせるB受審人以下、各航海士に平素から指導していた。
こうしてA受審人は、八幡浜港での出港操船を終え、14時50分佐島の北方0.5海里付近でB受審人に航海当直を委ねて降橋した。
B受審人は、甲板員と2人で船橋当直につき、ほぼ運航管理規程に定められた第1基準経路に沿って速吸瀬戸南方海域を南西進し、16時08分関埼灯台から107度(真方位、以下同じ。)4.7海里の地点で針路を233度に定め、折からの潮流により2度ほど左方に圧流されながら、機関を全速力前進にかけ、16.0ノットの速力(対地速力、以下同じ。)で、自動操舵により進行した。
16時11分B受審人は、右舷船首34度1.3海里に11.0ノットで南下する総トン数2.88トンのあじ・さば一本釣り漁船E丸を認め、その動向を時々確認しながら続航した。
16時22分B受審人は、関埼灯台から157度4.0海里の地点で、右舷船首88度1.1海里のところを南西進する厚栄丸を視認でき、その後、前路を左方に横切る同船と、その方位が変わらず、衝突のおそれのある態勢で接近したものの、同船に気付かなかった。
そのころ、B受審人は、E丸を追い越したので、その動静監視を打ち切り、その後、同船が船尾方をかわって大分県東深江漁港に向けて南下したことにも気付かないまま進行した。
16時26分半わずか前B受審人は、関埼灯台から171度4.5海里の地点で、厚栄丸と同方位0.8海里に近づいたとき、針路を230度に転じ、潮流により1度ほど左方に圧流されながら続航したところ、その後も、前路を左方に横切る厚栄丸と、その方位がほとんど変わらず、衝突のおそれのある態勢で接近したものの、E丸を追い越したのち、航行中の漁船を見かけなかったこともあり、専ら前路の見張りを行っていて、依然として厚栄丸に気付かなかった。
16時35分B受審人は、関埼灯台から190度6.0海里の地点に達したとき、右舷正横350メートルに接近した厚栄丸を初めて視認し、その後、前路を左方に横切る同船と、その方位が変わらず、衝突のおそれのある態勢で接近するのを認めたが、先刻追い越したE丸が増速して今度は自船を追い越す態勢となったものと思い込んだことから、いずれ厚栄丸が自船の進路を避けるものと思い、同時36分厚栄丸が同方位210メートルに接近したのを認め、注意を促すつもりで汽笛により短音2回を吹鳴し、入港30分前で昇橋していた甲板長を手動操舵につけただけで、機関を停止するなどして同船の進路を避けなかった。
B受審人は、16時37分半、同方位110メートルに接近した厚栄丸を認めて衝突の危険を感じたものの、依然、同船が追越し船であるものとばかり思い込んでいて、船橋右舷側の押しボタンで汽笛により短音5回を吹鳴したのち、同時37分半わずか過ぎ船橋中央の主機遠隔操縦装置を自ら操作して機関を中立とし、甲板長に命じて左舵一杯としたが及ばず、16時38分関埼灯台から194度6.7海里の地点において、210度に向首し、13.0ノットの前進行きあしで、九州は、その右舷船首が、厚栄丸の左舷船尾に後方から7度の角度で衝突した。
当時、天候は晴で風力2の北風が吹き、潮候は下げ潮の中央期で、衝突地点付近海域には約0.3ノットの南東流があった。
A受審人は、自室で休息中に連吹する汽笛を聴いて昇橋し、衝突を知って事後の措置にあたった。
また、厚栄丸は、あじ・さば一本釣り漁業に従事するFRP製漁船で、平成11年8月交付の四級小型船舶操縦士免状を有する船長Cが1人で乗り組み、船首0.5メートル船尾1.1メートルの喫水をもって、同15年2月25日08時00分大分県上浦(臼杵)漁港を発し、速吸瀬戸の高島南方沖合で操業を行った。
16時11分C船長は、関埼灯台から098度2.6海里の地点で、操業を終えて上浦(臼杵)漁港に向け発進し、針路を217度に定め、潮流により2度ほど左方に圧流されながら、機関を全速力前進にかけ、16.5ノットの速力とし、防寒のため耳を覆って目だけを出すように厚手の布を4回ほど顔に巻き付け、手動操舵で進行した。
16時22分C船長は、関埼灯台から163度3.0海里の地点に達したとき、左舷船首76度1.1海里のところに南西進する九州を視認でき、その後、前路を右方に横切る同船と、その方位が変わらず、衝突のおそれのある態勢で接近したが、九州に気付かなかったものか、同時26分半わずか前からは潮流により1度ほど左方に圧流されながら続航した。
C船長は、16時36分同方位210メートルに近づいた九州が汽笛により短音2回を吹鳴したことにも、同時37分半同方位110メートルに接近した同船が短音5回を吹鳴したことにも気付かなかったものか、右転するなどして衝突を避けるための協力動作をとらず、原針路、原速力のまま進行中、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、九州は右舷船首外板及び右舷側後部外板に擦過傷を生じたが、のち修理され、厚栄丸は左舷船尾に擦過傷を生じるとともに右舷側に転覆し、のち廃船処分とされ、C船長は海中に投げ出されて溺死した。
(主張に対する判断)
本件は、九州の右舷船首と厚栄丸の左舷船尾が後方から7度の角度で衝突したものであるが、B受審人は、九州に追い越された厚栄丸が、その後、増速して九州を追い越す態勢となり、九州の進路を避けずに衝突した旨を主張するので、以下この点について検討する。
厚栄丸の速力については、先に認定したとおり、B受審人が衝突の2分前に船橋右端で右舷正横約200メートルに視認していること、九州の運航模様、衝突時刻及び同地点により、16.5ノットとなる。
また、九州の周囲には、当時、厚栄丸及び同船とほぼ同じ大きさのE丸との2隻の小型漁船が存在していて、E丸が、衝突の27分前から九州の右舷側で厚栄丸との間の海域を、次に、衝突の15分前から九州の船尾をかわって同船の左舷側を11ノットで東深江漁港に向けて南下していた一方で、厚栄丸が215度ないし216度の針路、16.5ノットの速力で進行して衝突に至ったものであり、B受審人が主張するところの、衝突の27分前から15分前までの間認めていた南西進する小型漁船は、E丸であって、厚栄丸ではない。
よって、九州及び厚栄丸の相対位置関係から、厚栄丸が漁場を発進してのち衝突までの間、九州の正横後22.5度を超える後方に位置しておらず、両船間に追越し船の航法の適用はなく、横切り船の航法が適用される。
(原因)
本件衝突は、臼杵湾において、両船が互いに進路を横切り衝突のおそれがある態勢で接近中、臼杵港に向け南西進する九州が、前路を左方に横切る厚栄丸の進路を避けなかったことによって発生したが、上浦(臼杵)漁港に向け南西進する厚栄丸が、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
(受審人の所為)
B受審人は、臼杵湾において、臼杵港に向け南西進中、前路を左方に横切る厚栄丸と衝突のおそれのある態勢で接近するのを認めた場合、同船の進路を避けるべき注意義務があった。しかるに、同人は、先刻追い越した漁船が増速して自船を追い越すもので、厚栄丸が自船の進路を避けるものと思い、機関を停止するなどして厚栄丸の進路を避けなかった職務上の過失により、同船との衝突を招き、九州の右舷船首外板及び右舷側後部外板に擦過傷を生じさせ、厚栄丸の左舷船尾に擦過傷を生じさせるとともに転覆させ、C船長が溺死するに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の三級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
A受審人の所為は本件発生の原因とならない。
よって主文のとおり裁決する。