(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成15年6月22日04時30分
関門海峡
2 船舶の要目
船種船名 |
貨物船チュン ナ |
貨物船アレックス |
国際総トン数 |
2,305トン |
1,912トン |
全長 |
91.10メートル |
77.70メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
ディーゼル機関 |
出力 |
1,912キロワット |
1,618キロワット |
3 事実の経過
チュン ナ(以下「チュ号」という。)は、専ら日本及び大韓民国(以下「韓国」という。)両国間の貨物輸送に従事する船尾船橋型貨物船で、韓国籍を有する指定海難関係人A船長ほか同国人6人、ミャンマー連邦人5人及び中華人民共和国人1人が乗り組み、鋼材104トンを積載し、船首1.50メートル船尾4.00メートルの喫水をもって、平成15年6月21日18時45分(日本標準時、以下同じ。)韓国釜山港を発し、神戸港へ向かった。
翌22日04時00分A指定海難関係人は、六連島北方で昇橋し、一等航海士を船長補佐に、甲板手を手動操舵にそれぞれ配して関門海峡通峡の指揮を執り、同時15分ごろ関門海峡西口から関門航路に入航したのち、同航路に沿って航行した。
ところで、関門海峡は、日本海側の玄界灘と瀬戸内海側の周防灘を結ぶ海峡であるが、そのほとんどが関門港内に位置していることから、通峡する船舶は、同港内に定められた関門航路及び関門第2航路に沿って航行するのが常であった。
04時22分A指定海難関係人は、六連島灯台から133度(真方位、以下同じ。)1,200メートルの地点に達したとき、若松洞海湾口防波堤灯台を船首目標とする217度の針路に定め、機関を回転数毎分220の港内全速力前進にかけ、11.0ノットの対地速力(以下「速力」という。)で、法定灯火を表示して、手動操舵によって進行した。
04時24分半A指定海難関係人は、台場鼻灯台から354度1,700メートルの地点で、左舷船首34度2,450メートルのところに、竹ノ子島の陰から現れたアレックス(以下「ア号」という。)の白、白、緑の3灯を視認したが、折しも、関門海峡海上交通センター(以下「関門マーチス」という。)が、ア号に自船の存在を報せているVHF交信を傍受したことや、ア号が関門航路に沿って航行しているのをレーダーで確認したことなどから、互いに左舷対左舷で航過するつもりで続航した。
そして、04時27分半A指定海難関係人は、台場鼻灯台から318度1,180メートルの地点に至ったとき、ア号が、ほぼ同じ方位のまま、1,050メートルのところまで接近して衝突のおそれがある状況となったが、依然として、互いに左舷対左舷で航過するつもりであったので、同船に向けて短5回の発光信号を行ったものの、汽笛での警告信号を行わなかったばかりか、機関を後進にかけて行きあしを停止するなどの衝突を避けるための協力動作をとることもなく進行した。
こうして、04時29分A指定海難関係人は、ア号の方位が明確に変わらないまま、同船から約350メートルのところまで接近したとき、衝突の危険を感じ、汽笛で短1声を吹鳴して右転信号を行うとともに、右舵20度を取り、更に間近に接近したとき、右舵一杯としたが、及ばず、04時30分台場鼻灯台から283度1,400メートルの地点において、チュ号は、船首が320度を向いたとき、原速力のまま、その左舷船尾部とア号の右舷船尾部が、互いの船首が10度開いた角度で衝突した。
当時、天候は雨で風力3の南東風が吹き、視界は約1.5海里であった。
また、ア号は、チュ号と同じく、日本及び韓国両国間の貨物輸送に従事する船尾船橋型貨物船で、韓国籍を有する指定海難関係人B船長及び同C一等航海士ほか同国人5人及びミャンマー連邦人3人が乗り組み、コンテナ貨物など1,259トンを積載し、船首3.90メートル船尾4.60メートルの喫水をもって、同月21日22時30分山口県徳山下松港を発し、韓国広陽港へ向かった。
翌22日02時50分B指定海難関係人は、関門海峡東口まで約5海里の周防灘航路第3号灯浮標付近で昇橋して、同海峡通峡の指揮を執り、03時30分関門港太刀浦ふ頭沖合に達したとき、C指定海難関係人を船長補佐に、甲板手を手動操舵にそれぞれ配して関門航路に沿って西行した。
04時13分ごろB指定海難関係人は、早鞆瀬戸及び大瀬戸を航過して兜山岬沖に至ったとき、前方及び後方に航行の支障となるような他船を見受けなかったことから、船長として通峡を終えるまで自ら操船の指揮を執る責務があったにも拘わらず、自室のテレビで天気予報を見るため、一旦、C指定海難関係人に操船を委ねて降橋した。
C指定海難関係人は、船長から操船を引き継ぎ、04時15分台場鼻灯台から154度1.7海里の地点に達したとき、針路を320度に定め、機関を回転数毎分280の港内全速力前進にかけ、9.0ノットの速力で、法定灯火を表示して、引き続き甲板手による手動操舵によって進行した。
04時24分半C指定海難関係人は、台場鼻灯台から202度850メートルの地点に至ったとき、右舷船首43度2,450メートルのところに、チュ号の白、白、紅の3灯を視認したが、ちょうどそのとき、関門マーチスが同船の接近を報せようとして自船をVHFで呼び出して来たことから、同所とのVHF交信に気を取られ、チュ号の方位変化をレピーターコンパスで測定するなどの動静監視を十分に行わないまま続航した。
そして、04時27分半C指定海難関係人は、台場鼻灯台から260度850メートルの地点に達したとき、チュ号が、ほぼ同じ方位のまま、1,050メートルのところまで接近して衝突のおそれがある状況となったが、依然として、動静監視を十分に行わなかったので、このことに気付かず、関門航路に沿って航行する同船の進路を避けることなく、関門第2航路へ向けて針路を310度に転じて同じ速力で進行した。
こうして、04時29分C指定海難関係人は、チュ号の方位が明確に変化しないまま、同船から約350メートルのところまで接近したが、尚も同船の進路を避けることなく続航中、同時30分少し前至近に接近したチュ号との衝突の危険を感じ、急きょ左舵一杯としたが、効なく、ア号は、原針路、ほぼ9.0ノットの速力で、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、チュ号は左舷船尾部外板に擦過傷を生じ、ア号は右舷側船尾ボートデッキを損壊した。
(航法についての考察)
本件は、夜間、関門海峡において、関門第2航路へ向けて関門航路から航路外へ出ようとするア号と、関門航路に沿って航行するチュ号が、関門第2航路への分岐点付近で衝突した事例である。以下、関連航法について検討する。