(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成14年7月8日06時36分
九州西岸甑海峡北方海域
2 船舶の要目
船種船名 |
作業船新辰丸 |
漁船第八福進丸 |
総トン数 |
657トン |
4.8トン |
全長 |
57.50メートル |
15.14メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
ディーゼル機関 |
出力 |
3,383キロワット |
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漁船法馬力数 |
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90 |
3 事実の経過
新辰丸は、可変ピッチプロペラを備えた2機2軸の船首船橋型作業船で、船長C及びA受審人ほか8人が乗り組み、作業員11人を乗せ、平成13年12月に東シナ海で発生した工作船銃撃事件において、沈没した同船の引揚げ作業に従事する目的で、同14年6月22日横須賀港を出航して同月25日沈没現場に到着し、同作業に従事していたところ、台風5号の接近によって鹿児島県古仁屋港に避難したものの、更に台風6号の接近によって熊本県水俣港に避難することとし、同年7月7日08時35分船首尾とも4.35メートルの等喫水をもって古仁屋港を発した。
ところで、D社は、平成13年12月に国際安全管理規則に基づく適合書類を、同14年5月に新辰丸の安全管理証書をそれぞれ取得し、安全管理マニュアルを定めていたところ、新辰丸が前示工作船の引揚げ作業に従事することに伴い、C船長の要望で航海士を1名増員することとし、横須賀出港の前日にA受審人を新辰丸の三等航海士として雇い入れたが、臨時雇用であったことから、同受審人に対しては同マニュアルに定めた船員担当者による乗船前教育を特に行わず、同船長に教育を一任した。
C船長は、横須賀港出航時以降、船橋当直体制を船長、一等航海士及び二等航海士の3人による4時間交替の単独3直制とし、A受審人を本船の当直業務に慣れるまで一等航海士と同じ当直に入れ、同受審人に対する指導を一等航海士に行わせていた。そして、C船長は、古仁屋港出航時以降、船橋当直を0時から4時まで二等航海士、4時から8時までA受審人、8時から12時まで一等航海士としたうえで、二等航海士の当直時間を1時間延長して同受審人の当直補佐をさせ、5時以降は自ら昇橋して同受審人の指導を行うこととした。
こうして、A受審人は、7月8日04時00分薩摩野間岬の北西方沖合で二等航海士から当直を引き継ぎ、同航海士在橋のもと当直に従事し、05時ごろ船長が二等航海士と交替して在橋中、05時48分甑中瀬灯標から090度(真方位、以下同じ。)2.5海里の地点で、針路を356度に定め、機関を全速力前進にかけ、11.4ノットの対地速力(以下「速力」という。)で自動操舵により進行した。
06時05分C船長は、朝食をとらせるためにA受審人を一時降橋させ、同時20分ごろ同受審人が再び昇橋したところで、付近に注意しなければならない船舶が見当たらなかったものの、漁船に注意するよう指示を与え、再度昇橋するつもりで、同受審人に当直を任せて朝食をとるため降橋した。
06時32分A受審人は、阿久根港倉津埼灯台(以下「倉津埼灯台」という。)から255度5.0海里の地点に達したとき、右舷船首27度1.8海里のところに第八福進丸(以下「福進丸」という。)を視認でき、その後同船が前路を左方に横切り衝突のおそれがある態勢で接近する状況となったが、それまで周辺に他船を見かけなかったことから、近くに船舶はいないものと思い、視界が良かったこともあって作動中のレーダーを活用せず、また、双眼鏡を使用することもなく、右舷前方を含む周囲の見張りを十分に行わなかったので、この状況に気付かず、福進丸の進路を避けないまま続航した。
06時35分わずか過ぎA受審人は、右舷船首27度700メートルのところに福進丸を初めて視認し、衝突のおそれがある態勢で接近する状況であったが、それまで同船の存在を認識していなかったので、この状況を判断できず、同船を一瞥して速力が速そうに見えたので自船の前路をどうにか航過するものと思い、直ちに減速するなど避航動作をとることなく続航し、同時36分少し前福進丸が右舷船首方至近になったもののどうすることもできず、06時36分倉津埼灯台から264度4.9海里の地点において、新辰丸は、原針路、原速力のまま、その右舷船首に福進丸の船首が前方から15度の角度で衝突した。
当時、天候は晴で風力1の東風が吹き、潮候は下げ潮の初期であった。
また、福進丸は、汽笛不装備のFRP製漁船で、平成11年11月交付の一級小型船舶操縦士免状を有するB受審人ほか2人が乗り組み、ごち網漁に従事する目的で、船首0.30メートル船尾1.20メートルの喫水をもって、同日05時鹿児島県宮之浦港を発し、甑海峡北方海域の漁場に向かった。
B受審人は、発航後、操舵室天井の開口部から上半身を出して操船に当たり、長島の東岸に沿って南下し、黒ノ瀬戸を通過したのち、05時59分半わずか前小平瀬鼻灯台から252度1,200メートルの地点で、針路を221度に定め、17.0ノットの速力として進行した。
06時08分半B受審人は、倉津埼灯台から306度3.4海里の地点に達したとき、目的の魚礁設置海域の手前にある3浬方貝と称する魚礁の北端に達したことから、魚群探索を行うこととして操舵室の中に降り、速力を減じて3.2ノットとし、魚群探知機の画面を監視しながら手動操舵により同じ針路で続航した。
B受審人は、06時20分左舷船首24度5.3海里のところに新辰丸を初めて視認したが、自船を低速力にしていることから、新辰丸が前路を無難に航過するものと思い、その後同船に対する動静監視を行うことなく、魚群探知機の画面の監視を続け、同時28分少し過ぎ倉津埼灯台から289度3.6海里の3浬方貝の南端に達したものの、魚群を探知できなかったので、更に前方にある目的の魚礁設置海域に向かうこととし、同じ針路のまま機関の回転数を上げ、17.0ノットの速力として進行した。
06時32分B受審人は、倉津埼灯台から275度4.1海里の地点に達したとき、新辰丸が左舷船首18度1.8海里のところを北上しており、その後同船が前路を右方に横切り衝突のおそれがある態勢で接近する状況となったが、魚群探索の間は低速力にしていたので新辰丸が前路を航過したものと思い、次の魚礁設置海域の水深が深くなることから、下を向いて魚群探知機の画面の拡大やレンジの切換え、潮流計の水深調整及び水温計の準備などを行ったのち、引き続き同探知機の画面の監視に当たり、依然として同船に対する動静監視を行っていなかったので、これに気付かず、汽笛不装備で警告信号を行うことができないまま、間近に接近しても衝突を避けるための協力動作をとることなく続航した。
06時36分少し前B審人は、後部甲板で漁具の準備をしながら魚群探知機を見ていた息子の甲板員から魚影が映っているのではないかと指摘され、山立てによって船位を確認するつもりで前方を見たとき、左舷船首至近に迫った新辰丸を視認し、急いで左舵一杯をとったが及ばず、福進丸は、30度左転して船首が191度を向いたとき、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、新辰丸は、右舷側外板に擦過傷を生じ、福進丸は、船首右舷側を圧壊したほか、右舷船尾に損傷を生じたが、のちいずれも修理された。また、福進丸の乗組員1人が25日間の入院治療を要する全身打撲傷を負った。
(主張に対する判断)
新辰丸側補佐人は、「3浬方貝と称する魚礁南端の位置について、B受審人の当廷における供述と原審審判における供述との間に変遷がみられ、また、受命審判官による当時の福進丸の航行状況についての実地検査が行われ、同魚礁の位置の計測も行われたが、その結果、同魚礁南端の位置のみが、質問調書添付の航跡図中に記載の同位置と大きく異なったものとなっている。B受審人の新たな供述に基づくこの検査結果は、同受審人が増速してから衝突するまでの時間を長くして自らの行動を有利にしようとするもの以外の何ものでもなく、信憑性がないとして排斥すべきものである。魚礁南端の位置は、B受審人に対する質問調書及び原審審判調書中の各記載によるべきである。」旨及び「航法の適用について、横切り船の航法は、両船が互いに一定の針路及び速力で航行することが前提であり、途中で速力の変更などを行った場合には、当然に方位が変わるから、同航法の適用はなく、新たな衝突の危険を発生させたとして、船員の常務で判断され、増速して衝突の危険を発生させた船舶がその責任をとるのが一般的である。本件は、両船が互いに進路を横切るも無難にかわる状況下、福進丸が、周囲の状況を確認しないまま衝突直前に増速して衝突のおそれを生じさせたことによって発生したものである。」旨主張するので、以下検討する。