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平成14年第二審第55号
件名

貨物船ゼニス フォーカス貨物船チュン フ衝突事件[原審門司]

事件区分
衝突事件
言渡年月日
平成16年3月12日

審判庁区分
高等海難審判庁(東 晴二、山崎重勝、雲林院信行、山田豊三郎、工藤民雄)

理事官
喜多 保

受審人
A 職名:ゼニスフォーカス水先人 水先免許:関門水先区

損害
ゼ 号・・・中央部右舷側船尾寄りの外板及びブルワークに破口を伴う凹損
チ 号・・・船首部左舷側の外板及びブルワークに亀裂を伴う凹損、左舷錨に曲損

原因
チ 号・・・港則法の航法(避航動作)不遵守(主因)
ゼ 号・・・船員の常務(衝突回避措置)不遵守(一因)

第二審請求者
受審人A

主文

 本件衝突は、関門第2航路を航行するチュン フが、関門航路を航行するゼニス フォーカスの進路を避けなかったことによって発生したが、ゼニス フォーカスが、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
 受審人Aに対しては懲戒を免除する。
 
理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成13年2月2日12時46分
 関門港
 
2 船舶の要目
船種船名 貨物船ゼニスフォーカス 貨物船チュンフ
総トン数 2,035トン 1,288トン
全長 93.00メートル 72.73メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 2,354キロワット 1,029キロワット

3 事実の経過
 ゼニス フォーカス(以下「ゼ号」という。)は、船尾船橋型の貨物船で、大韓民国国籍の船長Bほか同国籍の2人、ミャンマー連邦国籍の8人が乗り組み、フェロシリコン2,667トンを積載し、船首5.10メートル、船尾5.75メートルの喫水をもって、平成13年1月31日12時00分(現地時間)ロシア連邦ポシェット港を発し、関門港に向かい、2月2日10時50分同港六連島区において、六連島東防波堤灯台から103度(真方位、以下同じ。)1,520メートルの地点で錨鎖3節半により仮泊し、水先人の乗船を待った。
 12時17分A受審人は、ゼ号に乗り、水先業務を開始し、同時20分抜錨し、関門港若松区第4区戸畑商港岸壁に向かった。
 B船長は、国際信号旗Hのほか、同岸壁に向かう旨を表示する第2代表旗、Y旗、N旗を連掲し、船橋にあって操船模様を見守るとともに、見張りや機関テレグラフの操作に当たり、甲板員を操舵に当たらせた。
 A受審人は、間もなく関門航路に入り、12時35分若松洞海湾口防波堤灯台(以下「洞海湾口防波堤灯台」という。)から039度1.4海里の地点で針路を216度に定め、若松港口信号所の信号が入港信号に変わったので徐々に増速しながら進行し、そのころ右舷船首53度1.4海里のところに関門第2航路を南東進するチュン フ(以下「チ号」という。)を認め、その表示する国際信号旗により関門港を東へ通過することを知った。
 12時37分A受審人は、機関を全速力前進にかけ、8.0ノットの速力(対地速力、以下同じ。)で続航中、同時38分半洞海湾口防波堤灯台から041度1.1海里の地点に達したとき、針路を195度に転じ、同時40分少し過ぎ同灯台から047度1,600メートルの地点で、更に針路を若松航路入口に向く180度とした。
 12時41分A受審人は、チ号が右舷船首84度950メートルとなったとき、両船が出会うおそれがある態勢で接近する状況であったが、チ号側が関門航路を航行しているゼ号の進路を避けると思い、チ号の動静を監視しながら進行した。
 12時44分A受審人は、チ号が400メートルとなったとき、自船を避ける様子がなかったが、そのうち避航動作をとるものと思い、速やかに行きあしを停止するなどして衝突を避けるための協力動作をとることなく、機関を微速力前進としたのみで、引き続いて警告信号を2回行い、その後も速力があまり低下しないまま互いに接近するので、同時45分少し過ぎチ号が150メートルとなったとき、左舵一杯とし、汽笛による短音2回の操船信号を行い、機関を全速力前進としたが、12時46分洞海湾口防波堤灯台から102度1,250メートルの地点において、161度に向いたゼ号の中央部右舷側船尾寄りのところに、チ号の船首が後方から20度の角度で衝突した。
 当時、天候は晴で、風力4の北西風が吹き、潮候は上げ潮の中央期で、衝突地点付近には微弱な西流があった。
 A受審人は、衝突後左転を続けて若松航路に入り、13時25分戸畑商港岸壁に着け、VHFにより関門海峡海上交通センターにチ号との衝突を伝えた。
 また、チ号は、船尾船橋型の貨物船で、中華人民共和国国籍の船長Cほか同国籍の7人が乗り組み、ボーキサイト1,100トンを積載し、船首3.70メートル、船尾4.60メートルの喫水をもって、同年1月30日07時00分(現地時間)中華人民共和国天津新港を発し、関門海峡経由で兵庫県東播磨港に向かった。
 C船長は、2月2日09時00分長崎県壱岐島東方沖合を航行中、船橋当直を引き継ぎ、見習い航海士とともに当直に当たり、玄界灘を東行し、12時30分六連島西水路第6号灯浮標の南側に差し掛かったころ二等航海士が昇橋したので、見習い航海士を退かせ、二等航海士を操舵に当たらせた。
 12時35分C船長は、洞海湾口防波堤灯台から335度1.2海里の地点で、針路を関門第2航路南西側境界線にほぼ沿う135度に定め、機関を全速力前進にかけ、9.0ノットの速力で、関門港を通過する旨を表示する国際信号旗のK旗、P旗、U旗を連掲して続航し、そのころ左舷船首46度1.4海里のところに関門航路を南下するゼ号を認めた。
 C船長は、ゼ号がまだ遠かったことから短時間のつもりで船橋を離れて自室に戻り、間もなく二等航海士からゼ号が接近する旨の船内電話による報告を受け、12時41分再び昇橋し、左舷船首51度950メートルのところにゼ号を認め、両船が出会うおそれがある態勢で接近する状況であったが、同船が掲げている若松航路を経て若松区の岸壁に向かう旨の信号を読み取れず、同船がそのうち左転して関門航路を東行するものと思い、減速するなどして同船の進路を避けることなく、その様子を見ながら続航した。
 12時43分半少し過ぎC船長は、洞海湾口防波堤灯台から070度800メートルの地点に達し、ゼ号が450メートルとなったとき、同船が少し左転したように見えたことから、間違いなく関門航路を東行すると思い、なおも同船の進路を避けることなく、ゼ号から少し離そうと針路を141度に転じた。
 12時44分半C船長は、関門航路に入り、同時45分関門航路第6号灯浮標を右舷に通過し、同針路で進行中、左転すると思ったゼ号がそのまま接近するので、危険を感じ、同時46分少し前右舵一杯とし、機関を停止したが、間に合わず、同針路、同速力のまま、前示のとおり衝突した。
 C船長は、関門航路に沿ってしばらく東行し、13時30分関門港小倉区において投錨した。
 衝突の結果、ゼ号は中央部右舷側船尾寄りの外板及びブルワークに破口を伴う凹損を生じ、チ号は船首部左舷側の外板及びブルワークに亀裂を伴う凹損を、左舷錨に曲損をそれぞれ生じた。

(航法の適用)
 本件は関門港港域内において発生したものであり、航法については、海上衝突予防法第41条第1項により、同法に優先して港則法が適用され、また港則法第19条第1項により、関門港における特定航法として港則法施行規則第39条第1項第7号に「関門航路を航行する船舶と砂津航路、戸畑航路、若松航路又は関門第2航路(以下この号において「砂津航路等」という。)を航行する船舶とが出会うおそれのある場合は、砂津航路等を航行する船舶は、関門航路を航行する船舶の進路を避けなければならない。」と定められている。
 本件の事実関係から、関門航路を航行するゼ号と関門第2航路を航行するチ号とが出会うおそれがあった場合であるから、港則法施行規則第39条第1項第7号により律することとなる。

(原因の考察)
 事実認定のとおり、ゼ号は定針時以降関門航路をこれに沿って若松航路入口に向かって南下中であり、一方チ号は関門第2航路をこれに沿って関門航路に向かって南東進中であった。
 港則法施行規則第39条第1項第7号により、チ号は避航船の立場にあったのであるから、同船側が減速するなどしてゼ号の進路を避ける必要があった。しかし、チ号側がゼ号の進路を避けなかった。このことは、本件発生の原因となる。
 また、保持船の立場にあったゼ号側としては、避航船の動作のみでは衝突を避けることができないと認める場合は、海上衝突予防法第40条により、同法第17条第3項の衝突を避けるための協力動作をとらなければならず、そのための距離的、時間的余裕があったと認められるので、速やかに行きあしを停止するなどして衝突を避けるための協力動作をとる必要があった。しかし、ゼ号側は速やかに衝突を避けるための協力動作をとらなかった。このことも、本件発生の原因となる。

(主張に対する判断)
 ゼ号側補佐人は、衝突前及び衝突時もチ号において船長が船橋にいなかった旨、及び衝突時関門航路第8号灯浮標は船首方の右に見えたこと、ゼ号の船首方向及び衝突角度から、衝突直前チ号側は操舵を間違えて左転した旨をそれぞれ主張するので検討する。
1 衝突前及び衝突時もチ号において船長が船橋にいなかった旨の主張について
 C船長に対する質問書中、「裸眼、双眼鏡により船橋で見張りをしていた。関門第2航路に入ろうとしたころ肉眼でゼ号を発見した。ゼ号は減速せず、自船の船首を追い越してきた。衝突時時計を見た。」旨の記載、C船長の海上保安官に対する供述調書写中、「追い越して先に関門航路に入った自動車運搬船があり、その動静に注意していた。昇橋した二等航海士と見習い航海士を交替させ、見習い航海士を食事に行かせた。私と二等航海士の2人で当直を行い、操船指揮を私がとり、操舵を二等航海士に当たらせた。12時41分ごろゼ号を認め、その動静に注意していた。」旨の供述記載、C船長の検察官に対する供述調書写中、「チ号の操船責任者として操船指揮をとり、関門第2航路を針路135度、速力9.0ノットで航行しながら関門航路に入ろうとした。ゼ号に気付いた。その後ゼ号の動静に注意した。」旨の供述記載、チ号二等航海士に対する質問書中、「私は見張りと操舵に当たった。12時35分ごろゼ号を肉眼で認めた。12時40分船内電話で船長に報告した。」旨の記載、及びチ号見習い航海士に対する質問書中、「12時31分船長が左舷船首45度1.6海里のところにゼ号を初認した。」旨の記載があり、これら各証拠を勘案すれば、「C船長は二等航海士に操舵させて進行中、12時35分ゼ号を初めて認めた。C船長は短時間のつもりで船橋を離れた。一方チ号二等航海士は操舵中、12時35分ゼ号を初めて認めた。同二等航海士はゼ号の様子を見ていたところ接近するので、同時40分船橋を離れていたC船長に船内電話で報告した。C船長は同時41分昇橋し、接近したゼ号を認め、操船指揮に当たった。」と認められる。
 したがって、衝突前及び衝突時もチ号において船長が船橋にいなかった旨の主張は認められない。
2 衝突直前チ号側は操舵を間違えて左転した旨の主張について
(1)事実認定のとおり、「C船長は、135度の針路で進行中、12時43分半少し過ぎ141度に針路を転じ、12時46分少し前右舵一杯とし、機関を停止したが、12時46分ゼ号と衝突した。衝突時の船首方向は141度で、衝突角度は20度であった。」と認められる。
(2)左舷から接近したゼ号に対してチ号側で左舵がとられたという証拠はない。
(3)衝突時刻の前後においてはゼ号の船首方向は刻々左に変わっていることを勘案すれば、衝突時関門航路第8号灯浮標が船首方の右にあったとは断定できない。
(4)衝突時に同灯浮標が船首方の右にあったとするのはチ号の衝突時の船首方向、衝突角度及び衝突地点に照らして不合理である。
 以上により、ゼ号側補佐人のチ号は衝突前操舵を間違えて左転した旨の主張は認められない。 

(原因)
 本件衝突は、関門港において、六連島東方の錨地から同港若松区第4区に向けて関門航路を航行するゼ号と関門海峡を東へ通過するため関門第2航路を航行するチ号とが出会うおそれがあった際、チ号が、ゼ号の進路を避けなかったことによって発生したが、ゼ号が、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
 
(受審人の所為)
 A受審人は、関門港において、六連島東方の錨地から同港若松区第4区に向けてゼ号の水先業務に当たり、関門航路をこれに沿って航行中、関門第2航路を航行するチ号がゼ号の進路を避ける様子を見せずに間近に接近するのを認めた場合、速やかに行きあしを停止するなどして衝突を避けるための協力動作をとるべき注意義務があった。ところが、同受審人は、そのうちチ号が避航動作をとるものと思い、速やかに衝突を避けるための協力動作をとらなかった職務上の過失により、同船との衝突を招き、ゼ号の中央部右舷側船尾寄りの外板及びブルワークに破口を伴う凹損を生じさせ、チ号の船首部左舷側の外板及びブルワークに亀裂を伴う凹損を、左舷錨に曲損をそれぞれ生じさせた。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同受審人を戒告すべきところ、同受審人が、多年にわたり船員として職務に精励し、海運の発展に寄与した功績により、運輸大臣から表彰された閲歴に徴し、同法第6条の規定を適用してその懲戒を免除する。

 よって主文のとおり裁決する。 

(参考)原審裁決主文 平成14年11月27日門審言渡
 本件衝突は、関門第2航路を関門航路に向けて航行するチュン フが、関門航路を航行するゼニス フォーカスの進路を避けなかったことによって発生したが、ゼニス フォーカスが、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
 受審人Aに対しては懲戒を免除する。


参考図
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