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二 手縄と両帆綱
 弁才船と中世の船の帆装が異なるもう一つの点は、中世の船に両帆綱・脇取綱がないことである。両方綱・脇取綱の出現した時期はつまびらかになしがたいが、一六〇三年(慶長八)刊行の『日葡辞書』に「りょうほ(両帆)」が載り、また慶長一四年(一六〇九)一一月に阿波の蜂須賀至鎮が幕府に進上した大安宅船の請取目録には「わきとりなわ」がみえるから、遅くも十六世紀後期と考えてよかろう。
 絵馬の弁才船が追風あるいは横風・逆風のいずれで走っているかは、両帆綱を見ればすぐにわかる。天保五年(一八三四)に寺泊町(新潟県三島郡)の白山媛神社に奉納された松葉丸の絵馬(図121)のように両舷の両帆綱をゆるく帆柱付近の舷側にとっていれば追風帆走、同じ年に深浦町(青森県西津軽郡)の円覚寺に奉納された安泰丸の絵馬(図122)のように片舷の両帆綱を船首に引いていれば横風・逆風帆走で、風は船首に引く両帆綱の舷の船首寄りから吹いている。ちなみに、安泰丸の場合、船首に引く両帆綱は右舷なので、風の向きは右舷船首寄りである。
 船絵馬を見る限り、横風・逆風帆走時の風上側の両帆綱の引き方は二通りあって、安泰丸のようにゆるく引くか、寺泊町の白山媛神社に奉納された幸丸の絵馬(図123)のように強く引くかである。前者が圧倒的に多く、後者は少ない。もとより、風上側を船首に引くのは裏帆にならないように帆の縁を安定させるためである。
 
図121 天保5年(1834)の吉本善興景映筆の絵馬 
寺泊町の白山媛神社蔵
 
図122 天保5年(1834)の杉本派の絵馬 
深浦町の円覚寺蔵
 
図123 幸丸の絵馬 寺泊町の白山媛神社蔵
 
図124
 
逆風帆走する近世初期の弁才船 大阪歴史博物館蔵『川口遊里図』屏風より







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