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東京財団
「イラクの子どもたちに毛布をおくる運動」
報告書
1. 運動の目的:戦禍に苦しみながらも国家の再建に取り組むイラクの人々に、日本人の善意を示すため、日本全国から寄せられた毛布をイラクの子どもたちにおくる運動。配布の対象となるのは、日本の自衛隊が人道復興支援活動を行うムサンナ県サマーワ市とその周辺地域。
 
2. 実施期間:2004年1月29日〜2004年12月28日
毛布受付期間:2004年1月30日〜2004年5月7日
寄付金受付期間:2004年1月30日〜2004年6月30日
毛布配布期間:2004年8月16日〜2004年10月30日
3. 実施体制
・主催:東京財団
・賛同者:明石康(日本紛争予防センター会長)、大宅映子(評論家)、加藤タキ(タキ・オフィス主宰)、黒田壽郎(アラブ問題専門家)、紺野美沙子(女優)、千玄室(日本国際連合協会会長)、相馬雪香(難民を助ける会会長)
・後援:外務省、経済同友会、国際協力機構(JICA)、青少年育成国民会議、日本アラブ協会、日本国際連合協会、日本紛争予防センター、日本ホテル協会、難民を助ける会(AAR)、防衛庁、UIゼンセン同盟
・輸送協力:日本通運株式会社
 
4. 実施方法
・賛同者による記者発表、後援団体の協力、自民党議員有志による街頭募金等を通じて日本全国の人々に毛布と寄付金の提供を呼びかけた。呼びかけに際しては、ちらしとポスターを作製し配布するとともに、財団ホームページにもその内容を掲載する一方、後援団体、協力団体が広報記事の掲載を行った。
・「毛布」にはタオルケットを含むこととし、新品だけでなく、中古品でもクリーニングしたものであれば可とした。ただし、子供用のものは対象外とした。
・「寄付金」は、海外輸送費の一部として毛布1枚につき500円(郵便振替)を要請する一方、それとは別に任意の寄付金も受け付けた。
・寄せられた毛布は、日本通運の手で横浜の倉庫に保管されたのちコンテナに積載して海路クウェートへ、そこから陸路サマーワまでトラックで運び、現地自衛隊の協力を得て宿営地に一時保管した。
・毛布はそこからイマム・モンタズル慈善協会のメンバーにより、セイド・アリー師がムサンナ県各地に設置した配布委員会の元に運ばれた。各配布委員会は、政府が配給する食料クーポンの名簿を基に毛布の配布先リストを作成し、毛布の公正かつ効率的な配布を行った。
・毛布の一部は、上記配布委員会のルートとは別に、政府・政党機関を通じて直接貧困家庭に配布するルート、および障害児の学校、エイズ患者の病院、孤児を抱える宗教団体などを通じて貧困家庭に直接配布するルートを通じて配布された。
・集まった寄付金は、すべて毛布の保管・梱包・輸送費等に充当した。事務局運営費および毛布の集荷、保管、梱包、海上・陸上輸送などに要した現地事業費の不足分は、財団が負担した。
・最終的には30,000枚に上る毛布(タオルケットを含む)が寄せられたが、サイズの問題(子ども用は不可)などで取り除いた分を差し引くと、総数26,574枚となった。
・寄付金は自民党、裏千家など大口寄付を含めて総額24,302,820円に達した。さらに、外務省のNGO支援無償資金協力を要請し、総額9,760,241円の資金贈与を得た。これらの外部資金に対して、支出総額は46,033,752円に上り、財団の最終的な負担額は、11,970,691円となった。
 
5. 実施経過
2004年1月29日(木) 「イラクの子どもたちに毛布をおくる運動」記者発表。
2004年2月13日(金) 自民党安倍晋三幹事長他数十名の自民党議員が有楽町で街頭募金に協力。
2004年3月13日(日) 陸上自衛隊の交代部隊を乗せた政府専用機の余積を利用して毛布第1便2,000枚を積み、千歳空港からクウェートへ出発。翌日クウェート到着。クウェートの倉庫に保管。
2004年3月28日(月)、4月11日(日) 自由民主党神奈川県連合会・横浜市連合会が横浜みなとみらい21にてチャリティー・サーカスを実施。
2004年4月4日(日) 旭川市「イラクの子どもたちに毛布をおくろう」実行委員会の主催でチャリティー・コンサートを開催。
2004年4月15日(木) 大阪府泉大津市にて、毛布製造業者から寄贈された新品の毛布3,861枚の贈呈式挙行。
2004年6月12日(土) クウェートで保管していた毛布2,000枚が、アリアルサレム空軍基地から自衛隊のC130 輸送機により、サマーワ近郊のタリル空軍基地へ輸送され、陸路サマーワ宿営地へ到着。
2004年6月27日(日) 現地自衛隊の協力により、サマーワ市内の4病院に毛布2,000枚の配布を完了。ヒドル病院300枚、母子病院600枚、総合病院600枚、ルメイサ病院500枚。
2004年7月16日(金) 外務省のNGO支援無償資金協力による資金贈与が決定。
2004年7月19日(月) 横浜港の倉庫に保管されていた毛布24,574枚が、8本のコンテナに積載されて同港を出航、海路クウェートへ向かった。
2004年8月16日(月) 毛布第2便24,574枚を積んだコンテナ船がクウェートの港に到着。
2004年8月30日(月) 毛布の第2便が税関検査終了後、陸路クウェートからサマーワ宿営地へ到着。
2004年9月14日(火) 毛布第2便のサマーワから配布センターへの積み出し終了。
2004年9月24日(金) 第2回イラク人招聘実施。イマム・モンタズル慈善協会ドクター・アリーが再来日、毛布の配布状況について説明するとともに、配布リスト、写真・CDなどの資料提出。
2004年9月27日(月) ムサンナ県における毛布の配布がほぼ完了。
2004年10月24日(日) イマム・モンタズル慈善協会ドクター・アリーより毛布配布に関する最終報告書受理。
 報告書によれば、毛布が配布されたのはムサンナ県の次の10市町村:サマーワ(Samawah)、ルマイサ(Rumaitha)、クドハー(Khudhur)、サルマン(Salman)、ヒラル(Hilal)、マジェド(Majed)、ナジミ(Najimi)、ダラージ(Daraji)、ワラカ(Waraka)、フワイシリ(Hwaishili)
 中でも最大都市サマーワには、28の地区に配布センターが設置された。
 
6. 運動の成果
 
現地の人脈作り
 本事業は、多方面から多大な協力を得て実施された。特に、外務省から退避勧告が出されているイラクにおいて2万数千枚の毛布配布を行うという困難な事業であり、防衛庁および現地の自衛隊の協力なくしてはとうてい不可能であった。さらに、現地における配布を可能としたのは、現地に信頼できるパートナーがあったからである。それは当財団の佐々木良昭シニア・リサーチ・フェローが、人道支援業務に関するアドバイザーとして防衛庁の要請によりサマーワへ2度にわたり派遣された際に、現地で行った人脈作りの成果であった。
 
信頼できるパートナー
 本事業では当財団のパートナーとしてセイド・アリー師とドクター・アリーという人材を得た。アリー師は、ムサンナ県を中心に活動するNGO「イマム・モンタズル慈善協会」を主宰しており、全県にわたるネットワークを持っている。また医師のドクター・アリーは同協会の実務面での責任者である。両人とも本事業と平行して実施したイラク人招聘事業において来日し、直接人物を確認することができたため、財団としても安心して現地での毛布配布を任せることができた。現地でのモニタリングが不可能な状況の下で、双方の間に緊密な信頼関係が確立したことが、本事業成功の鍵となった。
 
現地の評価
 ドクター・アリーから提出された最終報告書では、毛布を受け取った住民から高い評価を得たと報告された。すなわち、国際的な人道支援物資が途中で掠め取られることなく、それを必要とする最終受益者の手にすべて届けられたのは、イラクでは今回が初めてであるとの評価である。その評価が妥当なものであることは、ドクター・アリーから送られてきた資料(配布リスト、写真、CD)で十分確認できる。それはまた、セイド・アリー師がまず全体を統括する中央配布委員会、その下部組織としてムサンナ県各地域をカバーする地域配布委員会を設置して、毛布の配布に当たったことからも窺がえる。さらに、毛布の配布方法もいろいろな工夫が凝らされた。
 
現地の工夫
 毛布は1家に1枚と決めてできるだけ多くの家庭に配布したこと、毛布の配布リストを各家庭が政府から受け取る食料クーポンのリストを基に作成したこと、毛布を受け取る際に食料クーポンにスタンプを押すことにより、同じ家族が2枚も3枚も受け取ることのないようにしたこと、各地域で家族全員が集まる学校やモスクを毛布の配布場所と指定したこと、学校やモスクで各地域の配布委員会メンバーが配布状況を監督したことなどである。このような工夫により、公正かつ効率的な毛布配布が実現した。最終報告書では、そういった手法の面でも、今回の事業が今後イラク南部におけるNGO活動のモデルケースになるだろうとの評価がなされた。
 
指摘された問題点
 他方、報告書によれば、イラク人は公正とか公平を大変重視する民族だということがわかる。というのは、今回おくられた「毛布」にはタオルケットが含まれていたため、配布の際、後者は別扱いせざるを得なかったとのことである。さらに、新品と中古品が混在していたこと、色や形や品質にばらつきがあったため、くじ引きで配布する方法を採用するなどの工夫により公平を期したとの報告があった。最後に、数百枚単位ではあるが全体の数量が合わないとか、汚れた毛布が入っていたとの報告もあった。その原因については不明である。しかし、割合から言えば3パーセントに満たないので、やむを得ない「誤差」と考えるしかない。
 
日本国内の反響:大口寄付金
 初期の段階で本運動に大きな弾みをつけてくれたのが、茶道裏千家淡交会からの寄付金200万円と自民党有志議員による募金活動だった。特に後者は、安倍幹事長(当時)自ら有楽町の街頭に立ち、有志の国会議員らとともに市民に募金を呼びかけてくれた他、神奈川県連と横浜市連がチャリティー・サーカスを催すなど地方レベルでも本運動に貢献してくれた。自民党全体としての寄付金は最終的に総額12,850,418円に上った。また、群馬県では自民党の有志がサッカーボールをサマーワの子どもたちにおくるなどの余禄もあった。
 
日本国内の反響:旭川市の場合
 草の根レベルでも、注目すべき出来事がいくつかあった。特筆に値するのは旭川市の場合で、市長の呼びかけで運動に火がつき、有志が「イラクの子どもたちに毛布をおくろう」実行委員会を立ち上げた。市役所が毛布の受け入れ窓口となり、クリーニング工場が中古毛布のクリーニングを無料で提供し、ボランティアがチャリティー・コンサートを開催するなど、街ぐるみの運動に発展した結果、4,000枚を超える毛布を集めることができた。実行委員長が、「旭川市民がこんなに団結できるとは想像していなかった。やればできるということが証明されたとう気持ちだ。」と語っていたのが印象的であった。
 
日本国内の反響:泉大津市の場合
 また、国内唯一の毛布生産地である泉大津市では、業界の威信をかけて本運動に協力してくれた。泉大津商工会議所が毛布生産業者に呼びかけ、4,000枚を超える新品の毛布の提供を取り付けた。そして、運送面でも市内の運送業者が大型トラック2台を提供し、これらの毛布を無料で横浜の倉庫まで運んでくれた。ここでも業界と商工会議所が一体となった運動が展開されたのである。同商工会議所の話では、現在国内の毛布生産量はピーク時の30分の1に落ち込んでおり、輸入品に圧倒されているとのことである。
 
総合評価
 このような状況の下で、子供用も含めると30,000枚に近い毛布が全国から寄せられ、さまざまな人々の協力の下に、ほぼすべての毛布が最終受益者の手元に届けられたことは、主催者として所期の目的を十分達成したと考える。また今回の事業で日本からおくられた毛布が、イラク人の手によって、国家再建をめざす人々の元に届けられたという事実は重要である。なぜなら、セイド・アリー師など今回の事業に携わったイラク人の口から、現地の人々に日本人の善意が伝えられたことは確実だからである。その日本の善意がムサンナ県の住民の記憶に残るであろうことも疑いない。
 
サプライズ
 現地で本事業の陣頭指揮を取ったドクター・アリーは同僚のドクター・バシャールとともに、本事業とは別に、独自の慈善プロジェクトを実施した。彼らは9月末に日本へ招聘されたことに対する恩返しに、自分たちの資金でイラクの子どもたちにラマダンの晴れ着をおくるプロジェクトを実践した。
 ラマダンは日本の正月にあたり、子どもたちはこの時期に晴れ着を着て親戚や友達の家を訪問し合うのである。しかし、ムサンナ県には貧しくて晴れ着の買えない子どもがたくさんいる。そこでアリーとバシャールはそんな子どもたちに、晴れ着を贈ったのである。
 このイラクの青年による晴れ着プロジェクトは、財団にとってはうれしいサプライズだった。本運動とイラク人招聘事業の相乗効果が生み出したささやかだが心温まるエピソードである。







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