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2001年秋号 日本文化
日本の対中ODAをどうする
渡辺利夫
(拓殖大学教授)
ODAはなお「聖域」である
 日本のODA(政府開発援助)予算は、平成十年度に一〇パーセントをこえる削減がなされ、同予算の伸び率はその後連続して一般会計予算のそれを下回ってきた。平成十四年度のODA予算は一段と厳しいものとなろう。日本のODAはかつてない逆風にさらされている。
 日本経済に低迷の色が濃い。財政は巨額の赤字に呻吟している。低迷を断つシナリオはなお不鮮明であり、社会の全体にどんよりとした閉塞感が漂っている。その反映であろう、ODAに対する国民の支持率も減少傾向にある。
 求心力を失った冷戦崩壊後のこの世界において、人々は人種、宗教、言語などの原初的な人間集団へととめどもなく分化の方向にある。分化した人間集団相互の間で地域紛争と呼ばれる不寛容な衝突が、開発途上国を舞台に頻発している。日本は世界に巨大な経済的プレゼンスをもつ一方で、軍事力ならびにこれを背景とする外交の力をもって、国際秩序の形成にのぞむことはできない。憲法の制約のゆえである。
 私はこの制約を残念がっているのではない。憲法を選択したのは他ならぬ月本人である。そうであれば、憲法精神に沿う国際行動には一段の熱意をもって取り組んでいかねばならない。そうでなければ平仄が合わないではないか、と主張しているのである。ODAこそは、軍事力の行使に強い制約を課す日本にとって、国際秩序形成に寄与する重要な行動に他ならない。
 ODAの中核をなすのは、国民が国家に納付する税金である。財政が修復不能ともみえる巨額の赤字を構造化させている現在、節約すべき財政支出は節約されねばならない。しかし「聖域なき改革」というスローガンをもって、すでに一般会計予算の伸びを四年にもわたり下回ってきたODA予算を、さらに削減するという選択はいかにも愚かである。財政がいかに苦しくとも、いな苦しいがゆえに、応分以上のODAを供与しつづける日本の姿勢を国際社会に示す必要がある。
 実際のところ、わが国は一九九〇年代を通じて世界最大のODA規模を誇ってきた。ODAを効率的に運営し、ODAの質の向上を図るべきは当然の要求である。しかし、日本のODAが追求しなければならないのは、量と質の両面である。日本のODA規模は世界最大だとはいえ、国民一人当たりの負担額でいえば、先進二十二カ国中まだ七位である。負担の最も重いグラントのODA総額に占める比率では、二十一位と最低に近い。
 世界最大のODA規模は、日本の国際貢献を象徴する強力な事実である。アメリカやイギリスのODA予算は、冷戦崩壊後十年余を経て、現在、増勢に転じている。日本のODA予算が大幅削減となった場合、「ODA大国日本」の象徴が崩れてしまう。国際政治における「象徴の力」を軽視してはならない。平和国家日本というのであれば、象徴はいよいよ重要な「力の源泉」である。ODAはなお日本の「聖域」だと私は思う。
対中ODAの新論理
 ODAに対する国民的支持が薄れている。最大の理由は、人々がODAといえば対中ODAをイメージするからであろう。
 中国の軍事費増大、核実験、武器輸出、さらには近年の日本の排他的経済水域内での海洋調査船や海軍艦艇の活動といった軍事的プレゼンスの拡大が、日本人に隠然たる圧力を与えている。小泉首相の靖国神社参拝、中学校歴史教科書に対する中国の政府やジャーナリズムの容喙に対する日本人の不快感がこれに加わる。対中ODAへのいつにない風当たりの強さは、これらの要因に由来する日本人の嫌中感情のゆえであろう。
 深刻な経済低迷と巨額の財政赤字を抱える日本が、対中ODAをこれまでのような形で継続していくことはやはり難しいであろう。しかし、それにはそれなりの、理論武装といっては少々強過ぎるが、少なくとも日中双方を納得させる論理的説明が必要である。
 財政が苦しいがゆえのODA削減では「金の切れ目が縁の切れ目」となってしまい、これまでのODA努力が水泡に帰してしまう。嫌中感情が強いがゆえのODA削減であれば、日本のODA理念が崩壊してしまいかねない。以下、日本の対中ODAについて考慮すべき問題を論理的に説き明かしてみたい。
 第一は、供与方式についてである。日本の対中ODAは、中国の経済計画に合わせて数年にわたる供与額を事前に約束するという「多年度供与方式」を採用してきた。日本の対中ODAが一方的に拡大してきたのには、この供与方式に一因がある。この方式では個々のODA案件への目配りが薄くなり、加えて「どんぶり勘定」的な予算編成となりがちである。また中国側がODAを一括供与される既得権益として受け取る傾きがある。既得権益として受け取られるならば、ODAの減額には強い抵抗が生まれざるをえない。
 実は、多年度供与方式は、日本政府の中国政府との粘り強い交渉によって今年度以降「単年度供与方式」に移行することになった。このことは日本の対中ODA方式の改善として大いに評価される。向こう三〜五年にわたる要請案件を、優先順位をつけない「ロングリスト」として中国側から提示させ、各案件の熟度を検討して単年度ごとの供与額と供与案件を日本側が決定するというのが現実的な方法であろう。
 第二は、供与額についてである。多年度供与方式から単年度供与方式への変更によって、対中ODA予算の一方的な拡大に歯止めをかける制度上の変更はすでになされた。中国側から要請される案件を個別に審査し、個々の案件の供与額を積み上げて事後的に集計されたものが対中ODA供与額として計上されるべきである。「案件積み上げ方式」である。
 第三は、供与対象分野についてである。対象分野は、産業インフラ関連プロジェクトから環境・貧困関連プロジェクトヘと大きくシフトしていかねばならない。日本のこれまでの対中ODAは、運輸・エネルギー関連の巨大な構造物(産業インフラ)の建設に対する資金供与が中心であった。
 しかし中国は、現在ではこれらの産業インフラ建設の技術的能力と国内資金を擁するにいたった。実際、あの巨大な三峡ダム建設に要する資金と技術のほとんどは中国国内で調達されており、外国からの支援は限界的なものに過ぎない。ましてや道路、鉄道、港湾、発電所などは中国の技術と資金を用いて十分に建設可能であろう。
 したがって日本の対中ODAは、中国みずからの努力で建設可能なそうした分野から次第に身を引き、中国の自助努力によっては如何ともしがたい、しかし開発上さらには福祉面からみて不可欠な分野での協力に重点を移していかなければならない。中心的分野は環境保全対策と最貧住民対策の二つ、とりわけ前者であろう。環境ODAは日本の今後の対中ODAにおいて決定的な重要性をもつはずである。この点については次節で少し詳しく私の考え方を述べることにしよう。
 第四は、日本のODAの「要請主義」についてである。要請王義は対中ODAに限らず日本のODA全般に広く適用されてきた伝統的な原則である。要請王義を原則とする以上、受け入れ国側から要請のない案件にODAを供与することはできない。しかし、日本がみずからのイニシアティブで中国の環境保全対策や最貧住民対策を優先的なODAの供与対象分野とするというのであれば、要請主義ではなく日中共同してこれら分野の案件を発掘・形成していくという「共同案件形成主義」が新しい原則とならねばならない。
 第五は、日本企業の受注率についてである。ODA資金を使ってプロジェクトの建設や施行に実際に携わるのは企業である。しかし、日本のODAの中核である円借款やすぐ後で述べるOOF(その他政府資金)はアンタイドローンであり、資機材の調達先は拘束されない。日本の対中円借款の場合、日本企業の受注率は一九九九年度においてわずか四パーセントであった。
 環境保全など日本の対中ODAが新たに向かうべき分野への日本企業の積極的な関与を促すためには、部分的にではあれタイドローンを認めて受注率の上昇を図るべきだと私は考える。
 第六は、ODAとOOFとの調整問題である。日本の対中ODAは円借款を中心とし、これに無償資金協力と技術協力を加えて、一九七九年度以降一九九九年度までに総額二兆四五三五億円が供与されてきた。しかし同時に、旧日本輸出入銀行から同期間に三兆四二八二億円という、ODAを上まわる融資がなされてきたことが忘れられてはならない。後者は統計上は「その他政府資金」の範疇に入る。市場金利ベースの供与であり、償還期限も十年以内の、ODAに比べれば譲許性の低い融資である。しかし、OOFといえども財政投融資を原資とするまぎれもない公的資金である。
 問題は、OOFの供与対象分野が円借款のそれとかなり競合していることである。OOFは、石炭や石油などのエネルギー開発やそのためのインフラ整備を中心とし、さらに近年では橋梁、発電所、鉄鋼所などの建設にも向けられてきた。円借款とOOFとの供与対象分野を調整する必要がある。譲許性の相対的に高い円借款を地域的には中西部、対象的には環境・貧困対策プロジェクトに向け、譲許性の相対的に低いOOFはこれを東部、産業インフラプロジェクトに供与するといった調整が必要であろう。
 円借款の供与機関である海外経済協力基金とOOFの供与機関である日本輸出入銀行とがすでに統合されている。この統合は円借款とOOFの調整を本格的に行う好機である。加えて、ODAについては年次報告等を通じて細部にわたる情報が公開されるようになったが、これに比べるとOOFの情報公開は不十分である。統合を契機にこの点の改善も望まれる。
日本のODAのフロンティアとしての環境協力
 中国の環境問題は、大気汚染・水質汚濁・固形廃棄物のいずれをみても今日きわめて深刻化している。相当の政策的努力を傾注しなければ取り返しのつかない悲劇的な事態が中国の全土で発生することが避けられない。エネルギー消費の増大に伴い硫黄酸化物・窒素酸化物・二酸化炭素などの排出量が劇的に増加しつづけている。硫黄酸化物は酸性雨の原因となって国内はもとより周辺諸国にも厄介な問題を引き起こしている。日本の酸性雨の約四割が中国に淵源をもつという信頼できる推計がある。
 中国政府もようやくにして環境問題の重要性についての認識をもつようになったものの、環境保全というコンセプトを長らく薄くしかもってこなかったために、環境保全技術の水準は低い。企業や住民の環境意識も不十分である。中国の地方政府・企業・住民にとっては経済開発の優先度が高く、環境保全は副次的な重要性しかもっていない。貧困からの脱却がなお最大の課題である中国においては、その環境がわれわれの目からみていかに劣悪であっても、経済開発が最重要のテーマたらざるを得ない。この事情は理解できないことではない。むしろよく理解できることである。日本の対中ODAが環境保全のための協力に重点を移していかざるを得ないゆえんである。
 それにしても中国の環境汚染の規模はあまりにも大きい。中国は建国期以来、重工業化路線を踏襲し、重工業化率は長きにわたり開発途上国のスタンダードを大きく凌駕してきた。重工業部門は毛沢東の時代において国防上の配慮から沿海部ではなく内陸部に集中的に建設され、そうした立地構造は現在にまで引き継がれている。重工業の一次エネルギーはその豊富な産出量を反映し圧倒的に石炭である。
 石炭エネルギーの利用効率は旧式機械設備のゆえにきわだって低く、それゆえ単位生産に要する石炭消費量はおのずと大量たらざるを得ない。中国の大型鉄鋼工場におけるトン当たり粗鋼生産に要する石炭消費量は一・六トン、日本の〇・八トンに倍する。加えて中国炭の硫黄含有率は一般に高い。それゆえ硫黄酸化物の排出量はすでに許容量を超え、酸性雨・健康被害が続出している。
 大気汚染は内陸部を中心に広大な中国の全土に及んでおり、日本のODAがそのすべてに対応できるはずもない。限られたODA資源を分散的に用いれば、効果は雲散霧消してしまう。ODAを供与すべき地域を限定して資源を集中的に投入し、そこで実現される環境保全の仕組みを周辺諸都市に波及させるメヵニズムを創出するより他に方途はない。日中環境開発モデル都市形成の構想がそれである。
 中国における大気汚染のありようを典型的に示している都市が、貴州省の省都・貴陽市や重慶直轄市などである。これらをモデル都市として設定し、日中協働して環境対策をここで重点的に展開する。クリーンエネルギーへの燃料転換、省エネルギー技術の導入、汚染源の郊外移転、その他諸政策のベストミックスを探り、さらに副産物のリサイクル、環境モニタリング、人材育成といった努力がなされる必要がある。
 モデル都市構想の要点は、周辺諸都市への波及メカニズムをどう実現するかである。このメカニズムは次のように概略されよう。(1)適切な環境基準値を設定し発生源に対して汚染防除を義務づけ、(2)そうして国内環境関連産業に対して内需を創出し、(3)この内需に応じて低コストで中国の実情に見合う汚染防除機器の生産を促し、(4)環境対策投資を経営合理的なものとし、(5)最終的には広大な内需をめざした環境関連産業の設立に伴うマクロ経済効果を掌中にさせる。
 これは日本の環境保全メカニズムに沿うものであると同時に、中国においてすでに動き始めているメカニズムでもある。中国の大気汚染は硫黄酸化物と媒塵によって代表されるが、前者の除去率は発生量の二三パーセントにとどまる一方、後者はすでに九四パーセントに達している。中国の媒塵の除去が急速に進んだのは、国産の低コスト電気集塵器の大量供給が可能になったからである。
 中国政府は媒塵の主要発生源である出力一〇万キロワット以上の発電所に対して脱塵装置の設置を法的に義務づけた。これによって創出された大きな環境内需に応じていくつかの機械メーカーがアメリカ・スウェーデンなどから技術導入を図りながら低コストの電気集塵器の設計・製造に成功し、これはすでに輸出段階にまで達している。
 中国の発電所における電気集塵器の設備投資額は売電価格の一パーセントを切り、その導入は十分に経営合理性に見合うものとなっている。このようなメカニズムが低コスト脱硫装置・水質汚染浄化装置・固形廃棄物処理施設の国産化のプロセスでも展開されなければならない。日中環境開発モデル都市構想のめざすところは、個々の環境汚染源への対応ではない。モデル都市の環境保全の仕組みを周辺に波及させるメカニズムを留し、もって中国みずからが環境保全を自律的になし得るようにすることである。日本の対中環境協力は、このメカニズム創出努力を要件としなければなるまい。
 構想実現のために日中環境開発モデル都市構想日中専門家委員会が設置され、何度かの会合を経てモデル都市としては重慶・貴陽・大連の三つ、対象分野としてはまずは大気汚染が合意された。実は私はこの構想を実現するための日中専門家委員会の日本側の代表をつとめ応分の努力を重ねてきた。中国の環境汚染・破壊をおしとどめることは容易なことではないが、その方向への日中共同の努力が開始されたことは幸いである。
 最後に一言。対中ODAは賠償ではない。自明のことである。しかし現実には必ずしもそのようには受け取られていない。日中双方がODAを賠償の「代替物」として捉える「後ろ向き」の心理を拭い去ることができなければ、ODAは日中の未来を開く貢献の手段とはならない。この点をつねに念頭において行動し、発言する努力が日中の指導者には強く求められる。
渡辺利夫(わたなべ としお)
1939年生まれ。
慶応義塾大学大学院修了。
筑波大学教授、東京工業大学教授を歴任。現在、拓殖大学学長。
 
 
 
 
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