日本財団 図書館


2004年12月号 問題と研究
進展する中国の春暁ガス田開発と日本の対応
平松茂雄
(杏林大学教授)
はじめに
 東シナ海の排他的経済水域・大陸棚を日本と中国で二等分する「日中中間線」にわずか数キロメートルの中国側海域で、中国が二〇〇四年五月から石油ガス採掘施設の建設を始めた。日本側海域には四社の日本企業が先願権を得て鉱区を設定しているが、それから三十数年を経ているのに日本政府が鉱業権を与えないため、そこに埋蔵されている石油資源が中国側から吸い取られる恐れが出てきた。中国側海域で遠からず開発が始まることをこれまで筆者は何回も、機会あるたびに指摘してきたが、政府もマスコミも一部を除いて関心を示さなかった。開発が現実となった時点で、ある新聞の現地取材に同行した筆者が使った「ストローのように吸い上げられる」という表現が強い刺激を与え、世間の関心がにわかに高まり、日本政府はようやく関心を示すようになった。
一 進展する春暁石油ガス田開発
 「春暁石油ガス田」は上海の東南約四五〇キロメートルの地点に位置し、一九九五年七月に1号井の試掘に成功し、当時「東シナ海の石油・天然ガス探査の戦略的に重要な突破」と報じられた。一一〇億立方メートルの天然ガスと四八〇万トンの原油が確認され、日量にして天然ガス一六〇万立方メートル、原油二〇〇立方メートルと推定された。
 九六年二月に春暁2号井の探査が終了したと公表されたが、具体的内容については報道されなかった。ついで九九年十月から、「日中中間線」から中国側に僅か三マイル(約四・八キロメートル)の海域で、海底石油資源の掘削を行っていた春暁3号井が石油ガスの自噴に成功した。数十層の石油ガス層が発見され、このうち七層の試掘で天然ガス日量一四三万一九〇〇立方メートル、原油八八万立方メートルが確認された。この掘削は試掘ではなく、本格的な石油採掘のための「評価井」と公表されており、春暁の採掘が遠からず着手されることが判明した。
 さらに翌二〇〇〇年三月末から、「春暁石油ガス田」のほぼ北北東約五〇キロメートルに位置する「平湖石油ガス田」のほぼ真北数十キロメートルの海域で試掘を開始した。「紹興61」構造と命名された。新しい鉱区であり、試掘が成功すると、この地区の石油ガス探査に新しい領域を開拓したことになるとの期待が表明されたが、その後同海域での試掘が実施されたとの報道がないので試掘に成功しなかったようだと筆者は推測したが、二〇〇四年四月に突然「紹興61」1号井の掘削式典が上海で挙行されたと報道された。
 「春暁石油ガス田」が所在する大陸棚は、対岸の浙江省の省都杭州郊外にある西湖の名前をとって「西湖凹地」と呼ばれ、中国の海底石油ガス資源開発の重点地域である。八〇年代に入ると、主として試掘リグ「勘探3号」によるボーリングが「日中中間線」に沿った中国側海域で実施された。九五年までの二十一年間に、測線十二万余キロメートルの地震探査を行い、二十九本の井戸を試掘した。八三年に平湖一号井で商業量の石油ガスの自噴を確認してから、合計十六本の商業油井を掘り当て、ボーリング成功率は六四パーセントに達し、この成果は中国の諸海域の石油探査でもトップに属していると評価されていると報じられた。これまでに平湖、春暁、宝雲亭の三つの石油ガス田と六つの含有構造を発見し、確認した石油ガス埋蔵量は一三〇〇億立方メートル(天然ガス換算)に達した。その中で最も有望な平湖の開発は九〇年代中葉から進められ、九八年十二月採掘施設が完成し、またパイプラインが敷設されて、石油と天然ガスが上海に送られている。
二 進展する春暁の開発計画
 二〇〇〇年十二月十七日と十八日、中国海洋石油総公司と中国石油化学工業公司は、北京で春暁ガス田群全体開発計画案予備審査会を開催して共同開発に合意した。この会で春暁ガス田群という名称が初めて明らかにされた。平湖と異なり、春暁は春暁、天外天、残雪、断橋の四つのガス田からなる複数のガス田群である。それ故四つの採掘プラットフォームが海上に建設され、天然ガスを輸送する一本の海底パイプラインが敷設される。ガスは主として浙江省の銭塘江以南の地区に送られ、一部は上海に送られる。同年十二月末までに全体開発計画案を作成して、国家計画委員会に提出する。なおこの計画案作成作業は二〇〇一年七月からそれまでに五回の技術交流会を開催している。
 春暁ガス田群全体開発計画案は国家計画委員会の承認を経て、二〇〇二年三月二十日上海で開催された東シナ海天然ガス事業会議で正式に着手されること、「西気東輸」(西部地区の天然ガスを東部沿海地区に輸送する)と並行して進められることが明らかにされ、中国海洋石油総公司と中国石油化学工業公司が探査と開発で協力する取り決めに調印した。
 二〇〇二年九月八日から十日まで、上海で、中国内外の石油地質専門家が参加して、東シナ海の地質調査状況と探査リスク評価が実施された。中国科学院、中国石油公司、中国石油化学公司、中国海洋石油公司のほかに、外国からシェル、ユノカルなどの科学研究単位、内外の石油企業の地質専門家が最新の地質研究の成果を交換し、東シナ海大陸棚盆地の地質状況、探査リスク、および探査の方向について討議した。東シナ海大陸棚の石油ガス資源の将来は非常に有望であるが、二五万平方キロメートルの有効な探査面積からいえば、すでに実施した二十万平方キロメートルの二次元地震探査、三〇〇〇平方キロメートルの三次元地震探査、六十一個の探査井の探査作業量では十分でなく、三次元地震探査を強化して探査の突破口を探し当て、デジタル情報分析などの新しい方法を運用して東シナ海の複雑な地質状況を重点的に明らかにしなければならない、との結論を得た。
 二〇〇三年三月春暁開発建設プロジェクトが組織され、中国海洋石油総公司上海分公司総経理がプロジェクトの総経理を兼任し、プロジェクトは本格的に動き始めた。第一期工事は海上中央プラットフォーム、天外天採掘井プラットフォーム、春暁採掘プラットフォーム、海底パイプイラン、陸上ターミナルの建設である。
三 基礎工事の進展
 その間二〇〇二年に入ると、春暁の開発工事が開始された。
 二〇〇二年九月海底パイプライン敷設準備として、上陸地点の状況、敷設ルートの海底土質、海洋動力環境、腐食環境、海洋開発活動などに関する調査を、国家海洋局第二海洋研究所と上海海洋石油局第一海洋地質調査大隊が連合で、五月十五日から七十三日間にわたって実施した。四九八八・八キロメートルの物理探査測線、水深十メートルのボーリング二十八ヶ所、震動サンプリング一五一ヶ所、CPTテスト五二回、水文観測調査ステーション設置七ヶ所、腐蝕環境要素測定などの作業を期間内に完了した。
 二〇〇三年七月七日寧波市三山郷に建設される海底パイプラインの陸上ターミナルの整地工事の検査が実施された。二〇〇二年十二月二十八日工事が着手された時、現場は茫々たる海岸で、黒色の汚泥が数メートルも厚く層をなしていた。ここに近代的な天然ガス処理施設建設することは想像もできない処であったが、半年後には三十万平方キロメートルに近い用地が完成した。
 二〇〇三年十一月八日春暁石油ガス田の海底パイプ敷設建設工事が、寧波に近い大樹に設置されたパイプ敷設基地で始まった。敷設工事は中国海洋石油総公司傘下の渤海公司が担当した。工事は同公司が誕生以来最大の海底パイプ敷設工事という。陸上の油送パイプライン、現地の二ヶ所の採掘プラットフォームと中央プラットフォームを結ぶ海底パイプラインの総延長四八〇余キロメートル、中国でも最長距離の海底パイプラインである。最初の一三五〇〇余トンのパイプ鋼材が輸入されたと報じられた。これに関連して二〇〇三年三月から四月にかけて、中国海洋石油総公司が主催した深海で使用する特殊な大口径の鋼管二七〇〇トン分の国際入札が行われ、日本の住友金属工業が住友商事を通して約十九億円で受注し、同年秋までに引き渡されたと報じられた。
四 シェルとユノカルとの合弁契約
 春暁開発の基礎工事が進展しつつあった二〇〇三年八月十九日、中国海洋石油総公司、中国石油化学工業公司、英国・オランダ系スーパーメジャーであるシェル石油企業、米国の独立系ユノカル石油企業は、北京の人民大会堂で、東シナ海西湖凹陥の五つの石油鉱区の共同開発に署名した。鉱区は上海の東南沖合い五〇〇キロメートルにあり、五鉱区は春暁、宝雲亭、27/05、12/21、20/14。春暁のこれまでの確認埋蔵量は天然ガス六六二億立方メートル、石油一二七〇万トンで、再来年上半期に生産に入り、天然ガスを年間二五億立方メートル生産し、十三年間安定供給できると見込まれている。中国の二つの石油企業がそれぞれ三〇パーセント、シェルとユノカルがそれぞれ二〇パーセントを出資して、東シナ海の面積二万二〇〇〇キロメートルの鉱区の資源探査、開発、生産、輸送、販売を行う。近年中国が調印したなかで最大の中外合弁による海洋石油ガス探査開発事業である。シェルは当初十億ドル近くを投資する。中国海洋石油総公司が五鉱区すべての実際の作業を行う。調印式に先立って、温家宝首相は中南海で調印式に参加した代表と会見した。このことは春暁が国家事業であることを明示している。会見には馬凱中国国家発展改革委員会主任、ラント駐中国米国大使が同席した。
 二〇〇三年十月十六日、広東省湛江で春暁項目の現場開設工程式が挙行された。平湖の採掘・処理施設は韓国の現代重工業が建設し、現場に直接輸送して建設したが、春暁の施設は湛江で建設される。換言すれば春暁の採掘・処理施設などは中国が自力で設計・建設する。当面のプロジェクトの中心は中央プラットフォーム一基と採掘井プラットフォーム二基の建設であり、二〇〇四年末までに建造任務を完了する。
五 春暁石油ガス田工事始まる
 こうした過程を経て、二〇〇四年五月二十三日から、春暁石油ガス田群のなかの春暁石油ガス田で採掘井のプラットフォームの土台(パイプ受け台)が築かれた。これは『東京新聞』の報道により明らかとなり、それまでほとんど関心を示さなかったわが国のマスコミがにわかに報道するようになり、国民に強い衝撃を与え、わが国政府は初めてこの問題に取り組むことになった。ついで六月十五日天外天石油ガス田で採掘井のプラットフォームの土台が築かれた。さらに六月二十二日春暁石油ガス田群の中央プラットフォームの土台が、天外天の採掘井に隣接して据え付けられた。二ヶ所の採掘井の大きさは二〇×二〇メートル、中央処理施設は六〇×二〇メートルで、採掘井を横に三個並べた形を成している。
 中央プラットフォームの土台建設を報じた記事によると、重量は約六五〇〇トンあり、これを運搬して海中に滑降させるバージ船「海洋二二一号」を建造したことが明らかにされた。この船は、春暁と天外天の二ヶ所のプラットフォームの土台を大きなクレーンで吊り上げて海中に据え付けた作業船『海疆』号に続いて、中国が二〇〇三年から大連新造船所で建造された。長さ一五三・五五メートル、幅三六メートル、深さ九・七五メートルで、最大重量八〇〇〇トンの土台を海中に滑降させて据え付けることができる。平湖のプラットフォーム据付は外国の力を借りて行われたが、春暁では自国製造の作業船を建造して遂行された。
 中央プラットフォームの建設により、次の工事予定が分かってきた。春暁と天外天の採掘井の土台の上には、採掘のための櫓と必要な施設が建てられるだけであり、中央プラットフォームには、石油ガス群の指揮中枢、石油ガスの処理、大陸への輸送などの作業を行う処理施設、作業する人員の居住施設などが組み立てられ、さらに居住施設の上にヘリポートが設置される。天外天の採掘井と中央プラットフォームの距離は短いから、恐らく二つのプラットフォームは橋で連結されると推定される。
 続いて八月二十六日、『新華社』は春暁石油ガス田のパイプライン敷設工事が開始されたことを報じた。これはパイプライン敷設工事が始まったことを中国側が報じた最初であったが、後に工事は八月十八日から始まったことが分かった。寧波の三山に建設されるターミナルと春暁群との間、および春暁と天外天の採掘井の二ヶ所のプラットフォームと天外天に建設される中央処理施設のあるプラットフォームの間のパイプの敷設、パイプラインのテスト、全システムの試運転は韓国の現代重工業が施工すること、パイプラインの全長は四七〇キロメートルなどが明らかにされた。
六 ようやく動いた日本政府の対応
 パイプラインの建設が始まった時、中国はパイプライン敷設をもって、「日本の朝野が『悔やんでも、どうしようもない』中周の春暁石油ガス田の開発が実質的段階に入っている」と論評した。中国が東シナ海のわが国が主張する境界線「日中中間線」に近い海域で石油ガスの開発を行っているばかりか、そのガス田が海底の地下構造で日本の地下構造にまで広がっている可能性があるとして、日本政府は中国に対して埋蔵量の割合に応じた配分を要求してきたが、中国政府はそれに応じることなく、パイプラインの敷設でもって回答したのである。
 鉱区が複数の企業または国家の間で跨っている場合には、構造の大きさと埋蔵量に基づいて比例按分することが国際慣例になっている。だが中国に対して日本側の配分を要求するには、日本側はデータを持っていない。そこで日本政府はようやく日本側海域の大陸棚の地質調査の実施を決断した。
 中国海洋石油総公司のホームページに、「フィッシュボーン(魚の骨)・テクノロジー」という技術をカラー図解で掲載されたことがある。これにより、石油採掘施設から枝状にパイプを横に這わせて隣接する海底資源を吸い上げることを意図していることが分かる。中国は九九年十二月一日から翌九六年二月十五日まで八十五日間、春暁から「日中中間線」を越えて五七〇メートル日本側に入った海域で、精確には春暁の南の北緯二八度二二分・東経一二四度五七分の地点で、「勘探三号」が石油天然ガスの試掘を実施して自噴を確認して引き上げた。この事実から、春暁と「中間線」を越えてそのすぐ南に存在する日本側の大陸棚が地質構造の上で繋がっていることは試掘で明確になっていると推定される。また筆者は二〇〇〇年に上空から春暁周辺海域を視察する機会があった。その折隣接する海域で引き続き試掘リグ「勘探三号」による試掘が行われていたが、パイロットによるとその位置は「日中中間線」の真上とのことであった。
 他方日本側海域での石油ガス資源探査は九〇年代中葉以降継続して実施されており、さらに九九年八月、十月、二〇〇〇年四月の三回にわたって、中国はノルウェーの地質調査船「ノルディック・エクスプローラー」号(三、八一六トン)をチャーターして、別掲地図の海域で海底地質調査を実施したが、中間線を越えて調査海域を設定して調査を実施した。実際には日本側海域に入っての調査は実施されなかったと見られているが、同海域の大陸棚の資源調査を本格化するとともに、中間線の有名無実化を図ったと考えられる。
 このように中国は「西湖凹陥」が日本側の大陸棚に繋がっているデータをすでに保有している。これに対して日本政府は排他的経済水域の境界線に関する争いがある中国を刺激することを避けるため、日本側海域ではこれまでに一九七二年から九一年まで、九六年から二〇〇〇年まで、二次元探査が実施されただけで、三次元物理探査のような精確な調査を実施しなかった。また中国政府に中国側海域での資源探査、地質調査に関するデータの提供を求めることもしなかった。しかし中国が春暁の開発を本格化したことから、日本政府は日本側の権益を守る必要があると判断し、中国側と交渉する上で、日本側海域での資源調査の緊急性と、中国側大陸棚のデータを知る必要に迫られ、二〇〇四年六月七日初めて中国政府に対してデータの提供を要求する方針を固めたと報じられた。しかし日本政府が主張する「日中中間線」を認めない中国が、データを提供するとは考えられない。案の定中国はこれにまともに答える態度を回避した。
 六月九日、中川経済産業大臣はマニラで開催された日本、中国、韓国のエネルギー担当相の会合に出席した際、張国宝国家発展改革委員会副主任と会談し、開発計画や調査結果などの情報提供を改めて求めた。同大臣によると、張副主任は「冷静に友好的に、外交ルートを通じて対応していこう」と語ったという。同日中国外交部スポークスマンは、「東シナ海における天然ガスの開発は、中国海域で行われており、中国の主権と権益の範囲に属す」との立場を確認した上で、「東シナ海の境界問題における争いは、話し合いを通じて解決したい」と述べて、日本側との協議に応じる姿勢を示した。
 六月十六日中川大臣は、『東京新聞』の取材に対して、「中国側から情報提供に対する返事があったが、満足できるものではなかった。すぐにでも、もう一度外交ルートで要求したい」とした上で、「われわれにも取るべき選択肢があることは、向こうもわかっているはず。返事がないからといって、いつまでも待っているものではない」と述べ、日本が独自に詳細な探査や試掘に乗り出す可能性を示した。
 次いで六月二十一日の日中外相会談で川口外務大臣は、春暁石油ガス田開発に関して、中間線の中国側で井戸が掘られると、地下構造上日本側の資源が採掘される可能性があると指摘し、中国側に鉱区設定などに関する詳細なデータの提供を求めた。この質問に対して、李肇星外交部長は、データの提供について明言を避け、「日本が一方的に主張する日中中間線は認めない」と答えた。その上で「相違を棚上げして共同開発を考えていくべきである」として、日中両国による共同開発を提案した。これに対して川口外務大臣は、「情報提供を受けて日本で研究した後で話し合う」と述べ、中国側が先ず開発状況を明らかにするよう求めた。
 かつて中国は排他的経済水域の境界画定のための日中協議で、共同開発を日本に提案したことがある。その提案とは、「日本が主張する中間線と、中国が主張する境界線の間の区域で、日中両国が五〇パーセントずつ分配する」という内容であった。このため日本政府は「日本の主張する中間線を認めない提案には応じられない」と拒否した。今回の提案が同じ内容かどうかについて、日本大使館は中国政府に説明を求めることにしていると報じられたが、その回答があったかどうかについて、その後何も報道されていないようである。
七 ようやく始まった日本側の石油資源探査
 二〇〇四年六月二十九日、日本政府は東シナ海の排他的経済水域の境界として日本が主張する「日中中間線」に近い海域で、七月七日から約三ヶ月間海底の地質調査を実施する方針を明らかにした。地下の地質構造を立体的に把握する三次元地震探査を行い、石油・天然ガス層の存在を本格的に調査する。調査対象は中間線沿いに幅三十キロメートル、北緯二十八度から三十度まで二〇〇余キロメートルの範囲である。中間線から中国側海域に約四キロメートルの春暁石油ガス田近辺など、日本側海域にも資源が広がっている可能性が高い海域で行う。ノルウェーの探査船をチャーターして実施する、調査費は約三十億円で、独立法人の石油天然ガス・金属鉱物資源機構に委託する。
 中川経済産業大臣は同日の記者会見で、「データ要請から、一ヶ月近く経っても、中国側から満足な回答がない」と調査開始の理由を説明した。調査結果や中国側の対応しだいで、試掘に進む可能性も示した。採掘を黙認すれば、日本側海域の資源が侵食されることになり、中間線を越えての中国の資源活動が既成事実化するとの懸念もある。今回の地質調査は権益確保に関する日本の姿勢を明確にする狙いがある。
 資源探査は七月七日から三ヶ月の予定で、チャーターしたノルウェー船籍「ラムフォーム・ビクトリー」(Ramform Victory)号(三〇九〇トン)が資源探査を開始した。日本政府の資源探査実施の表明に対して、中国政府は直ちに「重大な関心を寄せており」、「慎重に行動するよう」「外交チャンネルを通して厳正に申し入れした」ことを明らかにしたが、探査が始まった段階で、次のような厳しい非難を表明した。「中間線は日本が一方的に主張しているものであり、中国は認めていないし、認めることはできない」。「自国の主張を他国に強要する日本の行為を中国は絶対に受け入れない」。「日本のこの挑発的な行為は非常に危険なもので、中国は断固反対する」との厳しい非難を表明した。七月七日は、中国にとって「日中戦争」の契機となった盧溝橋事件が起きた「屈辱記念日」である。よりによってこの日に探査に着手したことは中国をいっそう刺激した。だが調査を妨害するような行動をとることはなかったようである。
八 シェルとユノカルの撤退
 二〇〇四年の夏、日本列島には大型の台風が次々来襲し、そのため日本政府が実施した地質調査はしばしば中断したが、春暁の工事も計画通り進まなかったようである。そうしたなかで九月末になって共同開発に参加していたシェルとユノカルがプロジェクトから手を引くという予期しない出来事が起きた。シェルによると、中国との契約は一年後にプロジェクトの評価や分析を行った上で、最終判断することになっていたため、「調査した結果、商業上これ以上のプロジェクト継続を断念した」と説明した。また関係者によると、当初のプロジェクト計画見通しの大幅な修正が加えられたため、外国資本がプロジェクト継続に難色を示した可能性もあるという。
 ところが香港の大陸系新聞『文匯報』が中国側当事者の簡単な説明を掲載した。シェルの中国担当スポークスマンであるニック・ウッド氏は、天然ガス市場、コスト、販売収益などの要素を考慮して参加の放棄を決定したと述べ、それ以上詳しい事情を明らかにしなかったが、背景には次のような厳しい現実がある。国内外の原材料の高騰により、当初の事業計画見通しの大幅な修正が加えられたため、外資が事業継続に難色を示した可能性もある。また上海、江蘇、浙江からなる長江デルタ地帯は、GDPの五分の一を占める中国最大の経済圏であり、この大市場を目指して「西気東輸」、LNG(液化天然ガス)プロジェクト、東シナ海ガス田の三つのプロジェクトが競争しているという現実がある。
 他方中国海洋石油総公司の邱子磊高級副総裁は、主要な原因は利益率の問題であると指摘した。外資が西湖プロジェクトに参加するコストは中国海洋石油総公司よりも割高であるから、より高いリスクを負わなければならない。彼らにとっての内部利益率一五パーセントは魅力がなく、最終的に双方の意見は合意に至らなかった。「具体的に述べるならば、わが方では一元投資すればすむところを、外資では一〇〇元を投資しなければならないが、それでも最終的には一〇五元にはなる。わが方は非常に満足しているが、相手方は利益に魅力がないと認識している」と副総裁は説明した。わが国の石油関連企業によれば、利益率は一般に一五パーセント、最低でも一〇パーセントという。「わが方では一元投資すればすむのに、外資では一〇〇元を投資しなければならない」とは、中国特有の「白髪三千丈」的説明であろうが、一〇〇元を投資して一〇五元(五パーセントの利益)ではとても儲けるどころではない。「中国がやれば一元ですむ」という説明には、中国の恩着せがましい態度がうかがわれる。シェルが撤退する理由がよく分かるであろう。
 条件が厳しいことは承知して契約したのだから、商業上の理由ではなく、日本政府に対する政治的配慮が最も重要な理由であるとの見方に対して、副総裁は、外資は参加する時点でそのことを承知しており、無関係と説明した。日本が権利を持っているといっても、先願権を得て鉱区を設定した企業が鉱業権を申請してから三十年以上もなるのに放置して、なんら積極的なデータも持っていないのであるから、配慮するほどの理由にはならないであろう。むしろこれを口実に撤退したと見るのは、勘繰り過ぎであろうか。
 すでに論じたように、シェルとユノカルは春暁ばかりでなく、同じ時に、春暁の北側に続く宝雲亭石油ガス田の開発、および三つの鉱区の探査に関しても合弁契約を締結している。これらの鉱区も日中中間線に近い位置にあるが、開発は将来の問題である。摩擦が起きないうちから撤退するような問題ではないであろう。さらにシェルは、中国石油ガス総公司などとの合弁で進めている新疆ウイグル自治区から上海までのパイプラインを輸送する「西気東輸」プロジェクトからも、同年八月初頭に撤退している。
 実を言えば同じ東シナ海で春暁よりも前に石油ガス開発を行った平湖においても、米国系メジャー・テキサコとの合弁が解約した経緯がある。石油ガスの取り分が少ないことに原因があったようである。だがシェルとユノカルの撤退で、計画の大幅な遅れを余儀なくされるのは必死であるとの見方がある。日本政府は「プロジェクト見直しも含め、中国側のダメージは大きい」と分析している。
 中国海洋石油総公司の傅成玉会長は、「プロジェクトの将来に自信を持っている。パートナーの変更はプロジェクトにほとんど影響をもたらさない」と強調し、春暁の開発を予定通り進め、来年中頃に操業すると述べている。筆者は石油開発の専門家ではないから、中国の能力あるいは技術水準がどの程度であるかについて論じることはできないが、同じ東シナ海で石油ガス開発を進めた平湖の開発がテキサコの撤退により二年程度後れたものの、中国は自力で開発を進めた先例から見て、春暁の開発にも影響が出ると考えられるが、中国の海底石油資源の開発は一定水準に達していると考えられるから、ある程度の後れはあるものの、自力で進展すると考えられる。すでに論じたように二〇〇二年からインフラ工事が着手されて計画的に進行している。当面は全面的な後れよりも、今夏の異常な数の台風の来襲で、採掘施設と処理施設のプラットフォームの土台が計画通り完成せず、未だに進行中のようであり、そこからの後れの方が当面影響するであろう。
九 先進技術導入の意図
 春暁の開発は平湖開発の経験を踏まえて進められているように見える。すでに論じたように平湖のプラットフォームは韓国の現代重工業が製作し、春暁ではその経験を基にして進行している。プラットフォームを据え付ける作業船は平湖では外国船に依拠したが、春暁では中国で建造した作業船により行われた。
 平湖の開発を手本にして、中国は基本的に自力で開発する能力を習得することに専念している。だが平湖が稼動してから、原油の採掘を停止して改修しているところからみて、中国の能力に欠陥ないし限界のあることが示唆される。だがその欠陥・限界も克服しているようであり、平湖はとにもかくにも稼動している。また二〇〇二年八月から拡張工事が始まり現在進行中である。
 改修は二〇〇二年七月、さらに翌年六月、採掘を停止して実施された。重点は採掘プラットフォームの改修、陸上ターミナルに近い海底のパイプの改修であった。
 採掘プラットフォームの改修については、試掘の段階で地質についての認識が十分でなかったとされている。ある油井では水が出たり、油井管の内側に垢が付着したり、砂が詰まるなどが原因で、日産三〇万立方メートルの天然ガスの生産量が二万立方メートルに低下し、生産停止の状態に追い込まれた。別の油井では毎日三四〇〇立方メートル以上の水処理をしなければならなかった。改修は五本の油井で連続して汲み上げパイプの大改修、三本の油井で地層を調整する作業、一本の主力の油井では汲み上げポンプの検査が実施された。その結果生産能力は改修前よりも五〇パーセント上昇し、五倍に達した油井もあり、計画の生産量を達成した。
 石油資源を合理的経済的に採掘する場合、貯溜層の管理(reservoir management)を円滑に行う必要がある。土壌を掘削するのだから、当然砂や泥が混じるし、水も出る。それらを適切に処理して生産するのだが、貯溜層の管理を十分かつ適切に行わないと貯溜層に負担がかかる。他方中国は経済成長に伴うエネルギー需要の急増から、特に上海を中心とする長江デルタ地帯の東シナ海の石油開発に対する期待は大きい。平湖に対する期待は計画当初より大きく膨れ上がっている。現実の生産は量と質を考慮して遂行される必要があるが、中国の政治に不可避な生産向上の掛け声により、現実を無視した過大で無理な生産が続けられていると推定される。このような状態が続くと油田は疲弊していくから、そうならないようにシミュレーションにより常に量と質を管理する必要がある。その能力に関して欧米企業、メジャーといわれる企業は優れている。中国の石油企業にはそれが欠けている。それ故にこそ中国はメジャーの参加を必要としているのだが、それが円滑にいかないところに問題がある。生産に対する過大な期待は平湖に限った問題でも、また今に始まる問題でもなく、建国以来常に中国の経済成長に付き纏ってきた問題である。
 もう一つの改修は海底パイプラインのターミナル(岱山島)に近い海域(近岸段)での海底パイプラインの取替えである。この海域ではパイプを二メートルの海底に埋設したにもかかわらず、杭州湾の出入り口では大潮時で最大流速七ノット(秒速三・五メートル)、小潮時でも五ノットの強い潮流の影響を受ける複雑な海域なので、海底に変化が生じ、度重なる台風の来襲でパイプが抉り出され破裂した。二〇〇一年七月改修工事が実施され、パイプを敷設しなおした。
 他方平湖石油ガス田の拡張工事は上海経済の急成長に応えるために、二〇〇二年四月十五日国家の批准を経て、二回に分けて遂行される。一期工事は、平湖プラットフォームの拡張で、九八年十一月に正式に稼動した時の最大設計生産能力は天然ガスで日産一六〇立方メートル、実際の生産量は一二〇万立方メートルであるが、これを日産一八〇万から二〇〇万立方メートルに増加させる。二期工事では、平湖プラットフォームから七〇〇〇メートル離れた海域に八角亭という採掘プラットフォームを新しく建設する。六本の油井が掘削される。ここから海底パイプで平湖のプラットフォームに輸送され、そこで必要な処理を行った後パイプラインで上海に輸送される。生産能力は日産八〇万立方メートルで、これにより平湖全体の生産量を日産一八〇万立方メートルに増やす。二〇〇六年一月生産投入の計画である。すでに計画は進行しており、現在入札を呼びかけている。
 この報道によると、平湖石油ガス田の主要な供給先は、浦東国際空港、通用自動車公司(上海汽車工業集団総公司と米国GMとの合弁企業)など四五〇〇余の企業、浦東と浦西の約七五万世帯の住民である。二〇〇三年から五年計画で、上海は五七余億元を投資して、天然ガスの配給パイプ網・施設の建設止改造を進め、天然ガスの近代化を実現し、エネルギー構造を改善する計画である。上海市が公布した「上海天然ガス十五年計画」によると、二〇〇五年末までに上海の天然ガス消費量は三十億立方メートルに達し、第一次エネルギー資源に占める比率は一パーセントから五パーセントに増大する。同時に上海市民の天然ガス使用世帯も増大し、二〇〇〇−二〇〇五年までに六〇万世帯から一〇〇万世帯に達する。さらに発電、自動車の燃料、化学工業の原料として天然ガスが使用されるようになる。
十 中国側海域に林立する採掘施設
 日本政府による地質調査が始まった二〇〇四年の夏、日本列島には大型の台風が次々来襲し、そのため日本政府が実施した地質調査はしばしば中断したが、春暁の工事も計画通り進んでいないようである。さらに九月末のシェルとユノカルの撤退もあり、春暁の工事は遅れるであろうが、平湖の先例から見ていずれ完成する。続いて第二期工事である残雪と断橋の採掘施設の建設となろう。他方二〇〇五年から平湖の拡張工事(第二期工事)が始まる。平湖より七、〇〇〇メートル離れた海域に八角亭という採掘プラットフォームを建設する計画がある。さらに平湖の北数十キロメートルに位置する「紹興61」でも採掘施設の建設が始まると報じられている。二〇〇〇年代の終わりまで、東シナ海の真ん中の中国側海域に、石油施設が林立することになりそうである。
 他方わが国では二〇〇四年七月から開始された春暁に隣接する日本側海域の地質調査が完了する。次は石油資源の有望な大陸棚のボーリングである。ボーリングを行い、さらに採掘に進まなければ、日本は中国に押しまくられるだけである。境界画定は政治交渉でと日本側がいくら望んだところで、自国の大陸棚の地質構造、資源状況を掌握していなければ、政治交渉は初めから成り立たない。
 わが国がこれまで実施しようとしなかった日本側海域での三次元探査を断行した中川経済産業大臣は、さらに資源調査の次には試掘を実施することをほのめかしている。だがそれには相当の政治的決断を必要とする。なぜならば日本側海域・大陸棚に対して中国が主権的権利を主張しており、すでに中国が各種調査を実施したのに対して日本政府は口頭での抗議しか行ってこなかったから、日本が日本側海域での石油資源調査に続いて試掘を行い、さらに採掘を行うならば、中国側はそれを妨害し邪魔するために、威嚇し、実力行使に出る可能性がある。
 十年ばかり前の九二年五月、南シナ海南沙諸島のベトナムが自国の大陸棚と主張する海域に、中国は石油鉱区を設け、石油探査する権限を米国の石油企業に与えたことがあった。ベトナム政府が公表したところでは、探査海域はベトナムが設定している石油鉱区の東に隣接しており、面積は約二万五〇〇〇平方メートルである。
 注目すべきことには、契約に当たり中国側は海軍力による探査作業の防衛を保障したと言われている。それより先の同年四月二十日の海軍記念日に、張連忠海軍司令員は「海軍が要員訓練および装備などの面で絶えず戦闘力を高め、中国の領海と接続水域を中国海軍の効果的な防衛の下におきつつある」ことを明らかにするとともに、「海軍が断固として改革・開放を支持し、中国の領海主権と海洋権益を守り、中国の統一と社会の安定を守って、建設と改革・開放のための安全で安定した環境を作る」ことを強調した。ついで五月一日の中国軍機関紙『解放軍報』は第一面冒頭に、同年三月海軍某基地の高速ミサイル艇大隊が、編隊高速攻撃訓練を実施している写真、および同紙記者による南沙諸島視察記を掲載し、そのなかで中国海軍の保護の下で南シナ海の石油探査・開発が順調に進展していると報じた。わが国政府は中国のこの言動を他山の石とすべきであろう。
平松茂雄(ひらまつ しげお)
1936年生まれ。
慶應義塾大学大学院修了。
防衛研究所研究室長を経て現在、杏林大学社会科学部教授。
 
 
 
 
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