2005年6月号 中央公論
胡錦濤政権を揺るがす「愛国」暴走と世界の視線
対談
岡本行夫/外交評論家
田中明彦/東京大学東洋文化研究所長
権力を掌握しきれない胡錦濤
――今回の反日行動と中国共産党指導部とのかかわりについて、さまざま語られています。行動がエスカレートした後の対応も含めて、中国政府の真意はどこにあるのでしょう。
田中 今回の事態は、二つの側面からみて極めて深刻だと私はとらえています。一つは、反日感情が「日本といえば、過去を反省しない悪い存在だ」という形で、半ば“記号化”して定着してしまっているということです。しかも、貧困層というより都市部の比較的裕福な階層に、そうした傾向が広がっており、徒来の反日意識とは趣が違うように感じます。
二つ目に、「胡錦濤―温家宝体制」が事態を十分掌握できているのかどうか、という点で疑問を禁じえなくなってきたことです。四月初めに最初のデモが起こって以降、報道では「破壊行動などは抑える」という中国当局の意向が伝えられたわけですが、実際にはその後もデモは決行され、投石もやまない。上海の日本総領事館のすぐ近くまでデモ隊が押し寄せるという状況をみる限り、統制の緩みは隠しようがない。中国共産党の現体制は、内部に相当の問題をはらんでいると考えるべきでしょう。
岡本 今回の行動自体は小さなきっかけで発生しましたが、起こるべくして起こったものでしょう。中国政府が所得格差の拡大や労働争議の多発などに伴う政権批判をそらす目的で、反日運動をガス抜きに使おうとしたという側面は、否定できません。にもかかわらず、運動をコントロールすることができなくなりつつある。ガス栓を開けたはいいが、閉められなくなっている。一九九九年、ユーゴスラビアの中国大使館が誤爆され、中国国内の米大使館や総領事館などがデモ隊に襲われ、激しい投石などに見舞われました。しかしあの時は、政府が対米非難を収束させるとデモも潮を引くように収まったのです。今回は違う。反日がトレンドとして積み重なってきている重みを理解しないといけない。
先日、瀋陽の歴史博物館に行ったのですが、展示物は日本軍による「残虐シーン」のオンパレード。ここには年に何万人もの小中学生が訪れるそうですが、ショックなのは、あの施設のできたのが二〇〇一年だということ。中国は、現在の日本人のDNAに軍国主義があると言う。中国は過去の歴史というより、現在の日本と対決している。
田中 このところ、政権内部で日中の融和を模索する動きが表面化するたびに、事件が起こっていることにも注目すべきでしょう。昨年十一月、APEC(アジア太平洋経済協力会議)に合わせて小泉総理と胡錦濤国家主席の首脳会談が準備されているなか、人民解放軍の潜水艦が日本の領海を侵犯しました。今回もそうです。三月に温家宝首相が対日関係建て直しを「宣言」して四月中旬に日中外相会談が企画され、胡錦濤―小泉会談が現実味を帯びたとたんにこの事態。領海侵犯の時は胡錦濤、今回は温家宝が外遊中というタイミングで起こっている。
こうした経過をながめてみると、反日行動の激化は、もしかすると自然発生的なものではなく、たまっていたマグマをあえてこの時期に中国内部の誰かが解き放ったという可能性もあるんじゃないかと思えてきます。この推測が仮に正しいとすれば、政権中枢レベルではたして対日戦略の統一意志が形成されているのかさえ疑わしいことになります。
岡本 胡錦濤はまだ権力を掌握しきってはいません。単に個人的な対立というレベルではなく、現指導体制と旧体制世代の対決に決着がついていない。しかし、だからこそ便宜的に反日政策に走りやすいという側面があります。権益を失った旧世代は、貧富の格差拡大などをとらえて現政権に「反論しにくい」批判を続けています。胡錦濤としては、そんな中で何とか求心力を保っていかなければならないわけで、そういう場合に利用されるのが日本と台湾。「対日接近」で失脚した胡燿邦を目の当たりにしていますから、「何かあったら反日強硬路線で行こう」という一点において、政権内部が割れることはないでしょう。
反日運動を制御できるのか
――中国指導部の世代交代により対日政策は変化したとも言われますが。
田中 「経済発展を遂げるためにも、周辺各国と摩擦を起こすべきではない」と考える人々も大勢いると思います。しかし、そうした「新思考」も、あの若者たちの圧倒的な反日感情の前ではまったく無力ですね。もともと日本批判は政府の教育に端を発したものでもあり、これを批判することは困難になっている。
岡本 多くの人が、世代が若返ることによって日中間の問題は徐々に改善するだろうと考えていた。江沢民の「第三世代」までが実際に戦争を知る世代で、「第四世代」になれば変わるだろうという期待は、正直、ありました。しかし、中国といういろいろな意味で広い国を治め、近代化させていくためには、求心力としてのナショナリズムがどうしても必要になるのですね。中国共産党は五〇年代の大躍進時代、また六〇年代の文化大革命で、数多くの人々を粛清しました。これらの歴史を記憶から消し去るためにも、敵を外に求めなければならない。いきおい、必要以上に「日本軍の蛮行」を喧伝することになるわけです。これは中国共産党存続のためのメカニズムと言っても過言ではないでしょう。ですから、中国指導部の世代交替に期待しても、あまり意味がないように感じますね。
――では、中国政府は今の事態をどうみて、どう対処しようとしているのでしょうか。
岡本 政府は目の前で起こっている事態をなんとかコントロールしなければと焦っていると思いますよ。「今度の事態を引き起こした責任は全面的に日本にある」と言っていた中国が、デモを規制すると言わざるをえなくなっている。主要な原因は、欧米の中国に対する批判的な反応だと思います。はっきり言って、日本との関係が冷え込むだけなら、ダメージはそう深くない。しかし欧米に批判されて孤立したら、これは大ごとです。
田中 問題は、じゃあ政府がコントロールできるのかということです。昨年のサッカー・アジアカップの時のように、一時的には収束するかもしれませんが、反日のエネルギーがなくなるわけではありませんから、いつまた噴出するか分からない。弾圧するわけにはいかないし、さりとて黙って見ているわけにもいかない。自らがまいた種とはいえ、中国政府もかなり厳しい状況に追い込まれています。中国の現在の経済発展は、外国からの投資によって成り立っている。以前の閉鎖的な国家体制とは違い、グローバルな経済体制に組み込まれている。排外的で暴力的な動きを抑えることができないとなれば、この体制から追い出されてしまう。
現実問題として、インターネットを通じて行動を呼びかける団体の力が、無視できないほど強大になってしまった。もし彼らが、まったく自発的にこれだけの力を蓄えたとすれば、政権にとって脅威以外の何ものでもないし、仮に共産党幹部の一部が関与しているとすれば、権力内部の矛盾を露呈したことになる。いずれにしても胡錦濤・温家宝にとって、由々しき事態であることは間違いありません。
「日本=悪」という記号化
――事態がここまでくる前に、日本がすべきことはなかったのでしょうか。
岡本 ある新聞が「これほど事態が悪化することを誰が想像しえただろう」という社説を載せていましたが、私は昨年春から「このままでは必ず反日デモや日本製品不買運動が起こる。その中心は若者だ」と言い続けてきたつもりです。理由は二つ。
第一に、一九九四年から始まった、いわゆる「愛国反日教育」の影響です。中国でそうした教育が行われていることは多くの人が知っているのですが、その「累積効果」は軽視されている。九四年に中学一年だった世代は、現在大学四年生。すなわち、今の中国の学生はすべてがこの教育を受けて育っているのです。これは決して偶然ではないと思います。愛国教育によって培われた集合的な反日感情が、ついに臨界点を超えた。この点を見落としてはいけない。
第二に、インターネットの急速な普及です。中国では九九年四月、法輪功信者一万人が中南海(党中央・国務院中枢)を取り囲むという事件が起きました。これはインターネットで呼びかけられた行動でした。ネットの影響力を見せつけたわけですが、当時の利用者は中国全土で七〇〇万〜八〇〇万人程度。大膨張が始まるのはその年の秋からで、今では一億人と言われています。もちろん、党が発表する方針や要人の発言が政策の基本であるのは間違いないのですが、それとはまったく別に、インターネットによって“中国民衆の意志”が形成される状況を生んでいる。今回の事態で、改めてそのことが証明されたように思います。
田中 今、岡本さんがおっしゃった「現在反日を叫んでいる学生たちは、新たな反日教育の中で育った」という指摘は、大変重要だと感じます。そうした教育を通して、若い世代に「反日という記号化」が定着したわけですね。ところが反省も込めて言えば、日本側にはそのことの持つ危険性に対する認識が薄かった。記号化を止めようという動きはまったくみられず、結果として中国の若年層に対する反日意識の醸成が一方的に進んでしまった。
九〇年代初頭までは、まだ「多様性を持つ反日」という感じがあったように思います。例えば、抗日戦を実際に戦った経験を持つ人たちも少なからずいたわけで、そうした実体験を聞けば「なるほど」と耳を傾けることができ、結論はともかく“話ができる”という雰囲気があったと思います。しかし、今の中国の若者たちが抱いているような、理屈抜きで「日本=悪」という記号化された反日感情にはまともな根拠が乏しいわけで、そういう人たちとちゃんとした議論が成り立つのかというと、かなり絶望的に思えてしまう。あんな状態が続いたら、反対に日本でも中国に対するおかしな記号化が進みはしないかと心配にもなります。
岡本 今の中国では、戦争を知る高齢者よりも若者のほうが反日感情は強いのです。七十一歳以上で「日本が嫌い」と答える人は六割を切るのに、三十歳以下の世代はこれを上回っている。昨年三月の『フィナンシャルタイムズ』紙掲載の調査では、中国のインターネット利用者のなんと八割が「日本は大嫌い」と回答しています。これは、教育の「成果」としか言いようがありません。「愛国教育」の中で、中国は「戦争で日本は二〇〇〇万人の中国人を殺した」と教えています。ナチスが殺害したユダヤ人は六〇〇万人。六〇年前の戦争で二〇〇〇万の自国民を「虐殺」されたと信じ込んでいる彼らにとって、中日友好なんてジョークに思えることでしょう。より憂慮すべきは一〇年後、二〇年後の日中関係。そんな愛国反日の世代が社会の各方面で指導的な役割を果たすようになるのですから。
政府関係者の中には今回の事態を「日中関係は今までも山あり谷ありだった」「国民の不満のはけ口として日本がターゲットになっているだけで、やがて自然に収まる」といった楽観論も多かった。しかし、今回の危機は決して循環的なものではなくて、どんどん積み重なっていく構造的な問題だと思います。手をこまねいていれば、事態は悪化の一途をたどるしかないでしょう。
田中 責任の多くの部分は、先ほどから指摘されている教育問題をはじめ中国側にあると思うのですが、振り返ってみると日本政府にも“ミスト・オポチュニティ(失われた好機)”がなかったとは言えない。九八年十二月に江沢民が来日して早稲田の大隈講堂で演説を行いました。これが日本側では不評だった。例によって日本の戦争責任を指弾する内容だったからです。この時、中国政府内に「江沢民来日は失敗だった」というとらえ方が強まって、一時期対日批判を控えたのです。
ところが、二〇〇一年の自民党総裁選で小泉さんが靖国神社参拝を公約に掲げて当選し、実行に移したあたりから、状況が一変してしまった。中国側の認識図式からすれば、靖国は日本軍による侵略戦争の象徴。「こちらは静かにしていたのに、いきなり平手打ちを食らわすとは何ごとだ」となってしまったわけです。
中国側の靖国神社に対する認識が正しいとも、参拝したい気持ちがおかしいとも言いません。しかし、日本国内でも論争のある靖国参拝を納得してもらうためには日本に対するかなり高度な文化理解と寛容さが不可欠です。ものごとを単純化して理解することに慣れている「ネット世代」への説明はかなり難しいでしょう。説明が困難な状況のまま、記号化された「靖国参拝」のイメージだけが中国国内で増幅された。総理が参拝するたびに、「反日」の口実を与え続けてきたと思います。
岡本 日本側の失われた好機という意味では、戦後五〇周年で、中国と一気に和解に向かえたかもしれない。村山談話にも「中国」という国名は入ってないのですね。韓国やあの北朝鮮にさえ文書で謝罪しているのに、中国にはしていない。そのあたりも不必要に刺激する要因になったかもしれない。
中国発の危機を防げるか
――現状を打開するために日本政府は何をなすべきなのか、また中長期的な課題とはどのようなものでしょうか。
岡本 今年は戦後六〇周年。今度は小泉さんがしっかりした談話を出すべきではないでしょうか。重要なのは、中国はもとより、世界に向けたメッセージを発信することです。今回の事態を伝える海外メディアは大半が中国政府の無責任な対応を批判していますが、必ずと言っていいほど「日本は過去を率直に認めるべきだが・・・」といった枕詞を付けて報じているんですね。実は中国だけじゃなくて、欧米などへの説明も不足しているのです。
田中 同感ですね。先ほどの靖国問題でも、欧米メディアの東京駐在記者で深く理解している人間がどれほどいるのか。しっかりした説明もせずに、ある種「政治的な」行動を取ることの危うさを、もっと考えるべきです。今現在は中国に批判的な彼らですが、事態はどのような進展を見せるか分かりません。万が一、欧米まで反日にまわるようなことになったら、それこそ日本は閉塞状況に陥ります。
そうならないためにも、当面、日中関係のこれ以上の悪化は防がなければいけない。長期的課題としては反日教育を相対化する取り組みが求められるでしょうが、まずは目の前の反日運動を何とかしなければ。ラジカルな解決が考えられない以上、中国政府は「だましだまし」、事態をマネジメントしていくしかないだろうと思います。その時、日本の利益にかなう方向に進むのであれば、共産党指導部との協力も視野に入れるべきでしょう。「攻撃されている日本がなぜ協力するのだ」と言われるかもしれませんが、増大する自信と被害者意識を同時に持っている中国大衆の動向をこのまま放置して、日本にも外国にも傲慢な意識で暴動が頻発するようになれば、中国発の世界同時不況だってありうる。今の状況はそういう深刻ささえ、はらんでいると思います。
第一、巨大な共産党独裁体制の下で驚くべき経済成長をするということ自体が、考えてみれば滅茶苦茶な社会実験といえます。これが爆発すれば周辺諸国にとっても重大な危機になるわけで、無視すればいいという結論にはならないと思います。
岡本 中国共産党内部の「話のできる」人間と手を携えるのは大事なことだと思います。ただ、そういうパイプが昔に比べてうんと細くなってしまっているのが、痛いですね。個人や派閥に偏っていた対中外交を、政党、政府という“面”に広げる前に反日の火の手が上がってしまった。日本の国連安保理常任理事国入りが議題に上がっていますが、常任理事国になるための主戦場は、ニューヨークだけでなく、北京だったと思います。総会で承認されても、中国が批准しなかったら元も子もないのですから。そうしたことを視野に入れた、戦略的な対中外交が政府全体として行われてきたかといえば、残念ながらそうでもない。領土問題に象徴的なのですが、ことなかれ主義というか対症療法の繰り返しが今日の状況を生んでいる面がある。軌道修正が必要です。
私はどこかの時点で、歴史を検証する日中合同のプロジェクトを始めるべきだと思います。はっきり言って一〇年遅かったと思うが、それでもやらないよりやったほうがいい。また、これも中国がODAを必要としていた一〇年前に伝えるべきだったが、行き過ぎた反日教育を是正するよう強く働きかけるべきでしょう。そして、やがてはっきりした態度表明を迫られると思いますが、このままの状況では北京オリンピックに参加できないかもしれないという議論が日本の国内に出てきてしまうことでしょう。
同時に、中国とだけ向き合っていても限界があるでしょう。欧米にも日本の立場や考え方を積極的にアピールして、マルチな国際関係の中で中国に対日姿勢を改めさせる道を模索すべきだと思います。
田中 今回の事態は、もちろん日本にとって不愉快ではあるし損失も小さくないのですが、経済発展を維持するために世界経済と一体化したシナリオを描かざるをえない中国にとっても、大きなリスクです。オリンピックや万博も控えている。二〇〇八年まで、このまま反日運動が続いていると、中国にとっても「胡錦濤―温家宝体制の失敗」ということになります。また世界最大の経済大国になるという道を自ら閉ざすことになりかねない。
日本が何をすべきかと言えば、これ以上、日本に対する敵意を拡大させないこと。例えば東南アジアでは反日感情は起きていない。これらの国としっかり組んでいくことが重要になります。先ほど岡本さんもおっしゃいましたが、戦後六〇周年の節目に小泉首相が「従来の枠組みの転換を図ろう」といった、画期的なアピールを出すことには大きな意義を感じます。当然のことながら今回の破壊行動に対する謝罪や補償が行われてからの話ですが、「それをやれば、こちらには『小泉談話』の用意がある」と中国指導部にボールを投げてはどうでしょうか。また息長く日中共同で歴史認識問題に取り組む必要もあります。
しかし、長期的にみて、中国が民主化することが最も重要な要素になるでしょう。反日教育を受けた層の感情は長く残るでしょうが、民主化した社会では国民の多様な意見を表出できるので、一方的な排外主義に走ることを抑制する可能性が高くなると思います。
岡本行夫(おかもと ゆきお)
1945年生まれ。
一橋大学経済学部卒業。
外務省に入省後、北米局安全保障課長、北米第一課長を歴任し、91年、外務省退官。現在、岡本アソシエイツ代表。首相補佐官(外交担当)。
田中明彦(たなか あきひこ)
1954年生まれ。
東京大学教養学部卒業。米マサチューセッツ工科大学大学院修了。
東京大学助教授を経て、東京大学教授。東京大学東洋文化研究所所長。
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