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2004年4月号 経営労働
中国蘇州に集結する台湾コンピュータ産業
一橋大学大学院商学研究科教授 関満博
 
 上海の隣の蘇州には台湾系企業がおよそ4000社集積している。「中国の蘇州に台湾系のノートパソコン関連企業が大集積している」との情報は以前から入っていた。中でも、私は2002年の秋口からこのエリアの中の「呉江」という場所に関心を抱いていた。その頃は、建設中で十分なヒアリングはできなかったが、すでに台湾ノートパソコン関連企業が約300ほど軒を連ねていた。それも1社で100ヘクタールを超す敷地を抱えている企業に目を奪われた。パソコン、携帯電話のARIMA(華宇)あたりは優に100ヘクタールを超えており、正門から工場ははるか彼方に見えた。電気・電子系の工場で、これほど壮大な敷地は初めて見た。
 以来、この呉江から蘇州の台湾ノートパソコン関連企業の系統的な現場調査は、私の当面の最大の課題となった。そして、ようやく2004年1月と2月の2回にわたって、このエリアで30件近い現場調査を実現できた。本格的な報告はあと2度ほど調査を重ねてから書籍の形で行うが、ここでは特に注目すべき点を紹介しておきたい。
2000年から事業が変わる
 台湾企業の中国進出は約6万件といわれ、日本の約2万件をはるかにしのいでいる。このうち、約30%が広東省といわれ、上海〜江蘇省〜浙江省を合わせた長江下流域が約35%、福建省が十数%とされている。90年代後半までは広東省の比重が圧倒的に多かったのだが、2000年前後から長江下流域、中でも蘇州周辺への集積が顕著なものになってきた。特に、OA機器の中でも、デスクトップ・パソコン、コンピュータ周辺機器等は広東省の東莞周辺に大集積したが、台湾のノートパソコン関連は、蘇州を中心とする長江下流域に集中した。台湾のノートパソコン主力10社のうち、QUANTA(廣達)だけは上海の松江区に立地したが、他の9社はすべて蘇州に着地している。
 このノートパソコン勢が蘇州に集積し始めたキッカケは、94年に、台湾を代表するACER(宏基)が蘇州新区にデスクトップ・パソコン工場を進出させたことに遡るとされている。ACERは、抵抗器、コンデンサー、変圧器、プリント基板、プレス加工などの協力企業14社を引率してきた。彼ら協力工場群はACERからクルマで1時間圏内の地価の安い土地を模索し、当時は辺境の地と思われていた呉江の北部に着地した。現在、その14社が固まっているエリアは呉江経済開発区の一部なのだが、別名「台湾電子城」と呼ばれている。ただし、90年代末までは、呉江は全く世間に知られていなかった。むしろ、2000年までは、台湾企業のOA機器機器関連、電子部品関連の中国進出の焦点は広東省、それも東莞周辺とされていたのであった。
台湾ODM、ENS企業の蘇州展開
 念願のARIMAの呉江工場に、今回、初めて訪問できた。160ヘクタールの敷地に第1期分の工場が2棟、従業員寮が数棟完成していた。現在の従業員数は約7000人、これが全体が完成すると、約6万人の規模になる。ARIMAは2000年に台湾政府がノートパソコンの中国進出解禁を決定するまで中国に進出していない。解禁決定後、躊躇せず長江下流域を調査し、地価が安く、地元の優遇も大きかった呉江に決定する。2000年9月に設立、2001年から操業に入っている。
 このARIMAは、元々、自社ブランドを持たないODM(Original Design Manufacturing)メーカーであるが、呉江進出以来、EMS(Electronics Manufacturing Service)の部分を増加させ、世界のメーカーからの受託生産を幅広く展開し始めている。現在の月間生産能力は、ノートパソコン55万台、携帯電話100万台、サーバー44万台、ピックアップヘッド50万台などである。ノートパソコン、サーバー、ワイヤレス通信と開発を重ね、次の課題は光学、通信材料などとされていた。
 主たるユーザーは、ソニー、NEC、ノキア、HPなどの世界の最有力企業である。ライバルはノートパソコンでは、同じ台湾勢のASUS(華碩)、QUANTA(廣達)、COMPAL(仁寳)などであり、携帯電話ではBENQ(明基)、D&B(大霸)などである。明らかに、ノートパソコンと携帯電話という現代を彩る二つの製品群の生産は、台湾勢の世界であり、それも蘇州を中心とする長江下流域が舞台となっている。
 ARIMAの工場に踏み入ると、プリント基板の実装のラインには、日本製の機械がはるか彼方まで並んでおり、また、組立ラインには大量の若い女性がはりつく目も眩むような光景であった。日本の関係者が覗けば、溜め息が出ることになろう。
サプライヤー、加工業者も集結
 当然、このようなセットメーカーが蘇州に進出していることから、サプライヤー、加工業者も大挙集まってきた。例えば、ノートパソコンのマグネシウム合金の筐体を供給するCATCHER(可成科技)は2002年7月から蘇州でスタートしている。2004年1月現在、従業員3700人、基幹となるダイキャストマシン61台、ブラザー製NCタッピングマシン331台(今年10月には450台に拡大予定)という壮観なものであった。私はこれだけの規模の筐体屋をみたことがない。CATCHERはQUANTA、ACERなどのセットメーカーから注文を受けるが、最終的にはDELL、HPなどのブランド品になる。
 また、このような一次サプライヤーに加え、加工業者も大量に蘇州に集結している。例えば、筐体用の鋼板切断専門のある中小企業は、97年には広東省東莞市に進出(従業員78人)、そして、蘇州の動きが鋭くなった2002年7月に蘇州に進出している(従業員53人)。当面は東莞の比重が大きいが、台湾は激減、それに対して蘇州が急増している。
 以上のように、2000年を前後する頃から、中国蘇州はノートパソコンを主軸に台湾系企業の大集積が開始されている。長江下流域に自前のノートパソコンと携帯電話の組立工場の建設を考えていた日本のある有力メーカーは、先のARIMAを視察し、自社工場の建設を断念、生産委託に切り換えた。おそらく、この2〜3年で集積密度はさらに増し、世界のノートパソコン、携帯電話等については、台湾勢を焦点に、このエリアに世界の大半が集まってくるのではないか。半導体に関しても、上海から蘇州にかけて、現在、台湾系の一貫工場が次々と建設されている。すでに2003年末スタートした中芯国際(SMIC)の浦東新区の巨大な半導体工場は投資総額16億ドルとされている。日本企業はこうした流れをどのように見ていくのか、ARIMAとSMICの工場の前に立って、自らのあり方を考えていく必要があるのではないか。
関満博(せき みつひろ)
1948年生まれ。
成城大学大学院修了。
専修大学助教授を経て現在、一橋大学大学院商学研究科教授。
 
 
 
 
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