日本財団 図書館


1999/10/08 経済倶楽部講演録
中国五〇年目の課題
慶應義塾大学教授 国分良成(こくぶんりょうせい)
 
 高柳 開会いたします。(拍手)
 今日は慶應義塾大学の国分良成先生にお出でいただきました。お名前はコクブではなくて、正確にはコクブン先生とお呼びします。今日のテーマは中国問題でございます。ごく最近、天安門前で五〇周年の盛大な記念式典がテレビでも放映されました。しかし中国という国はいろんな問題を抱えており、なかなか実情が分からず、評価の分かれるところです。
 国分先生はきっすいの慶應ご出身で、今、学界では一番公平な見方で、かつ北京と台湾の双方に太いパイプを持っておられ、もっとも注目されている学者でいらっしゃいます。たえず中国に行っておられるのですが、この日曜日から再び中国へ参られるとのこと、大変お忙しい中を割いて来ていただきました。よろしくお願いいたします。(拍手)
メンツで乗り切った五〇周年式典
 国分 ただいまご紹介をいただきました慶應大学の国分でございます。本日は伝統とゆかりのある東洋経済グループの経済倶楽部にお招きをいただきまして、非常に光栄に存じております。これから約一時間少々、お聞きいただければ幸いでございます。
 私自身は一貫して現代中国を研究しております。できるだけ中から物事を見たいということで、中国への留学、出張をできるだけ行いました。また、台湾、香港、あるいはマカオも関心がございますので、できるだけ出向いて、中から見る姿勢をとりたいと思っております。
 しかし、今の中国の問題は、そこだけを見ていれば分かるのではなくて、例えばアメリカで、現在、議会が何を言っているか、どういう人たちが蠢いているか、大統領府は何を考えているか、ペンタゴンはどう考えているか、いろんな部分から物事をとらえていかないと、分からないことが非常に多いと思っております。
 ただ、最近では、非常に便利なことにインターネット等々もございますし、また、アメリカの人たちも、実は日本の対中国観というものに対して非常に関心を払っております。例えば現在、日中関係を博士論文で書きたいという欧米圏の若い研究者が私の知る限りでも軽く一〇人を超えております。今では日中関係が、ある意味では世界の日中関係になりまして、皆がここの地域で何が起こっているのかを非常に注目している状況だと思います。
 さて、お配りいたしましたレジュメ(割愛しました)に従いまして私のお話を展開したいと思います。ご覧のとおり盛りだくさんでございまして、今日は大サービスで、すべてお話しをしてしまおうということであります(笑)。ただ、時間の関係がございますので、できるだけコンパクトに私の考えのエッセンスをお話し申し上げたいと考えています。
 建国の五〇年という式典がつい最近開かれました。日本では、例の東海村の臨界事故によりまして、一瞬に中国のニュースは吹き飛んだ格好です。とはいえ、中国のニュースそのものは、中国内部、そして世界では、かなり大きく報道をされました。
 ご承知のように軍事パレードが行われました。これについてのさまざまな賛否両論がございました。人によっては、軍事パレードはやめて、台湾の地震に対して、喪に服すということで半旗にすれば、台湾人の心をつかむぞという説までございました。結局、滞りなく従来の予定どおり行った。
 この五〇年の式典を行うために大変なおカネをかけました。行かれれば分かりますが、半年ぐらいで街の風景が大きく変わりました。これも一言で言えば、一〇月一日の国慶節を無事に乗り切りたいという、ある種のメンツというのがこの根底にあろうかと思います。実際最後は間に合わなくて、私は工事現場の中をのぞきましたけれども、表のペンキだけ塗って、中は後回しという感じになりました。天安門前にある長安街とか、王府井という繁華街とか、全部衣替えをしましたけれども、中身はまだまだという感じがいたします。ただ、表から見ると非常に奇麗になっております。
 今年の経済、政治、あらゆるものが実はこの一〇月一日をうまく乗り切りたいという中国人のある種のメンタリティーといいますか、メンツがあったろうと思います。
 海外のマスコミは、取材はできますけれども、映像その他を映すことができない。全部中国のテレビ局の映像を借りる形になった。
 実は九月中旬から工場は全部操業停止で、空気をきれいにしました。北京の秋は、本来「北京秋天」と言いまして、非常に奇麗な抜けるような青空が広がるんですが、それが近年の公害で全く見えない状況です。下手をすれば一〇〇メートル先も余りよく見えないことが時々あります。
 それから、九月中旬から車の乗り入れ規制で、市の中心部へは許可された車以外は入ってはいけないことになりました。これはテレビの映像をクリアに見せるためだったらしい。実際のところは、軍事パレードでマッハ幾つで飛んでくるジェット戦闘機が、北京はビルが林立していますので先が見えなくなると非常に危険です。とにかく空気を奇麗にしないと、軍事パレード、特にジェット戦闘機が不可能だという、それが大きかったのだろうと思います。
毛沢東→小平→江沢民
 中国の五〇年間―― 一九四九年(昭和二四年)から今日までの、中国共産党による支配があった。その順番をひもとけば、毛沢東から小平、そして現在の江沢民と受け継がれています。
 毛沢東は、ある種、個人独裁と言ってよろしいかと思います。小平さんになると考え方を変え、改革・開放路線に変わりました。毛沢東さんは一貫して革命を展開した。なぜ革命を強調したか。やらないと社会主義が壊れる。社会主義が壊れるというのは、恐らく彼は中国の農村社会をある意味では知っていたのだろうと思います。やらないとバラバラになって、中国社会は再び後戻りする。であれば、やはり我々がやらなければいけないのは、上からガンと押さえつけることである。社会主義の体制をきっちりと掴んでおくということで、文化大革命のようなことも行った。結局、小平さんがその後を受け継いで、彼自身は、社会主義体制で上からやっていては、中央の権力というのが逆に維持できなくなると考えたのでしょう。地方分権化を行い、同時に海外との経済交流を積極化する。
 私は、ある意味では中国の根本的な転換は、今から七年前、一九九二年だと思います。社会主義市場経済が出たのが大きいと思います。つまり、社会主義という冠はありますけれども、基本的に中国は社会主義から市場経済への道に進むという、このパンドラの箱をあけたのです。ただ、もちろん社会主義という冠は大事ですから、この冠(社会主義)と、同時に市場経済との間でいろいろ問題が起こっているのは、また後ほどお話しをするかと思います。
 小平さんは、パンドラの箱をあけた。あけた瞬間から中国社会は経済成長が起こり、海外との交流も起こり、中国は世界の一員であるという言い方をするようになってきた。それまでは余りそういう言い方はしなかった。つまりは中国は中国であって、中国以外の何物でないというような思考が非常に強かったんですが、中国は国際社会の一員であり、同時に国際システムの一員である。それは市場経済化である。なぜかというと、ソ連が崩壊したのは市場経済に負けたという理解に行ったのですから、食べさせないと中国はソ連と同じ道を歩む。であるからして中国がやるべきは市場経済しかない。それをどうやってやるか。それは上から強権的に、権力の部分だけは抑えてやるというのが基本だったのです。ここにあったのは、経済成長がなければ中国社会の安定も伴わないだろうということでした。まさに結論に近い話になりますが、今の経済成長が非常に陰りを見せている中で、政治的な安定の問題も実は出てきていると思います。
 いずれにしても、この五〇年間の歴史の中で、中国をどう見るかということが実は我々自身もかなり揺れてきたということが事実だろうと思います。それはどういうことかと申しますと、中国自身もかなり揺れてまいりました。江沢民さんの世代になってまいりますと、先ほど申し上げたパンドラの箱をあけた結果としてのいろんな問題が出てきている。
 ここまでの五〇年間を振り返ってみますと、中国は、時には文化大革命、時にはソ連との同盟、時にはアメリカとの和解、そして改革・開放という形で、動いてきました。その中に天安門事件のようなことも起こったのです。
 我々が注意しなければいけないのは、これと同時に我々も一緒に動いてきたということです。これは我々のような物を書いたり、しゃべったりする人間の宿命、同時に責任でもあろうかと思いますけれども、どこに中国を見る視点を持つかという、そこのポイントがあるかないかということだろうと思います。中国は確かに変わったけれども、実は我々の方が逆にぶれてしまうことを痛感しながら中国を見ていかないと、下手をすると、いつか自分が振り回されていると思います。
 さて、五〇年の成果を振り返ったときに、プラス面と同時にマイナス面というか、負の遺産という部分のところもやはり考えなければいけない。私は最近あるところにこういう書き方をいたしました。中国の一九四九年、中華人民共和国の成立は、人々は皆、解放(リベレーション)という言葉を使った。解き放たれるという言葉は、つまり過去の抑圧からの解放と同時に、半植民地であった状態からの解放だったと思います。実はその解放が新たな問題を生み、新たな抑圧を生み、また今、新たな解放への道を進まなければならない、そういう道に来ている。これは、ある種の弁証法的な考え方をとらなければいけないと思います。
 ただ、中華人民共和国の成立、そして今日に至る五〇年間の中で成果がないわけではない。
 第一は、独立国家の出現です。独立国家をつくったのは、一〇〇年来の悲願でした。一八四〇年から中国はアヘン戦争により、当時は清国ですが、列強によって侵略を開始されたのです。そして領土を失っていく過程を経た。その後、太平天国の乱、海外の列強の抑圧、そして二〇世紀に入り清朝が孫文を中心に行われた辛亥革命で崩壊する。孫文亡き後、介石政権ができ、中国を一時期、一応は統一をする。そうは言っても海外列強の抑圧、そして日本からの圧力が激化して、中国はかなり混乱する。毛沢東の言葉をかりますと、それは、つまり半植民地状態であった。この社会をとにかく立て直す。その作業が基本的に終わったのが一九四九年の中華人民共和国だろうと思います。
 ただし、いろいろな地域は残った。その最大の懸案が台湾であった。介石政権が入り込んでしまった。これは主権の回復という中国共産党の存在理由そのものの一つである。今日、主権という言葉は、グローバリズム世界の中で、比較的古色蒼然たる思いがするところも少しあります。この主権という言葉は、中国の外交用語をずっと数えていきますと、ある意味では最も多い言葉の一つということが分かってまいります。主権の回復、主権の確立と。つまり、これが中国のナショナリズムであり、愛国主義である。近代ナショナリズム、一五〇年間のこの屈辱の歴史を清算したいというのが思いとして今でも強い。
飢餓からの脱出と平等の実現
 第二の成果が飢餓からの脱出。これは何かと言えば、中国社会というのは、毛沢東の言葉をかりれば、半封建の社会であった。それから脱出をする。確かに昔「支那には四億(人)の民がある」という言葉がありましたけれども、一八五〇年代から一九五〇年ぐらいまで、つまり中華人民共和国が成立するまでの一〇〇年間をとってみますと、人口はほとんど変わっておりません。というよりは、人口が一八五〇年から一八六〇年の間には一・七億人減少しております。一・七億人餓死した、戦死した、外国に逃げた。多分外国に逃げたのは余りカウントしていないかと思いますが、いずれにしても、一〇年間で一・七億人死亡したという清朝の末期のもの凄い現象がございます。
 つまり、中国は戦乱と飢餓によって人口調節を行う。その間、農民反乱が起こって、新しい王朝が起こるというパターンを繰り返してきた。一〇〇年間、四億人の数字をほぼ維持してきた。一九四九年の段階では五億人を超えていたと思いますけれども、結局、一九九九年の人口が一二・五億人ですから、その間、人口が約七億人増えたことは、皮肉な言い方でありますけれども、中国は「人権国家」であると。つまり、どれだけ人口を養ったかということになる。その意味では、今日の政権は、餓死からの脱出には成功した。
 ただし、注釈がつきます。一九五〇年代末、中国で大躍進や人民公社化が行われましたが、その後、中国で餓死者が生まれました。これは自然災害とも一緒に伴ってきましたけれども、毛沢東の政策の失敗であります。その結果、三〇〇〇万人餓死する事態が一九六〇年代の初頭にありました。
 そのころの日本の新聞を見ても、もちろんそんなことは何も書いていません。比較的好意的な記事が多かった。その後、文化大革命が起こっても何も知らない。そして、分かったのは約二〇年たってからそういうことがあったと。今でもまだ完全には公開していません。つまりはそれぐらいの餓死があった。しかし、基本的には人口は七億人増えた。
 その後、中国は社会主義社会をつくることで、強権社会ではあったけれども、一応平等社会をつくり上げた。そういう成果は否定できない事実です。
 このような成果は、実はその成果だけで終わらない。というのは、この二つの成果(独立国家、飢餓からの脱出と平等社会)とも、実は一九五〇年代にはほぼでき上がっていた。この問題はほぼ解決していたと言える。したがいまして、その後の中国がどういう社会をつくり上げるかという建設の部分に関しては、いろいろな問題を生み出したのです。
 毛沢東と小平とは考え方が違いました。社会主義を優先するのか、つまり社会主義を先につくってしまうのか、あるいは生産を増やしてから社会主義に行くのかという大論争が一貫してあった。毛沢東は社会主義を先に形成した方が生産が増えると考えた。つまり、生産関係が束縛されている。これを解放すれば生産が増えると考えた。それで社会主義革命を急いだ。小平さんら実務担当者は、社会主義は生産力を増やさないといけないという議論を逆に展開する。そして自分でも政策を展開した結果、毛の反発で文化大革命になるという歴史を繰り返してきた。
 そして建国から五〇年を経て、一体どういう問題が残されているのか。今の江沢民、そして二一世紀の初頭にかけて、中国はどういう問題を抱えているのか、私の考え方をここでご紹介することで、皆様と考え方を交換してみたいと思います。
党内権力
 まず政治の側面に入ります。一挙に五〇年飛びます。まず党内の権力を考えてみますと、現指導部は、正直なところ、江沢民さん以外に抜きんでた指導者はいないということです。江沢民氏そのものが有能な人物であるのか、彼自身がカリスマ性を持っているのかというと、大きな疑問がございます。ただ、中国の指導者は一貫してどういうふうに決められてきたかというと、前任者が後継者を決めるやり方でした。毛沢東にしても小平にしてもそうだった。ただ、毛沢東は劉少奇を切り、林彪を切り、その後、小平は胡耀邦さんを切り、超紫陽を切る。自分の後継者をすべて切ってきた。最後は可もなく不可もない人物が残り、毛沢東の場合は華国鋒が最後の指名になりましたけれども、小平さんに権力を奪われます。小平さんは江沢民を推した。
 江沢民さんは、小渕首相が七月に中国に行きましたときに、共産党の総書記という地位があり、中国では最も重要な地位です。一般的には日本では主席という言葉を使います。これは国家主席、中華人民共和国の元首で、そのポストも兼任している。軍事委員会の主席というポストも持っています。軍を持たないと中国の指導者としては非常に不十分なのです。この小渕訪中のときに、二〇〇二年、第一六回党大会が開かれるが、この大会でこういう考え方もあると小渕さんに伝えた。それは、総書記には任期がない。人気がないかもしれませんけれども、任期もない(笑)。つまり交代しなくてもいいとにおわせた。ほかには任期は国家主席も規定されているし、大体規定されています。
 そうは言っても、最近出てきている胡錦濤さん、今度軍事委員会の副主席となった次の若手のリーダーです。まだ五〇代で、中国の場合、五〇代というのは非常に少ないんです。文化大革命がありましたので。
 たとえ二〇〇二年に交代が行われ、二〇〇三年初めに国家主席のポストが交代になりましても、何らかの新しいポストをつくるだろうという読みを、我々はもう既にしています。江沢民さんが後ろに下がりながらも、その力を発揮できるような状態にするのだろうなという感じはいたします。
 江沢民は自身が凄いかどうかは別として、ブレーンを集める力はなかなか凄いものがあります。特に上海から呼びつけたいろんなブレーンを周りに固め、それから絶えず地方の幹部を交代しています。それによって、できるだけ中央に対する地方の凝集力を引きつけようということであります。
 朱鎔基さんは、確かに今、死んだふりなのか、本当に死にかけているのか分かりませんけれども、ほとんどその影響力を持っていません。これは、ほぼ確実視されています。つい最近開かれた共産党の会議の中で国有企業改革の話し合いをしました。国有企業改革は朱鎔基さんの専任事項というか、彼が扱わなければいけない事項ですけれども、彼は横で座っていただけで、江沢民氏と彼の部下が担当しました。
 六月に彼は辞任をほのめかした。そして次の総理の候補者として自分の部下の名前を出したと言われています。北京に行きますと、次の首相はだれだということで下馬評が上がっておりますけれども、彼の評価は、知識人の間ではまだ根強い人気があります。ただ、そうは言っても経済政策において、去年、非常に供給過剰でしかも消費が減退している段階で、行政改革や国有企業改革を含めた全面的な三大改革に突入して、リストラに入った。これが不況の原因だと言われておりまして、つまりは政策的な失敗です。彼が去年から始めたというよりは、この四〜五年は彼の経済政策が基本的に中国において展開されてきた。それがこういう状況を迎えている。中国の中では、これがアジアの経済危機によるものなのか、どの程度彼の責任によるものなのか、個人でこれができることなのか、もちろんいろいろ議論はありますが、彼自身の評価は非常に下がってきたことは間違いありません。ただ、彼以外にできる人間はいない。
 何よりも重要なのは、彼が西側に人気があることです。つまりは西側から資本を取りつけるためには、やっぱり彼の顔がないと困る。ですから逆に、一説には、現在は朱鎔基さんがだめだという噂を流して、アメリカを刺激して、かわいそうだ、彼がいなくなったら困る、というわけでWTOに入れてもらう。という説もございますけれども、恐らくそうではないと思っております。
 李鵬さんは最近は非常に元気である、ということだけはつけ加えておきたい。それから李鵬さんも、実はいろんなところでいろんな影響力を発揮しておりまして、私は、彼自身も単純な保守派というレッテルを張るのはおかしいだろうと思います。
 変な言い方でありますけれども、朱鎔基さんは、日本に対しては、この一年ぐらいかなり厳しかった。日本から財界人が行っても会ってくれない。日本の要人が行っても会ってくれない。私が今年の初めに中国に何回か行ったときには朱鎔基さんは日本人と会っても余り話がおもしろくないから会わない、という噂も出ていました。
 それからもう一つは、去年の人民元がアジアの危機を救うというような言葉からすると、日本に対して若干厳しいなという感じはありました。これは多分アメリカとの関係が非常によくなっていた、ある種の自信のようなものだと思います。去年、日本に来たときの江沢民の歴史発言もそうだったと思いますけれども、それが一挙に逆転していくのは、今年に入ってアメリカとの関係が崩れ、それから全面的に中国の経済がおかしくなってくる状況の中で、中国自身が大きく変わらざるを得ない。その中で比較的安定しているのが李鵬さんです。彼自身は、それほどぶれのない人ですし、考え方は分かりやすい人です。しかも最近では、かなり広東への影響力もあるようでして、その意味では、GITIC(広東国際信託投資公司)の問題とも関連して、彼の存在は大きいのではないかと感じます。
 ただ、全体の方向としては、彼自身の影響力は徐々に徐々に弱まっていることは間違いない。彼自身もいろいろと発言を変えたり、今ではだれが改革派で、だれが保守派という区分自体が、ある意味では意味のないことであります。今ではほとんど方向性がそちらに向かっています。
政治の争点
 ただ、やはり怒っている人たちがいる。これは軍です。軍の中で、現在では最高のポストは握っていませんけれども、後ろに下がることによって逆に発言力を保持している状況がある。最近の軍事パレードも多分そうでしょうし、また台湾問題に対する過激な発言も恐らくそうだと思います。ふだん穏健な人までが最近はかなり過激な発言をします。いつもと考え方や言っていることが違うじゃないかと言うと、今はこう言っておかないと、後ろでうるさいやつがたくさんいるからなということです(笑)。結局、中国の中にもいろんな複雑な状況がございまして、特に軍を中心とした人々が後ろからいろんな形で言っている。この辺は注視しなければならない。
 政治の争点としては法輪功という問題もございました。これは一応根こそぎ捕まえた、あるいはやめさせた。ちょっと過激なほどに政治キャンペーンが展開されました。五〇周年の国慶節へ向けての愛国心キャンペーン、それから台湾問題、この二つが国の凝集力を見せるためのある種の愛国キャンペーンに使われた側面があります。
 ただ、今年四月二五日、いきなり無言で二万人の人たちが中国共産党の要人の住む中南海を取り囲んで、何もしゃべらずにじっと立っているという状況は、共産党にとっては大変なショックであった。中に軍の中将クラスの人まで入っていたと言われています。一時期は一億人いるという話もございましたが、当局は数百万人だろうということで、四月二五日の段階は、当局がバスを七〇〜八〇台用意しまして、河北省あたりから来ている人たちが多かったものですから、全員バスに乗せて帰したいきさつがありました。その後、アメリカに住んでいるリーダーの李洪志という人物も国際指名手配になっております。
 中国に、今、法輪功だけではなくて、いろんな秘密結社があることはだれでも知っています。それ以外にいろいろな宗教団体ができた。しかも、日曜日にキリスト教の教会に行くと大変な人です。どこもそういう状況になっている。これは信念の危機というか、何を自分自身の生きる価値として持つかで、非常に不安な気持ちを持つ人も増えてきているということだと思います。
 そして、政治の深刻な問題が政治腐敗です。中国の先ほど申し上げた社会主義市場経済は、市場経済の中に共産党が介入することを制度的に保証しています。つまりは共産党による市場経済です。そうすると、政治腐敗は、むしろつくってくださいということになっている。絶えず毎年のように何万件という形で摘発されるのは、ほぼみんながやっていることになります。小さいか大きいかは別として、そういう状況である。
 そこで、江沢民氏は必死に政治キャンペーンを行っている。例えば「三講」と言っても、恐らく皆さん聞いたこともないと思いますけれども、この三年ぐらい江沢民氏は「三講」と言って、三つのことを大事にしろと。政治、学習、そして正しい気風という、この三つです。これをやれとどこでも言っているんです。「人民日報」を読むと、ほとんど連日書いてある。日本の新聞は、取り上げる意味もないということで取り上げていませんし、私もよく中国の友人に半分ジョークで「三講って何?」と聞きますと、すぐに答えられない人が多いというぐらいに、ほとんど何もやっていないということなんですね。
 結局、現在の状況は、簡単に言えば、政治的にはみんな保身を考えているということです。つまり、状況が非常に流動的で、どうなるか分からないときに慌てて発言しない方がいい。むしろ発言すべきは、できるだけ強硬なことを言っておいた方が安全である。そういう状況が中国において発生していますので、江沢民を含めて、みんな「三講」と言って学習している。毎週、大体金曜日が多いと思いますけれども、午後三時から政治学習会を工場とか学校とかで行う。実際はみんな寝たり、関係ないそぶりです(笑)。自分の責任に関係した部分になると、すぐ立ち上がって反論する。私も何回かそういうのに出たことがあります。そういうことが繰り返されている。
 少数民族問題もやはり深刻な問題です。その中でチベットは、欧米、特にヨーロッパ世界が非常に関心を抱いています。
 これはインドとの関係がありますし、アメリカの民主党は政権党なので余り言えませんから、クリントン大統領は民主党の財団などを使ってインドを通してダライラマを支援しています。
 チベットより深刻な問題は、新疆ウイグルの問題ではないかと思います。現在、漢族の人口が約四割ですけれども、これは同化政策ということで必死に送り込んだのです。毛沢東以来五〇年間、人を送り込みました。文化大革命のときに若者たちに農村に行けということになりました。
 そのときに特に新疆のウイグル地区にはたくさん行かされました。それでこの地域を同化させ安定させるということだった。しかし実は同化しなかったのです。同化しないで、境界線があって別々に住む。その間には必ず機関銃を持った兵士が立っている。つまりは、もし中央の凝集力が緩んで、中央で何かが起こったりしますと、この兵隊は怖くて、すぐ逃げ出すはずです。
 ここで何が起こるかを考えますと、実は東ティモールの問題や、あるいはコソボの問題が中国の中にも大きく存在している事実があります。中国がコソボの問題にあれほど敏感になったのも、そういう側面があったからです。
 周辺事態も、台湾のことばかり言っておりますけれども、ひょっとすると別のところにいろんな問題が起こる可能性もゼロではない。すぐ起こるという状況ではもちろんありませんけれども、ただ、そういうような問題を抱えているということ自体は、やはり見ておかなければならない。
七%成長なのにデフレ不況?
 経済に関しては、ここに専門家がたくさんおられますので、できるだけ避けてお話しをしたいと思いますが、私は政治学者として、そちらから見た観点を若干申し上げたいと思います。やはり深刻なデフレ状況にある。深刻という言葉をつけていいのかといろんな人が言います。七%の成長があるんだから、いいじゃないかということです。七%の成長が本当に七%かというと、普通の中国を見ている経済学者からすれば、五%前後だろうと。これが実態ではなかろうか。
 問題なのは、経済成長の根源が沿海地帯であることです。沿海地帯は、もともと国営企業が少ない。なぜかというと、毛沢東は平等主義者でしたから、内陸に国営企業をたくさんつくった。最初はソ連からもらって、東北、旧満州地域にたくさんつくった。その後、内陸にもつくった。内陸の人たちは、ああ、これで豊かになると喜んだ。沿海は、特に福建省は、いつ台湾と戦争をやるか分からない状況でしたから、ここは破壊される街だということで、つくらなかった。沿海地帯は比較的社会主義が少ないんです。つまり、内陸に社会主義が多い。
 この沿海に社会主義が少ないことは、華僑にとって自分たちのふるさとにあるのは中小企業ばっかりだから、すぐに入りやすかった。自分の生まれ故郷に進出した。それを見た海外企業も一緒に進出した。ただ、社会主義の国有企業がぎっちり詰まっている内陸地帯は、実はこの格差は、結局、その後ますます開かざるを得ない。最初は社会主義の恩恵を期待したけれども、それが逆効果になってしまった。
 成長神話が停滞する、成長が鈍化することは、先ほど申し上げたように、政権の正当性そのものであります。つまりは権力の維持に関係しています。これはソ連の経験を見て、経済が壊れればソ連と同じ道になるというところから経済成長路線に入った。そして、完全ではありませんが、もちろんオープンにして、できるだけ外資を優遇するという形でやってきた。
 しかし、今そこに問題が出てきている。財政、金融の分野では、現在、人民元の切り下げの問題が出てきております。最近では中国側もこれについては発言を控えるようになってまいりました。やるかやらないか。今年は五〇周年ですから恐らくやらないでしょう。やるかやらないかは別として、余り言い過ぎて、逆にフリーハンドを失うことを考え出した、ということではないかと思います。
 人民元を切り下げても切り下げなくても、どちらも苦しいんじゃないかという感じです。切り下げても、確かに輸出は若干伸びるかもしれないけれども、本当に直接投資がその後増えるかどうかというと、今、ご承知のように、日本からの契約の件数は、実行ベースでいきますと今年ちょっと増えましたけれども、額でいきますと、毎年二〇%ぐらいの割合で減ってきている。
 欧米の企業は、契約はするけれども、もともと実行率が低いんです。さらにそれが低くなってきている。アメリカの政策担当者なんかも、最近は中国へ行った帰りに日本に必ず立ち寄って、日本では非常に中国経済に対する厳しい評価があるので、それを聞いて帰る。それは余りに楽観的過ぎたアメリカの考え方を軌道修正するという意味で、日本の厳しい意見を聞きたい、と来ているようです。中国経済が実際どれぐらい厳しいのかという状況に関しては、我々は実態を見ることができません。今申し上げた投資が本当に増えるかどうか。しかも、これまで投資した案件がすべてマイナスになってしまいますから、中国の経済全体の評価と言ったときに、じゃ、新たに投資するかという気になるだろうか。
 あるいは中国の現実の対外債務はどれぐらいあるのだろう。最近おこりましたGITICという問題でも、現実にはそこに二倍、三倍の負債があった。実際の中国の対外債務はもっと多いのではないかという話になるかもしれません。なるでしょう。
 貿易、投資の問題は、先ほど申し上げたように非常に減少傾向にあるのは、中国にとっては最大、頭の痛い問題であります。なぜかというと、先ほど申し上げたように、沿海地帯は外資を中心に展開してきまして、これがなくなると今の経済の停滞が強まる。特にアジアの経済危機でアジアからの投資が減った。これが非常に中国に痛かった。
 ですから、WTOに入りたい。何はなくとも、とにかくWTOという気持ちで中国が政策を行い、何を言われてもアメリカに譲歩してしまう、結局はあそこまで譲歩して、アメリカにかなり足元を見られていると思いますけれども、なおかつ今後もWTOは難しそうです。こういう状況でもやっぱり入りたい。
 これに入れなかったら中国は本当に怒るだろうなと思います。それほど入りたいのは、もちろん中国のメンツとか、あるいは世界の大国の一国として入れないのはおかしいというメンタリティーもあろうかと思いますけれども、もっと現実的な理由で、それをやっておかないと国際社会から、特に経済システムの改善と、中国経済の今後の成長を考えたときには絶対に必要だと。入れば、一たんは苦しくなるだろう。しかし、それをやらないと中国の生き延びる道はない。なぜかというと、国内は国営企業で、ほとんど腐り切ったような企業がたくさんありますから、そこからエンジンをもう一度フル稼働させることはできない。人ばかり多くて、資金もない。そうすると、どこからそれを持ってくるかという話になると、それは国際社会ということを考えざるを得ないということだろうと思います。
 最近は都市の問題ばかり語られて、農村の問題が語られませんが、農村では今も農産物が供給過剰で、かなり価格が下落しており、深刻です。やはり市場経済の問題だと思いますが、例えば中国では日本のリンゴのフジがどこでも買えるというか、どこでも積み上げて、ほとんど腐ってしまうのではないかというぐらいに売れない。これも流通機構と市場メカニズムがまだ十分にうまくできていない。どこかに傾くと、それにずっと行ってしまう傾向があるのだろうと思います。この辺の情報の公開性も政治の問題であります。
緊張高まる中台関係
 さて、経済を離れまして、台湾問題から先の国際関係に入ります。台湾問題は、李登輝さんの「特殊な国と国の関係」という議論が出されてから一挙に緊張関係を迎えました。最近では、中国の「人民日報」でも出ておりますけれども、この国と国の関係であるという議論は、日本人が入れ知恵をしたということになっています。名指しで批判されている人もおります。別にこれは、李登輝さん独自で考えることができたと思います。
 李登輝さんのこれまでの発言を集約していきますと、九一年、今から八年前に台湾と大陸との間の内戦が終わったと一方的に宣言した。つまり、もう戦いはやめた、もう分かれたという言い方をしました。その後、李登輝さんは、台湾は「政治実体」であるという言い方をいたしました。その直後に彼がつい言ってしまったのは、台湾は、もう事実上、独立国家だ、独立宣言をする必要はないと。これは強烈な発言だった。恐らく今回の発言よりもきついかもしれません。
 国と国の関係である。言われてみれば、確かに中華民国(台湾)と中華人民共和国が存在し、依然として中華民国は、まだ二十数カ国と外交関係を持っているという意味では、外から見たら二つの中国ということになるのでしょう。この両者が話し合いをしたら、これは国と国の関係だと李登輝さんは説明をした。しかし、一つの中国という原則については、介石時代から毛沢東との間で、これはお互いに話したことはないけれども、暗黙の了解で、同じことを言ってきたのは確かに事実であります。一つの中国をめぐって、どちらが正しいかで言い合いをしてきた。
 この二つの国という考え方そのものをなぜ出してきたのか。私自身は、李登輝さんは来年五月で辞めるのだから、それを見越して、自分で台湾の将来の方向性を決めておきたいのだろう。その結果として、台湾住民が七〇%以上これを受け入れた。しかも、来年総統候補になっている以下の三人の人々も、いずれもこの李登輝さんの考え方を受け入れたということ。これは李登輝さんの傘下に皆入れてしまうという背景があったのかなと。
 次の理由は、中国はアメリカとの関係を修復したばかりで何もできない。中国は、九六年、前の総統選挙が行われましたけれども、ミサイル演習をやって国際非難を浴びた。こういうようなことにならないように必ず中国は行動するはずだと。であれば、今言っても中国は何もできない。しかも経済も苦しい、WTOにも入れなくなる。だから中国は何もできないだろう、という読みでやった、というのが私の見方でありました。
 それからもう一つは、これは事実でありますけれども、今回の一〇月一日が余りおもしろくない国慶節になりました。なぜかというと、何も新しいものが出ていない。本当は新しい何かを出す予定だった。それは汪道涵という人がいて、一〇月の末ぐらいに江沢民の密使として本当は台湾に行く予定だった。この五〇周年の際に、中国は台湾との統一へ向けて新しい考え方を出す予定であった。その考え方はよく分かりませんが、一つの中国を前提にしながら、例えば国際機関に加盟するのは認めるよとか、もちろん国連は困るけれども、それ以外のWTOなどには先に入ってもいいよ、ぐらいのことまでは言うと、その後少し聞こえてきたりもしました。
 それが分かっていただけに、その前にそれを潰してしまうのが李登輝さんの考えだったのかなと思って、すぐに台湾に連絡をして、いろいろと聞いてみました。すると、必ずしもそうでなかった、つまりもっとディフェンシブだったという感じがします。
 アメリカの中から台湾に対して、去年、一昨年と、かなり圧力が加わってきました。それは米中関係を改善するために、アメリカはいろんな形で台湾に対して、若干の圧力を加えたのです。それは何か。話し合いだけは応じろと。中国はアメリカに対して、関係を正常化するとき、後のお話ですけれども、いろんな点で非常に譲歩したんです。政治犯を出したり、WTOの問題でもいろんなところで譲歩した。そのかわりに一つだけ要求したのは、台湾に対して説得してほしい。独立をやめろ、そして、きちんと対話をしろと言ったようです。その間、二年間、アメリカから台湾に密使がたくさん来ました。そういう中で、李登輝さんは多分かなり焦燥感を持って、逆に焦りみたいなものがあって、こういうのが出てきたのかなと思います。ただ結果として、この発言が大変な波及効果を持ったことは事実ですし、この李登輝さんの発言は、偶然言ったとはとても思えない内容を含んでいます。
 この間もある国際会議がありまして、アメリカ人の私の友人が、李登輝さんの発言は余り問題ないと言ったんです。それはなぜかというと、彼は、ドイツ人のジャーナリストとの話の中で、最後に「統一」という言葉を使っていると言ったんです。ユニフィケーションと彼は英語で言ったんですけれども、私、そこでびっくりしたのは、えっ、ユニフィケーションなんていう言葉は使っていないぞと思った。これは中国語をちゃんと見ていないからいけない。アメリカで多分中国の人が翻訳をして、その言葉をユニフィケーションと訳して、アメリカじゅうでみんな使ったのでしょうけれども、しかし、原文は「統合」という言葉を使っている。これは英語ではインテグレーションです。つまり、ある意味ではEUと同じです。全然意味が違う。政治的な最終的統合へと書いてあるのです。微妙に言葉を変えています。当然中国語しか読んでいない大陸の人たちはそれが分かっている。その辺のコミュニケーションギャップも実はあったなという感じが私はしました。
 いずれにしても中国は、中国の立場に立てばですけれども、とにかく悔しさいっぱいなんです。とにかくディフェンシブです。李登輝氏が次に何をやるか、これが怖いということです。二つの国を言ったのは第一歩であって、次の手を必ず打ってくると。
 中国は、次の手と、その次の手ぐらいを読んでいます。何が来るか。将棋や碁と同じでして、次の次の手は何が来るかというと、中国によると、とにかく我々は悔しくてしょうがないけれども、武力を使うことができない。なぜできないかというと、二つの理由がある。第一は、例えば小さな島を取る。大陸から数キロの地点に小さな島を台湾は結構まだ持っています。金門とか馬祖とか大きいのがありますが、もっと小さいのがある。その島でもちょっと攻撃する。どうなるか。大変な国際非難を浴びる。アメリカの空母がまたやってくる。そしてWTOも難しくなる。海外の直接投資もとまる。それ見たことかということになる。
 第二は、もし武力を使えば一番喜ぶ者はだれか。それは李登輝だと中国は考えている。なぜかというと、今言った点が一つ。もう一つは、戦争状態ということで非常事態宣言が行われる。憲法改正して、みずからの任期を延長する。来年三月選挙があって、五月に交代する。これを憲法改正して、そして任期延長を半年ないしは二年にするというような読みを中国はしている。
 中国はこう考えるんです。李登輝氏は多分そういうふうに中国は絶対何もできないと読んでいるだろうから、必ず次の手に出る。次の手とは憲法改正だ。憲法改正というのは、台湾の場合は国民大会があって、実は李登輝さんの息のかかった人が結構多いんですけれども、招集して改正しないということになっていますけれども、しかし最後の手で、これは国と国の関係であるということを憲法の中に規定してしまう。中国はそれを読んでいますから、そうなったら独立とみなすという言い方をしている。
台湾の総統選挙
 この問題がどうなるか。実は次の総統選挙に絡んでいる。三人出ております。この三人の候補者のうち、連戦氏は国民党の李登輝さんの後継ですけれども、余り人気がない。一〇%ぐらいです。
 宋楚瑜というのは大陸系と言われていますけれども、それは単純過ぎると思います。彼は出身が大陸です。父親の世代からそうだった。だから、いわゆる外省人ということですけれども、ただ、支持率は非常に高い。三〇%を超えている。別に外省人かどうかは、今、台湾では余り問題にならなくなっている。李登輝さんの世代はそれが問題ですけれども、若い世代はそれが問題ではなくて、彼自身はかなりゼネコンに強くて、いろんなところに公共事業をまいたことがありますので、その辺の人気がある。台湾の田中角栄などと言われています(笑)。
 それから陳水扁氏はどうかというと、もともと独立系の民進党で、前の台北市長、李登輝さんの心の中は多分ここにあるのだろうと思います。四〇代の若手です。
 だれが総統になるのか。今のところ一番近いのは宋楚瑜で、中国側も宋楚瑜に一応賭けている。ただし、中国も分かっていますから、それに賭けて宋楚瑜だなんて言うと思うつぼで、つまりは台湾で、あいつは大陸の回し者だと言われては票が落ちるので、それは言わないようにしている。
 もし宋楚瑜が勝ったらどうするか。彼は李登輝さんと余り仲がよくない。三月に当選すれば、五月にかわるまで二カ月あるから、その間に憲法を改正するのではないか、と中国側は考えているようです。
 とにかく宋楚瑜を勝たせないためにはどうするかというと、一つの案は連戦・陳水扁連合です。どちらかを総統にして、どちらかを副総統にするという案も、まだ表に出ていませんけれども、この数週間、水面下でやっています。
 ただ、台湾の地震が起こりましたので、総統選挙をやっている状況か、という議論も中にはありますけれども、今のところ予定どおり行われる可能性が高くなってきました。さすがに地震に関しては中国側も何も言わない。武力攻撃をしなくても、内部で破壊が起こったと中国は一瞬思ったのかもしれませんけれども、現実には日本を初めとして緊急援助隊がワッと飛んでいく。国交のない韓国までサッと飛んでいく。台湾に対する物すごい国際的な支援。
 しかも今、どこの企業でも、どこの学校でも、台湾の義援金というのがあります。こういうのを台湾の人たちが見ています。日本の緊急援助隊は遺体が発見されるとヘルメットを取って一分間黙祷する。日本人は何と礼儀の正しい人々だと台湾のテレビで報道される。そういうことで今、台湾では日本ブームがまたさらに高まっています。
 そういう点でいきますと、この台湾の問題に関して、アメリカは実は非常に揺れている。次のアメリカとの関係の中で申し上げたいと思いますけれども、先ほど申し上げたように、国務省と国防省が例えば一緒の席にならないこともあります。あるいはビジネスの世界も違えば、また議会もいろんな人がいます。つまり、アメリカと言っても、アメリカのだれと喋ったかをきちんと考えないと、分からないことになってまいりました。
 しかも、今、アメリカの偉い人たちはみんな、大統領選挙が近くなると、一体どこの馬に賭けるかを考えている。そうすると、発言がみんな慎重になってくる。どこの馬に賭けるかで、発言そのものが余り意味がないことが多くて、しかも、無難になり過ぎていて、余り大したことはない。
 日本は今回、この「二つの国」の考え方に対して、ほとんど何も言わなかった。これは、基本的にはこの選択でいいと思います。それは内政不干渉原則ということなんです。日本外交特有の「巻き込まれない外交」だったのか、もっと意図的な、主体的な意味での「巻き込まれない外交」だったのか、その辺は分けないといけないと私は思いますけれども、今回のやり方そのものは基本的に正しかった。つまり、ぶれる必要はないということです。基本的な立場は変わっていないことだけは繰り返している。慌てていろんなことを発言しないということ。今、台湾との関係は、ある意味では非常に進んできていることは言えると思います。
決定的には崩れない米中関係
 米中関係は今申し上げたようなことがあるんです。一番大事なことは、コソボとユーゴスラビアの紛争におきまして、中国は大使館を壊されたことです。これについてもいろんな噂があります。ここで電子戦争があって、いろんな情報がたくさん出ていて、それを感知したアメリカがやった。これはもちろんアメリカは、中国大使館であったか、あるいは兵器廠であったか、その辺の理解はよく分からないけれども、いずれにしても、あそこに情報センターがあるというのでぶち壊したという説も最近強く出ておりますけれども、よく分かりません。
 いずれにしても、中国は大使館を破壊された。その仕返しに学生たちを使った。学生は確かにあのときは燃え上がっていました。それで学生たちを用意したバスに乗せて、学校からそのまま大使館の前まで連れていって、おろして、そこに石を準備しておいて、投げさせて、バスに乗せて帰した。というのは、街を行進されたら困るからです。つまり、天安門事件一〇年のちょっと前でしたから、街を行進されたら困る。学生たちは学校へ戻ってブツブツ言っていた。三〜四日後には運動の禁止令が出て、結局、学生たちは、もうしょうがないからと言って、英語の勉強をまた始めた。TOEFLとかの勉強を始めた。
 中国は結局、大使館を壊されて何もできなかった。しかも、中国の役割が非常に限定的であったということ。これに対するある種の無力感がある。
 同時に、中国自身がなぜこんなに反発したかというと、先ほど申し上げたように、NATOがだんだん拡大してきて中央アジアに入ってくる。片やアジアの方では日中関係でガイドラインをやられている。そうすると、完全に封じ込めではないかというのです。
 ですから、表では何となく尊大に見えたりするのですけれども、中国の発想はもの凄くディフェンシブ、内向きなんです。しかも対応が、中国の内部のうるさい人たちを抑えるためには、こう言わなくてはいけないとか、つまりは外がどう我々を見ているかという感覚は非常に弱い。ただ、中国の国際化という状況が今起こってきております。これは大事な方向だと私も思いますけれども、やはり時間のかかることだと思います。
 WTOはよく分かりません。ただ、非常に難しくなってきたことだけは言えます。
 アメリカの中では、最近では、エンゲージメント(参加)なのか、コンテインメント(封じ込め)なのかと。言葉が好きな民でありますから、いや「コンゲージメント」だとか言葉をつくって、これは日本語に翻訳しようがないです。あるいは中国とアメリカは戦略的パートナーではなくて、競争的ライバルだとか。戦略的パートナーは目標であって、現実のものではないという議論まで出始めている。つまり、米中関係は決定的には崩れないと思います。しかし、やはりお互いそれぞれの内政がもの凄くいろんな形で影響を与えていくという状況が今後も続くでしょう。
 ただ、中国というのは面白い国です。言っていることとやっていることが大分違います。中国は第三世界のリーダーと言いながら、第三世界の組織にはほとんど入った歴史がない。みんなほとんど断ってきた。社会主義の一員と言いながら、社会主義のCOMECONなどには入らない。つまり、中国のある種のメンタリティーがあるのだと思います。そうは言いながらも結局は長いものには巻かれている。何だかんだ言いながら、アメリカに対して人権外交をブツブツ言いながら、結局、アメリカの方にだんだん近づいていく。
日中関係 仲よくすべし!
 最後に日中関係をお話しします。小渕訪中が七月にありまして、基本的にうまくいきました。それは昨年一一月にありました江沢民さんの訪日の「おかげ」という感じがいたします。おかげというのは、あれだけ歴史問題が取り上げられて、取り上げ過ぎて日本の国内でかなりの反発を浴びた。同時に中国にとっては、国際関係が非常に苦しい。今、日本の中の対中国イメージは確かに悪化の一途です。特に天安門事件以来でありますから、もう一〇年間の傾向と言っていいかと思います。これは非常に問題です。日中関係を支える根底的な部分の理解がやはり問題になってきているからです。
 新ガイドラインの問題にしても、いろいろと中国は言っておりますけれども、実は中国も非常に問題だと思うのは、日本の理解の仕方も問題なんですけれども、つまり『人民日報』に書いてあることが中国意見だと思ったら、これは半分嘘です。嘘だと言ったら怒られますけれども、真理の何%かしかない。その背後にはいろんなものがある。中国は、またそれを出さない。出したら、中国がバラバラになるというのを怖がっている。
 例えばガイドラインにしても、中国の中に賛成する人はたくさんいます。私の知り得る友人は結構ガイドラインに賛成していました。その理由は、ガイドラインであれば日米安保がある。基本的に日米安保の中で、日本の軍事力はある程度抑えられる。同時に、この地域でNATOはできないことが証明された。つまり、NATOのレベルには行かない。日本がみずからの軍事力を一緒に派遣して戦うことはあり得ない。将来的に何十年という歴史で考えると、かえって日米安保でこのぐらいの方がいい、それぐらいやらせてあげないと日本だって苦しいだろう、という言い方をしている人もいた。ですから、台湾を含まないというガイドラインであったら、中国は大歓迎である、と言っている人がたくさんいた。その辺の議論が出てこない。ただ、あるということを我々も紹介しないといけないんですけれども、なかなか言っても聞いてもらえない。中国側も出して、多様だということを見せなければいけないと思います。
 経済関係が今非常に苦しい状況にある。これはイメージの低下から来ていると思います。ただ長期的には、我々はやっぱり仲よくしていかなければいけない関係にある。中国がどういうふうにこれから変わっていくのか、ここがポイントだと思います。私は、中国の大国論とか脅威論とか、いろんな議論がありますけれども、最終的には中国の中の問題だと思っております。つまりは外に中国がどんなパフォーマンスをしようが、どんな居丈高な行動をとろうが、もちろん軍事力の傾向は、核兵器を持った大国であるから、我々は、それについてはきちんと言わなくてはいけない。言うべきことはきちんと言う。しかし、やっぱり国内だろうと思います。その国内の帰趨が多分この一〇年で決まってくるだろう。
 その意味では、ここの地域が安定することが日本の国益にとって最大重要です。同時に経済的な相互補完関係をどうつくるかを考えていかないとだめです。
 今日私は、東洋経済と経済倶楽部に来て、今この石橋湛山先生の像を横にいたしまして、やはり先人に学ばなければいけないと思います。私は戦後の吉田外交以来の見直しがもう一度必要だろうと思うんです。そこにあった日本が何もなかった時代の外交力といいますか、そういう時代の中での例えば石橋流の外交力とか、あるいは戦前から続く一つの信念というもの、中国を見る一本線、これを我々はつくっていかなくてはいけない。
 最後はやや曖昧な結論かもしれませんが、私のさらなる考えをお聞きになりたい方は、残念ながら東洋経済ではございませんが、ちくま新書で、つい最近『中華人民共和国』という本を出版いたしました。定価六六〇円と格安ですので、ぜひともご講読いただきたいと思います。これで私の講演を終わらせていただきます。ありがとうございました。(拍手)
 高柳 どうもありがとうございました。国分先生は、北京大学で教えられると同時に、台湾大学でも教鞭をとっておられます。台湾と北京の両方から求められるということは、まずあり得ないことなんです。それだけご研究が公平であり、深いということであります。アメリカのハーバード大学やミシガン大学にもおられましたし、今、中国研究では世界的レベルの第一人者なんです。まだ四〇代の若さでございますので、これから東洋経済からもたくさん本を出してもらえることだろうと、大いに期待しております。どうもありがとうございました。(拍手)
国分良成(こくぶん りょうせい)
1953年まれ。
慶應大学法学部卒業。慶応大学大学院修了。
慶応大学法学部助教授を経て現在、慶応大学法学部教授。慶應大学東アジア研究所所長。
 
 
 
 
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