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1999/10/01 読売新聞朝刊
[社説]知命を迎えた中国の責任
 
 中華人民共和国は一日、建国五十周年を迎えた。人に例えれば「知命」だ。十三億近い人口を抱え経済大国への道を歩む中国は、世界において、とりわけこの地域において、存在感を増している。地域の平和と発展は、今や、中国抜きには語れない。
 むろん平たんな半世紀ではなかった。階級闘争を優先し、反米であれ反ソであれ、超大国に対抗する外交を推進した毛沢東時代、国家建設で大きな挫折を味わった。
 六〇年前後三年間の大飢餓時代、二千万とも四千万とも言われる人々が餓死した。現実無視の政策による人災だった。
 「魂に触れる革命」などとされ、六六年から十年間続いた文化大革命でも、二千万人が「異常な死」を遂げたと言われる。今では革命とは縁もゆかりもない内戦だったと総括されている。
 経済建設を優先するトウ小平時代の改革・開放は、毛沢東時代の失政への反省に基づく。平和的な環境を求める協調外交を展開し、各国との関係強化に努めた。
 九七年のトウ小平氏の死去を受けて、名実ともに始まった江沢民時代は、トウ小平時代の延長線上にある。経済を発展させ、国民生活の向上をはかることが、江沢民政権の歴史的任務の一つであり、「富強」を合言葉に、二〇一〇年には国民総生産(GNP)を二〇〇〇年の二倍にするとの青写真を描いている。
 江沢民政権のもう一つの任務は、トウ小平時代から受け継いだ負の遺産の解決だ。貧富の格差の増大、党員・幹部の腐敗、まん延する犯罪などだ。
 経営不振の国有企業も、立て直しが迫られている。先ごろ開かれた中国共産党の中央委員会総会はこの難題を重点的に取り上げた。しかし、改革を進めれば失業者が生まれ、改革を怠れば赤字が増える。大きなジレンマとなっている。
 八九年の天安門事件も負の遺産だ。事件がもたらした外交的孤立は、すでに過去のものとなった。だが、学生らが批判した党官僚らの腐敗問題はより深刻化し、事件が突き付けた政治の民主化は、ほとんど手がつけられていない。
 国内においては毛沢東、トウ小平両氏と並び称されるまでにいたった江沢民氏が、一つの時代を築き上げ得るとすれば、それは両氏がやろうとしてできなかった政治の改革を敢行する以外にない。
 大国ゆえの課題も無視できない。一人っ子政策が象徴する厳しい人口抑制にもかかわらず、二〇三〇年代には人口がピークの十六億近くに達する。それに伴う食糧、エネルギー問題の解決は容易ではない。それらとかかわる環境問題も重大だ。
 日本にとっても、この地域全体にとっても、中国の安定的な成長が望ましい。日本がこれまで行ってきた巨額の経済協力も、そのためである。
 だが、「富強」の中国が、覇権主義的な軍事大国であっては困る。中国に求められるのは、国際社会と協調し、地域の安定と発展に寄与する「責任ある大国」としての振る舞いだ。
 
 
 
 
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