日本財団 図書館


 
表紙絵(佐賀本庄川河口)及び挿絵
森田正孝 作 日展会友、日洋会委員、熊本県美術協会会員、熊本県美術家連盟委員
 
Essay
ピジット・ジャパン奮戦記
−「知られざる国」日本とワールドカップ−
 
海上保安庁 交通部企画課長
佐藤 尚之
 
 去る2001年6月から2004年7月までの間、JNTO(国際観光振興機構=旧国際観光振興会)ロンドン事務所に勤務する機会を得て約3年間英国ロンドンに駐在し、公私ともに貴重な経験を積む事ができました。今回は紙面をお借りしてその一端をご紹介したいと思います。
 
1 JNTOとは?
 「JNTO」という組織をご存知の方、あるいはJNTOが何をしている組織なのかご存知の方は少ないのではないかと思いますのでまずはそのご紹介から始めたいと思います。「JNTO」とはJapan National Tourist Organization の略称で、その名の示すとおり日本の政府観光機関です。各国の政府観光機関と同様その事業活動の場が主に諸外国であるため日本国内ではあまりその活動が知られていない組織だと思います。
 政府観光機関ですから日々の業務の目的は「一人でも多くの外国人旅行者に日本を訪れてもらうこと」であり、具体的には現地メディアを通じての広報活動、現地旅行会社の訪日ツアーの開発・造成・販売支援、そして大規模旅行見本市への出展やセミナーの開催などを行っています。私は縁あって国土交通省からJNTOに出向することとなり英国のロンドン事務所で勤務することとなった次第です。
 当時欧州からはビジネス旅行も含めて年間60万人以上の旅行者が日本を訪れていましたが、そのうち20万人弱(2001年)が英国からの訪日客であり、欧州各国の中では最も大きな訪日市場となっていました。(訪日外客総数は同年で約477万人)
 
2 知られざる国
 実はJNTOに出向する直前のポストは総合政策局観光部という部署で、JNTOと仕事を共にする機会も多いポストであったため外客誘致活動についてはだいたい理解しているつもりでした。
 ところが着任していざ仕事を始めてみると英国旅行市場における日本の地位を嫌というほど思い知らされ悪戦苦闘を強いられることになりました。
 
(1)英国人は基本的に日本を知らない
 学生時代から世界史を学ぶ過程で私達日本人は英国の歴史、文化、伝統等についてかなり多くの事を学びますし、巷には所謂「英国本」が溢れ、TVニュースでもエリザベス女王やブレア首相(最近はチャールズ皇太子も)の姿が放映される等昨今の英国事情についても概略知ることができます。このため日本では英国を身近に感じる人々も多く、ピーターラビットやハリー・ポッター人気と相俟って実際に英国を旅先として選ぶ人も数多くいます。
 一方英国はというと事情はかなり異なります。日本が経済的に成功した先進国であるという事はさすがにかなり知られていますが、その日本がアジアのどの辺りにあるのか、どういった気候風土なのか、今の日本人はどういう生活をしているのかといった点については殆ど知られていません。このため妙な情報が生き続け、いまだに切腹が普通に行われていると信じている人もいたりするほどで、まさに「知られざる国」といった状況でした。
 
(2)英国人はリゾート好き
 そういう状況ですからごく普通の人々は「旅行で日本に行ってみよう」とは中々考えてくれません。日本を旅先の選択肢に入れてくれる人達は相当な日本通・日本贔屓か、逆に世界中主要な地域は既に旅行してしまって"something new"を求める人達といった感じでした。(「高学歴、高収入、子供がいないか独立した夫婦」像が訪日市場のメインターゲットとされていました。)
 
オフィス近くのパブ“AUDLEY”前にて
 
 一般の英国人に人気のある旅行先はスペイン、フランス、イタリアであったり、あるいは「青い海と燦燦と輝く太陽が楽しめる」リゾートアイランドなのです。BBCがアンケート調査した「死ぬまでに行きたい旅先ベスト50」にもシンガポール、タイ、インドネシアなど東南アジア諸国は入っているのに日本の都市や地域は一つも入っていません。高緯度に位置し冬季を中心として曇天の続く日の多い英国に住んでみるとリゾート志向の気持ちは理解できないでもないのですが・・・。
 
業界やメディアを対象に開催した訪日セミナー会場にて
 
3 2002FlFAワールドカップの開催
 こういう状況にちょっとした異変が起こったのは2002年に日韓共催でFIFAワールドカップ(W杯)がアジアで初めて開催される事となり、しかもイングランドチームが日本国内でプレーする事が決まった時からでした。
 
(1)珍問、奇問
 ご存知のとおり英国はサッカー(英国では“football”と言います)が国民的人気を誇るスポーツで、一部の「熱狂的サポーター」の存在は「フーリガン(hooligan)」という名称とともに欧州各国を震え上がらせている程です。
 多くのサポーターがW杯のイングランド戦を観戦・応援するためにその年の開催地に移動・滞在するのが通例です。
 そして2001年12月、韓国で行われたファイナルドローにおいてイングランドチームが日本でプレーすることが決定した日からJNTOロンドン事務所への問い合わせやwebsiteへのアクセスが目に見えて増えてきました。
 曰く「日本に行くことになった。日本は中国のどの地域にあるのか教えて欲しい」、曰く「有名な新幹線で日本に行きたい。香港から新幹線に乗って日本に行く方法を教えて欲しい」・・・。
 今まで旅行で日本に行こうなどとは夢にも思っていなかった人達が、たまたまW杯の試合が日本で開催されることになったため日本を訪れる準備を始めだした訳です。当然日本に関する知識は殆ど無いためまずは日本の政府観光機関に聞いてみようとなった次第で、その「純粋な質問」には我々が思わず考えさせられてしまう前記のような質問も少なからずあった訳です。
 
(2)降りかかる誤解との戦い
 一般の人達の関心の高まりを受けTV、新聞、雑誌等のメディアでも日本の紹介や日本に関する旅行情報を流すようになり私達に協力を求めてきました。私達の事務所も千載一遇のチャンスとばかりスタッフがTV番組に出演する等しながら現代日本が如何に魅力ある国かを知ってもらえるよう積極的に情報の発信・提供に努めた次第でした。
 しかし事はそう思うように進みません。前述のように日本、特に現代の日本についての基本的知識が十分でないためにイメージで語られる日本の姿がメディアを通じて流布される事もしばしばでした。
 その中でも我々を苦しめたのは「日本は世界で一番物価が高く、旅行しにくい国である」という長年の有難くない「評判」でした。確かに日本は「物価の安い国」とは言えないにしても日々の暮らしでロンドンの異常な物価高に悩まされていた我々からすれば決して納得のできる評判ではありませんでした。ましてやデフレ進行中だった日本です。事務所のwebsiteに具体的な価格を掲載する等してその払拭に努めましたが長年培われた固定観念は簡単には拭い去れません。「イングランドチームの試合が韓国に決まっていたら大金を使わずに済むはずだったのに残念だ」とか「日本ではコーヒーも1杯5ポンド(約1000円)はするから気軽に喫茶店に入ってはいけない」などのコメントを見たり、聞いたりする度に体中の力が抜けるのを感じました。
 一方日本側から逆流してきた情報に苦慮する状況も出てきました。「日本では英国からのフーリガンの来日に備えて警備の強化に追われている。」という報道が英国のマスコミに何度も流されるようになってきたのです。TVの画面には防護楯を手にした警察官がいざという時を想定した訓練に励む姿が映し出されます。過去のフーリガンの「名声」を考慮すると訓練自体は止むを得ない面がありますが、どうもそれが「過剰反応」として面白おかしく報道される傾向にあったのです。こういった報道は当然「日本は英国からの旅行者を歓迎していない」というネガティブメッセージとなって一般の人達に伝わり、あらぬ誤解を招く要因となります。「警備強化が日本の全てではありません」と言ってみても一連の報道にはかなりのインパクトがあったようです。
 
(3)転じて日本礼賛
 そして2002年5月31日、いよいよW杯が始まりました。イングランドは強豪ひしめくグループFを見事に勝ち抜き決勝トーナメントに進出、準々決勝で優勝チームブラジルに敗れはしたものの総じて善戦、その間埼玉、札幌、大阪、新潟、静岡と日本各地を転戦して回りました。英国ではイングランドの戦いぶりとともに開催地・キャンプ地の模様や地域の人々の様子も報じられ、願っていた「現代の日本の姿」が英国の人々にも伝えられました。
 幸いな事に日本では「ベッカム様」人気も手伝ってイングランドチームやそのサポーターが大層歓迎されたようでメディアの報道も「イングランドに好意的な日本人」というイメージを伝えるものが大半でした。
 日頃は辛らつな日本批判が持ち味の「FINANCIAL TIMES」までが日本礼賛記事を掲載するほどの持ち上げようと言えばわかりやすいかも知れません。
 後に帰国したサポーターの話によれば、日本人サポーターが自国以外のチーム=特にイングランドチームを熱心に応援する姿を見て感激したそうです。欧州では自国以外のチームを応援する文化は基本的に無いからでしょう。
 W杯が終了し、訪日していた人々も帰国、メディアでも「知られざる国」日本での経験談が語られるようになりました。「英語が通じないと聞いていたが道に迷っていたら日本人が大層親切に教えてくれた」、「東京や京都以外の地方都市があんなに魅力的だとは知らなかった」、「時刻表どおりに発車する新幹線に感嘆した」という予想範囲内であった評価から、「終電後、タクシーで横浜から東京に行こうとしたが料金が高くて乗れないでいたら、見知らぬ女性が1万円を出してくれた」、「コインランドリーの場所を訪ねたら、その人が自宅で洗濯してくれた」という、「そこまでしますか」という類のものまで沢山の日本賞賛の声が寄せられました。そしてもちろん「日本の物価は世界一高いと聞いていたが、安い物はいくらでもあった。ロンドンの方が余程物価が高い」という思わず手を握りたくなるような我が意を得たコメントもありました。
 結局W杯は「知られざる国」の一端が一般の英国人に披露される効果をもたらすとともに、実数においても2002年の訪日英国人数が過去最高の22万人を記録することに寄与したのでした。
 
4 終わりに
 W杯の開催を通じて得たことは、「とにかく日本に一度行ってもらえれば日本のファンになってくれる」という確信に近いものでした。
 それからはとにかく一度日本に行ってもらうために、中味は極めてシンプルながら価格をかつて無いレベルに抑えた旅行商品開発の支援に努めたり、強力な販売網を有する地元ツアーオペレーターと組んで商品の販路の飛躍的拡大を狙う等、具体的な旅行商品を抱えてマーケットに挑戦する方策をとりましたがその成果を十分検証する前に任期が到来してしまいました。
 現在政府は外国人旅行者数を増大させる「ビジット・ジャパン・キャンペーン」を国を挙げて展開しており英国市場も欧州市場の一つとして重点的に取り組む市場として位置づけられています。
 一部の層だけではなく、より広範な英国の人達が普通に日本を旅先として選択する日が来るためには中期的な戦略も必要であり、関係者の本格的取り組みは始まったばかりとも言えます。“「知られざる国」からの脱却のために”皆様のご理解、ご協力をお願いする所以です。







日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION