元号 |
西暦 |
月・日 |
出来事 |
文政元 |
一八一八 |
五・一四 |
イギリス船ブラザース、浦賀来航、貿易を求める幕府、拒絶 |
二 |
一八一九 |
一〇・一六 |
阿部正弘、江戸に生まれる |
三 |
一八二〇 |
一二 |
幕府、浦賀奉行に相模沿岸警備を命じる |
七 |
一八二四 |
五・二八 |
イギリス捕鯨船、常陸大津浜に来航、上陸船員を水戸藩捕らえる |
八 |
一八二五 |
二・一八 |
異国船打払令 |
十一 |
一八二八 |
一二・二三 |
オランダ商館医師・シーボルト、禁制品国外持出し発覚により長崎出島に拘禁(翌年国外追放) |
天保四 |
一八三三 |
|
この年から天保の飢饉が激化、全国で一揆・打ちこわしが起きる |
六 |
一八三五 |
|
アメリカ、この年から東インド艦隊を常設 |
七 |
一八三六 |
一二・二五 |
阿部正弘、家督を嗣ぐ |
八 |
一八三七 |
二 |
大塩平八郎の乱 |
三・七 |
阿部正弘、福山へ帰藩(五・九江戸へ出立) |
六・二八 |
アメリカ船モリソン、浦賀へ来航、砲撃により退去(モリソン号事件) |
九・二 |
徳川家慶、一二代将軍に就任 |
十 |
一八三九 |
五 |
幕府、江戸町医師・高野長英らを逮捕(蛮社の獄) |
十一 |
一八四〇 |
五・一九 |
阿部正弘、寺社奉行見習就任(一一・八寺社奉行就任) |
この年、アヘン戦争始まる |
十二 |
一八四一 |
五 |
天保の改革始まる 高島秋帆、幕命により徳丸原で砲術訓練行う |
七 |
幕府、庄内藩内の一揆により三方領地替を撤回 |
一〇・五 |
阿部正弘、下総中山村法華寺事件(僧侶の女犯事件)の裁断を下す |
一二 |
株仲間解散令 |
十三 |
一八四二 |
七・二四 |
南京条約締結 |
七・二六 |
薪水給与令(異国船打払令撤回) |
八・三 |
幕府、川越・忍両藩に江戸湾警備を命じる |
十四 |
一八四三 |
閏九・一一 |
阿部正弘、老中就任 |
閏九・一三 |
水野忠邦、老中罷免 |
十五 |
一八四四 |
三・一一 |
フランス船アルクメーヌ、琉球に来航し通商を要求、宣教師残留 |
五・六 |
幕府、徳川斉昭に謹慎を命じる(五・一二隠居を命じる) |
六・一三 |
阿部正弘、五・一〇の江戸城本丸炎上により本丸普請総奉行となる |
七・二 |
オランダ軍艦パレンバン、国王開国勧告書を携え長崎に来航 |
二 |
一八四五 |
二・二二 |
阿部正弘、老中首座となる |
五・二 |
イギリス船サラマン、琉球に来航し通商を要求 |
六・一 |
オランダ国王開国勧告を拒絶する返書を老中連署で送る |
六・二七 |
幕府、海防掛を設置 |
三 |
一八四六 |
二・一三 |
孝明天皇践祚 |
四・五 |
イギリス船スターリング、琉球に来航、宣教師残留 |
五・一三 |
アメリカ、メキシコに宣戦布告、メキシコ戦争始まる(戦闘はこの前から) |
フランス・セシーユ艦隊、琉球に来航し通商を要求 |
閏五・二七 |
アメリカ・ビッドル艦隊、浦賀に来航し通商を要求、拒絶 |
六・五 |
阿部正弘、帰藩する島津斉彬に琉球の処置を一任 |
七・三〇 |
海防掛、阿部正弘の異国船打払令復活の諮問に反対の上申 |
八・一一 |
海防掛、阿部正弘の大船建造解禁の諮問に反対の上申 |
四 |
一八四七 |
二・一五 |
幕府、彦根・川越・会津・忍四藩に江戸湾警備を命じる |
四・一六 |
幕府、浦賀奉行所に外国応接事務専念し、警備は四藩と協議することを命じる |
九・一 |
阿部正弘の尽力により、徳川斉昭七男昭致、一橋家を相続し慶喜と改名 |
嘉永元 |
一八四八 |
五・一四 |
阿部正弘、海防掛に異国船打払令復活を諮問(海防掛は反対を上申)
この年、アメリカ・カルフォルニアで金鉱発見(翌年ゴールドラッシュ) |
二 |
一八四九 |
三・二六 |
アメリカ軍艦プレブル、長崎に来航、抑留米船員引渡しを求める(四・五引取り退去) |
閏四・八 |
イギリス軍艦マリナー、浦賀に来航、数日江戸湾を測量 |
五・五 |
阿部正弘、三奉行・海防掛等に異国船打払令復活を諮問(反対の上申多数) |
三 |
一八五〇 |
一二・二五 |
幕府、異国船打払令復活を予告し海防強化を命じる |
太平天国の動乱始まる |
四 |
一八五一 |
一・三 |
中浜万次郎らアメリカ船から琉球へ上陸 |
二・二 |
島津斉彬、薩摩藩主襲封 |
三・八 |
株仲間再興令 |
五 |
一八五二 |
五・二五 |
阿部正弘、五・二二の江戸城西丸炎上により西丸普請総奉行となる |
八・一七 |
オランダ商館長・クルチウス、翌年アメリカ艦隊来航の情報を幕府に告げる |
一〇・七 |
ロシア・プチャーチン、クロンシュタットを出航 |
一〇・一三 |
アメリカ・ペリー、ノーフォークを出航 |
六 |
一八五三 |
四・一九 |
ペリー艦隊、那覇来航 |
五・一四 |
阿部正弘、西丸造営などにより一万石加増される(翌年、備後・備中での加増決まる) |
五・一八 |
プチャーチン艦隊、香港入港 |
六・三 |
ペリー艦隊、浦賀来航 |
六・五 |
プチャーチン艦隊、香港出航 |
六・七 |
阿部正弘、徳川斉昭を訪問、意見を問う |
六・九 |
幕府、久里浜応接所でアメリカ合衆国大統領国書を受領 |
六・一二 |
ペリー艦隊、浦賀退去、琉球へ向う |
六・二二 |
一二代将軍徳川家慶死去 |
七・一 |
幕府、諸大名にアメリカ国書を示し意見を諮う |
七・三 |
ペリー艦隊、香港入港 徳川斉昭、海防参与となる |
七・一八 |
プチャーチン艦隊、長崎来航 |
八・一九 |
長崎奉行、ロシア国書受領 |
八・二五 |
品川台場着工 |
九・一五 |
幕府、大船の建造を解禁 |
一〇・四 |
トルコ、ロシアに宣戦布告 |
一〇・二三 |
プチャーチン艦隊、長崎出港 徳川家定、一三代将軍となる |
一一・一 |
幕府、アメリカ使節再来に対する方針決定 |
一一・七 |
幕府、中浜万次郎を登用 |
一二・五 |
プチャーチン艦隊、長崎再来航(一二・一四交渉開始) |
一二・一六 |
ペリー艦隊、香港出港 |
七 |
一八五四 |
一・八 |
プチャーチン艦隊、長崎出港 |
一・一六 |
ペリー艦隊、神奈川沖に再来航 |
二・一〇 |
横浜で日米の交渉始まる |
三・三 |
日米和親条約締結 |
三・二三 |
プチャーチン艦隊、三度長崎来航 |
二・二四 |
幕府、下田奉行を設置 |
三・二八 |
イギリス・フランス、ロシアに宣戦布告、クリミア戦争始まる |
吉田松陰、下田でアメリカ密航に失敗 |
四・一〇 |
阿部正弘、辞意を表明、慰留される |
四・三〇 |
徳川斉昭、海防参与を辞任 |
五・一〇 |
浦賀奉行所建造の初の国産洋式軍艦鳳凰丸竣工 |
六・二 |
ペリー艦隊、下田を出港、琉球へ向う |
六・一七 |
ペリー、琉球と修好条約締結 |
六・三〇 |
幕府、箱館奉行を設置 |
閏七・一五 |
イギリス・スターリング、長崎に来航 |
八・二三 |
日英和親条約調印 |
安政元 |
|
一二・一二 |
薩摩藩が建造の洋式軍艦昇平丸竣工 |
一二・二一 |
日露和親条約を下田で調印 |
二 |
一八五五 |
一・五 |
日米和親条約批准書を交換 |
一・一六 |
福山藩校・誠之館開講(前年九月着工、一二月竣工)。 |
一 |
幕府、天文方蕃書和解御用掛を洋学所に独立させる |
二・二四 |
幕府、松前地を除く蝦夷地一円を上知する |
二 |
損傷したロシア軍艦ディアナの代船ヘダ、伊豆戸田村で完成 |
六・九 |
オランダ国王、蒸気船スームビング(後、観光丸)を幕府に寄贈 |
七・二九 |
幕府、長崎に海軍伝習所を設立 |
八・一四 |
幕府、徳川斉昭を幕政参与とする |
一〇・二 |
安政の大地震 |
一〇・九 |
堀田正睦、老中復帰、首座となる |
一二・二三 |
日蘭和親条約締結 |
三 |
一八五六 |
二・一一 |
幕府、洋学所を蕃書調所と改称 |
二・二五 |
パリ平和条約成立、クリミア戦争終わる |
四・二五 |
幕府、講武所を開く |
五・七 |
阿部正弘、藩士蝦夷地調査に派遣 |
六 |
岡山藩で渋染一揆が起こる |
七・一二 |
水戸藩建造の洋式軍艦旭日丸竣工 |
八・四 |
阿部正弘、評定所・海防掛等に交易仕法の変革を諮問 |
八・五 |
アメリカ領事・ハリス、下田に着任 |
九・一〇 |
アロー号事件(アロー戦争に発展〜一八六〇) |
一〇・一七 |
幕府、老中・堀田正睦に外国事務取扱を命じる |
四 |
一八五七 |
四・一五 |
阿部正弘、藩士を蝦夷地調査に再派遣 |
四・一七 |
セポイの反乱、インドで起こる(〜一八五九) |
六・一七 |
阿部正弘死去 |
一〇・二一 |
ハリス、将軍に謁見、大統領国書を奉呈 |
五 |
一八五八 |
四 |
井伊直弼、大老就任 |
五 |
天津条約締結 |
六・一九 |
日米修好通商条約調印、以後蘭、露、英と条約調印 |
六・二三 |
ムガル帝国滅亡、イギリスのインド植民地化完了 |
七・六 |
徳川家定死去 |
七・一五 |
島津斉彬死去 |
九・八 |
幕府、梅田雲浜捕縛、安政の大獄始まる |
一〇・二五 |
徳川家茂、一四代将軍就任 |
六 |
一八五九 |
八・二七 |
幕府、徳川斉昭に永蟄居を命じる |
七 |
一八六〇 |
一・一九 |
勝海舟ら、咸臨丸でアメリカヘ向う |
三・三 |
井伊直弼、暗殺される(桜田門外の変) |
万延元 |
|
八・一五 |
徳川斉昭死去 |