6 和親条約以後の政策
阿部正弘は鎖国体制を守れなかった責任を取るため、日米和親条約締結後に老中辞任を考えたが、将軍・幕閣に慰留された。正弘はこれを自分の政策への信任と捉え、以後「安政の改革」と呼ばれる幕政改革を主導した。
安政の改革の特徴は、海防と対外処理の強化に重点を置いたことで、そのために積極的な人材登用を行った。改革当初、正弘は必ずしも明確な未来像を持っていたわけではなかった。しかし、改革を進める中で、海外との交易によって国家の繁栄をはかる道を考えるようになっていった。
一方で、改革の推進は幕藩体制を否定する可能性をも秘めており、保守派との対立は避けることができず、正弘没後に政治的な反動が起こった。
正弘は藩政改革も積極的に進めたが、そこには徳川斉昭の強い影響が見られる。特に、新たに設置した藩校・誠之館は文武両立をめざした点で水戸・弘道館の影響を受けていた。
81. 海防不行き届きの件二付
82. 鍋島直正品川台場巡視之図 陣内松齢画
83. 長崎海軍伝習所之図 陣内松齢画
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