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2004年7月号 現代
私の憲法改正試案 いまこそ「女帝」容認のとき
鳩山由紀夫(民主党元代表)
 
 憲法改正の争点の一つは、国民主権と天皇制をどう位置づけるか、という問題である。
 冷戦が終わるまでは、マルクス主義歴史観の影響もあって、歴史は君主制から共和制、また社会主義体制へと進歩発展していくものであり、天皇制は封建時代の残滓(ざんし)であり、好ましからざるものであるという意見が蔓延していた。今も民主主義と国民主権を字面どおりに受け止め、天皇制を忌避する向きもある。
 しかし、立憲君主制と共和制の優劣についての歴史的結論は出ていない。一人当たりの国民所得のランキングでみれば、上位には立憲君主制国家が多く並んでいる。最も民主的な福祉国家の多くが君主制を維持している。だから実証的に考えると、立憲君主政体のほうが優れているといえなくもない。
 また確かに、原理的にいえば民主主義と世襲君主制は相容れない。しかし何事によらず原理主義には気をつけたほうがよい。とくに民主「原理」主義には、ジャコバン党の昔からいくつも前科があり、要注意だ。もともと民主主義は、すべての人民が統治の主体でもあり客体でもあるという実行不能のフィクションに基づく。だからこれを極端に突き詰めていくと、かつての共産主義諸国家のような全人民の名を僭称する独裁政党による支配をも生み出すことになる。
 第一次世界大戦後のドイツでワイマール憲法が制定されたとき、史上最も民主的といわれたこの憲法と敗戦後ドイツの政治的現実との落差を危惧したチャーチルは、「カイザーの孫を名目的な元首とする立憲君主制が望ましい」と警告した。老練なチャーチルは、立憲君主制が全体主義の歯止めとなると洞察していたのだろう。
 現行憲法は、天皇制存置の根拠を「主権の存する日本国民の総意に基づく」と規定している。これは敗戦後の国際政治状況を反映したもので、連合国への説明的意味合いが強い条文である。しかし、天皇制の存在理由を、固有の歴史や伝統と切り離し、国民主権との関連のみで、このように簡単に言い切ってしまうことには違和感を覚える。
 わが国において皇室が存続してきたのは、その歴史的伝統的な要請に由来するものである。それを仮に伝統原理と呼ぶことにしたい。民主「原理」主義を野放しにしておくと、人民の名を僭称するさまざまな独裁や極端なポピュリズムの惨禍を招く。その抑制力となるのが伝統原理なのである。大英帝国の宰相エドモント・バークのいう保守主義も、言い換えれば、伝統的なるものに信頼をおき、民主主義の原理的な行き過ぎに歯止めをかけようという立場である。
 私は天皇制を、日本の伝統と文化の拠り所であるとともに、政治的安定の基礎であると積極的に評価している。新たな憲法においては、民主主義原理と伝統原理とをそれぞれ尊重する立場で、国民主権と天皇制を位置づけたいと考えた。
新井白石の「失敗」
 現行憲法の章立ては、明治憲法のそれを踏襲している。これは草案を作成したGHQが、日本政府の自発的意思による憲法改正であることを装うためだったといわれている。そのこともあって、主権や政体に関する規定が「第一章 天皇」の中に混在して挿入されており、比較憲法的に見ると、かなり変則的である。
 私の改正試案では、まず第一章を「総則」とし、主権、政体、その他宣言的条項等をおき、「天皇」は第二章とすることとした。
 
前文(部分)
 日本国民は、この国の長い歴史に培われた伝統と文化を受け継ぎ、豊かな自然環境と美しい国土を守り、後世に伝えるよう努める。
 
第一章 総則
第一条(主権及び政体)
 日本国の主権は、日本国民に存する。
2 日本国は、国民統合の象徴である天皇を元首とする民主主義国家である。
3 日本国民の要件は、法律で定める。
第二条(人間の尊厳及び基本的人権の不可侵)
 人間の尊厳は最大限尊重されなければならない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利であり、日本国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。
第三条(最高法規)
 この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
第四条(憲法遵守の義務)
 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し遵守する義務を負う。
第五条(国旗、国歌、元号)
 国旗、国歌、元号は、法律で定める。
第六条(公用語)
 日本国の公用語は、日本語である。
 
 改正試案では、第一条第一項で国民主権について、第二項で天皇の地位について、並立的に規定した。
 天皇の地位については現行憲法の象徴天皇制の規定を踏襲するとともに、この際、「天皇は日本の元首か否か」といった戦後憲法的な不毛な議論に終止符を打つため、「元首」と明記することとした。
 日本では西暦一〇〇〇年前後の時代に「象徴的な政治的権威」と「実態的な政治権力」の分離を達成し、以後千年余にわたってこの体制を継続して現代に至っている。これは世界史上に誇るべき事実なのだが、日本人は伝統的な日本政治の構造を肯定的に評価する理論的な枠組みをずっと発明できずにきた。
 むしろ歴史的に日本の知識階級は自国の政治を外国製の政治理論によって解釈することに情熱を傾けてきた。近世においては儒教的な、近代においては西欧的な政治理論が権威を持ち、その枠組みからはみ出す日本の現実は、不正常なもの、遅れたものとして嫌悪され、排斥の対象にされてきた。
 江戸時代きっての知識人であり、政治家でもあった新井白石が悩んだのもその点だった。徳川幕府支配体制の本質的矛盾は天皇と将軍のあいだで、主権が名と実に二分化されていることであり、白石のような確信的な儒教主義者にとっては、武家政権の支配の正統性をすっきり説明できないもどかしさがあった。白石は、儒教イデオロギーをもとに日本史の再解釈を行い、将軍を日本国王にする方向でこの問題を解決しようと奮闘し、結局は失敗する。
日本語習得を国民の要件に
 武家支配の正統性を追求して苦闘する白石の姿は、天皇制と国民主権の並存という矛盾(?)に思い悩む戦後民主主義のイデオローグたちにも似て、これに無関心な人々にとっては一種滑稽な風景に見える。「日本の元首は天皇か首相か」という議論は、「日本国王は天皇か将軍か」という議論と同じように、時が過ぎてみれば、到底意味ある論争だったとは思えないだろう。
 私は国民主権と天皇を象徴的元首とする規定の並存が矛盾するものだとは思わない。例えばスウェーデン憲法は「国王又は女王は元首である」と規定するが、このことを以って、スウェーデンは国民主権でないとか、スウェーデンは民主主義国家ではないなどと言う人はいないだろう。
 天皇制は戦後、国民主権と自然なかたちで調和し、その象徴的意味での国家元首としての機能は、国内でも国外でも、違和感なく受け入れられている。「国民統合の象徴である天皇を元首とする民主主義国家」というのは、今の日本の政治体制をありのままに、ごく素直に表現したものである。
 総則の第二条は、現行憲法の第三章(「国民の権利及び義務」)第十二条の規定に「人間の尊厳は最大限尊重されなければならない」の一文を付け加えたものだ。私は戦後六十年近くのあいだに、日本が最も失ってきた価値が人間の価値であると確信している。官僚依存の内政、米国依存の外交安保が日本人の自立心を喪失させ、日本人の尊厳を失わせてきたといえよう。そのことが日本国としての尊厳の喪失をもたらしてきたことはいうまでもない。人間および国家としての尊厳の回復は私の年来の持論とするところであり、ドイツ基本法第一条にこの表現があるのを見たとき、わが意を得た思いがした。平成新憲法を象徴する宣言的意味合いでぜひ取り入れたいと考えたわけである。
 第三条、第四条は、現行憲法では第十章(「最高法規」)におかれているが、これも本来は宣言的条項であり憲法冒頭に位置づけるのが適切であろう。
 国旗、国歌については、憲法で具体的に規定している国も多いが、わが国においては、国民的議論を経て、すでに準憲法的法律として、国旗国歌法、元号法が制定されているので、第五条のような表現とした。
 第六条の公用語の規定は唐突に聞こえるかもしれない。しかし日本語を共通の国語とすることは、天皇制と並ぶ日本人のアイデンティティの源泉であり、これを総則に位置づけることは大きな意義がある。また中長期的に考えると、日本でも相当量の外国人移民を受け入れざるを得ず、日本語習得を日本国民の要件の一つとすることは現実的な要請でもある。
 
第二章 天皇
第七条(皇位)
 皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定める継承順位に従い、皇統に属する男子又は女子が継承する。
第八条(天皇の任命権)
 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
(3 憲法裁判所長官)
(4 各州長官)
第九条(天皇の国事行為)
 天皇は、内閣の助言と承認により、左の国事に関する行為を行う。天皇の国事に関する行為の責任は内閣が負う。
一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の選挙の施行を公示すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外国の大使及び公使を接受すること。
十 国賓を接遇すること並びに友好親善のため諸外国を訪問すること。
十一 儀式を行うこと。
2 天皇は、法律の定めるところにより、国事に関する行為を委任することができる。
3 皇室典範の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行う。
第十条(財産授受の制限)
 皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。
「女帝」は現実的な判断
 第二章第七条は、皇位継承について「国会の議決した皇室典範の定める継承順位に従い、皇統に属する男子又は女子が継承する」とした。要するに女帝を認めたわけである。
 女帝についての慎重論はよく承知している。歴史上女帝は十代八人おられるが、いずれも男系による皇位継承を守るためのやむを得ざる一時的な対応として即位されたものであり、それ故皇后などの寡妃か、あるいは生涯未婚の皇女であられた。いまの女帝容認論は、歴史上存在したこうした女帝とはまったく性格を異にする。千数百年男系で続いた皇統を、女系に移すという話で、日本にとっては初めての経験といえる。一部に女帝反対論が根強いのも故なしとしない。
 また女性の天皇を認めることに伴い、皇婿(皇配)の地位をどうするか、内親王にも宮家創立を認めるのか等々、皇室典範の大改正を要する難問が多々出てくる。しかし、それにもかかわらず、われわれは女性の天皇を認めるべきときに来ているのではないか。男女平等の理念もさることながら、これは、皇位の永続性が懸念される事態は避けたいという、天皇制の存在意義を積極的に見出す立場からする現実的な判断である。
 その上で継承順位は皇室典範で定めることにした。この場合、イギリス、デンマーク、スペイン流の男子優先主義で行くのか、オランダ、スウェーデンなどの長子優先主義で行くか、という課題がある。私は前者のほうが自然な感じを受ける。
 女性天皇を認めることに伴う多くの課題は、憲法改正と皇室典範改正の国民的協働の中で乗り越えていかなくてはならない。
 天皇の任命権は現行憲法どおりだが、改正の結果、憲法裁判所が設置されれば当然その長官は任命の対象になるだろう。また、連邦制に近い大胆な地方分権がなされれば、国家的統合の観点から、地方政府の長を天皇の任命の対象とすることも検討されてよいだろう。
 第九条は天皇の権能について、現行憲法の第三条、四条、七条をまとめたかたちで規定した。現行憲法四条一項「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」の部分は削った。これも敗戦後の国際政治状況を反映した、連合国向けの文言であり、今日においてはあまり意味がない。天皇の国事行為については、ここで限定的に列挙され、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が結果責任を負う。これだけの規定があれば、天皇が政治的権能を有しないことは十分明らかになる。
 天皇の行為については、憲法の規定する「国事行為」と「私的行為」のあいだに、象徴としての「公的行為」があると学説上解説されている。国賓歓迎行事の主催、外国訪問、地方への行幸、国会開会式や国体など国民的行事への臨席などがこれに当たる。天皇制を否定的に考える向きからは、これらの公的行為は違憲であるといわれている。
 私はもちろんそのような考えは取らないが、国賓の接遇と外国訪問については、国事行為として規定することとした。これまでも晩餐会等での天皇のスピーチが問題になるなど、公的行為のうちでも、最も政治的性格の強いものであり、内閣の責任を明確にしたほうが適切だと考えるからである。
皇太子発言の背景は何か
 今回の試案をまとめた直後に、皇太子殿下が記者会見で「雅子妃殿下のキャリアや、その人格を否定するような動きがあった」と発言をされた。皇太子殿下自らがこの衝撃的な発言をされた背景には、「お世継ぎ問題」があったことはいうまでもない。国民の期待以上に、宮内庁からのプレッシャーがお二人にとって大きなご負担になっていたのであろう。
 雅子妃殿下は愛子様ご誕生後の平成十四年十二月、ご夫妻でオーストラリア、ニュージーランド両国を友好・親善のために訪問される直前の記者会見で、
 「六年間のあいだ、外国を訪問することがなかなか難しいという状況は、正直申しまして、その状況に適応することに大変な努力がいったということがございます」
 と率直に心中を打ち明けておられる。しかし、その後も事態は改善した気配はなく、こうしたストレスからか、妃殿下は昨年末以降、疱疹を発症されるなど体調を崩された。今年三月から四月にかけては東宮を離れ、軽井沢で静養をなさるほど、体調を悪くされている。皇太子殿下のご心痛はいかばかりであったろうか。ところが、この間、皇室をお守りするはずの宮内庁は何をしていたのか。お二人の気持ちを汲むどころか、湯浅宮内庁長官が「秋篠宮殿下の第三子を希望する」などと言い放っていたのである。
 私は今度の皇太子殿下のご発言をお聞きし、まず宮内庁の改革こそ必要だと痛感した。それと同時に、これからの皇室の繁栄のためにも女帝を認めることが現実的な判断であることをあらためて確信した。
 天皇制は日本の文化的資産であるとともに、貴重な政治的資産でもある。今回私はその意義を積極的に評価する立場で改正案を作った。
 「天皇」という称号が登場したのは、天智朝から天武朝の頃だとされる。「日本」という国号もこの頃定まった。当時の日本は、白村江の戦いで唐の水軍に大敗し、大陸からの侵攻も予想される対外的な危機と、壬申の乱という国内的な危機が重なる中で、必死に律令国家体制の確立に邁進していた。
 制度としての天皇は、こうした危機意識の中で大陸文明に対する日本の自己主張の表現として創始された。それ故天皇は「文明としての日本」の核心であり続けた。歴史上内外の危機が高まるたびに天皇が浮上した所以もここにある。
 二十一世紀の日本は、緩やかな衰退を運命づけられている。日常化する危機の中で、衰退を食い止めようと苦闘するわれわれ日本人にとって、天皇の存在は今まで以上に大きな意味合いを帯びることになるだろう。
◇鳩山 由紀夫(はとやま ゆきお)
1947年生まれ。
東京大学工学部卒業。米スタンフォード大大学院修了。
内閣官房副長官、民主党代表を歴任、衆議院議員。
 
 
 
 
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