1993/03/04 産経新聞夕刊
【時評】論壇 歴史感覚とは何か
松本健一
日本人は歴史好きだ、という。しかし、この歴史好きは、いわゆるディレッタント(好事家)風、つまり物好きのたぐいであって、歴史感覚があるのとはちがっている。歴史感覚はむしろ乏しい。
これは、日本人が「永遠の今」(西田幾多郎)に生きているからである。もっと分かりやすくいえば、「つぎつぎになりゆくいきおい」(丸山真男)に身をまかせて生きているからだ。
とはいっても、人それぞれである。なかには、柳原二位局(大正天皇の御生母)のような歴史感覚のするどいひともいて、司馬遼太郎の『手掘り日本史』によれば、かの女は明治天皇が白馬にのり軍服をきて閲兵している姿をみて、「ああ、皇室もこれでおしまいになるかもしれないな」といったそうである。
柳原二位局の考えでは、敵をいかに打ち倒すかなどという軍事、つまり地上のことは「しもじもの者がすること」で、皇室はそういった地上の些事からは超然としていなければならない、というのである。これは、かつて地上の権力争いなどに加わった皇室の歴史からみちびきだされた感覚であろう。
そして、そうだとすれば、相手の考えを推理し、おたがいの利害をすりあわせ、ときにはブラフ(おどし)さえつかって妥協するような外交なども、まさに「しもじもの者がすること」であろう。皇室外交などというひとは、こういった歴史感覚に乏しい、とおもわざるをえない。
皇室は軍事や外交や経済や政治など、地上のことから超然とすることによって生きのびてきた。この点にかんして、中曽根康弘(元首相)は「大きな政治と小さな政治」(『文芸春秋』)で、次のように味なことをいっている。
「日本の歴史を見れば、天皇が実権を握って統治をしたのは、神話によれば、神武天皇からせいぜい景行天皇ぐらいまでです。しかし神話であって、本当かどうか分からない。歴史を実証的に検証すると、ある程度長期的に実際に実権を握ったのは明治、大正、昭和の三代のようだ。後醍醐天皇は(実権を)回復しようとして失敗したし、後鳥羽上皇も失敗したんですね。もし政治の実権を握って統べて(すべて)いたら、倒されて、天皇制は継続していなかった可能性もある。象徴的存在であったので守られてきた」
天皇が象徴的存在である、とは、軍事や外交や経済や政治など地上のことから超然としてある、という意味だ(権力から切れ一種の文化的価値と化すことによって、地上権力に権威を与えることができるのである)。
中曽根のこの発言は、さいきん急に再浮上しはじめたかれの三十年来の持論である首相公選論が、天皇制と矛盾、抵触するのではないか、という批判に応えてのものである。つまり、中曽根の考えでは、
「今や日本国民も、もっともっと政治に参加すべきではないだろうか」
そのためには首相公選がいい、ということだろう。これに対して、小沢一郎(自民党元幹事長)などが、首相公選にして大統領的な、権力の強い首相が生まれると天皇制と抵触するのではないか、と批判しているわけだ。
わたしの考えでは、『正論』四月号の特集「私の日本改造案」にも書いたように、国民の政治参加は憲法改正をめぐる国民投票でも可能なのであって、別に首相公選にかぎられるわけではない。ただ、首相公選論が天皇制と矛盾、抵触しないことは、中曽根のいうとおりだろう。
となれば、ここはぜひとも小沢一郎の真意をふかくききたいところである。ところが、田原総一朗のインタヴューによる、小沢一郎の「『にわか改革派』はいずれ分かる」(『中央公論』)では、現実の政治的かけひきをどうするのかという表層に話が終始している。
たしかに、小沢の、
「戦後政治というのが、国内だけの配分の政治、あるいは経済だけの政治、冷戦構造下での政治、東西対決のなかでの政治、そこで日本は国際社会のなかで利益だけ享受して、責任や役割を負担しないで済んできた。それが歴史の大転換で許されなくなった。しかし、政治は従来のままで変わろうとしない」
という現状認識は、至極もっともである。だが、そのように「変わろうとしない」政治を変えていくためにはどうしたらよいのか。また、その改革構想をどのような歴史感覚において生みだしてゆくのかが、このインタヴューではふれられていなかった。きわめてテレビ的な、いいかえると表層的な「ご対談」に終わってしまった。これでは、論壇の形式にならない。
小沢一郎は現在の政界にあって、「なりゆくいきおい」のままに生きている政治家ではない、少数者のひとりといっていい。では、かれはどのような歴史感覚によって、現在の政治を「改革」しようとするのか。それがききたい。
(評論家)
◇松本 健一(まつもと けんいち)
1946年生まれ。 東京大学経済学部卒業。 京都精華大学教授を経て、現在、麗沢大学教授。
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。
|