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2000/06/07 産経新聞朝刊
【正論】「神の国」発言が突きつけたもの
評論家 西尾幹二
◆日本人古来の自然信仰
 去る五月三十日北陸大学の公開講座に招かれて、金沢に赴いた。わかりやすい時局テーマから話してほしいと乞われ、首相の「神の国」発言を枕に「政教分離」について話した。聴衆の中にたまたま森喜朗首相後援会の関係者がいた。翌三十一日午後、同じ話を首相の地元、石川県根上町でしてほしいと頼まれ、急遽、緊急講演会となった(各紙六月一日付報道)。あまり用意のないまま、一時間半、八百人の地元の人を前に一所懸命に話させてもらった。
 私の話は三部分からなる。最初はカミの概念をめぐってで、すでに本欄で長谷川三千子氏(五月二十四日)、加地伸行氏(五月三十一日)が言及しているテーマなので、ここでは多くを費やさない。カミはもともと「上」であり、「お上(かみ)」あるいは「上(うえ)さま」と同じ概念だという江戸時代以来の説に、異論はあることは承知だが、もう一つは「鏡(かがみ)」から由来するという説も紹介し、この日本的概念に「神」という中国文字を当てたときに第一の誤解が生じた。漢字の「神」は電光の屈折して走る形である。さらにキリスト教のGodを神と訳したときに、誤解は決定的に二重になったいきさつを述べた。
 それでも日本人古来の自然信仰は生きている。古い井戸や老木や竈(かまど)や厠(かわや)や村のはずれに、そして八幡の鳩、春日の鹿、稲荷の狐に神を感じる日本人のアニミズムの根は深い。菅原道真は学問神であり、乃木希典は軍神で、また生きていても尊いお方はカミであり、天皇はだからカミであることになんの不思議もない。天皇を「現人神(あらひとがみ)」とか「現御神(あきつみがみ)」というのは、復活するイエスの神話より、ずっと現実的、非神話的である。森首相もそういう自然神のカミの概念において、日本人の畏敬の心を大切にしようと語っているにすぎない。一行だけ引き抜いて、ねじ曲げて非難する一部マスコミはまったく、無知であり、卑劣かつ愚かという以外のなにものでもない。
◆無神論者はテロリスト
 私の話の第二のポイントは、欧米では「政教分離」が厳格におこなわれていると一般に信じられている錯覚について反論した。イタリアでは第二次大戦以後、「キリスト教民主党」が第一党を占めてきた。ドイツも長期政権であったコール氏率いる保守党の名は「キリスト教民主同盟」である。スペインでも一九七六年にやっと政党の自由化方針が決定されたとき、まっ先に誕生したのが「キリスト教民主党」であった。「キリスト教」を頭につけた政党が政権を握る各国は、どうして「政教分離」の国といえるであろう。日本で「神社神道民主党」が政権与党になるような話である。
 よく考えてほしい。ドイツでは「教会税」を徴収して、国家が教会を保護している。公立学校が宗教教育をすることは憲法で義務づけられている。一般にヨーロッパで「自分は無神論者だ」と公言するのは「自分はテロリストだ」と言っているのと似たようなことで、バカにされ、警戒される。それほどに市民社会の中に、口に出して言わなくても、何となく教会的秩序があるのであって、政治に及ぼす影響力のほうも量り(はかり)しれない。厳密な「政教分離」なんてあり得ない話である。
 そのあり得ない話、「政教分離」を形のうえで最も徹底し、純粋厳正に守ろうとしているのはフランスだけである。フランスは例外中の例外である。理由はフランスが革命国家であったこと、フランス革命が端的に反カトリック暴動であったことに由来する。国家と教会が敵対的であるこのような歴史を、他のヨーロッパ諸国はまったく経験していない。
◆祭政一致という感情論
 アメリカはやゝフランス寄りであるかもしれない。「政教分離」を少しうるさく言う人もいる。けれども、アメリカ連邦議会の両院には専属の牧師がいて、毎日議事について祈祷しているし、海軍士官学校や陸軍士官学校にも牧師がいる。アメリカの国家と宗教の間に密接な協力関係が成り立っている。大統領が就任式で聖書に手を置いて宣誓することはよく知られている。
 問題は日本の憲法解釈が、もっぱら革命国家フランスに合わせていることである。
 しかし、世界の事情を私が以上いくら説明しても、日本が再び妙な祭政一致の国になることはもうご免だという感情論は戦後から今までずっと根強い。私が石川県で語った第三のポイントは、先の大戦の主たる要因は植民地主義、マルクス主義、ファシズムという西欧産の思想にあり、アジアの遅れた国の歴史、日本の封建制や前近代性にあるのではないという点だ。神道や天皇制がその長い歴史において帝国主義の膨張イデオロギーを内部に抱えていたというような事実はまったく存在しない。むしろキリスト教がどの宗教よりも歴史的にみれば戦闘的な武装イデオロギーの役割を果たしていた。日本が近代以前に、神道を外国侵略の先兵に用いた例が一つでもみられるだろうか。日本は西洋人から宗教を帝国主義の手段として使う手本をみせてもらったまでである。
 近代の総力戦は何をでも利用した。第二次大戦中に米英でも教会は総力をあげて戦争に奉仕した。スターリンは外来思想の共産主義では祖国解放戦争を戦えないので、教会とよりを戻し、イワン雷帝を讃えるなどの反動思想でロシア人の愛国心喚起につとめた。
 もうこれらのすべては終わって半世紀をへたのだ。日本人は自国の伝統宗教に関しても、ここいらでバランスのとれた落ち着いた自己像を確立すべきときである。
(にしお かんじ)
◇西尾幹二(にしお かんじ)
1935年生まれ。
東京大学大学院修了。
電気通信大学助教授を経て電気通信大学教授。現在、電気通信大学名誉教授。「新しい歴史教科書をつくる会」名誉会長。文学博士。
 
 
 
 
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