1989/01/08 読売新聞朝刊
[天皇をみつめる世界](1)中国 新天皇の来訪期待(連載)
◆「新時代の弾みに タブー避けず情報多く◆
昭和から平成へ。歴史の歯車が回った。昭和天皇は戦争と平和の激動の時代を生きぬかれたが、新天皇と経済大国日本の行く手にも新しい、大きな可能性と試練とが待っているに違いない。今、この時点で、世界は「天皇」と日本をどう評価し、期待し、または懸念もしているのか。国別に、特派員リポートでつづっていきたい。
「天皇継承権は男子に限られているのか」「歴代、英国のエリザベス女王のような女性天皇のケースはなかったのか」−−。
中国外務省のある高官との会食の席で、昭和天皇のご病状悪化が話題になった時、日本の天皇制について、矢継ぎ早の質問を受けた。そこでの印象は、日本の天皇制や現在の皇室の役割について、ほとんど知られていないな−−ということだった。一般大衆レベルになると、もっと情報が少ない。「戦争当時の天皇がまだ在位していたのか」という質問さえ飛び出してくる。それほど新中国では天皇について語られることが少なかったということだろう。
ところが、昨年九月の昭和天皇のご病状悪化以降、日本のマスコミの報道ラッシュにあおられてか、中国の新聞、テレビでもかなり報道が行われた。しかし、そのテーマは、宮城前の広場で、ひざまずいて天皇のご病状回復を祈る姿や、東京の地下鉄で連続発生した天皇制反対のゲリラ事件など、極端な一面であり、日本の天皇制と中国のかかわり、天皇制の現在の位置付けなどについての報道は意外なほどなかった。
こうした一面的な報道と、天皇制に対する情報不足が重なると、とんでもない誤解を生じる可能性がある。ましてや中国との間には、不幸な過去の歴史が存在するだけに、誤解がいびつな形で爆発する恐れさえある。
そこで、新天皇陛下に望まれるのは、早い時期での訪中であろう。
「実は、七八年にトウ小平氏、八三年に胡耀邦氏がそれぞれ日本を訪問し、昭和天皇陛下と会見した際、陛下の方から中国を訪問したいという意思表示があった。こちらも受け入れの意向があったが、その後、日本側の事情で実現しなかった」
中日友好協会の孫平化会長は当時を思い起こしながら、そう証言する。おそらく、周辺が止めたのだろうというのが中国側の推測だ。
「侵略」の表現をめぐる教科書問題、閣僚の靖国神社参拝問題など間欠泉のように、日中間に問題が噴出していたから、慎重にならざるを得ない事情もあっただろう。しかし、中国で、こうした問題と関連して天皇制の問題が語られることはなかった。もちろん、中国の古い世代やインテリ層の間に、天皇の戦争責任を問題にする人がいないといったらウソになる。過去に日中間で発生したいくつかの“摩擦”の原因として、中国側は、日本人の過去の歴史に対する反省が十分でないためだと指摘する。それについては、天皇問題を日中間で避けてきたことも一因といえるのではないだろうか。
「そういうモヤモヤも一部にあるからこそ、一度、昭和天皇陛下に中国に来ていただきたかった。以前エリザベス英女王が来られた時、大変な歓迎を受けた。天皇陛下の場合もきっと歓迎されたはず。そうすれば友好はさらに進むし、現在の天皇制度について、中国の大衆の理解も変わってくるだろう。テレビで皇居前のお祈りの姿だけ見せられたら、日本人と天皇の関係は昔と変わっていないのかという印象を与えてしまう」と、長く北京に住む日本人、山本市朗氏はいう。
平和友好条約の締結から十年余り。昨年八月の竹下首相訪中では、「日中新時代」が高らかにうたい上げられた。だが、「過去の歴史に対する厳しい反省を出発点とする」(竹下首相の西安における講演)と誓ったことも忘れてはなるまい。平和国家としての日本の国際的貢献を強調するのであれば、日中間において、暗黙のうちに半ばタブー視されてきた「天皇問題」を避けて通ることはできないだろう。
「今ごろ戦争責任を論議する時期ではない。私の個人的考えだが、新天皇が訪中したいとのご意向を示されれば、中国は歓迎すると思う」と孫平化氏。
「いきなり新天皇の訪中が難しいのであれば、皇族の訪問も考えて良いのではないか。六〇年代に、シルクロードに関心の深い三笠宮殿下の訪中の動きがあった。これも実現しなかったが、この時の招待はいまも有効だと思う」と、中日友好協会の幹部はいう。
いまのところ、中国側から具体的な皇室招待の話はないが、こうした発言を見ても、日本側さえその気になれば、実現の可能性は十分にある。
新天皇がどう対応されるか。「日中新時代」を築くホップ、ステップが期待されている。
(北京・高井特派員)
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