1990/12/07 毎日新聞朝刊
[記者の目]神秘性を演出、平成即位儀式 象徴天皇が見えなくなった・・・
天皇陛下の一連の即位儀式が終わった。現行憲法下で初めて行われた即位の礼、大嘗祭(だいじょうさい)などを取材して「象徴天皇」とは何かについて改めて考えた。皇室を担当して三年余。昭和の終焉(しゅうえん)から平成のスタートを見つめ続けて、新皇室のご日常や活動のありように、確かに前時代とは違った近づきやすさを感じていた。陛下も即位後初の昨年八月の記者会見で「現代にふさわしい皇室を」と抱負を述べられている。が、一連の即位儀式で演出された天皇像は、かつての「現人神(あらひとがみ)」のイメージをよみがえらせるものとの印象をぬぐえない。即位儀式は象徴天皇というものを示す良いチャンスだった。私にはそれが生かされなかったように思えてならない。
(広田勝己 社会部)
◇見せつけられた異なる存在
十一月二十二日夜から二十三日未明まで、延々九時間もかけて皇居・東御苑で行われた大嘗祭。私は参列者用テントの最後部で、儀式のため神殿に向かう陛下の列に目を凝らした。たいまつや灯ろうの明かりだけでは人々の輪郭さえおぼつかない。ただ、廊下をゆっくりと動く大きなかさの下に、陛下の白装束を垣間見ただけだった。大勢の侍従にかしずかれたその姿から私が思い出したのは、今では使われなくなった「天子」という言葉である。
「天皇と神」との結びつきがこれほどはっきりと国民の前に示されたのは戦後では初めてのことだったろう。と同時に、それまで両陛下のご日常に庶民との近さを感じていた私は、改めてわれわれ国民とは異なる存在としての天皇像を見せつけられた思いだった。神秘的な演出に彩られた大嘗祭はもちろん、国の儀式として行われながら、高御座(たかみくら)という、文字通り参列者を見下ろす高い場所から即位を宣言された陛下に違和感を感じたのは私だけではあるまい。
今年五月の長崎県ご訪問の際、長崎県諫早市内のホテルに到着された両陛下を障害施設の子供たち十数人がロビーでお迎えした。皇太子時代、両陛下が長崎、佐賀県境にあるその施設を慰問されたのが縁で、わざわざマイクロバスでやってきたのだった。体をかがめ、手を取って、車いすの子供たち一人ひとりに語りかける両陛下。子供たちのくったくのない笑顔を目の当たりにして「これが象徴というもののあり方なのかな」と思ったりもした。こうした障害児や恵まれない子供たちとの触れ合いは、両陛下の地方ご旅行時には必ずといっていいほど見受けられる光景である。平成のスタート以来、新皇室について各種の世論調査が行われたが、天皇ご一家の印象のトップは常に「親しみ」だった。
即位儀式の中でも、先月十二日のパレード「祝賀御列の儀」ではいつもの両陛下らしい姿が見られた。オープンカーの上で天皇陛下は沿道の市民に手を振りながら、隣の皇后さまに話しかけられていた。昭和の時代、皇后は必ず天皇の後ろを歩かねばならず、人前で、ましてや公の場で二人が語り合うことなどまずなかったという。その点、今の両陛下は「ごく普通の夫婦と同じように語り合い、時には人前で議論までされる」(宮内庁幹部)そうだ。
昭和天皇は昭和二十一年一月一日のいわゆる「人間宣言」の中で、「国民ト共ニ在リ、常ニ利害ヲ同ジウシ・・・」と述べられた。今の天皇陛下もことあるごとに望ましい皇室像として「国民とともにある」を強調されてきた。旧来の皇室の慣例を破って親子同居を果たし、音楽やテニスをともに楽しむあこがれの家族像をつくりあげ、長崎での例にもみられるように自然な形で国民の中に入ろうと努められる天皇ご一家の姿は、その「国民とともに」を求める姿勢の表れにほかならない。
が、この陛下のお言葉は裏返せば、天皇は決して国民ではない、庶民とは「異質な存在」であることを自覚されてのものともいえる。
「日本国、日本国民統合の象徴」である天皇の身分は一般国民とは明確に区別されている。職業選択や婚姻の自由がないなど基本的人権は制限され、退位の自由さえない。一方でたとえ犯罪を犯しても訴追されない、というのが通説だ。とは言え、法律を超越した存在でもない。陛下は昭和天皇の遺産の相続税を支払われたし、著作にかかる印税なども納められている。また、外国は陛下を事実上国家元首として遇しているが、学説上は、象徴天皇は元首ではないというのが多数派だ。つまり「象徴」の地位には実態の定まりにくい、あいまいなところがある。
◇「庶民と同様の天皇はいらぬ」
「異質的存在」であることを踏まえれば、国民から遠ざかるほど天皇らしくなるという見方もできる。ある皇族が「国民の間に入って行かれるのは結構だが、庶民と同様の生活をするのでは天皇などいらない」と語っていたことを思い出す。一方、各種世論調査で天皇ご一家の印象として「親しみ」がトップを占めている事実から見ると、国民はある意味で天皇らしくない天皇像を求めているのかもしれない。現行憲法が制定されて四十年余り、「象徴」というあいまいな言葉について、私たちが十分に吟味せずにきたことが、このパラドックス(二律背反)を成り立たせているような気がする。
ただ、「象徴」を考えるうえで忘れてはならないのは、「象徴天皇」があくまで戦前の「統治権の総攬(らん)者たる天皇」に対する反省から生まれたものだということ、と私は思う。
国民の大多数が象徴天皇制を支持している背景には、天皇が「象徴」と呼ばれる存在である限り、決して「天子」でも「現人神」でもないし、これからもそうならないということへの信頼や期待があるからではないだろうか。
◇宮内庁の内部からも反省の声
即位儀式にあたり、政府、宮内庁は「憲法の趣旨に沿い、かつ皇室の伝統を尊重する」と繰り返し強調した。「皇室の伝統」とは、つまるところ、皇室祭祀(さいし)に行き着く。「統治権の総攬者」から「象徴」へと憲法上の立場は変わっても、天皇にとって、祖先神を祭り、祈る祭祀は自らのアイデンティティー(固有性、主体性)を維持するための重要事であり続けている。昭和天皇も、天皇陛下も、そして次の皇位を継承する皇太子殿下も祭祀を大切にされる態度では共通している。神になる儀式かどうかの議論はともかく、一代に一度限りとされてきた大嘗祭が、天皇家の存続のために不可欠というならば、その主体性を否定することもないだろう。
しかし、今回の即位儀式で映し出された陛下の姿は、国民の持つ「象徴」への信頼からあまりにもかけ離れたものではなかったか。宮内庁内部にさえ大嘗祭について「統治者の祭りじゃないんだから、私的にこぢんまりとやってもよかった。質素を重んじるのが皇室の伝統だし、国民も納得したのでは」との反省の声が少なくない。
一般庶民とのさりげない触れ合いの中から「開かれた」イメージを築こうとされていた天皇ご一家。しかし、いったん神と向かい合われたとき、そこには庶民とは「異質」な姿があった。そのギャップをどうとらえればいいのか。一連の即位儀式が国民に問いかけた課題と思う。
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