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ムラサキイガイ(ムール貝)は日本にいつ来たか
梶原 武
1. ムラサキイガイ類
 
 ムラサキイガイは、約300万年前にヨーロッパの北大西洋沿岸から地中海沿岸に分布しており、10万年前頃より北と南で殻形が異なってきたと推定されている。
 現在、ムラサキイガイはイガイ科イガイ属に分類され、イガイ属は寒帯域から温帯域まで南北両半球に広く分布する付着生二枚貝である。
 ムラサキイガイは、アサリやハマグリなどの海底に潜入して生活している貝とは異なり、海底の表面や岩礁・海中構造物に付着して生活している。
 牡蠣は貝殻で固着しているが、ムラサキイガイは人間の髪に似た硬タンパク質の糸(足糸と云う)で付着している。
 足糸を自身で切って、足で移動して別の場所に再付着することもできる。
 牡蠣とムラサキイガイの付着競争では、移動可能なムラサキイガイが優位で、牡蠣養殖場ではムラサキイガイは最大の害敵となっている。
 ムラサキイガイが日本に移植されてからは、牡蠣が優占していた岸壁の多くはムラサキイガイ優占に変わってきている。
 ムラサキイガイに似た殻形の3種類をムラサキイガイ類と呼ぶ、それらは図1に示す3種類で、図の上段キタノムラサキイガイ、中段ヨーロッパイガイ、下段ムラサキイガイである、いずれも腹側から出ている足糸で基盤の表面に付着するので、座りが安定するように腹側がふくらんだ形をしている(図1の左側)殻形は前方が細く後方が円形、腹側が水平で背側が丸くなっている、図の中央(b,c,h)は左殻の内面を示す。
 3種類の学名が決められたのは、まずヨーロッパイガイが1758年、次いでムラサキイガイが1819年に、キタノムラサキイガイは1850年である(表1)、しかしこれらの3種類の判別は難しく、1970年代までは貝殻の研究者でも判別に困難していた、特に異なった種類の分布が接近している水域では、雑種の存在も疑われていた。
 1980年以降殻形質の精査、肉や足糸のタンパク質の構造から、3種類の正確な判別が可能になった。
 現在分かっている3種類の世界及び日本国内の分布、産卵期、付着期、交雑種の概要を表1に示す。
 
2. ムラサキイガイの日本への移入
 
 1920年の後半に、神戸港付近にムラサキイガイの付着が発見された、また東京湾内では、1930年代の初期にムラサキイガイが横浜港付近で見つけられた。
 1970年までは、北海道にいるキタノムラサキイガイはヨーロッパイガイと同種とする見方があり、神戸港付近で発見された貝はキタノムラサキイガイの南下と考えた研究家もいた、しかし1930年代には本州に出現したムラサキイガイは、ヨーロッパイガイの移入によるとする見方が定着した。
 キタノムラサキイガイの南下説の否定には、寒流域の貝は暖流域の沿岸では繁殖できないというのが一つの根拠であった。
 ムール貝の本場の沿岸には、古くからムラサキイガイ類の3種類が生息している、しかしこの3種類の正確な判別は1980年以降で、それまでは3種類を正確に区別しないで、どの種類もヨーロッパイガイの学名で記載されている文献が多かった。
 ヨーロッパにおける種類判別の不正確が、日本移入のムラサキイガイの種名の誤りの原因であったと思われる。
 日本の貝類研究者は移入ムラサキイガイにヨーロッパイガイの学名を与え、1930〜1970年の間には、海洋生物研究者のみならず広くこの学名が正しいと信じられていた。
 移入ムラサキイガイの暖流域沿岸での分布拡大は急速で、1960年までに北海道南部から九州南部の沿岸に及んでいたと思われる。
 この貝が日本で注目されたのは、付着被害であった、最初の被害はカキや真珠の養殖で、この貝の付着はカキや真珠(アコヤガイ)の生育を阻害した。
 第二次大戦後、日本では火力発電所が海岸に建設され、海水を冷却水に利用している、海水の取水装置と冷却装置への最大の被害がムラサキイガイの付着で、海水利用の火力・原子力発電所では、この貝の付着防除が重要な管理業務となっている。
 
3. ヨーロッパにおけるムラサキイガイ類の分布
 
 北ヨーロッパの沿岸にはキタムラサキイガイが生息している、1970年代になって、ヨーロッパの中部から南部の沿岸における、ヨーロッパイガイとムラサキイガイとの分布についての知見が報告された(図2)、これによると、ヨーロッパイガイはフランスのノルマンディ半島よりアイルランドの北端を結ぶ線より北に分布している。
 この線より南にはヨーロッパイガイとムラサキイガイ及び両者の交雑個体が分布しており、スペインから南の大西洋岸や地中海岸にはムラサキイガイのみが生息しているとされている、さらに両者の生息的な重要な違いは産卵期で、ヨーロッパイガイは初夏〜夏に、ムラサキイガイは秋〜冬に産卵期がある、従って両者の稚貝の付着期も異なり、前者は秋に後者は春に付着盛期がある。(両者の産卵期間は長いので、交雑個体が出現する)
 1930年代の前半に東京湾内の横浜市金沢沖で行った調査では、移入ムラサキイガイの付着盛期は3月〜4月と報告されている、このことは移入ムラサキイガイをヨーロッパイガイの生態とは異なる指摘であった、移入ムラサキイガイをヨーロッパイガイとしたことにより、日本における移入ムラサキイガイの産卵期と付着期を取り違えて、付着被害対策を行った事例もある。
 日本国内では、1980年以前に移入ムラサキイガイはヨーロッパイガイではなく、地中海原産のムラサキイガイであるとした研究者は、ごく少数であった。
 1990年代以降移入ムラサキイガイは地中海原産のムラサキイガイで、日本国内にはヨーロッパイガイは生息しないことが確認された(資料1)両者間では、繁殖以外にも生息水域や付着基盤にも差異がある(資料2)
 移入ムラサキイガイの伝播経路や方法については憶測の域をでないが、地中海からの経路とは別に北米カリフォルニア沿岸からのルートも考えられる。
 方法では、1920〜1930年代の船舶事情からして、船底に付着して輸送されて来た可能性が大きいと思われる。
 
4. ヨーロッパにおけるムール貝(ヨーロッパイガイ、ムラサキイガイ)の漁業と養殖
 
(1)オランダにおけるヨーロッパイガイの漁業
 ヨーロッパイガイは海中構造物に付着するが、海底の泥上にも相互に足糸をからめて集合して生息している。
 浅海のこのような貝を底曳網(ドレジ)で捕獲する、捕獲した貝は岸近くで干潮時に露出する場所に作られた浄化場に平積にして、泥などを排出させる(図3)浄化場の干潮時には、カモメがヒトデや殻の破損した貝を捕食してくれる(図4)浄化場から取り上げた貝は専用処理機で袋詰めされる、図5の処理機では貝を入れ(1)、からみあった貝をほぐし(2)、貝を洗浄し(3)、送風して殻表面を乾かし(4)、小型貝を下に落として貝を選別する(5)、選別した出荷する大きな貝の一定量を計量して袋詰めする(6)。
 
(2)ムラサキイガイの養殖
 ムラサキイガイは、主として海中構造物に付着して生息している、養殖には、大別すると抗立と垂下の二方法がある。
 抗立では、岸近くの浅場に抗を立て、細い棒状に網袋詰めした貝を、抗に螺旋状に巻き付け抗に貝を付着させて養殖する方法である(図6)、フランスの大西洋では古くより行われている方法である。
 垂下方式は、第二次大戦後地中海沿岸諸国で行われている、沖合に筏を設置し、やや太めの棒状に網袋詰めした貝を筏より垂下する(図7)、この方法では海面を広く利用でき、好適な水域では筏が密に設置されている(図8)。
 
図1. ムラサキイガイ類3種類の殻
上段:キタノムラサキイガイ(千島、パラムシル島産)中段:ヨーロッパイガイ(カナダ、ハリファックス産)下段:ムラサキイガイ(本州、三重県産)
a,d,g: 殻頂正面、b,e,h: 左殻表面、c,f,i: 右殻内面
 
図2. ヨーロッパにおけるヨーロッパイガイとムラサキイガイの分布
細線域:ヨーロッパイガイ、縞線域:ムラサキイガイ、太線域:両種及び中間型(交雑個体)が混在







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