家に帰る
久々の家へ帰り、見慣れた風景にほっと一安心します。
愛犬の鳴き声、孫の写真、手作りのお人形達、記念に植えた木、あるものがすべて懐かしく色々なことを思い出させます。病院では見られない安らぎの表情、妻の顔を見せてくれます。
ご主人は不安を抱えながら介護し、いつでも傍にいて、週一回来る訪問看護師よりも献身的に看護をされています。それでも訪問すると、緊張した空気が穏やかになります。日に日に介護にも慣れ、ほっとした表情で笑顔も見せてくださいます。
病院では元気がなかったけれど、家での生活は自分らしさを取り戻させます。妻として母として祖母としての顔を。友達が庭の桜を見に来てくれたと。花びらがひらひらと散る中、笑顔がこぼれます。
一時退院された患者さんは、苦痛があっても時に本当に素敵な笑顔を見せてくださいます。思い出のたくさん詰まった家、今までの生活の匂いが痛みを和らげ、苦痛を和ませます。短い期間でも、そんなお手伝いができることに日々感謝しています。
(訪問看護師)
病状が進む中で
Yさんは、安定期に入られた時に積極的にホスピスでの催しに参加していらっしゃいました。しかし、それはYさんにとって何時も受身の立場におかれることなのです。そのことに気づかれたときに、「私も最後に人に役に立つ事がしたいわ」と言われて「着付けなら教えることが出来るのよ」「今のままでは死ぬほどつらい事よ」ともおっしゃったのです。
Yさんのお気持ちを直ぐにチームミーティングに諮り、受講生を募集しました。家族室などを利用して早速、教室が始まりました。着付け指導中のY先生は、病室での表情と打って変って「痛みなんか忘れちゃうのよ」ときびしく凛としたお声が響いてきます。
「着付けは妥協を許しません。わかるでしょう?」と言われる。その言葉は、Yさんの生き方に通じているように感じました。日頃、ケアを提供している側に身を置く私たちは、指導を受ける反対の立場に立って、Yさんの人生観、ものの見方を教えられました。症状が進んで、杖や車椅子を使うようになっても指導を続けて下さり、私たちはY先生から修了証をいただく事ができたのです。
Yさんは何時も言っていらした。「私は自分の人生に後悔をしていません。病気になる前から、眠る前に、このままで死んでも後悔しないで死ねるわ、と毎晩そういう思いで床に就いてきました。本当よ。でも、ここへ入って、気づいたの。それは、ボランティアをした事がない事なのよ。他の方に何かする事が出来ればよかった」そのことが、実現したのです。Yさんの希望をかなえる事ができたことを、Yさんと迎えた修了式の達成感のよろこびを忘れることはできません。
(看護師)
食事
「こちらの食事は本当に美味しいわ」と、何時も残さずに召し上がっていらっしゃったHさんが、1週間ほど前から残されるようになりました。栄養士と担当スタッフはHさんと、お好きなものを少しでも召し上がっていただけるように考えていこうと話し合いました。朝はパン、お昼は麺類に変える事にしました。お茶碗なども小さめにして、たっぷり感を演出して差し上げたところ、功を奏してきれいに召し上がっていただけるようになりました。
そのうち、3回のお食事がそのまま戻ってくるようになりました。配膳に伺い、しばらくして下膳のためにお訪ねする時、付き添いのご家族のお気持ちを察してつらくなり、静かに眠っておられるHさんの手に触れてご挨拶させていただきました。
Hさんの好物はコロッケでした。小さい頃母が作ってくれたコロッケの味にそっくりよと笑っておっしゃったこと、そして、食欲が落ちてしまったとき、コロッケを小さく作ってロールパンに挟んで差し上げたことも思い出されます。
(栄養士)
傍らに立つ
わかっていたつもりでも、愛する人との別れは受け入れられるものではない。感情を表に出す人、包み込む人、みえ方は人それぞれなのだが。
患者さんとご家族の間に、限りなくゆっくりとした今にも止まりそうなときが流れ、臨終の瞬間から、それを取り戻すかのように早いときが流れ出す。
いつも笑顔を見せてくださったAさんは、その時もやはり笑顔で。私は涙が止まらなかった。
私たちに何ができるというのだろうか。せめて最期のお別れが納得いくものでありますように見守りながら、ピースハウスの庭で咲いたお花を添えて、心の中で声をかける。
“きっといつか、また、お会いしますから。その時は先輩としていろいろ教えてください”と。
(医師)
雪の朝
昨日、事務に届いたOさん宛のお手紙をお渡しに行くと、早朝、亡くなられたとのことでした。その朝初めて降った雪で、表は銀世界です。Oさんがこの景色をご覧になったらどんなに喜ばれたことでしょう。しかし、雪の日の旅立ちとはOさんらしいと思い直しました。
スタッフ、ボランティアみんなが玄関ホールに並びOさんをお見送りいたしました。お化粧したお顔の明るいこと、今にも体を起こしてお話を始めそうな感じでした。
切手を買いにみえてお話したこと、お作りになった押し花の絵葉書を見せて下さったり、さまざまなかかわりの場面を振り返りながら「さようなら」と小声で申し上げました。
Oさんは雪の止んだ明るい空の中へ旅立って行かれました。
(事務)
それから
昨年、奥様を40日のあいだ、ほとんど外出もせずにひたすら付き添っておいでになったIさんから葉書をいただきました。
「静かだった、平和だったホスピスの40日間は夢のようです。はや、半年経ってしまいました。不便なこと、寂しいこと、生きがいが半分になったことなどいろいろありますが、考えますと、家内が先で、私が不十分であれ伴侶として傍にいてやれたことが本人にとって一番良かったことだと思います」
一年後、亡くなられた方を追悼する偲ぶ会でお会いする頃には、ご遺族もお気持ちの整理がついてこられるのか、思い出の会話が弾んでくることもあります。
その後Iさんは、ご遺族の皆さんが自主的に運営する「家族の会」に入会され、同じような経験をされた方達とお気持ちを分かち合う交わりの時をもっておられます。
(チャプレン)
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