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解剖学への招待 −私と献体 解剖学習を終えて−

 事業名 篤志献体の普及啓発
 団体名 日本篤志献体協会 注目度注目度5


解剖を行って
順天堂大学医学部 中村 京子
 
 解剖教室に初めて入った日の緊張感は、今でも鮮やかに思い出すことができます。確かその日は朝から何か知らない世界に入っていくような、そんな怖さと不安を感じていました。自分の解剖させていただくご遺体の前に座った時の何ともいえない緊張と重さ。ちょうど夏休みにホスピスで研修を行い、初めて人の死を経験として知った私にとって、ご遺体を前にして、新たにその方の人生の重みを感じずにいられませんでした。人生の歩みを終えられた方をこれから解剖させていただくのだ。どんな人生だったろう、ご家族はどのような気持ちでおられるのだろう・・・。そう思うと、本当に厳粛な気持ちで心がどっさりと重くなりました。それは、病院やホスピスで初めて患者さんとお会いする時よりも、さらに緊張する場面でした。
 解剖を始めて一週目は、とにかくそれまで感じたことのないような精神的な疲労を感じました。何から何まですべて初めての体験です。毎日約六時間、ご遺体と向かい合い、解剖をさせていただく。人体を解剖するということは、とても非日常的なことです。医学生といっても、もちろんそのような経験をそれまでに行ったことはなく、解剖するということを意味することとして自然に受け入れられるようになるにはずいぶん時間がかかりました。生きておられた方を解剖するということは、あまりにも重い。その重さゆえに、人体の中の真実に集中して目を向けること、入り込むことが容易にできませんでした。物質としての体に目を向けるためには、まだ私の心がついていけなかったのです。しかし今、その心の葛藤が、医師という普通の道とは異なる道に入るために、避けては通れないものだったのだと実感しています。
 回を重ねるにつれて、それまでとは違うことが見えてくるようになりました。筋肉、神経、血管という人体の中の事実に驚くようになり、そしてその驚きが凄い! という感動に変わりました。体の中にあんなにも精巧で複雑な構造があることが信じられませんでした。しかしその一方で、私たちのもつこの体というのはなんてシンプルなのか、という一見矛盾したような驚きも感じていました。様々のことを考え、経験し、人生を歩んでいく私たちが、物質的なものであるということがとてもシンプルに感じたのです。思考や人生というものはどこまでも広がっていくように思えても、その主体である私たちの体は物質的で有限である、という事実がなんだかとても不思議でした。そのようなことを考えつつ、次々と明らかになる人体の構造に、いつの間にか夢中になっていました。
 解剖は、私たちを生かす体の構造を目で確認し、自分の知識とする機会を与えてくれます。本当に貴重な経験です。そのような解剖を行わせていただくために、献体してくださる方々がいらっしゃることに心から感謝しています。実習の初日、白梅会の方がお話に来てくださいました。その中に「献体できることになって本当に嬉しかった」とおっしゃられました。その「嬉しかった」という言葉が忘れられません。献体することが嬉しいとは・・・。献体というのはなんて大きな意味の詰まったプレゼントなのかと思いました。今、解剖実習をあと十日ほど残して思うのは、私という一人の人間が将来医師になるために一人の方がご自分の身体を提供してくださったということです。私のために、と思うとあらためて感謝せずにはいられません。その方のお身体がなければ、将来私は医師になることはできないのです。私は医師となり、将来数多くの患者さんの生と死に関わっていきます。そのスタート地点にはその方がいらっしゃったということを決して忘れてはならないでしょう。献体してくださった方、そしてそのご遺族に心から感謝申し上げます。
 
順天堂大学医学部 中山 由貴
 
 四カ月にわたる解剖学実習を終え、私たちが解剖という経験を通して何を得たか、という率直な今の気持ちとお礼を、つたない言葉ではありますが伝えたいという気持ちで今日ここに立っています。まず、私たち学生の誰もが献体してくださったご本人とご遺族の皆様に一番に伝えたいのは、他でもない感謝と尊敬の気持ちです。
 きっとお一人お一人、献体してくださった背景には、様々な事情やいきさつ、そして人生があったのではないかと思います。
 それはちょうど、私たち学生が一人一人いろんな事情や、辛いこと悲しいこと、いろんな背景を個々に抱えながらも、協力し合い、解剖実習をしてきたのと同じように。私事ではあり恐縮ですが、十月から始まり、ほぼ毎日、年を越えても二月の頭まで続いた解剖実習期間中には、いろんなことがありました。
 自分だけでもいっぱいいっぱいになるこの期間中、本来心のよりどころにしたいはずの家庭で病人や入院が相次ぎ、大変な状況で正直かなり辛いこともありました。けれど今は、きっと十年後、二十年後に振り返っても、この頑張りは自分の勇気と励ましになるだろうと確信しています。
 私にとって、解剖学実習は単なるひとつの教科というより、自分の人生において衝撃的で印象的で、そして何より貴重な体験でした。
 学生の中には実家から通うものもいれば一人暮らしをするものもあり、それぞれが解剖実習を受け入れ、そして熱心に勉強していく上で、壁に突き当たったこともあっただろうと思います。
 ご遺体を前に黙祷をもって始まった実習。そしてその期間中には白梅会の総会があったり、折に触れて坂井先生から献体やそのご遺体を学ばせていただいているということの意義や心構えなどのお話があり、解剖学の勉強だけでなく、少なからず「死」というもの、そして今自分たちが生きている「生」というものに真正面から向き合う時期でもありました。
 始まる前は、正直、亡くなった人の体にメスを入れるということに激しい抵抗と、恐れすら感じていました。けれど、仲間と励ましあい、先生方に助けられ、そして何よりご遺体と向き合って実習を進めて勉強していくうちに、人間の多様さや奥深さ、そして人体の普遍性といったものに驚きと感動を覚え、毎日が新鮮で印象的な発見の連続でした。
 今、解剖実習を終えて実感するのは、いかにこの実習が医師になる上で必要かつ重要なものであったかということです。自分の頭で考え、悩み、そして他でもない自分の目と手を使って行った解剖を通して得た知識というのは、本当に強烈に脳に焼きつきました。私たちが将来医師となり、人を助けたいと思うとき、絶対に必要不可欠である知識の土台がこの実習で確かに築けたと思います。自分で向き合い、勉強させていただいたご遺体のことは一生忘れられないし、忘れたくありません。この気持ちはきっとここにいる学生全員が一人一人抱えているものだと思います。
 そしてご遺体から学ばせていただいたたくさんのことを決して無駄にすることなく、生かし、多くの人を助けることができるよう、これからも自己研鑚をたゆまずしていく決心でいます。
 頭も、心も、そして体力も全力投球だった、こんな有意義な学びの時間を与えてくださったことを心から感謝いたします。心より故人の皆様のご冥福をお祈りいたします。
 最後にもう一度、故人の方々と、私たちにかけがえのない方のご遺体をあずけてくださったご遺族の方々に、心からのお礼と尊敬の気持ちを伝えたいと思います。本当に、ありがとうございました。
 
筑波大学医学専門学群 西村 礼司
 
 名前というものは不思議な力を持っている。言霊ということばがあるように、名前が新たな命を吹き込むことがある。解剖実習が始まって一週間あまり経ったころ、私はふと「しらぎく」の冊子を手にした。それを読むのは二度目だったが、そのときの私は冊子に書いてある声や感想を自分の問題として読んだ。一番私の心をとらえたのは、最後のページにあった成願会員名簿だった。そこには私の祖母と近い年代を生きてこられたと思える名前が並んでいた。その日から、私が実習室で向かい合うものは無名の御遺体から名前を持った一人の人間に変わった。
 毎日の実習の前後に全員が黙祷をする決まりがある。大切な習慣だ。私はその短い時間、目を閉じ、自分の目の前にいる人が生前はどんな人で何を考えどんなふうに暮らしていたのか、ちょっと考えてみる。それから、体の中にメスやピンセットを差し込むことを謝り、本物の人体で学ぶ機会をくれたことについてありがとうを言う。
 実習が進むにつれて、人体の構造の全体像がぼんやりと分かってくる。そして私は予想しなかった印象を持った。人体は美しい。そこにはどんな工業製品も及ばない機能美があった。系統立てられて全身に張りめぐらされた神経や血管のネットワーク、動きに最も適したところに配置された筋肉や骨格、互いにつながりあって生命を保っていく臓器たち。どれを取ってもその正確さに驚かされたし、今でも自分の手足を眺めて皮膚の奥にあるもののことを思うと不思議な気分になる。
 人間の機械的な側面を知り、それが自分自身の中や身近な人たちの中にもあることを意識すれば、人体を単に機械のパーツのように見ることはできない。それは、人体にはそれぞれの人の想いや関係を映し出すという側面もあるからだろう。解剖実習によって、知識だけでなく感覚として人体を学ぶことができた。きっとこれから何度も私は実習中におぼえた知識と考えた事を思い出すにちがいない。
 最後に、献体者の方々の御冥福を祈ってこの文章を終える。
 
鹿児島大学歯学部 橋口 千琴
 
 今、解剖実習を終えて振り返ると、約三ヶ月間大変さもあったが、それ以上に得るものが多かった。そして書物や、模型などだけでは得ることのできない人体の構造など、知識の面だけでなく、人の命に関わる仕事に着く者になるという責任と自覚も、これまで以上に持つ事ができるようになった。
 実習初日には、三ヶ月続く実習に対する不安もあった。しかし、班ごとで、ご遺体を受け取りに行き、初めてその体を皆で抱え、手にその重みを感じたとき、自分達に託された期待や思い、責任の重さも同時に感じ、頑張らなくてはと、気持ちが引き締まる思いだった。姿は時に人形のように感じられ、意志を持ち生きていられた人であることが頭では解ってはいても、実際に実習をしていてもなかなか信じられなかった。御遺体は、名前も、どのような人生を送られた方かも知ることはできない。しかし、積み重ねられた時の重みや、その方に対し向けられた思いまで伝わって来るようで、また、亡くなった身近な人に重ねてしまうこともあり、顔や手は特に、見つめることが少しつらかった。
 私達の班で実習させていただいた御遺体は、めったにない変異が、いくつもある方だった。他の班の様子も見せてもらい、正常な形態だけでなく、病気や手術痕や基本的な構造は一緒でも、教科書どおりでは無く、一人一人、異なるということを実際に見て知ることができた。人体で行われている働きを人工的に作り出そうとするなら、とても人の体の大きさには収まりきらないだろう。人体の持つ不思議は、宇宙と同じように計り知れないと感じた。
 医療の現場は、それぞれ多様な分野を専門に持つ人間が、共に協力して働くことで成り立つ場面も多々あると思う。説明となると、憶えているだけでは駄目で、理解していないと人に解りやすく伝える事はできないことを身にしみて感じた。作業療法や理学療法の人達に、骨や筋の動きなどを教えてもらったりすることで、広い視野を持つという意味でも学ぶ事が多くあった。皆で一つのことを為し遂げることは、その過程に大変なことがあったとしてもやり終えた時の達成感は大きいと思う。作業中、皆に比べ手際や要領が悪く自分自身に焦りを感じたりしたけれど、班の皆に教えてもらい、助けてもらう事で乗り越えられたと思う。また、実習中はあまり気づけなかったけれど、家族の助けも大きかった。夜、遅くなり交通手段が無くなる為、迎えに来てくれた事、気を使ってくれていたことを後で知り、感謝している。
 実習の間には、知らぬ間に季節が流れ、その間に私は、得がたい経験をさせてもらっているという感謝の気持ちや真剣な思いを忘れそうになりがちであったし、まだまだ不勉強であったことは否めない。皆で、その日実習したことを確認し合える時間を持つ事ができればよかったと思う。その時その時を大切にし、後悔をしないようにしないといけないと思う。今回、自己管理の大切さも強く実感することができた。
 健康である事を望まない人はいないと思う。人々が健康であることで得られる幸せに、少しでも貢献できる人間になるためにも、託された思いを私もまた、必要とする人にかたちを変え、伝えていけるよう努めたい。
 実習の間ご指導いただいた先生方、実習に関わった沢山の方に感謝し、そして、その存在で言葉以上のものを教えてくださった方々の冥福を祈り、敬意と感謝を示したい。







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更新日: 2018年12月8日

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