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解剖実習レポート
鹿児島大学歯学部 田村 俊明
 
 約三ヶ月間にわたる解剖実習を終え、今はこの三ヶ月間が、私の人生において、とてつもなく貴重な三ヶ月であったと感じています。この三ヶ月間は、私のこれまでの人生の中で、きわめて特殊で、いわば、非日常的とも言えるような時間でありましたが、このような体験を通してしか得られないものを、たくさん得ることができたように思います。それらはすべてが形のあるものではなく、言葉でも言い尽くせるものではありませんが、生涯、私の中に厳然と残っているものであると思います。実習が始まってからは、「生命とは何か」、「人生とは何か」といった問いが、これまでとは違ったリアルさをもって、私に迫ってきました。こうした問いは、それ以前にも、何度となく自身に問いかけてきましたが、実際に御遺体を前にし、解剖させて頂く中で、何とも言えない不思議な感覚をもって迫ってきました。人体の神秘というような言葉も、これまでとは比べものにならない程の説得力をもって感じられるようになりました。当り前のことですが、教科書、講義等のみで学ぶのと、実際に自分の手を動かし、人体のすみずみまで、自分の目で見て、確認しながら学ぶのとでは、全く違うものでした。御遺体による個体差や教科書との違いは、教科書のみでは決して学ぶことができないと思います。そういう意味でも、私たちの実習の見学に来られた看護学校の学生の方たちにとっても、得られるものが非常に多かったのではないかと思います。さらに、実際に御遺体を前にすると、「この人はどんな人生を歩んできたのだろう」というように、一人の人の人生に思いをはせました。教科書だけでは、ここまで考えることはなかったと思います。大切な人もいただろうし、楽しいことも、悲しいこともたくさんあったでしょう。何一つ私には知り得ないのですが、一人の人の人生の計り知れない厚さ、深さ、重さを感じました。また、実習中に、他大学から、わざわざ特別講義に来て下さり、実習にも来て下さった先生方もいました。こうした先生方からも、貴重なお話しをたくさん聞かせて頂き、改めて、「私たちは、とてつもなくすごいことを勉強させて頂いているんだ」と思いました。
 三ヶ月にわたる実習の間に、私は御遺体と数限りない対話をさせて頂いたように思います。そして、限りなく多くのことを御遺体から教えて頂きました。実習が始まる直前に、島田教授が「これからは、御遺体が、君たちの教授です。しっかりとたくさんのことを教えて頂きなさい」と言われていたことは、全くその通りであったと、今、実感しています。三ヶ月間、長時間にわたる実習は、正直、ハードなものでしたが、もっと勉強しておけばよかったという思いです。
 解剖実習を終えた今、生きていることと同様に、死んでいくことも不思議であり、患者さんの人生に少しでも貢献できる心豊かな歯科医師に必ずなる決意です。
 最後に、解剖実習という貴重な機会を私に与えて下さり、多くの時間をかけて実習をさせて下さった全ての方々に感謝しています。本当にありがとうございました。
 
秋田大学医学部 田村 善一
 
 医学部への入学が決まり、私にとって解剖学実習は最も興味深く、また一方で不安も大きい実習であった。解剖を機に医師への志を閉ざしてしまう人さえいるというのも聞いたことがあったし、何よりも亡くなった方に触れなおかつメスを入れるという未知の体験に、不安を覚えずにはいられなかった。いずれにしても、2年初めのこの実習が医学への本格的なスタートとなる扉であることは重々承知していたし、高い志を持って臨まなければならないことは自分に言い聞かせていたように思う。
 そうした様々な思いを抱きつつ、実習初日の4月5日を迎えた。実習前のガイダンスでは、解剖学の阿部教授より実習にあたっての注意事項や概要についての説明がなされた。法的な整備も含め、解剖学実習の背景には予想以上に大きな支えがあることを知り、さらに気持ちが引き締まった。とりわけご遺体についての説明は特に印象深かった。医学の発展を切に願い、医学生を応援して下さる献体者の方とその遺族の方々の思いを顧みると、ご遺体からくまなく知識を得ることこそ最大の恩返しなのだと感じた。また、はじめて長くつきあう患者さんであるということからも、自分の医師としての原点という意味で強く心に留めておかなければとも感じた。そして実習直前にそうした思索ができたことは、それまでの解剖への恐怖や不安を払拭することにつながったように思う。実際、ご遺体との初対面の際にも思いのほか気持ちは穏やかで、ご遺体への礼意をひしひしと感じることができた。
 実際に実習を通じて実感したことは、人体とは正に千差万別であり、個人差が非常に大きいものだということだ。その複雑な構造はさることながら、「破格」などを通じてそれぞれのご遺体の個人差を目の当たりにすると、改めて人体の不思議を痛感した。そして自分の体にもまた自分だけの特徴が備わっているということを思いめぐらし、自分の個性をみつめ直すきっかけともなった。
 実習を進めるにつれて、ご遺体へ寄せる愛着とも言える思いは日に日に深まっていったように思う。手術の形跡や臓器の様子などから、献体者の方の生前の姿に思いを馳せ、無言のメッセージに耳を傾け続けた。単に人体の構造を知る媒体としてではなく、献体者の方の生涯を長年支えてきた存在としてご遺体をとらえるようになった。そして、そうしたそれぞれの生涯を直接支える医師という職業の重さを改めて痛感した。
 また、解剖学実習は班単位での実習であったわけだが、班員との関わりの中から得たものも多かった気がする。必ずしも順風満帆にとはいかなかったかもしれないが、互いに議論を交わし作業に取り組む中で、協同作業の楽しさを感じることができた。医師としてこれから先、周囲と協調しながら仕事を進めていくことは不可決となってくると思うが、今回その一端にも触れることができたと思う。医学への本格的なスタートをともにしたという意味でも、今回の班員たちは記憶に留めておこうと思う。
 2カ月半という短い間ではあったが、毎日新たな発見の連続で密度の濃い実習であったと思う。献体して下さった方はじめ、解剖実習を支える全ての人への感謝を忘れないようにしたい。そして自らもまた今回学んだことを糧として、層精進していきたいと思う。
 
日本歯科大学歯学部 千竃 徹
 
 私は過去に姉を病気で亡くしました。現在の医療では治らない病気だったので、亡くなった後、医学の進歩の為にと父と母は姉の病理解剖を決心しました。その当時は父と母の気持ちはあまりわからなかったのですが、今は理解できる気がします。私は解剖学実習を始めるにあたり、毎日、献体して下さった御本人、御遺族の気持ちを考えながら行いました。私達の将来の為、医学の発展の為にと協力して下さる考えに到達されるまでには、葛藤される部分も多かったのではないかと思います。その様な複雑な気持ちの上で私達の実習が成り立つことを念頭に置きながら実習に取り組みました。
 実習を終えた今、今までの教科書で学んできた知識を、実際に自分の目で確かめ、手で触れることによって、より鮮明なものにすることができました。しかし、解剖学実習によって私が得たものは、これらの知識だけでなく、医療に携わる者がもつべき倫理感、人格です。今回この様に実習で考えさせられた思いを大切に、日々努力をしていきたいと思います。
 最後に私達が解剖学実習を行うにあたり献体された御本人と御遺族の方々に心から感謝いたします。
 
日本大学歯学部 千葉多津也
 
 気付けば後期になっていて解剖実習の日になっていました。その日の朝になっても本当に人体解剖をすることになるという実感がわかなかったです。しかし、前期に勉強した人体の構造、臓器の形、脈管の走行などが体の中がどうなっているのかを実際にみてみたいという気持ちが自分の中にありました。
 毎回実習の前にはその日の実習内容の確認試験があって試験勉強は大変だったけれど勉強させていただく身としての緊張感があったのか、通常の講義の勉強よりも簡単に頭の中にはいってきました。
 実習初日、全員が順番にお焼香を終わらせた後に先生の話があり、皆もやはり自分と同じ気持ちだったのか実習室内は静まり返っていて先生の言葉だけが響いていました。そして「実習はじめ」の声と共に実習が始められました。実習は始まりはしたがご遺体に触れるのには抵抗がありました。抵抗というのは失礼だと思うけれどやはり抵抗がありました。時間が少し経ったあとようやく気持ちの整理がつき実習を始めることができました。実習が進むにつれ普段書物などでは見られないような事がみられるのでどんどん興味がでてきて気付けば休み時間中も勉強させてもらっていました。
 最後の実習が終わり、自分で見たかった事は全てを見ることができ、又それらがリアルに頭の中に焼き付いています。
 この実習にはこれから歯科医師になるにあたって本当に貴重な体験だったと思うし、この経験を生かしてさらに勉強を充実させていきたいと思います。
 「感謝します」と書いても、僕が普段使う言葉ではないので伝わらない気がします。だから〈僕の言葉〉で感謝の気持ちを書きます。献体してくださった方々、本当にありがとうございました。
 
自治医科大学 知念 崇
 
 11月吉日、21歳の僕は、今までにない特別な出会いを経験した。
 その人が、お年を召して髪が短い方だというのは、見てわかった。見たというより、その人が、台の上で横たわっていて、大きなカバーで覆われているのを、自分でそれを取り外すことで、対面してしまったというのが、正確である。その人は、うつろな目を見開いたまま、声をかけても返事はしないし、身動き一つしない。というより、死んでいた。そして、女性だと確認できた。そんな人と出会った。
 僕が、彼女について知っている唯一のことは、その人が年老いた女性であるということであった。彼女は年配の女性で、僕は青年。彼女は既にお亡くなりになっていて、僕はまだ生きている。彼女と僕は、解剖をされる人と解剖をする人として、出会った。それ以外、何も知らない。
 「人は、話せばわかる」とも言うが、彼女は何もしゃべってくれないし、身動き一つしない。そんなこと、当たり前かもしれないが、今までにそんな経験をしたことがない。ただ、彼女について知らないだけに、彼女について知りたかった。それは、好きな人のことを知りたいという感情に似て、素朴な気持ちだった。御生前の生活、献体の決心をされたときのお気持ち、体内の構造など。その中で、僕が正確に知ることができ、知るべきなのは、体内の構造である。解剖学の実習だから、解剖学の知識を身につけるのは当然のことかもしれない。ただ、教科書や図譜に載っているものと、彼女のものは、同じ名前のものであっても、色や形が違っていたし、2次元と3次元の違いもあったが、なにより、彼女のものには重みがあった。
 だからこそ、「知らなかった」じゃ済まされないと思った。僕個人の勉強が、ある人の御遺志そして御遺体を基にして成り立っている、という事実を真摯に受け止めなければならなかった。だから、僕は勉強した。できる限り勉強したつもりである。それでも、僕は彼女のすべてを見ることはできなかった。そんなこと無理かもしれないが、やっぱり悔しいし、申し訳ないと思う。
 彼女の体内の構造を確認していくことは、彼女と対話しているようだった。ただ、僕が頭に入れたばかりの新しい知識は、決まって、彼女の中に既に存在していた。だから、「そんなことも知らなかったのね」と彼女はいつも言わんばかりだった。
 そんな彼女も、違った表情を見せてくれたことがあった。
 五月のある日曜日。本来行くべき人がいるかどうか自体わからないし、僕なんかでは、畏れ多く失礼かもしれないと思ったが、実習室に出入りできる人間は限られているし、一人で寂しい思いをしているかもしれないと、彼女のもとに行ってみた。すると、いつもと同じ顔であるが、ほんの少しだけうれしそうに見えた。
 長いようで短かった解剖の実習が終わって、彼女と別れを告げた。彼女との出会いを通じて、様々なことを学んだ。そして、今は御遺体を目にすることはなくなったが、ふと思うことがある。
 「僕は、彼女の御遺志に応えられているだろうか」と。
 
 最後に、献体をして下さった方々、御遺族の方々、そして解剖学教室の先生方へ。
 「貴重な体験をさせてもらって、本当にありがとうございました」。







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