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『無題』
山口大学医学部 岡崎 朋也
 
 二年生になり、専門教科の勉強も少しずつやり始めた五月の連休明けに解剖学実習が始まった。解剖学実習が始まる何日も前から解剖学実習室に入る直前まで、ずっと緊張していたし、不安も感じていた。
 解剖着に着替え実習室に入ったときひんやりとした空気を感じた。その静粛な雰囲気を感じながら周りを見渡すとビニールシートとシーツに包まれたご遺体が目に飛びこんできた。これからご献体された方々の解剖を始めると思うとしゃきっとしなくてはという思いでいっぱいとなった。とは言ってもまだまだ不安な気持ちは心の中に残っていた。人の死を目の当たりにするのははじめてのことだったし、人の体にメスを入れることに怖気づきそうだった。しかし、シーツをはずしご献体された方を見たとき、今まで不安に思っていたことがすべてふっとんでいった。亡くなった後でさえ自分の身を私たち学生のために委ねて下さったその気持ちを受け取ったような気がした。その気持ちに報いることができるように一生懸命学んでやろうと心に誓った。
 実習の最初は要領が悪く、やることが予想以上に多くて、思うようにできなく黒板や本に書いてあることを無難にこなしているだけだったように思う。しかし、少し慣れてきたときにこう思った。献体された方々のおかげで私たちは机上だけでなく実際の目で勉強できるのじゃないか、究極の贈り物であるのにそれらを全て生かしきれているだろうかと。そう思ったときにそれまでの自分では生かしきれているとは言えなかったと思う。そう考えたときから黒板や本に書いてあることをじっくりやってみたり、より強い興味があったものには少し深く掘り下げてみたりするようになった。このようにして解剖を進めていくと人の体はとてもよくできているなぁと感嘆すべきことを数多く見ることができた。例えば机上で神経の勉強をしていると解剖学実習でそれを見ることによってより理解を深めれるようになるなと思った。あんなに細い紐のようなもので手を曲げたり、足を曲げたりできるとはただただ驚くだけだった。
 最後の実習が終わったあと納棺をしながら、痛い思いをさせてすみません、本当にありがとうございましたと心の中で何度も言った。火葬をして骨を拾うとき、焼香するときには胸に熱いものが込みあげてきた。ご献体された方々には感謝してもしきれないくらいの多くのことを学ばせてもらった。本当にありがとうございました。
 今回、医学生の第一歩である解剖学実習を終えて自分が大きく成長したと強く感じた。けれどこれで解剖学実習がすべて終わったわけではない。私の勉強はまだまだ始まったばかりである。ご献体された方々によって学ばせていただいたことを土台としてこれからもがんばっていきたいと思う。
 最後となりますが、ご献体された方々、ご家族の方々に心から感謝の気持ちを表したいです。本当にありがとうございました。
 
奈良県立医科大学 奥村 公一
 
 人は自分の知らないことに対してそれを知ろうとする欲求があらわれます。私の場合、医学に対するその欲求が強く医学生になろうと思ったわけです。とくに、人体は小宇宙であるとよく言われますように、謎めいたことが大変多く興味をそそられるものがありました。この度、解剖実習におきまして献体いただいた御遺体に実際に接することでその謎に歩み寄ることができ、医学生としての自覚を持つことができました。
 解剖実習は五ヶ月間あり、毎日のように予習しては御遺体と向き合うそしてまた予習ということの繰り返しでした。しかし予習してきたからといって実習が容易に進むというと、そんなことはなく、結合組織と神経の区別がつかなかったり教科書にのっていないような神経や脈管がでてくるようなことがあったりといったことが多々ありました。机上での解剖学知識と実際に御遺体を解剖させていただいて得た知識の違いを深く感じさせられたことが大変印象深かったですし、実際に自らの手で解剖を行って得た知識は深く記憶に残っております。そして、人間の体は十人十色で、人の数だけのバリエーションがあり、御遺体の数だけ教科書がありました。解剖を実際に行ってみますと、思っていた以上の驚嘆や感動、発見や喜びがそこには存在し、自身の倫理観・死生観を確立させることの重要性を改めて知りました。
 医学生にとって人体の形態としくみについて知ることは最初の段階であり、医師となるための基本であります。基本とは申しましてもその知識は最も大事なことであります。その土台のうえに今後の病体についての知識を重ね、臨床に臨むことができます。このように重要な位置をしめている解剖実習を行うために多くの方が献体に対して前向きに考えて下さっている事実を思いますと、我々医学生に大いなる期待をして頂いておりますことを深く感じるとともに、その期待に沿うような良き医師となるべく日々精進する次第です。
 最後になりましたが、解剖実習という本当に貴重な体験のためにご献体くださいました皆様のご冥福、御遺族や白菊会会員の皆様方のご多幸をお祈りいたしますとともに、親身な指導をいただいた諸先生方、ならびにこの実習のために尽力くださった関係者の皆様にも学生を代表いたしまして心から感謝し、お礼申し上げます。本当にどうもありがとうございました。
 
熊本大学医学部 奥村 幸祐
 
 前期で得た知識が実際のところどうなっているのかをしっかり観察したいという目標を持ち、毎回の予習そして実習前の講義もしっかり聞くという姿勢で実習に臨んだ。しかし、そんな目標を忘れてしまうほど、最初の一ヶ月は大変だった。予習はそんなにぬかりはなかった筈だった。しかし実際には、剖出するものがどの位置か分からないし、他のものとの区別もつかない。大きさ、固さ、色なども分からなかった。また、ピンセットも力まかせにしか使えず、作業が思うように進まなかった。無意識であるが、手を汚したくない、油まみれになりたくないという御遺体に対する抵抗感もあったのだと思う。さらに苦手なスケッチを描かないといけない等、次々と問題が生じ悪戦苦闘の一ヶ月だった。特にピンセットを力強く握り過ぎていて、夜寝ていても時折目覚める程で、この頃はピンセットをいかに使いこなすかを目標にして作業していた。先生方の手ばかりに注目して、どの部分で組織をつかんで、ピンセットのどの部分を握っておられるか等を観察しながら、それを取り入れながら作業をした。その過程の中で、神経、血管、結合組織の見分け方や、全体的にバランスよく剖出していく作業のやり方等も吸収することが出来た。この一ヶ月はまさに見よう見まねで臨んだ。このお蔭で、ピンセットを使いこなすことも幅広い視野で剖出できるようになり、気持ちにゆとりを持って作業が出来るようになった。
 十二月になると、やっときちんと観察するという目標のもとに、実習に臨めるようになったし、何かしら楽しんで出来るようになった。苦手のスケッチもうまく描けるようになった。目的意識を明確にしながら取捨選択もうまくなったと思う。記録では、顔面の血管を描いた時期である。この記録は自分にしては正確に観察し、スケッチもきちんと出来た記録だと思う。
 年が明けてからは、予習の精度も上げ、作業も効率良く集中してでき、観察も記録もある程度満足がいく充実した実習を行うことが出来た。レポート、実習調査、記録、予習等に追われ忙しい時期ではあったが、時々ご遺体の変わっていく姿を見ては、一生懸命学んだという達成感や充実感を持てるようになった。
 解剖学実習を通して理解したものは、いろいろな観点から考えることができる。レポートで課された側頚部、内臓、腎系血管が、解剖体が記憶に浮かんで来る程、知識として残っている。次に発生過程での腎臓の上昇と精巣の下降によってと生体での腎系血管に様々な走行が考えられること、頚神経、横隔神経が腹直筋の神経と同様に体壁の一番手前を走行している点で共通しているということ、また、動・静脈も様々な部分をつなぎ合わせて一つの血管体系を作っているので、それによっていろいろな走行をとっても不自然でないということが体系的に理解できた。観察では、当初に比べれば、観察力はかなり伸びたと思う。しかし同時にレポート作成における先生との問答、実習調査時におけるグループでの話し合いを通して観察力が伸びたというものの、いかに甘い観察力をしているのかということも自覚できた。これは今後一生をかけて努力して誰にも負けない観察眼を身に付けたい。
 解剖学実習とは、解剖を実際にしてみない限り、いくら書物や人の話で知識として人体の事を知ったとしても無意味だということは分かった。解剖することによって、人体に関する知識を、見て、触れて確認できる。また、おおまかな構造は教科書通りでも、個人個人特有の体を持っていることも実感できた。またそれに付随して作業中に起こる諸問題、道具の使い方、班員との協調、慎重さと思い切りの良さのバランス、先生方とのコミュニケーション、等々。それらをどう自分の中に組み入れていくかという点においても大いに悩まされ、大いに勉強させられた解剖学実習であった。
 
京都大学医学部 小河芙紗子
 
 十二月の終わりに納棺式を済ませ、思ったことがあった。解剖学実習を基礎医学の初期に持ってくるのにはきちんとそれだけの意味があるのだということを。
 一〇〇人強の学生達に大変な作業に実際携わらせることによって、「自分は医学を学ぶ者であるのだ」という自覚を否が応でも呼び起こすという使命である。私は入学してからずっと「解剖が怖い」という感覚を持ちつづけていた。医学を本格的に学んではいない人間にとって、解剖実習は強烈なイメージがある。実際解剖をしていたころに今何を学んでいるのと尋ねられ、人体解剖学だと答えると非常に恐ろしそうな目をされたこともあった。それは至極自然な反応である。人間が生まれて以来、無意識的にご遺体に傷をつけることはタブーであるとされてきたのであり、特に現代、「死」が病院という施設の中に隔離され気味である状況下においては、いっそう人体解剖などと言う行為は「普通に日常生活を送っている人間」のなせる技でないと感じて当然といえる。しかし、それはあくまで一般人の話。われわれは医者になるべく六年という年月を与えられたのであり、人間を診る者である以上、人間の体の構造を目の当たりにしないままに卒業することもできない。ある意味社会の規範から離れた世界に生きていく覚悟も必要なのである。そう頭ではわかっているつもりでも、最初の一ヶ月はご遺体への違和感との戦いであった。特に作業中にここにかつてはあったはずの「命」の名残りを見つけてしまうとき、それは私の心に迫り来た。皆それぞれ違和感との戦いをしているようではあったが、私の場合は十代前半の記憶が心の中にささっていたようである。私の父方の祖父母は小学校三、四年のときに相次いで亡くなった。それまで死というものに無縁だった私にとって、お葬式で見た祖父母のなきがらへの違和感は半端なものではなかった。いつも私に笑いかけてくれていた人間が冷たく表情もなくなってしまう怖さはいまだになまなましく覚えている。怖くて怖くて棺をまともに見ることができなかったあの怖さと、これを乗り越えなければ医者にはなれないんだという使命感との間で揺らぎながら、そんな私を待ってくれることなく実習は始まり、作業はどんどん進んでいった。これは本当にやった人でないとわからない感情であるが、最初はご遺体に触れることも怖かった人間でも、一ヶ月たつと不思議に「ご遺体とは人間の構造を見せていただける大事な先生なのだ」と資料のように関わることができるようになるのである。ここに非人間性を見る人もいるが私は決してそうではないと思う。命への敬意があるからこそ、私達は理性的にご遺体の中に見える構造を把握しようと努めるのである。そこには医学とは、人間を感情だけでも見られないし、理性だけでも見られないというこの微妙なバランスの上に成り立つ学問であることが如実に示されている気がした。
 もう一つ感じたことはこの実習は作業をチームでやる力を育てる契機になるということだ。医療行為とは医者同士はもちろん、看護士、理学療法士、薬剤師たちが参加して患者さんを救うチームプレーである。決して一人だけでできるものではない。今回の実習ではどちらかというと明らかに私は助けてもらうほうが多かったけれども、この班は比較的和やかな雰囲気の中、要領よくチームプレーが成立していて、この班の一員であったことを本当に幸せに思った。特にうちの班は優秀なメンバーがそろっていたため、おかげでボーっとしがちな私もこれはちゃんと勉強しなければという刺激を受けられた。ドンくさくて作業もうまくできず、かといって予習していってもぜんぜん頼りにならない私に最後まで付き合ってくれた三班の皆には本当に感謝の一言である。
 こんな私でも一つだけこれだけは守ろうと心に決めていたことがあった。それは実習はできる限り休まないことだった。気が張っていたのか本格的に病気になるようなことはなかったが、少し体調が悪くても今回を逃したら一生この臓器をこうやって目の前で見ることはできないかもしれないとの思いで実習室に向かった。おかげで最初の日に怖くてロッカールームでもたもたし、遅刻扱いになった他は無遅刻無欠席で三ヶ月間過ごすことができた。やはり解剖実習の重みは私の中に歴然と存在していて、不器用な私なりに自分の中の甘さと必死に戦っていたのだと思う。
 何はともあれ、この実習は十二月中旬につつがなく終了した。決して楽ではなかったし、もう三ヶ月やってくださいと言われたら泣いてしまいそうだが、実習前からは明らかに成長した自分が目の前にいる。きっとこの充実した三ヶ月は私のこれからの人生の中でも記憶から決して消えることはないだろう。すべてはこの実習を成り立たせてくださっている白菊会の方々と解剖学教室の先生方の努力の結晶であり、その恩恵にあずかれたことを非常に幸せに感じている。誌上からではあるが、感謝の意を述べさせていただき、これで感想文のしめにさせていただきたい。本当にありがとうございました。







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