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 海難審判庁採決録 >  2003年度(平成15年) > 転覆事件一覧 >  事件





平成15年門審第70号
件名

瀬渡船南海丸転覆事件
二審請求者〔理事官 島 友二郎〕

事件区分
転覆事件
言渡年月日
平成15年11月27日

審判庁区分
門司地方海難審判庁(長谷川峯清、橋本 學、小寺俊秋)

理事官
島 友二郎

受審人
A 職名:南海丸船長 操縦免許:小型船舶操縦士

損害
全損
客1名が溺水によって死亡、他の釣客1名が3週間の加療を要する右肩関節脱臼の負傷

原因
高起した波浪に遭遇したこと

主文

 本件転覆は、高起した波浪に遭遇したことによって発生したものである。
 
理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成15年3月19日03時55分
 鹿児島県硫黄島北東方沖合
 
2 船舶の要目
船種船名 瀬渡船南海丸
総トン数 7.9トン
全長 16.30メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 467キロワット

3 事実の経過
 南海丸は、鹿児島県枕崎港を基地とし、周年にわたって同県鹿児島郡三島村硫黄島及び同島周辺の岩礁等への釣客の瀬渡し業務に従事するFRP製瀬渡船で、昭和53年1月に一級小型船舶操縦士の免許を取得したA受審人が1人で乗り組み、釣客12人を乗せ、瀬渡しの目的で、船首0.4メートル船尾1.3メートルの喫水をもって、平成15年3月19日02時20分枕崎港を発し、法定灯火を表示して同港南方約27海里にある硫黄島に向かった。
 ところで、南海丸は、日本小型船舶検査機構の指示により主機の左右に固定バラストを設けて復原性が確保され、同年2月7日に定期検査を受けており、甲板上には、船体中央部に操舵室、その下部前方から後方に前部客室囲壁、機関室側壁、後部客室囲壁及び両舷に高さ約60センチメートル(以下「センチ」という。)のブルワークがそれぞれ設けられ、甲板下には、前方から順に、生簀2倉、前部客室、機関室、後部客室及び船倉が配置されていた。同船の開口部は、操舵室後部に縦50センチ横115センチの引き戸、同室左右両舷側壁に甲板上約20センチから上方に縦125センチ横62センチの前部客室出入口を兼ねる引き戸、前部客室の船首側に甲板上約20センチから上方に縦85センチ横67センチの上開きの開き戸、後部客室の船尾側に甲板から上方に縦150センチ横62センチの引き戸、同客室の操舵室寄り天井に非常用の脱出ハッチ、機関室天井に同室への出入口を兼ねたハッチが設備され、機関室左右側壁に甲板上高さ40センチから上方に縦10センチ横25センチの換気口が各3個、同室天井にマッシュルーム型ベンチレータ1個、前後部各客室及び操舵室天井に通気口並びに両舷ブルワーク下部に各9個の排水口がそれぞれ設けられていた。
 硫黄島周辺には、同島北端の枕鼻から東方約4海里に竹島、同約2海里に昭和硫黄島、東北東方約1.5キロメートルに高さ3.9メートルの平瀬と称する水上岩(以下「平瀬」という。)及び同約2キロメートルに高さ22メートルの竹島ノ鵜瀬(以下「鵜瀬」という。)並びに硫黄島南東端の南方約1.7キロメートルに高さ14メートルの浅瀬と称する水上岩(以下「浅瀬」という。)などが存在し、それぞれ磯釣りの釣場になっていた。また、平瀬と鵜瀬との間は、幅約350メートルの水道(以下「鵜瀬水道」という。)になっており、海底が鞍状の地形を呈し、平瀬周辺には5メートル以浅の暗礁が拡延していた。
 A受審人は、操縦免許を取得後20年以上にわたって瀬渡し業務に就いており、鹿児島県遊漁船業協同組合に加入し、基地を同じくする同業種船7隻のうち、硫黄島周辺の釣場への瀬渡しを黒潮丸との2隻で行い、同船と瀬割りと称して一日ごとに同島、平瀬、鵜瀬、浅瀬及び昭和硫黄島などの瀬渡し場所を変えることにしていた。同人は、瀬渡しの申し込みがあると、事前に潮見表に当たって潮候による瀬渡し場所の干出状況を確認したり、風速が毎秒10メートル、波高が2.5メートルを超えるときには出航を中止することとしていたので、種子島・屋久島地方の気象情報を入手して出航の可否を判断したり、出航前には燃料を満タンに積み、船体、機関の目視点検、機関室ビルジや排水口の目詰まりの有無確認等の発航前点検を十分に行うなど、釣客を安全に釣場に上陸させることができるように準備を行っていた。
 A受審人は、平素、03時半ないし04時ころ基地を出航して05時ないし05時半ころ釣客を釣場に瀬渡ししたのち、硫黄島港に入港あるいは同港付近で錨泊待機し、09時ころ釣場を巡回して釣客の確認を行い、13時ころ釣客を収容して帰途に就き、15時ころには基地に戻る運航を行っていたが、釣客の要望により出航時刻を変更することもあった。同人は、これまでに鵜瀬水道の通航経験が1,000回を超えており、平瀬に瀬渡しする際には、枕崎港から硫黄島に向けて南下後、闇夜で同瀬も鵜瀬も確認できないときに昭和硫黄島の西側を南下する場合を除き、同水道の鵜瀬寄りを南下して平瀬周辺に拡延する暗礁を避け、同水道の南方に出てから平瀬に向けて北上接近し、釣客を瀬渡しすることにしていた。
 こうして、A受審人は、発航に先立ち、発航前点検を行って船体、機関に異常のないことを確認し、釣客の釣り道具を操舵室横の両舷通路と空の生簀とに納め、釣客が各自持参した救命胴衣を着用して前部客室に5人、後部客室に7人がそれぞれ入室して出入口の扉を閉鎖するのを確かめたのち、当日が満月直後の大潮時期に当たって潮差が大きく、北寄りの風が吹いていることから、平瀬の釣場の足もとまで海面が上がるうえに、風を正面から受けて釣りにくいことが予想されたので、鵜瀬水道を通航して平瀬の状況を見つつ硫黄島南西岸又は浅瀬に向かうこととして発航し、波高約1メートルで南南東向きの波浪と風力3の北西風が吹く状況のもと、船内に装備した救命胴衣を着用してレーダーを監視しながら南下した。
 03時28分A受審人は、硫黄島の標高705メートル三角点(以下「硫黄島三角点」という。)から355度(真方位、以下同じ。)7.1海里の地点で、レーダーによって鵜瀬から6.0海里のところに至ったことを知り、針路を同瀬に向く165度に定め、機関を全速力前進が回転数毎分2,200のところ1,500にかけ、16.0ノットの速力(対地速力、以下同じ。)で、風波を正船尾わずか右方から受けながら、自動操舵によって進行した。
 03時39分少し過ぎA受審人は、硫黄島三角点から002.5度4.2海里で、鵜瀬から3.0海里の地点に差し掛かったとき、月明かりにより鵜瀬が肉眼で見えたことから、手動操舵として続航した。
 03時47分少し前A受審人は、硫黄島三角点から017度2.4海里の地点で、鵜瀬まで1.0海里になったとき、鵜瀬水道が肉眼で見えてきたことから、針路を同水道の鵜瀬寄りに向く170度に転じ、同じ速力で進行した。
 03時50分A受審人は、硫黄島三角点から029.5度1.7海里で、鵜瀬を左舷前方300メートルに見る地点に至ったとき、間もなく鵜瀬水道を通航することから、8.0ノットの速力になるように機関を回転数毎分1,000に減じた直後、船尾方からの波浪の峰が自船を追い越して南方に進行し、同波の後面の谷に入ると同時に、突然、鵜瀬水道から北方に向けて進行する高起した波浪に遭遇し、大量の海水が船首甲板に激しく打ち込むのを認め、発航後ここまでの波浪と反対方向に進行する操舵室の高さを超える予期せぬ高起した波浪の存在に驚き、咄嗟に機関回転数を減じてクラッチを切り、機関を中立にした。
 A受審人は、前示高起した波浪が北方に行き過ぎた後にはもとの波浪状況に戻ったことに気付いたが、ブルワークトップの高さまで打ち込んだ大量の海水が排水しきれないうちに機関室換気口などから船内に浸水し、やがて右舷側に傾きだしたことから、釣客に客室から外に出るように指示し、前部客室の釣客が操舵室左舷側出入口から左舷側に出たのを確認して海水が浸入しないうちに直ぐに引き戸を閉めたものの、後部客室の釣客が船尾側の出入口から左舷側に出た際、引き戸が十分に閉め切られず、甲板上に滞留していた海水が同客室に浸水し始め、更に右舷側に傾きながら、風波で揺られているうちに同客室への浸水が続き、03時55分硫黄島三角点から029.5度1.55海里の地点において、南海丸は、折からの北西風と海潮流とによって南西方に圧流されながら、船首を210度に向けて漂泊中、復原力を喪失して右舷側に転覆した。
 当時、天候は晴で風力3の北西風が吹き、潮候は上げ潮の中央期にあたり、発生地点付近には周期6秒、波高約1.5メートルで南南東向きの波浪があった。
 A受審人は、転覆直前に釣客の人数と救命胴衣の着用とを確認したのち、携帯電話で自宅に連絡をとり、海上保安部と黒潮丸とに救助を依頼し、転覆後、船底やロープにつかまって救助を待つ釣客を励ましているうち、釣客Bが力尽きて流れ出したため、月明かりの中、海面を泳いで救助に向かい、同客の救命胴衣をつかんで船体に引き寄せ、他の釣客と協力して船底に引き上げるなど事後の措置に当たった。
 転覆の結果、南海丸は、転覆状態のまま硫黄島に漂着して全損となり、のち廃船処分された。また、A受審人及び12人の釣客全員が来援した黒潮丸に救助されて硫黄島に運ばれ、衰弱の激しい釣客2人が海上保安部のヘリコプターで鹿児島市の鹿児島徳洲会病院に搬送され、B釣客(昭和18年6月4日生)は蘇生措置を施されたがその甲斐なく平成15年3月19日07時45分溺水によって死亡し、釣客Cは3週間の加療を要する右肩関節脱臼と診断された。

(原因の考察)
 本件は、鹿児島県硫黄島北東方沖合において、復原性が確保された南海丸が鵜瀬水道を通航する際、高起した波浪に遭遇して船首から大量の海水の打ち込みを受け、船内に浸水して転覆に至った事件であり、その経過と高起した波浪とについて検討する。
 本件発生当時の硫黄島周辺の気象海象状況については、沿岸波浪図及び気象資料により、卓越周期6秒、風浪とうねりとの合成波高約1.5メートル及び卓越波向南南東の波浪があったこと、風力3の北西風が吹いていたこと、海上保安庁の海洋速報平成15年第12号によれば黒潮も微弱であったこと、及び同人の当廷における、「発航時から波浪の状況は月明かりで見えていた。風波を後方から受けて南下したが気になるような波浪ではなかった。風が強いときには鵜瀬水道付近には近寄らない。これまでに今回のような高起した波浪を経験したことがなかった。」旨の供述などから、これまでに1,000回を超える鵜瀬水道の通航経験を有するA受審人が、同水道を通航することについての気象海象上の支障はなかったものと推定される。このことから、同人が鵜瀬水道を通航したことを以て本件発生の原因とすることはできない。
 船内への浸水状況については、生簀が船首甲板に2倉あるが、生簀の蓋が固縛されていれば、生簀への浸水がなくなって船首部の予備浮力になる可能性はあるものの、A受審人の当廷における、「生簀に海水を一杯に張っても船体はそれほど沈まない。前部客室の釣客が室外に出た後直ぐに左舷側の扉を閉鎖したので同客室への大量の浸水はなかった。」旨の供述、C釣客に対する質問調書中、「皆で船尾引き戸を開けて後部客室を出たときに海水が一気に入ってきた。」旨の供述記載、及びK釣客に対する質問調書中、「右舷側の壁が床のようになり、開いている操舵室左舷側の扉まで歩いて行って外に出た。このときまでは前部客室に海水は入っていなかった。その約5分後に裏返しになった。」旨の供述記載などにより、高起した波浪を船首から受けて大量の海水が船首甲板に激しく打ち込んだのち、常時開放されている機関室換気口などからの浸水が傾斜の端緒となり、その後、後部客室の釣客が同客室の外に避難した後に船尾側出入口の引き戸が十分に閉鎖されていなかったことから、甲板上に滞留した海水が同客室に流入し、右舷側への傾斜が大きくなるとともに、風波で揺られながら更に浸水が続き、遂に復原力を喪失して転覆に至ったものと推定される。このことから、生簀の蓋が固縛されていなかったために生簀に海水が流入したことを以て本件発生の原因とすることはできない。
 高起した波浪の状況については、A受審人に対する質問調書中、「高起した波浪の前後の波浪は大きいと感じなかった。」旨の供述記載、同人の当廷における、「当日は満月直後の大潮時期に当たって潮差が大きかった。船尾方からの波浪の峰が自船を追い越して南方に進行し、同波の後面の谷に入ると同時に、突然、鵜瀬水道から発航後ここまでの波浪と反対方向の北方に向けて進行する今までに見たこともない高起した波浪に遭遇した。同波浪が北方に行き過ぎた後にはもとの状況に戻った。」旨の供述、鵜瀬水道の海底がその南北から急に水深の浅くなった鞍状を呈し、平瀬周辺には5メートル以浅の暗礁が拡延している海底地形の状態、潮汐表に登載の同時潮図及び沿岸波浪図などにより、当時、卓越波向が南南東の波浪と、大潮時期の上げ潮中央期の北西向きの潮流とが、偶然、鵜瀬水道付近で出会って重なり合ったことにより高起した波浪が発生したものと推定される。このことから、大洋上の島周りの岩礁等に釣客を瀬渡しするための瀬渡船である南海丸の運航に従事するA受審人に対し、この高起した波浪との遭遇を予見することまでは求められない。
 以上のことから、本件発生の原因は、高起した波浪に遭遇したことであったと言わざるを得ない。  

(原因)
 本件転覆は、夜間、鹿児島県硫黄島北東方沖合において、鵜瀬水道を通航しようとする際、高起した波浪に遭遇したことによって発生したものである。
 
(受審人の所為)
 A受審人の所為は、本件発生の原因とならない。

 よって主文のとおり裁決する。





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