(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成13年4月20日12時30分
鹿児島県児ケ水湾北東部
2 船舶の要目
船種船名 |
漁船第十一美晴丸 |
総トン数 |
9.67トン |
登録長 |
13.00メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
漁船法馬力数 |
80 |
3 事実の経過
第十一美晴丸は、周年にわたって小型定置網漁業に従事する昭和42年6月に進水した平甲板型の木製漁船で、同50年9月に一級小型船舶操縦士の免許を取得したA受審人ほか1人が乗り組み、網地張り替え作業の目的で、船首0.3メートル船尾1.2メートルの喫水をもって、平成13年4月20日10時20分鹿児島県児ケ水漁港を発し、替え網を積んだ僚船第十八美晴丸(総トン数6トン、以下「十八号」という。)とともに、救命胴衣を搭載しないまま、同漁港の東北東方1.8海里の児ケ水湾北東部に敷設してある小型定置網に向かった。
ところで、第十一美晴丸(以下「美晴丸」という。)は、A受審人が同3年に購入したのち、小型定置網の網起こしや網地張り替えなどの作業時に乗組員の作業を安全かつ円滑に行うため、操舵室の撤去、魚倉の枠組みを外して1個の網置き場(以下「船倉」という。)とする改装、油圧駆動のクレーン装置及びタイコローラー(以下「ローラー」という。)の各新設などが行われた。その結果、甲板下には、前方から順に船首倉庫、船倉、機関室及び船尾倉庫が配置され、ブルワークもコーミングもない甲板上には、クレーン装置一式及び機関室囲壁が装備され、同囲壁の船尾側に舵輪、主機操縦ハンドル及び同室出入口などが設けられた。
船倉は、船首端から後方3.1メートルの船首隔壁と同7.9メートルの機関室隔壁との間に長さ4.8メートル幅1.8メートルの開口部が設けられ、倉内の長さ4.8メートル幅2.4メートル深さ1.4メートルで、倉底が両舷側壁の甲板下1.15メートルのところから船体中心線平坦部に向かって緩やかに傾斜しており、仕切は設けられていなかった。
クレーン装置は、船首端から後方7.3メートルの船倉開口部の後部に、長さ1.2メートルで船幅一杯に設けられた鋼製アングル架台(以下「クレーン架台」という。)の中央に、高さ2.2メートルのクレーンポストが設置され、倉底から同ポスト設置部に2本のピラーを立てて補強されていた。また、同ポストに隣接してその両側に、クレーンアーム(以下「アーム」という。)の旋回、起倒及び伸縮各操作を行うレバーが設けられたクレーン操作盤各1基が配置され、アーム先端にローラー取付けピースが設けられており、アームの旋回がほぼ360度、起倒が水平から垂直までほぼ90度及び伸縮が約3.5メートルから約6メートルまで可能であった。
ローラーは、全幅68センチメートル(以下「センチ」という。)、中央胴部幅30センチで、フランジ部直径72センチ、中央胴部直径30センチの鼓型ドラムに、滑り止めのために幅10センチの帯状に加工されたゴムタイヤ5本が等間隔に貼り付けられており、同ドラムが高さ1.22メートルのコの字状の吊り下げ枠で支持され、同枠上部にアームへの取付けリングが、同枠外側に油圧モータがそれぞれ設けられていた。また、クレーン架台上の左舷舷側から50センチのところには、ローラーの回転数、回転方向及び停止各操作を行うレバーが設けられたローラー操作盤1基が配置されており、アームにローラーを取り付けたときのアーム先端からローラー軸までの距離は1.46メートルであった。
油圧系統は、主機にベルト接続して駆動する油圧ポンプが機関室に設置され、同ポンプから順にローラー操作盤、油圧切換器を経由してクレーン操作盤まで高圧ホースで配管され、ローラー及びクレーン両操作盤の間に立って両操作を同時に行うことができるようになっていた。
また、A受審人が敷設した小型定置網は、児ケ水湾北東部の水深が10メートルの水域に、長さ400メートルの道網を陸岸にほぼ直角の南北方向に、長さ125メートル最大幅34メートルの身網を東西方向にそれぞれ張り立てた落し網と称するものであった。
身網は、東側から順に運動場、道網との接続部の端口(はくち)、昇り網、同網に接続して設けられる内昇り網を含む箱網及び魚捕り各部で構成され、これらが側張縄(がわばりなわ)と網地とで形成されていた。
側張縄は、碇(いかり)綱を除き、前示各部の接続箇所のほか適当な間隔で浮子玉が取り付けられ、海底に投入された砂袋の碇に碇綱を接続して固定されていた。
網地は、側張縄に結びつけられた鉛直方向の側網(がわあみ)と、昇り網、内昇り網及び箱網の各底部分に当たる敷網とに使用され、目合が運動場12センチ、昇り網及び内昇り網各5センチ、箱網2センチ、並びに魚捕り1センチで、身網各部がチャック式と称する1本の縫合糸の片端を引けば外せる方法で縫い合わされていたが、昇り網、内昇り網及び箱網各部が接続される場所に当たる心張りについては、これら各部の網地が海潮流により吹かれて縫合が外れることがあるため、チャック式のほかに昇り網の敷、側両網(以下「昇り網構成」という。)が箱網と接続する4箇所を結びつけており、この結び目を解くには潜水具を使用して水中で作業を行う必要があった。また、網丈が昇り網と内昇り網の各側網及び魚捕りを除き、水深10メートルに対して縮結(いせ)を与えてそれぞれ12メートルになっており、その上部には合成樹脂製の浮子が、下部には鉛製の沈子がそれぞれ一定間隔で取り付けられていた。
A受審人は、海中に敷設されている側張縄や網地が、アオサ等の海藻類、カキ等の貝類及び目合に刺さった魚の死骸など(以下「付着生物」という。)が付着して汚れると、海潮流の受け方が大きくなって吹かれることにより網形(あみなり)が変形したり、定置網内の照度低下によって漁獲量が減少したり、あるいは網地の重量が増大して漁獲物を取り込む際の網起こし作業を困難にするなどの弊害があるため、常時網の汚れに注意し、ほぼ20日ごとに網地の張り替え作業を行い、自ら潜水具を着用して水中作業を行うこともあった。また、平素、A受審人は、張り替え作業の際には、端口突き当たり側の胴張りの側張縄に取り付けられた浮子玉に、船首を北に向けて船首と船尾をそれぞれもやい、乗組員2人を船倉に配置し、アームを長さ3.5メートル仰角40度の位置に固定し、船体が中立を保つように適宜旋回させ、ローラーで巻き取った網地の浮子方を船首側とし、沈子方を船尾側として両舷側間の倉底から上方に、左右に折り返しながら積み上げていた。なお、同受審人は、使用していた網地を児ケ水漁港に持ち帰り、高水圧の海水を噴射するなどして洗浄後、張り替え作業時と同じように積み込んでいたが、人手が足りないときには、船倉に乗組員を配置せずに、アームの仰角を40度で固定し、岸壁に積み上げた網地をローラーで左舷側から巻き取り、船体が中立を保つように適宜アームを前後に伸縮させたり左右に振ったりしてローラーの位置を変えながら、船倉の右舷船尾側から前方に向かって次々に団子状に積み込むこともあった。
こうして、A受審人は、10時40分小型定置網に到着し、十八号と2隻で、昇り網構成が箱網と接続する4箇所を除く各部の網地と側張縄の結び目を解いたのち、十八号の乗組員3人を美晴丸に移乗させ、全員が救命胴衣を着用しないまま、11時30分薩摩長崎鼻灯台から058度(真方位、以下同じ)2.2海里の地点で、いつものように船首を北に向けて船首尾を胴張りの浮子玉にもやい、ローラー及びクレーン両操作盤の間に立ち、乗組員2人を船倉内に配置し、運動場の側網から揚収を始めたところ、いつもより付着生物の量が多いことに気付き、目合が小さくなると更に多くなることが予想されたことから、船倉内の乗組員が汚れるので、以前岸壁で積み込んだときのように、船倉内に乗組員を配置せずにアームの仰角を40度で固定し、船体が中立を保つように適宜アームを旋回、伸縮させながら、倉底の右舷船尾側から次々に団子状に積み込む方法で行うこととし、同乗組員に目合の大きな運動場の網地を取り込み終えるまでは船倉内で付着生物を落とす作業を行わせ、目合の小さな昇り網になったら甲板上に上がらせることとして作業を続けた。
12時00分A受審人は、運動場の側網を船倉の右舷船尾側から船首方に向かって団子状に6山積み込み終えたとき、乗組員2人を甲板上に上がらせ、同側網の重量による右舷側への傾斜モーメントと、左舷海面からローラーに吊り上げている昇り網構成の張力の水平分力による左舷側への傾斜モーメントとが均衡して船体が中立を保つように、アームの旋回、伸縮及びローラー回転数の各調整をしながら、目合が小さくなって付着生物の量及び網地の吸水による抱水量がそれぞれ増大した昇り網構成を巻き揚げ始めた。
12時20分A受審人は、昇り網構成を船倉に取り込み、心張りが甲板面付近の左舷船外まで揚がってきたとき、網地がローラー上で滑り始めたことを認めたが、これまで何年間も網地の張り替え作業時に心張りの結び目を解かずに巻き揚げていたので、いつもと同じように同結び目を解かないまま、ローラーの巻揚げ回転数を落とし、右舷側に垂れ下がった網地を甲板上の乗組員に引かせながら取り込み作業を続けているうちに、乗組員の1人が船倉内に下りて付着生物の振り落とし作業を始めるのを認めた。
12時29分半A受審人は、アームが船体中心線上で、その長さが4.64メートル、ローラーの中心が甲板上高さ3.74メートルの位置で、巻揚げ側に油圧全開運転しても、ローラーが空回りをするだけになったとき、張力の掛かった網地の空中に露出している部分を多くして水切りすれば、網地の抱水量が減って張力が減少するので、網地がローラーに密着して摩擦力が大きくなり、心張りの結び目を解かない状態でも容易に巻き揚げることができるものと思い、一旦巻き揚げを中断して心張りの結び目を解く作業を行い、内昇り網と箱網との各構成を解体してローラーに掛かる張力を軽減したうえ、両舷各傾斜モーメントの均衡を崩さないようにして巻き揚げるなど、復原性に対して十分に配慮することなく、船倉内の乗組員に甲板上に上がるよう指示しないまま、クレーン操作盤のアーム伸縮操作レバーを伸出側に倒し、アームの長さを5.10メートル、ローラーの中心を甲板上高さ4.04メートルの位置まで30センチ高くしたところ、均等に掛かっていた両舷各傾斜モーメントの均衡が崩れ、このことが左舷側への傾斜の端緒となり、ローラーに張力が掛かったままの船体が左舷側に傾斜し始めたので、慌ててローラーの操作レバーを繰り出し側に倒したが効なく、12時30分薩摩長崎鼻灯台から058度2.2海里の地点において、美晴丸は、その後も網地の張力が連続してローラーに掛かり、左舷側への横傾斜角の増大とともに張力の水平分力が増大して左舷側に傾斜を続け、復原力を喪失して左舷側に転覆した。
当時、天候は晴で風はほとんどなく、潮候は上げ潮の初期であった。
転覆の結果、美晴丸は、主機及び電気系統の濡れ損並びにクレーン装置に損傷を生じ、僚船3隻によって鹿児島県山川港に引き付けられたが、修理費の都合により修理が行われないまま、のち廃船解撤された。また、乗組員全員が海上に投げ出され、甲板上にいたA受審人ほか3人は十八号に救助されたが、船倉内で付着生物の振り落とし作業を行っていた乗組員B(昭和19年10月25日生)が転覆25分後に海底で発見され、児ケ水漁港から急ぎ取り寄せた潜水具を装着したA受審人に救出されて同漁港に運ばれたのち、同県鹿児島市の鹿児島徳洲会病院に入院して蘇生措置を施されたが甲斐なく、平成13年4月22日に溺水による肺水腫によって死亡した。
(原因の考察)
本件は、鹿児島県児ケ水湾北東部において、小型定置網の網地張り替え作業のため、アーム先端に吊り下げたローラーで、網地を左舷側海面から巻き揚げ、船倉の右舷側に積み上げる方法で取り込み作業中、付着生物と海水とを含んで重量の増した網地がローラー上で滑り出したのち、ローラーが空回りを始めた際、アームを伸ばしてローラーを上方に上げたとき、船体が左舷側に傾斜して転覆に至った事件であり、網地がローラー上で滑り出してから転覆にいたる経過と復原性とについて検討する。
美晴丸は、昭和42年6月に進水した木製漁船で、中古の同船を購入したA受審人が平成3年に操舵室の撤去、魚倉の船倉への改装、クレーン装置及びローラーの各新設などを行ったが、その後本件発生まで何年間も約3週間ごとに網地張り替え作業に従事していたことから、船体の復原性に関する資料がないものの、復原性については何ら問題がなかったものと思われる。
A受審人は、同受審人に対する質問調書中、「最初にアームを右舷側に寄せ、取り込んだ網を船倉の右舷船尾側から団子状に積み上げた。ローラーに巻かれて左舷側海面から揚がってくる網の張り具合を見ながら巻き揚げていた。左舷側に大きな張力が掛かるが、取り込んだ網により船体が右舷側に傾くのと均衡がとれていた。」旨の供述記載にあるように、船体が中立を保つように適宜アームを旋回、伸縮させながら、船倉の右舷船尾側から次々に団子状に積み込む方法で網地の取り込みを行っていた。このことは、取りも直さず、左舷側への傾斜モーメントと、右舷側への傾斜モーメントとを均衡させ、船体が中立を保つようにして巻き揚げていたものであると言える。
ところが、A受審人は、昇り網構成を船倉に取り込み中、昇り網、内昇り網及び箱網各部が接続される場所に当たる心張りが甲板面付近の左舷船外まで揚がり、目合が小さくなって付着生物の量と網地の抱水量とが増大したことにより、網地がローラー上で滑り始めたとき、これまで何年間も網地の張り替え作業時に心張りの結び目を解かずに巻き揚げていたので、いつもと同じように心張りの結び目を解かないまま取り込みを続け、さらに、ローラーが空回りをするだけになったとき、網地の抱水量を減らすつもりで、アームを伸出してローラーの高さを30センチ高くしたところ、船体が左舷側に傾斜し始め、急いでローラを繰り出し側に操作したものの、傾斜を元に戻すことができないまま、転覆に至ったものである。
以上のことから、左舷側に吊り上げている網地の張力が変わらないままローラーの位置を上方に上げた結果、左舷側への傾斜モーメントが大きくなって右舷側への傾斜モーメントを超え、均等に掛かっていた両舷各傾斜モーメントの均衡が崩れたことが、左舷側への傾斜の端緒となり、ローラーに張力が掛かったままの船体が左舷側に傾斜し始め、その後も網地の張力が連続してローラーに掛かっていたことから、横傾斜角が増大するとともに張力の水平分力が増大し、更に左舷側への傾斜が続くうちに、復原力を喪失して転覆に至ったものであり、左舷側への傾斜増大の端緒となったローラーの位置を高くしたことは、両舷各傾斜モーメントの均衡を崩したことになり、復原性に対して十分に配慮しなかったということにほかならず、このことが本件発生の原因となる。
なお、A受審人に対する質問調書中、「網地の材質はハイゼックスと思う。」旨の供述記載があるが、ハイゼックスと称するポリエチレン系繊維の比重は海水より軽いため、使用されていたとしても側網上部のいわゆる天井網のみであり、側網下部には比重の大きな繊維が使用されるのが一般的であり、小型定置網に使用された網地が全てハイゼックスとは考えられない。また、網地の重量については、網地の材質、素繊維の太さ、目合の大きさ及び結節の種類などによって決まるが、網地の抱水量が時間経過とともに減少することや付着生物の付着量等によって大きく変化するため、一概に本件発生時の重量を再現することはできない。しかしながら、当時の状況に依れば、目合が小さくなって付着生物の付着量が多くなることが予想されることから、ローラーに吊り上げられた網地は相当大きな重量となり、ローラーに過大な張力が掛かっていたものと推測される。このことから、網地の取り込みをより安全に行うには、網地がローラー上で滑り始めた際、心張りの結び目を解いて昇り網、内昇り網及び箱網各部の構成を解体し、網地の重量を軽くして巻き揚げる必要があった。
(原因)
本件転覆は、鹿児島県児ケ水湾北東部において、小型定置網の網地張り替え作業のため、クレーン装置のアーム先端に取り付けたローラーで、海面から吊り上げている網地に掛かった張力の水平分力による左舷側への傾斜モーメントと、船倉に取り込んだ網地の重量による右舷側への傾斜モーメントとが均衡するようにして巻き揚げ中、付着生物と海水とを含んで重量の増した網地がローラー上で滑り出したのち、ローラーが空回りを始めた際、復原性に対する配慮が不十分で、アームを伸ばしてローラーを上方に上げ、均等に掛かっていた両舷各傾斜モーメントの均衡を崩したことが左舷側への傾斜の端緒となり、ローラーに張力が掛かったままの船体が左舷側に傾斜し始め、その後も網地の張力が連続してローラーに掛かり、左舷側への横傾斜角の増大とともに張力の水平分力が増大して左舷側に傾斜を続け、復原力を喪失したことによって発生したものである。
なお、乗組員が死亡したのは、救命胴衣を着用していなかったことによるものである。
(受審人の所為)
A受審人は、鹿児島県児ケ水湾北東部において、小型定置網の網地張り替え作業のため、クレーン装置のアーム先端に取り付けたローラーで、海面から吊り上げている網地に掛かった張力の水平分力による左舷側への傾斜モーメントと、船倉に取り込んだ網地の重量による右舷側への傾斜モーメントとが均衡するようにして巻き揚げ中、付着生物と海水とを含んで重量の増した昇り網、内昇り網及び箱網各部が接続された心張りの網地がローラー上で滑り出したのち、ローラーが空回りを始めた場合、ローラーの位置を上方に上げると、均等に掛かっていた両舷各傾斜モーメントの均衡が崩れるおそれがあったから、一旦巻き揚げを中断して心張りの結び目を解く作業を行い、昇り網、内昇り網及び箱網の各構成を解体してローラーに掛かる張力を軽減したうえ、両舷各傾斜モーメントの均衡を崩さないようにして巻き揚げるなど、復原性に対して十分に配慮するべき注意義務があった。ところが、同受審人は、張力の掛かった網地の空中に露出している部分を多くして水切りすれば、網地の抱水量が減って張力が減少するので、網地がローラーに密着して摩擦力が大きくなり、心張りの結び目を解かない状態でも容易に巻き揚げることができるものと思い、復原性に対して十分に配慮しなかった職務上の過失により、網地の抱水量を減らすつもりで、アームを伸出させてローラー位置を30センチ高くし、均等に掛かっていた両舷各傾斜モーメントの均衡を崩し、復原力を喪失させて転覆を招き、主機及び電気系統の濡れ損並びにクレーン装置に損傷を生じさせ、海上に投げ出されたT乗組員は救助されて病院に入院したが、のち溺水による肺水腫によって死亡するに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。