(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成14年3月29日06時54分
香川県高松港
2 船舶の要目
船種船名 |
引船海王丸 |
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総トン数 |
19トン |
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全長 |
14.90メートル |
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幅 |
5.50メートル |
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深さ |
2.05メートル |
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機関の種類 |
ディーゼル機関 |
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出力 |
1,206キロワット |
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船種船名 |
浚渫船鷲羽号 |
押船屋島丸 |
総トン数 |
1,412トン |
19トン |
全長 |
50メートル |
15.50メートル |
幅 |
20メートル |
5.00メートル |
深さ |
4メートル |
2.00メートル |
機関の種類 |
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ディーゼル機関 |
出力 |
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1,059キロワット |
3 事実の経過
海王丸は、平成13年7月に竣工し、2機2軸及び2舵を有する一層甲板の鋼製押船で、甲板下に船首から順に船首水槽、船員室、機関室、燃料タンク及びバラストタンクを配し、甲板上の船体中央部やや船首寄りに二層の甲板室を設けて下層を船員室、上層を操舵室とし、同室の上方に高さ5.0メートルのやぐらを設置してその頂部にも操舵室を備え、船体中央から3.0メートル後方で甲板上の高さ1.6メートルのところに曳航フックを、後部甲板上にロープウインチをそれぞれ装備し、港湾の浚渫作業にあたる作業船と船団を組み、同船の曳航あるいは押航に従事していた。
A指定海難関係人は、押船屋島丸及び総トン数10.00トンの揚錨船幸丸と船団を組む非自航式浚渫船鷲羽号に乗り組み、船団長として指揮を執り、主に港湾の浚渫作業に従事していたところ、岡山港港内の同作業に携わることとなり、基地としている高松港から岡山港まで船団を回航するにあたって、鷲羽号を屋島丸で押航するほか、引船による曳航を加えて速力を増し、航海時間を短縮することができるよう、海王丸を引船として使用することとした。
A指定海難関係人は、翌14年3月26日鷲羽号の作業員であったBを海王丸に船長として転船させ、同月28日高松港東部のG地区物揚場に係留中の鷲羽号でB船長と打合せを行い、同船長が海王丸及び揚錨船兼引船でたびたび船長を務め、以前にも押航態勢の鷲羽号を曳航した経験があったうえ、B船長を始め船団の全員に同一周波数のトランシーバーを持たせ、いつでも容易に連絡を取り合い自らが対応することができる体制としていたので、何か危険を感じたならば報告するよう指示し、岡山港までの進路を説明した。
翌29日06時30分鷲羽号は、A指定海難関係人ほか作業員6人が乗り組み、船首2.25メートル船尾2.35メートルの喫水をもって、船尾凹部に船首を嵌合した屋島丸の船尾と鷲羽号の船尾間を左右1本ずつの係留索で繋ぎ、屋島丸の遠隔操縦装置を鷲羽号の後部甲板上に設けられた三層の甲板室屋上に移し、屋島丸船長Kが同屋上に立って操船にあたり、幸丸の援助を得てG地区物揚場を離岸して同物揚場の東方沖合に至ったところで、左舷側に幸丸の右舷側を接舷させて船首尾索各1本で同船を横抱きした。
一方、海王丸は、B船長及び甲板員Cが乗り組み、船首1.5メートル船尾2.5メートルの喫水をもって、鷲羽号と共にG地区物揚場を離岸し、同物揚場の東方沖合で鷲羽号の船首に接近して、C甲板員が長さ34メートル直径75ミリメートルの化学繊維製曳航索の一端を曳航フックに掛け、他端を鷲羽号の船首部で曳航準備にあたっているA指定海難関係人に渡した。
A指定海難関係人は、海王丸から受け取った曳航索を船首部船首尾線上のフェアリーダーを通してその後方のクロスビットに掛け、海王丸の甲板室に設けた操舵室で操船にあたっているB船長に対し、曳航を開始するよう指示した。
B船長は、上着の胸ポケットに入れたトランシーバーのイヤホンを耳に付け、救命胴衣を着用して操船にあたり、A指定海難関係人の指示により、06時50分高松港朝日町外防波堤北灯台(以下「外防波堤北灯台」という。)から104度(真方位、以下同じ。)1.1海里の地点を発し、岡山港に向かい、直ちに針路を013度に定め、機関回転数を微速力前進から全速力前進まで徐々に上げながら、手動操舵によって進行した。
A指定海難関係人は、海王丸が曳航を開始したことを見届け、K船長に対しトランシーバーでその旨を伝え、周囲の状況が左舷前方に3隻の錨泊船を見掛けるだけであって、計画したとおりしばらくは一定の針路で北上でき、曳航状態を監視しなければならないものではなく、時折自らが巡回して曳航索の傷みなどを見たり、備讃瀬戸東航路を横切るころには見張りをしたりするつもりで、06時51分鷲羽号の船首部を離れ、今後の諸作業の打合せを予定していた甲板室に赴いた。
K船長は、A指定海難関係人の連絡を受け、海王丸が増速するのに合わせて、屋島丸の機関回転数を半速力前進と全速力前進の中間程度まで上げ、このような状態で進行中に被曳航船がむやみに舵をとることは危険であるため、あえて操舵をしないまま、右舷前方の長崎鼻寄りに圧流されないように5度左に当て舵をとるに留め、海王丸に追随した。
06時53分K船長は、海王丸が外防波堤北灯台から097度1.1海里の地点に達し、5.0ノットの速力となったころ、同船が急に左転を始めたものの、B船長から何も連絡がなく、進路を変更するための小角度の転針であろうと思っているうち、鷲羽号が前進力を有していることから、海王丸の右舷側に進出する態勢となって曳航索が同船の船尾から右舷後方に変わり、海王丸が横引きされて右舷側に傾斜するもなおも左転を続けるので、同船長の意図が分からず、同時53分半海王丸が西方に向首したところで屋島丸の機関を中立とした。
このころ、A指定海難関係人は、曳航を開始したとき左舷前方に見えていた錨泊船が甲板室サロンの右舷側舷窓を通して見えることに不審を抱き、急ぎ船首部甲板に駆けつけたところ、曳航索が鷲羽号の左舷前方に張り、海王丸が右舷側に大傾斜して舷側が海水に浸っているにもかかわらず、推進器流の放出状態から機関が全速力前進のまま左舵一杯がとられていることを知り、同時にB船長が海王丸操舵室の左舷側出入口の敷居に同室内を向いて腰を下ろしているのを認め、トランシーバーを口元に当て大声で同船長に減速するように指示した。
しかし、B船長は、A指定海難関係人の声に何ら反応することなく、海王丸は、船首を193度に向けて右舷側に更に傾斜し、06時54分外防波堤北灯台から097度1.0海里の地点において、復原力を喪失して転覆した。
当時、天候は晴で風はなく、潮候は上げ潮の初期にあたり、海面は穏やかであった。
転覆の結果、機関等に濡損等を生じたが、引き揚げられたのち修理され、B船長(一級小型船舶操縦士免許受有)が溺死し、機関点検作業中のC甲板員が機関室内に閉じこめられ、救助されたものの、右下腿打撲、擦過傷及び左下腿打撲等を負った。
(原因の考察)
本件転覆事件は、海王丸が急激な左転をし、鷲羽号により横引きされたことによって発生したことは事実の経過で述べたとおりであるが、単独で操船中のB船長が死亡したため、左転の原因を当時の運航関係者の目撃情報等に求めなければならない。
しかしながら、A指定海難関係人、T部長及びK船長に対する各質問調書中の供述記載及び同指定海難関係人の当廷における供述は、「海王丸が全速力前進のまま左舵一杯で左回頭を続け、転覆に至るまでB船長からは何ら連絡がなかった。回頭中、同船長は操舵室左舷側壁の敷居に背筋を伸ばして腰を下ろしていた。海王丸を引き揚げたとき、操舵装置は正常で、舵は左一杯、機関は両舷共に全速力前進であった。舵を一杯にとるまで舵輪の回転数は10回ないし10回半である。B船長が何故このような行動をとったのか理解できない。朝食時に同船長と顔を合わせたとき、普段と変わった様子はなかったが、体調を崩し、正常な行為ができなかったのではないか。」というものである。
そして、B船長の健康状態については、同船長の船員手帳抜粋写中、健康証明書に医師の指示及び就業上の注意事項として、肝機能再検査及びアルコール減量のことの記載があり、一方、O病院院長の回答書によると、同船長は、平成3年1月21日に頚椎椎間板ヘルニアでの初診以来、同14年1月5日の最後の受診までの間、しばしば通院し、最近は痛風や腰椎椎間板ヘルニアの治療も併せて受けていた事実がある。
そこで、これらの既往症や肝機能障害あるいは過度の飲酒による体調不良も考えられなくもないが、当日の朝食をB船長と一緒にとったA指定海難関係人は、当廷において、「幅60センチメートルの食卓を挟み、同船長と向かい合って食事をしたが、酒の臭いはなく、顔色や肌つやは普段どおりであった。」と供述しており、体調不良を起こすような予兆が見当たらなかったうえ、同船長が舵輪を10回転させてまでも左舵一杯をとり、転覆するまで背筋を伸ばして敷居に座り続けていたという行動が体調不良に起因するものであったと認めるのは難しい。
従って、海王丸が左転した原因を明らかにすることができない。
さらに、B船長から何ら連絡がなかったことについては、A指定海難関係人が同船長と事前の打合せを行い、目的地までの進路を説明して、何か危険を感じたならば報告するよう指示していたうえ、B船長を含めた船団の全員が同一周波数のトランシーバーを持ち、各人間の通話が容易にでき、同船長にもこれを使用する機会が十分にあったことから、連絡体制に不備があったとは認められない。
また、A指定海難関係人は、鷲羽号に曳航状態を監視するための人員を配置することも緊急時に曳航索を切断するなどできるような準備を整えることもしていなかった。
しかしながら、A指定海難関係人が鷲羽号の船首部を離れて甲板室に退いたとき、自ら同船首部に留まるか他の乗組員を配するかなどしなければならない状況になく、そのわずかあとに海王丸が左転を始めたもので、B船長が左転を続けて反転することは、同指定海難関係人及びK船長にとって全くの想定外のことであった。
一般に、異常な左転に気付いた場合、まず、B船長にその理由を質し、返答の有無や同船長の行動に疑問を持ったのち、初めて曳航索の切断あるいは幸丸を海王丸に赴かせるなどの対処策に着手するもので、このときはB船長が背筋を伸ばして操舵室の敷居に腰を下ろしており、トランシーバーと肉声で声をかけても返答がなく、左転開始から転覆まで1分間であったことと、A指定海難関係人及びK船長がB船長の異常な行動に気付いてから転覆まで30秒前後であったこととを勘案すると、たとえ曳航索を切断することができる準備が整っていたとしても、それを決断する余裕のないうちに転覆に至ったものといえ、これらのいずれもが本件転覆の原因となったとは認められない。
(原因)
本件転覆は、高松港において、海王丸が、押船に押されて前進力を有する被押浚渫船を曳航中、大舵角による左転をし、右舷側に進出する態勢となった同浚渫船により、横引きされたことによって発生したものであるが、海王丸の左転の原因を明らかにすることができない。
(指定海難関係人の所為)
A指定海難関係人の所為は、本件発生の原因とならない。
よって主文のとおり裁決する。